ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている 5ページ目(不定期更新の短編小説)

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//※//






Intermission


第一次世界大戦
アラブの叛乱
シナイ半島
砂漠
スエズ運河
アラブの宮殿
英国陸軍司令部
将校専用のBar
レモネードが2つ
喜ぶ少年
砂漠色の制服を身に付けた兵士達の後ろ姿
画面の奧へと去って行く
スクリーンには大きな文字で
Intermission


僕がIntermissionというものを初めて体験したのは、
映画「アラビアのロレンス」を観ていた時のことだ。
Intermissionという英語をカタカナにすればインターミッション。
日本語に翻訳すると休憩となるけれども
使用の自由度が高い言葉ではない。
この言葉が当てはまる状況は限定されている。
インターミッションとは
映画上映中に挟まれる休憩時間のことである。
監督の「アラビアのロレンス」は上映時間が
3時間27分もあるのだ。
ロレンスのように上映時間が長い映画は途中に休憩時間を挟む。
その時間は20分前後。
スクリーンにIntermissionという文字が表示されると
照明がつき劇場が明るくなる。
ロビーと劇場を仕切ることでシアターという1つの特別な
異空間を存在させていた扉が開け放たれ
新鮮な空気が観客の肺に入り込む。
彼らは背伸びをして、
イスに窮屈に押し込まれていた腰や尻を伸ばして
身体に血の巡りを通わせる。
誰かと連れそって劇場に足を運んだ者たちは家族や恋人や友人たちと
映画のこれまでの展開について
感想や賞賛や不満や疑問点を話し合う。
床には赤い絨毯が敷かれ、
天井からはきらびやかな照明がぶら下がるロビーには
笑顔で接客する従業員一同が客を待ち構えている。
彼らには魂胆がある。この時間を利用して
喉が渇いた客にジュースを売り、
小腹が空いたと感じる客にはポップコーンを売るのだ。
ペプシやコカコーラ、
アイスコーヒーそしてオレンジュースが客の喉を潤す。
ポップコーンはいつだって映画鑑賞のお供だ。
中には手洗いに向かう者やタバコを飲みに行く者もいる。
映画製作者はインターミッションを挟むことで
観客の集中力が切れないことを期待している。
なにより休憩時間が劇場に飲食収入もたらすことを理由に
長時間の作品を上映出来ることを期待している。
映画製作者、劇場、観客という1つの映画作品に集う者たち全員に
利益をもたらすインターミッションを
映画作品の途中に挟むことは理に適っている。


上記の文章は現実的なインターミッションの描写だが、
僕個人の現実ではない。
デヴィット・リーン監督による映画、
アラビアのロレンスが日本で劇場公開されたのは1963年だ。
そのとき僕はまだ産まれていない。
それどころかまだ若かった父と母も出会っていない。
だから僕は映画館でこの作品を観たことが無い。
僕はこの映画を
自宅のパソコンでDVDを再生することで初めて観賞した。
それも完全版という形で。
劇場公開当時の上映時間は3時間27分と長いものだったが、
監督が編集した直後の
アラビアのロレンスの上映時間はもっと長かった。
配給会社の方針で短くカットされ
3時間27分という"短さ"になったのだった。
後年、カットされた部分のフィルムの傷を直し再編集、
完全版が作られることとなった。
その制作にはリーン監督も関わった。
作業には膨大な時間と費用が必要だったが
映画監督のスティーブン・スピルバーグや、
フランシスコ・コッポラ監督が援助に名乗りを上げた。
彼らは若き頃この映画を観たことで、
将来は映画監督になるという運命を決定された
大勢の若者の内の1人だった。
付け加えればその中でもっとも成功した人物でもある。
言わばロレンス完全版への貢献は彼らなりの恩返しであり、
映画監督としての父である
デヴィット・リーンへの親孝行でもあった。
3時間47分。
これが彼らが作ったアラビアのロレンス完全版の上映時間である。


実在した人物である
トーマス・エドワード・ロレンスが書いた手記を原作として、
1人のイギリス軍人が中東の広大な砂漠に降り立ち、
アラブの民族と邂逅し彼らと飲食を共にし
オスマン帝国相手に戦い勝利し英雄となりアラブの天使化し、
最後には自国イギリスの三枚舌外交の汚さと
中東民族同士の複雑な力関係に絶望し帰国、
除隊後に自殺するように事故死するという
壮大な規模で展開される
美と哀しみに溢れた情念の物語は僕を圧倒した。
ロレンスの相棒にして実質的にこの映画のヒーローである
アラブの戦士アリが言ったセリフを今でも憶えている。
「アラブとして生きることは辛い道なのだ」。
アラブとは定住する場所を持たない、
あるいは定住を歴史から否定された流浪の民である。
ロレンスもまた自国であるイギリスにも戦場である中東にも
居場所を得ることが出来なかった流浪の民だ。
放浪とはイバラの道なのだ。
公開当時から現代に至るまでこの映画が
多くの人々の心を打った理由はここにある。
ロレンスを演じたピーター・オトゥール
アリを演じたオマー・シャリフの演技も素晴らしい。
作曲家モーリス・ジャールの音楽はいまでも耳に流れている。
撮影監督フレディ・ヤングによる
映像の美しさと躍動感は伝説となっている。
それら全てが力を合わせ描いているのは
流浪の民であることの苦しみと美しさだ。
そして人々は生きている限り誰もが流浪の民なのである。
肉体として精神として。
我々は生きている限り放浪を定められている。


アラビアのロレンスは非常にホモソーシャルな映画であり、
またゲイ的である。この映画に女性は登場しない。
その代わりに
美しいイギリス人とアラブ人の青年と老人と少年が登場する。
いやむしろこう言うべきだろう、
美しい青年と老人と少年がいればその作品に女性の入る隙はない。
それがホモソーシャルだ。
先程、アラブの戦士アリのことを
この映画のヒーローであると書いた。
であるならばヒロインは主人公のロレンスだ。
ロレンスは試練を乗り越えることで認められて行く。
試練を課したのはアラブ、
彼にとっての異国人と砂漠という大自然だ。
ロレンスの勇敢さと優雅さに感化されたアラブの民たちは
彼を清らかで美しく、
天使の様な存在だとみなし始める。
その証拠として彼らはロレンスに真っ白な民族衣装を送った。
ロレンスは作中最大の笑顔で純白の衣装を身に纏い、
彼を囲んだアラブの民は賞賛を送る。
勇気への賛歌と友情の表明という多幸感に包まれた名シーン。
ロレンスが纏う純白の民族衣装は
ウェディングドレスの暗喩である。
彼の結婚相手はアラブの民たち、そして砂漠だ。
ロレンスはこのシーンを境に自分の肉体が
2つの異質を持っていたことに気が付き始める。
異質とは当時の社会がおぼろげに定めた
常人という規定の範疇を越える
能力や性質のことである。
そして異質にはもう1つの意味があるがそれはあとで話す。


彼は異質を2つ持っている。
彼自身もそのうちの1つには気が付いているが、
もう1つには気が付かない様にしている。
1つは軍事的な力だ。
ロレンスは他民族であるアラブの民を率いて広大な砂漠を渡り
オスマン帝国の要塞を背後から強襲して陥落する。
ゲリラ戦を展開して砂漠を横断する鉄道網を蹂躙する。
ロレンスには作戦を考え部隊をまとめ率いて
都市や野という場所を問わず敵を根絶する力があった。
もう1つはゲイ的な要素である。
ロレンスは軍隊という
社会的にもっともホモソーシャルな環境に身をおくことで、
自分が持つセクシャリティーに気がつき始める。
彼は自分の性から逃れるために
戦士的なマチズモを心にまとうが
物語りの終盤で己の性を自覚する。
ロレンスは敵軍に捕まり拷問を受け
複数の男たちによる陵辱を受けてしまう。
ここで彼は自身が持っていた異質を反転する様な形で
受け入れざるをえなくなる。
マチズモ→ゲイという反転だ。
それは本当の自分というものの発見という生温いものではない。
その大きな傷を受け入れざるをえないのだ。
自身の軍事的才能を活かし
アラブの民を率いて多くの勝利を得た彼だが、
敵に肉体を蹂躙されたことで1人の人間、1つの肉体としては、
個人としては敵に抗う力が無いことを強制的に知らしめされる。
まとっていたマチズモという仮面を剥がされてしまうのだ。
自身を偽ってきたかりそめの性質が無くなり
裸体の自分を見つめることになる。
そして自身がゲイだという異質性を受け入れる。
ゲイが異質だと言っているのではないし、
陵辱されたものは弱いと言っているわけでも、
犯された男がみな自分をゲイだと認識すると言っているのではない。
異質とは自分が思いもしなかった自分のことである。
ロレンスは自分がそうだとは思ってもいなかった。
そう思いたくなかった。
自分は特別な力があると思っていたが本当はひ弱な人間であること、
そして異性愛者だと思っていた自分が
同性愛者であったことに気がつく。
ロレンスは物語を通じて自覚的だった自身のなかの異質である
軍事力への確信を深めると共に、
自覚していなかった、いや自覚を遠ざけていた異質にも気がつく。
自身のなかの異質をめぐり精神が引き裂かれんばかりの
アンヴィヴァレントな状態におかれるのだ。
アラビアのロレンス流浪の民の物語であると共に、
才能と性という2つの異質をめぐる物語でもあるのだ。
異質というものはそれが敵を蹂躙するという才能や
ゲイというセクシャリティではなくとも万人が持っているものだ。
自分でも自覚している才能は万人のなかでいまだに眠り、
万人が眼を反らしている異質を隠し持っている。
大抵は両方に無自覚なままで。
社会における流浪と
異質に対するアンヴィヴァレントな精神の葛藤を
砂漠の青空と夕陽と共に描くのが
アラビアのロレンスという映画だ。


そんな作品の最中にIntermissionが挟まれる。
繰り返しになるけれど
僕はこの映画をパソコンを使いDVDを再生することで初めて観た。
パソコンの液晶画面に現れたのが一番最初に書いた描写だ。


スクリーンには大きな文字で
Intermission


宮殿、去って行く兵士たちの後ろ姿、Intermissionの文字。
モーリス・ジャール作曲による主題曲が流れている。
彼が書いた旋律は
広大な砂漠の彼方に横たわる
地平線に沈む夕陽を我々に直視させる。
絵、音楽、画面上で起っている出来事の
全てが美しく優雅と言うほかなく、
だから僕は圧倒されてしまう。
物語の休憩という行為が優雅なものであることをこの時に知り、
そんな休憩を告げる画面の美しさに目眩がしたのであった。


しかし前述したとおり
僕は本当の意味でのIntermissionを経験していない。
もう一度言うけれど僕がロレンスを見たのは
自宅のパソコン画面上でのことなのだから。
同じ映画を鑑賞するにしてもシアターと自宅では訳が違う。
映画館では1度上映が始まれば
客の都合でフィルムを止めることは出来ない。
一方でパソコンを使い映画鑑賞した僕は
ロレンスの物語をいつだって停止することが出来た。
早送りや巻き戻しをすることさえ出来た。
一時停止のボタンを押してトイレに行き便座に座りながら物思いにふけったりコーヒーを飲むために豆をミルで粉砕するところから始めて水道水をヤカンに入れて湯を沸かしドリップペーパーの糊を水で落としてからすべてをセットしてスウィッチを押すことも、携帯電話を使って恋人に電話をかけてひとしきりの愛を囁くことも、あるいは当時購入したばかりのデジタルカメラを使用して撮った彼女の裸体や、彼女の柔らかい唇が僕のペニスをくわえこんでいる写真を観ながら自慰行為にふけることもできた。
どれもしなかったけれど。
僕にはロレンスの一生、
眩しくも漆黒のその物語りを
途中で止めることなどできなかったのだ。
画面にIntermissionの文字が表示されていたのは
僕が観たDVDでは5分ほどだったと思う。
20分前後の休憩を取る映画館での上映とは違うというわけ。
しかしアラビアのロレンス完全版を制作したスタッフたち、
リーン監督やスピルバーグは5分間の短時間とはいえ
意図してIntermissionの時間をDVDに克明に焼き付けたのだ。
それは映画鑑賞という文化にとっての偉業だった。
Intermissionを体験したことのない僕たち。
1997年にキャメロン・ディアス監督の
タイタニック」という映画が大ヒットした。
この映画の上映時間は3時間19分。
長時間だがこのときは
休憩無しのノンストップで映画は上映されたのだ。
だから僕を含む大勢の若者が
Intermissionを体験したことがなかったというわけ。
そして僕は「アラビアのロレンス」で画面の前から動けなくなった。
何度も言う様で申し訳ないけれど
それは初めて体験したIntermissionが美しくて優雅だったからだ。
僕はそれに虜になり、
身体が硬直してしまい、つまり緊張していたのだ。
そして僕は3つの意味でIntermissionを正式には経験していない。
1つ目は、映画を観賞したのが
自宅のデスクの上に設置した
パソコンの画面上の出来事であったこと。
2つ目はIntermissionの文字が画面に表示されていたのが
5分程だったこと。
3つ目はその5分間のあいだに一切の身動きができなかったこと。


Intermissionなのにもかかわらず休憩していないという
アンヴィヴァレンツな状態に僕は陥ったのだった。
しかしロレンスが僕にもたらしたアンヴィヴァレンツは
若干の苦しさを感じるものの非常に優雅で美しい時間だった。
休息と緊張、苦しさと優雅さが僕の中に同時に存在し
僕の精神を引き裂こうとしている。
砂糖だけを入れたコーヒーから
甘く柔らかい湯気が立ち上り消えるまでの僅かな時間。
それはこれまで体験した来た映画鑑賞の瞬間のなかで
もっとも前衛的な時間だった。


アンヴィヴァレンツがもたらす優雅で美しく少しだけビターな
前衛的な時間。
僕はそんな時間を映画とは別の仕方で存在させてみたい。
あるいは存在を越えて、
僕が知らないどこかの誰かの心に出現させてみたい。
そんな目的があってこのインターミッションを書いている。
ロレンスのIntermissionに近づくのは難しいだろうけれど、
挑戦してみよう。


では小説の合間に挿入される休憩時間とはなんだろうか。
DVDで観る映画も小説もある共通の性質を持っている。
小説とは文字を読むことで観る物語である。
読むことを中断すればいつでも物語を停止させることが出来る。
単純にページを閉じれば良いのだ。
そしていつでも再開することが出来る。ページを再び開けば良い。
DVDを再生して観賞する映画も同じだ、
停止ボタンや再生ボタンを押せば良い。
いつでも停止出来る。これが本とDVDで再生する映画との共通点。
故に書物は時代を越える。
祖父が物語の半ばのところでページを閉じ書庫にしまった本を
数十年後に彼の孫が見つけてページを開き物語を続けることもある。
もちろん1人でそれをやってもいい。
10代のころ苦労して10ページ読み進めたものの断念した書物を、
90歳のときに再び開いて一夜で読み終えてもいい。
小説とは読者が自由に中断と再開を行える物語なのだ。
中断と再開こそが休憩である。
中断したままでは休憩にはなりえない。
映画のIntermissionも上映の中断の後の再開が約束されている。


このようにして文字を読むことで物語を進めていく小説には
あらかじめ休憩が含まれているものなのだ。
読者が恣意的に行う読書という行為の中断と再開という形で。
だから小説には休憩時間と銘打ったページが存在する必要がない。
お気づきのとおり、
休憩中であるのにも関わらずこのように文字を読んでいるのでは
休憩にはならない。
肉体も精神も休まらない。
僕がアラビアのロレンスで経験したインターミッションも
同じものだった。
なにせ休憩にも関わらず画面を見つめたままで
音楽を聴き続けていたのだから。
これでは肉体も精神も休まらない。
しかし優雅と美があった。
繰り返しになるけれど少しの苦しさと共にそれがあったのだ。
美徳と苦痛が共存している、なんと前衛的なことか。
だからこのインターミッションで書く文章にも
優雅と美と前衛があることを心がける。
そしてわずかな苦しみを。




Intermissionは英語なのだが
フランス語ではEntr'acte —— 読みはアントラクト —— と言う。
突然にランガージュの話をしたのではない、
「Entr'acte」という映画があるのだ。
1924年の12月24日、
クリスマスイブのフランスで公開された映画だ。
題名に偽りなく休憩時間のために作れた映画である、
これは半分は本当。
半分だけの理由をこれから少し書いていく。
「Entr'acte」の監督はフランス人のルネ・クレール
彼はパリで生まれ育って第1次大戦を兵士として過して
終戦後は再びパリに生きた。
だからこの映画はフランス映画だ、舞台もパリである。
これ以上先の話しを続けるためには
映画史における音楽のことを説明しないといけない。
詳しく言えば映像と音のことを少し説明しないといけない。
もしあまりにも興味がないと感じるのならば
この段落を読み飛ばしても構わない。
僕がこのように進言するまでもなく、
ページを読み飛ばすのも閉じるもの読者の自由だ。
話を元に戻す。
映画というものは人間の欲望により生まれた。
動いている人間の姿をそのまま別の誰かに伝えたい、
動いている自分の姿を後世に残しておきたいという欲望だ。
そして動いている人物に音を合わせたいという欲望も持っていた。
そちらのほうが無音のフィルムよりも
遥かにリアリティーがあるからだ。
その欲望は無声映画が発明されるはるか昔からあった。
古代ギリシャ
野外劇場で行われた劇には悲劇の王オイディプスや王子オレステスや神であるプロメテウスを演じる役者の他に合唱団が参加しており台詞と歌唱の応酬で物語は進む。
その劇場はすり鉢型だったし —— つまり音が響くように設計されていたわけだ —— 時代を先に進めてルネサンス期以降になると劇中全ての台詞に旋律が付くオペラが作られるようになる、
そもそも物語は歌によって語られ歌によって伝達したのであった、それはホメロスを代表する吟遊詩人であり平家物語を歌う琵琶法師であり浄瑠璃は三味線の演奏と言葉で物語を表現する。
物語があり動きがあり音楽がある。
この欲望は総合芸術というものへの欲望でもある、オペラには物語があり役者がいて彼らは凝った衣装を着ているし全編で音楽が奏でられ舞台のセットは絵画や彫刻と同じ芸術品であった。
全てがあるのだ、それを総合と呼ぶ。
映画に話を戻そう。


映画にも物語があり役者がおり彼らは衣装を着ていてセットもある。
ロケ —— 野外撮影 —— ではセットはないが
カメラで撮る以上は構図というものがある。
構図とは美的感覚や表現したいことがらによって
意図的に切り取られた現実風景のことだ。
だが映画には音楽が足りない。
それがサイレント映画というものだった。
当然、人はそこに音楽を付け加えたがった。
映画は始め1人で楽しむための娯楽として産まれた。
トーマス・エジソンが発明したキネトスコープは
双眼鏡めいた覗き穴が付いた木製の巨大な箱だった。
彼はオペラ座で毎晩のように行われていた貴婦人たちのオペラグラスを使った観劇方法 —— それはとても優雅な行いだ ——をイメージの元にしてこれを制作したのであった。
これが映画の始めでありテレビやパソコンで観る動く映像 —— つまり動画 —— の始まりだった。
1891年の出来事だがその3年後に開かれたシカゴ万国博覧会エジソンは音の出るキネトスコープ、名前をキネトフォンというがこれを出展している。
しかしキネトフォンは映像とレコードから流れる音楽を同期させたものだった、このレコードは誰もが知る円盤の形をしたものではなく、縦に長い筒型のものだった —— なにせエジソンは筒型レコードの発明者でもあるのだから、キネトフォンが売れれば大もうけだった —— 。
その箱には双眼鏡の他にイヤフォンの線が生えていた。
つまり映画はあいかわらずの1人用の娯楽だったのである。
イスに座った大勢の観客が巨大な画面を見つめている。
そんな現代的な映画の形式を生み出したのは
リュミエール兄弟というフランス人だ。
兄弟が発明した映写機は
エジソンのキネトスコープを改良したものだった。
エジソンが作り出したオペラグラスをとっぱらった兄弟は観客全員が1つの舞台 —— スクリーン —— を見つめるという観賞方法を可能にする技術を生み出したことで映画をさらにオペラ本来に近い形に近づけたわけだ—— これはオペラの本場であるフランスで生きた人間らしい仕事であった —— 。
彼らがしたことはつまりスクリーンを作り上げたことである。
そして自らスクリーン専用の映画—— 工場の出入り口から大量の従業員が出入りしたり、汽車が駅に止まるあの有名な映像のことだ —— を製作して有料で上映したことだ。
彼らの業績のなかでもっとも凄いものはそれだった、
つまり世界初の映画館を作り上げたことだ。
故に彼らこそが映画の創造主と言われている。
1895年のことだ。
彼らの姓であるリュミエール —— Lumière —— とは
フランス語で光を指し示す言葉である。
兄弟は映画の他にも世界初のカラー写真も発明している。
写真も映画も、そもそも生物の視覚という機能が動くのも
光の受容によるものである。
リュミーエル、光、映画、写真、しかしすべてはまったくの偶然だ。
兄弟が作った映画上映装置をシネマトグラフと言うが
それには音は無かった。
だから音を付け足したいという欲望が当然のように生まれた。
ここから多くの発明家や映画人が試行錯誤を繰り返し
映像と音の一致をいの一番に目指す時代に突入する
—— 欲望は競争を生むのだ —— 。


そこには一攫千金の夢もあった。
この時代、世界の娯楽の頂点に映画が君臨することは
火を見るより明らかだった。
世界初のトーキー映画はなにか?
ということは未だに議論になる問いかけである。
物事というのは段階的に達成されるものだ。
急に産まれたようなものもあるにはあるが それは人々の目に付かない陰のうちで実験と失敗が繰り返されてきた結果だけを目にしているからで、成功だけがあるように錯覚しているだけだ。
リュミエール兄弟の前にはエジソンが存在しエジソンの前にはコダックの創設者にしてロールフィルムを実用化したジョージ・イーストマンと連写可能な写真機である写真銃を作ったエティエンヌ=ジュールがいたのだ。
そんな映像の歴史と同じくトーキーの完成も段階的なものであった。
トーキーの語源はトーキングつまり
音声を発することであり映画ならば有声映画ということになる。
重要なのは音楽ではない、声なのだ。
だから世界初のトーキー映画がどれであるかということを検証するのならば世界で初めて音声と映像を一致させた映画を追えば良いのだ。
重要なのは音声と映像が完璧に同期していることだ
—— その一致をリップシンクと呼ぶ —— 。
そして世界初のトーキー映画は1923年2月1日に映写された
Love’s Old Sweet Song( 愛の懐かしき甘い歌)である。
題名は同名の曲から持ってきている。
内容は歌手の歌唱や舞台俳優たちが演じたミュージカルや
芸人の芸を撮影したものだった、つまりドキュメンタリーなのである。
この映画には完璧なリップシンクが登場する。
その後の1926年には
かの有名な映画「ジャズシンガー」が公開される。
「ジャズシンガー」は長篇映画としては初めてリップシンクする場面が登場する作品でその台詞は「君はまだなにも聞いていない!」という非常に気の利いたものであった。
人々の欲望を満たすこの映画は当然のように大ヒットを記録した。
だがこの映画は上映時間の1/3にしか音声がついていない。
もちろん当時はそれでさえ魔法のようなものだったわけだけれど。
全編トーキーの映画は1928年7月6日に公開された
「ニューヨークの灯」である。
動画と音声の一致が映画全編で行われるまでには
このような段階があったのだ。
1891年のエジソンの発明から
「ニューヨークの灯」公開の1928年までつまり
37年間の発明史だ。
歴史として見れば短い期間、
常に日進月歩の発明史ならば中期間だが、
1人の人間の人生に例えればとても長い期間だ。
1世紀を100年とし、その1/4の25年を四半世紀と呼ぶが、
それを余裕で越えている。
例えば、37年後、あなたは何をしているだろうか。
そもそもまだ生きているだろうか。


発明史の側面には特許とそれが産み出す大金をめぐる歴史がある。
膨大な金だ、しかしそれと比べれば少ないと言わざるをえない
金額の金をめぐる歴史もあった。


映画界全体ではなく個々の劇場の主、劇場主の工夫である。
当り前だが映像に音を付けたいという欲望は
むしろ聴衆の方にあった。
だから劇場主は映画とは関係の無い
既存の曲を収録したレコードをかけて映画上映中のBGMにした。
これはエジソンがキネトフォンでしたことを
拡大反復した行為だった。
そこには選曲の自由があり、音楽によって映画の印象は変化した。
音楽はクラシックやジャズだった。
物語や台詞を読み上げる弁士もいた。
当然他の劇場を出し抜こうとする興行主も現れた。
彼らはレコード代わりにピアニストやバンドやオーケストラを携えてその生演奏と映画を組み合わせた —— 現在では特別な興行でもないかぎりは体験することのできないこの観賞方法は演技と生演奏の組み合わせという点ではオペラの定義を完全に満たしており非常に高級で優雅な映画の鑑賞方法だった。想像して欲しい、あなたがそういった特別な映画鑑賞会にいくとしたら、どういった服を着るだろうか、あるいはどういった心構えでそこに出向くだろうか —— 。
そして特定の映画専用の音楽が登場する。
それまでは既存の曲を使っていたわけだから
有名な曲や人気の曲は複数の映画のBGMとして使用された。
ところが専用の曲の場合は1本の映画にのみ使用される、
これで映画はよりオペラ的なものになった。
つまりそれはost、英語でoriginal sound track
—— オリジナル・サウンド・トラック ——
日本語なら映画音楽の誕生であった。
そんな映画音楽の登場で映画はそれまでもより豪華で
ゴージャスでリュクスなものになったのだ。
世界初の映画音楽が作られた作品は
1908年フランスで制作された
「L'Assassinat du Duc de Guise(ギース侯爵暗殺)」である。
内容はある種のコスチュームプレイ —— この言葉の本義は時代劇のことだ。制服という意味でのコスチュームを纏ってセックスをすることでもなければ、ホビーとして漫画やアニメーションや映画の登場人物の衣装を真似たものを纏うことでもない —— でありオペラに近いものだった。
"オペラに近い"極めつけがその映画音楽の作曲者が
「動物の謝肉祭」などで有名なサン=サーンスだったことだ。
映画のフィルムがスクリーンに投影される、
そのなかで彼が書いた曲をオーケストラが演奏したのである。
この時点で映画のオペラ化は頂点に達した。
以降フランスを中心に映画作品専用のオリジナルスコアが
書かれていくことになる。
公的な映画史ではそうだ 。
しかし映画館で働いていた楽団員やピアニストやバンドマン達がこれと同じことを思い付かないはずが無く、曲と演奏が評判を呼べば色々な映画館から引っ張りだこになるだろうから金に目ざとい彼らがオリジナルスコアを作らないはずもない。どんなところにも商人や発明家は居る。もちろん音楽家のなかにもだ。だから上記のことはあくまでも公的な映画史のことなのである。
さて「Entr'acte」はそんな時代、
オールトーキー映画が公開される1928年の4年前である
1924年に作られた映画だ。
「Entr'acte」は無声映画だがオリジナルスコアが書かれている。
書いたのは一般的にはジムノペディを作曲したことで知られる
エリック・サティである。
クラシック音楽の作曲家が映画音楽を作曲するという点では
「L'Assassinat du Duc de Guise」のサン=サーンスと同じだ。
「わが町」という映画のスコアをコープランドが書いているし、
シェイクスピアの演劇が映画化された際には
ウィリアム・ウォルトンが複数の作品に曲を書いた、
そういう時代だったのだ。


じつは「Entr'acte」はそれらの映画とは違い
単独で上映される作品ではない。
なんとこの映画はバレエ公演の幕間に流すために作られた映画なのだ。
幕間とはバレエや演劇公演のあいだに挟まれる
休憩時間のことであり、
英語ならばIntermissionという言葉になり
フランス語ならばEntr'acteになる。
そう「Entr'acte」なのである。
そもそもそのバレエ自体がサティが音楽を書いた作品なのであった。
公演の題名は「本日休演」という人を食うものだったが名前のとおりに初演は踊り手の急病のせいで休演になってしまった。名前には不思議な力があるらしい。
バレエの内容はサティらしく人々を驚かせるもので、
舞台には円状の小さな鏡が何百枚も張られていた。
曼荼羅やあるいは岐阜県の地下1000メートルに作られた宇宙素粒子観測装置であるスーパーカミオカンデの光センサー群を連想させる鏡の前でダンサーが踊るのだ。
「Entr'acte」はそんな公演の幕間に上映される映画であり監督のルネ・クレールはパリにおけるシュルレアリスムを牽引した人だから映画の内容は筋の無い超現実的な作品となった。
とはいえダリ風の奇妙で怪奇なシュルレアリスムではなく、
写真家カルティエブレッソンを生んだパリらしく
どこかキュートで小戯れたシュルレアリスムだった。
あたりまえだけれどスペインのカダケスと
フランスのパリは地理的に離れているらしい。
ダリはカダケスの海岸に並ぶ潮風で奇妙な形に削られた岩と
砂浜を観て自身の絵画を作った。
一方でパリには都市があった。
「Entr'acte」には芸術方面の著名人が多く登場する。
その点では多くの人がこの映画を観て驚くだろう、
映画は大砲の前で2人の男が戯れるところからはじまる。
それがサティと画家のフランシス・ピカビアなのである。
ピカビアは「本日休演」と「Entr'acte」の
原案者だし彼はクレールの師匠だった。
その後に登場するのは小便器に「泉」という名前をつけたビアスアイロニーの芸術家マルセル・デュジャンや写真家のマン・レイ、フランス6人組の1人である作曲家のジョルジュ・オーリックにバレエダンサー/振付師のジャン・ボルラン。
そうそうたる顔ぶれである。
しかし作品の内容は彼らが集まって映画用のカメラという
新しい玩具の前で楽しく騒いでいる風を感じさせる
キュートなものだった。
ところが後半になると優雅で不思議で悲しい映像 —— それは映像の魔術師と呼ばれることになるイタリアの映画監督フェリーニの登場を予言するような映像だ —— が登場する。
それこそが彼らの面目躍如というべきところで、
「Entr'acte」がつまらない実験映画に
終わっていないことを証明している。
この休憩時間(Entr'acte)は
優雅で不思議な白昼夢そのものなのだ。
そして現在の目でフィルムに映っているパリを観るとミニチュアのように小さくて可愛くて田舎のようで、ホコリっぽくて小汚くて、その色はセピア色 —— もちろん当時制作された映画の大半がモノクロ映画だ。「Entr'acte」もそうだ。全編カラー映画が公開されるのは1932年のことでこの仕事を成し遂げたのはウォルト・ディズニーで彼が制作した僅か7分30秒の短編アニメーション映画「花と木」でのことだった。多色を初めて取入れたのはアニメだったのだ —— をしている。
ここまでお読み下さった方にはお判りのとおり
この「Entr'acte」も休憩時間ならざる休憩用の作品なのである。


しかし実を言うと当時はバレエ公演の幕間に映画を上映することが流行っていたのだけれど —— つまり映画史における初期段階で映画自体が休憩ならざる休憩として使われていたのだ —— 、そのなかでもピカビアとサティが作ったカミオカンデめいた舞台で行われるバレエの幕間に上映される「Entr'acte」はその製作目的と内容からし
群を抜いて休憩ならざる休憩だった。
僕がアラビアのロレンスで経験した
インターミッションも同じものだった。休憩ならざる休憩である。
このことを言うためだけに文字を多く使ってしまった。
サティは1912年に管弦楽曲
「優雅で感傷的なワルツ」を発表した。
約16分に渡り演奏されるワルツは
題名のとおりに優雅で感傷的である。
感傷的なのは演奏時間を通してあまり変化のないこのワルツが
ギリギリのところで退屈に踏み込んでいるからだ、
足の親指の先だけ退屈に踏み込んでいるものだから聴衆は
ハッキリとした退屈を感じないがペーソスは覚える。
「優雅で感傷的なワルツ」が表現しているのはフランス料理の
フルコースを食べるということに近い。
フルコースを食べるということは食事に時間をかけるということで食前酒とアミューズブーシュをつまむことに始まってワインを選びアントレを食べてスープを飲んで魚料理のポワソンと肉料理のヴィアンドを食べてソルベで舌を洗い流して2種目の肉料理に舌鼓を打ち生野菜とチーズつまりフロマージュを食べて最後にデセールと果物を食べてカフェを飲む。必要ならばこのあとでレストランに併設されたBarでカクテルを飲んでも良い。ともかく時間がかかるものなのだ。
この長丁場を文学上で唯一再現出来たのは
マルセル・プルーストの手による
失われた時を求めて」だと言われている。
音楽ならば「優雅で感傷的なワルツ」である、
演奏に1時間以上かかる交響曲よりも
この曲の16分間の方が
フランス料理のコースを長時間かけて食べる行為に感触が近い。
全ては退屈ではない退屈だ。


休憩なのだから物語を前に進めることはできない。
代わりに物語の過去を表現する文章を書くことにする。
過去とは昔を振り返ることで現れるおぼろげな幻のことだ。
しかし幻といえども過去は常に存在している。
あなたの顔には過去が常に張り付いていて、両肩にもたれ掛り、
あなたの手足を動かしているのも過去の記憶と経験だ。
あたりまえだが、ピアノを練習したことのない者が
ピアノを優雅に弾くことはできない。
恋も味覚も家族も仕事もセックスも他の諸々もそれと同じことだ。
過去とはそういったものだ。
過去は常に存在している、
しかしそれと過去を意識することや表現することは別ものだ。
過去を意識して表現することもあれば、
意識せずに過去を語ることもある。
例えば個々人の昔話は前者だが、
ある人の言葉使いやその人が放つ雰囲気は個人が意識せずとも
他人にその人の過去……
つまりどうやって生きてきたのかということを感じさせる。
もちろんその推測が外れることも多くあろうが、
勘の鋭い者や他人をしっかり観ることの出来る者ならば
推測も当たるだろう。
故にこの物語の過去を語らなくとも鋭い人ならば、
「ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている」の
過去にあるものを察していることだろう。
だから過去を表現することは蛇足かもしれない。
しかし休憩時間という言葉に甘えて
その蛇足をあえてやってみようと思う。
蛇に足はない。
それなのにも関わらず蛇に足を描くことを蛇足と呼ぶ。
中国の故事から産まれた言葉だが、
その故事は1つの事実をいまに伝えている。
余分なことをやって産まれるのは足のある蛇、
キメラであるということだ。
キメラを誕生させることは
中世時代の錬金術士たちの夢の1つであった。
異形であるが新しい生物を産み出すという夢である。
または古代ギリシア人の夢想の1つか。
かの神話群に登場する半獣半身のケンタウロスミノタウロス
そして半神半人のアキレスも
ヘラクレスもオリンポスもオリオンもキメラである。
ここは1つ蛇足なことをすることで本小説を
キメラめいたものへと生れ変わらせよう。
それが迷宮の王になるのか夜空に輝く星座になるのか
短命な異質な生物になるのかは不明だが。
休憩時間だからできる余興の1つである。


それでは解説を書くことで物語の過去を呼びだしてみよう。






まず始めにゴダールがいる。
次にプイグがいて、それからオースターがいて、
そもそものはじまりの前にはチャンドラーがいる。
チャンドラーがゴダールに仕事を教え、こつを伝授し、
チャンドラーが年老いたとき、ゴダールがあとを継いだのだ。
物語はそのようにしてはじまる。


ゴダールとは映画監督のジャン・リュック・ゴダールのこと。
彼はフランス人だ。1930年に産まれた。
インドのカンジーが英国に対して抗議運動を始めた年だ。
国家間の代理戦争の様相も見せる
サッカーのワールドカップが初めて開催された年でもあるし、
ジャズテナーサキソニストのソニー・ロリンズもこの年に産まれた、
あとショーン・コネリーも。
ゴダールは1959年に「勝手にしやがれ」という映画を撮った。
この映画はフランス映画界に
ヌーヴェル・ヴァーグという現象を起こした。
ヌーヴェル・ヴァーグとは新しい波という意味だ。
旧来の映画とは異なる手法で作品を制作する
若手映画監督たちが台頭した。
クリエイターの急務は新しいものを作ることにある。
以降ゴダールはフランス映画界の顔となっている。


ブイグとは小説家のマヌエル・プイグのこと。
彼はアルゼンチン人だ。彼の生まれは1932年。
アメリカではルーズベルトがフーヴァーを破り大統領に就任し、
ソ連ポーランドと不可侵条約を締結し、
フランスではドゥメール大統領が暗殺され、
上海では日中軍が衝突し、犬養総理大臣が暗殺され、
ドイツでは選挙でナチス党が与党となる。
つまり第二次大戦前夜が形作られた年だった。
彼は1963年に発表した
リタ・ヘイワース背信」で小説家になった。
それまでは映画監督を目指し
フランス人の監督の下で修業を積んでいた。
彼の作品は既存の小説の形式を破壊する前衛的なものだったが、
そこで書かれた主題は愛と哀しみという古典的なものだった。
彼は前衛と古典を洗礼された文章により繋ぎ合わせ、
全世界の読者を魅了した。
クリエイターの役割は前衛と古典を繋ぐことにある。
プイグは中南米小説界のポップスターだ。


オースターも小説家だ。フルネームはポール・オースターだ。
彼はアメリカ人で1947年に産まれた。
第二次世界大戦の敗戦国であるドイツを
米英仏ソの4カ国が分割統治し始めた年だ。
世界史というのは残酷物語という言葉と同義だが
その中に登場するにはキュートな事件としか言いようが無い
ロズウェル事件がアメリカで起こった年でもある。
彼は1982年に「偶然の発明」という小説でデビューした。
しかし彼の作品が好評を得始めるのは
85年と86年に書いたニューヨーク三部作からである。
すなわち「ガラスの街」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」という
ニューヨークを舞台にした一連の作品のことだ。
彼の作品は日本ではエレガントな前衛という批評を得て
読まれ続けている。
エレガントはフランス語だが、
その語源はラテン語のエリールである。
エリールの意味は選択だ。
クリエイターの目標は作品にエレガントを持ち込むことにある。
オースターは現代アメリカ小説の代表的な存在だ。


はじまりの前にいるのがレイモンド・チャンドラー
産まれたのは4人の中で一番早い1988年のことである。
オースターとは60年歳ほど離れている祖父の代の作家であり、
ゴダールとプイグからしても40歳も離れているのだから
年を取ってから産まれた子供の様なものだ。
1988年と言えば英国はロンドンで
切り裂きジャックがもっと活動的に犯罪を行っていた時代であり、
ボールペンの特許がアメリカで提出され、
画家のゴッホが顔に張り付いていた左耳を
自らの手で切り取った年でもある。
アラビアのという枕詞で有名なトーマス・エドワード・ロレンスも
チャンドラーと同い年だ。
彼が作家デビューしたのは45歳の時で、
かの有名な私立探偵フィリップ・マーロウが初登場する
「大いなる眠り」を書いたのは50歳を超えた時だった。
彼はアメリカに産まれてイギリスやドイツで育った。
公務員の資格を取得して英国海軍本部で働いた、
この時点で彼は名実共にイギリス人だった。
しかし直ぐに退職して新聞や雑誌に
事件記事や文学作品の批評を書く
ジャーナリストになった。
だがこの仕事は彼に向いていなかったらしい。
彼のエッセイを読むとこのころは極貧であったことがわかる。
そして職を求めてアメリカ国籍を獲得して渡米した。
アメリカ人だった男がアメリカ人ではなくなって
再びアメリカ人になった。
つまり彼はアメリカの内外を知り、
内外からアメリカを眺めることが可能になったのだ。
このとき、後の大作家誕生の下地が整っていた。
その後の彼は石油会社で長年働いた。
途中で第一次大戦が勃発しカナダ軍に入隊し
ヨーロッパを駆け回った。
戦後になると石油会社の副社長にまで上り詰めた。
石油シンジゲートのバイスプレジデント。大変な権力者だ。
だがそれが悪い方向にでた。
事務員と不倫関係になってしまったのだ。
現代でも厳しい批判を受けるこの行為が、
1930年代では如何程の非難を受けるかは語る必要は無いだろう。
もちろん解雇された、その地位は剥奪された。
石油会社の副社長から一転した彼には、
それでも愛想をつかさなかった妻が傍らにいた。
妻は彼よりも年が18歳も上だった。
なんとかして生きていかなくてはならない。
そこでチャンドラーが小銭稼ぎに始めたのが
小説を書いて売ることだった。
これが彼が45歳の時だ。
若い頃は上手くいなかった物書きの仕事だが、
年を重ねたら上手く行った。
この時から彼は我々が良く知る彼となった。
彼が50歳の頃に発表した「大いなる眠り」は世界中で好評を得た。
描かれた文章は硬質で優しく洒落があり美しかった。
それまでの私立探偵小説で描かれる探偵は
無頼で用心深く狡猾で読者との距離も離れた存在だった。
それを当時はハードボイルドと呼んでいた。
だが彼が生み出したマーロウという探偵は
過去の男たちよりも幾分に感傷的で
洒落というものを生きるのには必要な量を越えて知っていた。
読者は私立探偵マーロウに馴染み、親しんだ。
彼の文章も美しかった。風景描写は1つの絵画で、
人物描写は解剖学だった。
行動の描写は音楽で、それらを違和感無く繋ぐ術を知っていた。
チャンドラーは探偵小説の大家にして
このジャンルに文学性を持ち込んだ革新者だ。
クリエイターの信条は常に自由であることだ。
チャンドラーの作品とマーロウはハードボイルドだが
その規則には捕らわれなかった。
しかし彼の最大の功績は
アメリカが2度に渡り経験した世界大戦の戦後という時代を
その作品によって再構築したところにある。
彼はその世界でどうやって生きるのが理想的かということを
読者に教えたのだ。
アメリカ合衆国という国家を
個人の為の国家として存続させたのは彼の功績だ。
マーロウは言う、
君の気分は僕には関係がないんだ、
僕の気分が君には関係がないように、と。
それは個人が個人として生きていくということである。
クリエイターの義務はなにかを存続させることにある。


映画監督のゴダールは初めは映画批評家だった。
批評家と制作者の間に半透明に存在する淡い膜を越えて
彼が製作側に移った時に参考にしたのがフィルムノワールだった。
無数にある映画作品をその作品内容を根拠にして
おおまかに分類して区別しようとする行為、
ジャンル分けというものがある。
フィルムノワールもそんな無数にあるジャンルの中の1つだ。
分け方の根拠とするのは
1940年代にアメリカで作られた映画であることと、
主人公が探偵や悪徳警官やギャングであること、
あるいはそういった人々が生息している社会の裏側に
偶然足を踏み入れてしまった一般人であることだ。
そして主人公を誘惑し
その人生を狂わせる性を持った
魔性の女=ファム・ファタールが登場することだ。
ノワールはフランス語である。黒という意味だ。
ファ、ム、ファ、ター、ルという語感の良い言葉も
フランス語である。
ファムは女でファタールは運命だ。
だから運命の女と言う意味だ。
だがファタールにはもう1つ意味がある、致命傷だ。
運命の女は男の人生に必ず致命傷を与えることを
フランス人は熟知していた。
あるいは致命傷を与える女だからこそ
男の運命の人たりうるのか。
フィルムノワールとはフランス人が作った映画分類方法の1つであるがそれだけではなくこの言葉が誕生する以前は低俗な作品と看做されることも多かったアメリカ産の犯罪映画の芸術性をフランス人が見抜き評価したということも証明している言葉である。
フランスはアメリカ産のものをアメリカに先駆けて
評価することが得意だった。
ジャズはアメリカの音楽だが
その帝王と呼ばれたマイルス・デイヴィス
芸術家として真っ先に価したのは
マイルスが生まれ育ったアメリカではなくてフランスだった。
ゴダールはそんなフィルムノワールに魅了されたのだ、憧れたのだ。
そこに描かれる、アメリカに。
ゴダールの盟友/好敵手に
フランソワ・ロラン・トリュフォーという映画監督が居る。
ゴダールトリュフォー、2人のヌーヴェルヴァーグ
実力や影響力や人気を二分するフランス人映画監督だった。
そもそもゴダールの長篇デビュ−作「勝手にしやがれ」の
脚本を書いたのはトリュフォーだった。
ゴダールがそれを引き継ぎ映画にしたのだ。
あるいはこうとも言われている。
ゴダールが新聞を読んでいる、彼はある事件記事に注目した、
その事件を映画にすることを決めた、
映画の脚本用のあらすじを書くようにトリュフォーに依頼した。
トリュフォーが書いた物を受け取ったゴダール
セリフを付けたし肉付けして脚本にした。
なせこの様に説が2つもあるのか?。
2人は映画界に新しい波を起した盟友であったが、
後に仲違いをして壮絶な喧嘩を繰り広げるようになるからだ。
そうなれば最後、人は自分の立ち位置と記億からものをいうもので、
その結果として真実は曖昧になる。
芥川龍之介の「藪の中」や
アラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」と同じだ。
そんなトリュフォー
ゴダールの「勝手にしやがれ」が公開された59年に
「大人は判ってくれない」で長篇デビューした。
翌年第2作である「ピアニストを撃て」を公開した。
この映画の原作は小説だ。
作者はデイビッド・グーディスというアメリカ人だ。
彼が書いた小説は犯罪物や探偵小説で
つまりフィルムノワールの原作となる物語だった。
そういう物語は当時のアメリカでは
読み捨て雑誌に大量に掲載されていた。
トリュフォーアメリカのことをこう言っている。
「一度読み捨てられた物語は繰り返し読まれることも再び取り上げられることもない。そういった作家たちは人々に名前も知られないまま忘れさられ、死後に運が良ければ評価される。アメリカはその大地が大きく、東海岸と西海岸では読まれる新聞も雑誌も違う」
そして彼はフランスのことを言う。
「フランスはそうじゃない、どんな本でも批評される。
 犯罪物や推理小説ならば確実に批評される」
批評とはなにだろうか?
色々な考え方はあるだろうが、
批評という行為に欠かしてはならないことは1つだけである。
それは批評の対象とした作品の作品名と作者名を記すことだ。
作者自身の名乗りではなく、
それを読んだも者による明記こそが批評の正体なのだ。
ギリシャ神話もホメーロスによる「オデュッセイア」も
人々に語り継がれることで生き残った物語だ。
フランスは海外の文化にこれをするのが得意だった。
この国は日本画の浮世絵や春画を評価することで
ゴッホゴーギャンを産んだ。
フランスとはそういう国であった。少なくともその昔は。


青年であり批評家であった時分のゴダールが夢中になった
フィルムノワールにはチャンドラーが居た。
正確には私立探偵フィリップ・マーロウが居た。
更に言えば探偵マーロウを演じた
俳優のハンフリー・ボガートが居た。
ボガート演じるマーロウは
彼が生きた時代のアメリカにあった
最大限の良心を身に纏う様にして
トレンチコートとスーツに袖を通し、
ソフト・フェルト・ハットを被っていた。
アメリカの良心とはどの街にも
自分を貫いて生きている男や女が居て、
彼らは普段、街の隅々にあるBarに
静かに溶け込んで生きているということだった。
個人として生きていくことが出来るとも言い替えることができる。
ゴダールのデビュー作「勝手にしやがれ」で
主人公を演じたのはジャン=ポール・ベルモンドである。
フランス人のこの伊達男もソフト・フェルト・ハットを冠り
スーツを身に纏っていた。
彼の恋人はフランスで暮らすアメリカ人だった。
明らかな模倣である。
ベルモンドはゴダールにとってのボガードでマーロウだった。
ベルモンドがコートを纏っていないのは
勝手にしやがれ」の舞台となった季節が
潮風香るマルセイユの初夏と
けだるいパリの夏だったからでそこはご愛嬌だ。
ベルモンド演じる主人公はアメリカ映画に憧れた男、
アメリカに憧れた男、
ボガードが演じたアメリカの良心たるマーロウに憧れた男である。
しかしこの男は私立探偵ではない、車泥棒だ。
ハードボイルドに沈殿した末に警察官を銃殺してしまう。
もちろんそんな男はマーロウにはなれない。
この主人公はゴダール自身だった。
フランス人として産まれたのだ。
アメリカ人としてフィルムノワールそのものを制作することは
ゴーダルにはできない。
だから「勝手にしやがれ」は彼流のフィルムノワールなのである。
アメリカ発フランス経由のゴダールノワール
私立探偵マーロウが登場する映画に憧れたフランス人映画監督は
マーロウに憧れ車泥棒をするフランス人の男の物語を映画にした。
錯綜している。錯綜した彼の創作活動。
この映画以降のゴダールはある季節に差し掛かるまで
彼なりのフィルムノワールを撮り続けた。


マヌエル・プイグはアルゼンチンに誕生した
小洒落た魔法使いである。
思春期と青年時代を首都ブエノスアイレスで過した彼は、
映画館に通う男として育った。
ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれていた。
プイグはヨーロッパに渡り
映画界の巨匠ルネ・クレマンの下で映画人としての修業を積んだ。
ルネ・クレマンヌーヴェルヴァーグを作った監督たちの
兄にあたる年代に産まれた男であり、
太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」という
名画を撮った映画制作の達人で、
フランス人でありながらもその作風は
ヌーヴェルヴァークと距離を置いていた。
名画として名高い代表作の「太陽がいっぱい」は
60年に公開された。
当時としてはアヴァンギャルドとさえ言っても良い
勝手にしやがれ」が公開された翌年に、この映画を公開したのだ。
しかしその内容はヌーヴェルヴァークではなかった。
クレマンの作品は絵は美しく洗練されていて、
登場人物の内面の複雑さを見事に描いていた。
だが彼の元で修業をつんだプイグの
映画人としての結果は芳しくなかった。
環境が合わなかったのか、
映画制作と自身の能力が釣り合わないことに気が付いたのか、
ともかくプイグは映画の道を諦めたのである。
しかし彼は物語に魅せられていたのだ。
この下積み生活で映画ついてより詳しくなり、
クレマンからは物事の洗練、
あるいはソフィスティケートというものを学んだ。
映画がダメならば次に来るのは小説だった。
コロンビアの小説家ガブリエル・ガルシア=マルケス
67年に南米文学の1つの到達点である「百年の孤独」を書き、
81年には「予告された殺人の記録」を書くことになる。
そんなマルケスが初の長篇小説を発表したのが61年の事であり、
この時はマルケスも映画制作に関わっていた。
だが足を洗い小説家に転向したのである。
そういう時代だったのだ。
プイグの小説は自身の経験を色濃く繁栄させていた。
小説というものは作者自身の懐からは決して抜け出せないものだが、
プイグが書いた小説ではそれが顕著であり、
その作品には彼が下積み生活で得た
都会的な洒落と軽妙さが与えられた。
名作というものはそういうものだ。
彼自身が愛と洒落に満ちた物語が好きだったのだ。
フェディリコ・フェリーニの映画「8 1/2」と同じだ。
8 1/2」はフェリーニ自身が体験した
映画監督としての苦悩を題材にした映画だ。
この映画も軽妙な洒落を、
あるいはファッションとも言って良いものをもっていて
それが画面に表れていた。
ブイグの小説では文字が、文体がそれを持っていた。
プイグはマルケスが初めての長編小説を発表した2年後の63年に
リタ・ヘイワース背信」でデビューした。
代表作は「蜘蛛女のキス」という
ホラー映画やサスペンス映画の題名のような小説だ。
この小説の主人公は監獄に捕らわれている2人の男で、
片方は革命運動家の青年で
片方はゲイの中年という組み合わせになっている。
牢獄暮らしの中で暇を持て余した男たちは会話を始める。
狭い空間に閉じ込めれれた2人がそれとなしに会話を始める、
なんともリアリティーがあって良いではないか。
しかしそこはエレベーターやタクシーの社内でない。獄中だ。
その窒息した空間には2人の人間しかおらず、
頼れるのは目の前に居る1人の人間だけなのだ。
そこでは親しさや親密さ、
もっといえば会話の中での誠実さが重視されるようになってくる。
なにせ出口もなければ希望もないのだから。
娯楽と言えば食事か会話なのである。
会話の重要性が、日常生活の何十倍も増す。
ゲイの囚人はこれまでに観賞した映画のストーリーを話す。
革命家の囚人は相づちを打ったりつっこみを入れたりする。
「蜘蛛女のキス」はつまり、
映画について話す時に我々が話すことを描いた小説なのである。
小説に登場する映画は実在する作品もあれば、
プイグが創作した実在しない映画の場合もある。
プイグの頭の中に浮かぶスクリーンにだけ上映された映画だ。
江戸の仇を長崎で討つという諺があるけれど、
プイグは映画界での失敗を小説で補ったのだ。
劇場では彼の作った映画が上映されることはなかったけれど、
彼がそれを文章にしたことで、
読者の心の中では上映された。
ちなみに「蜘蛛女のキス」は1985年には映画化されている。
さてプイグはこのようにして自身の小説に
既存の映画や音楽作品を登場させる。
あるいはモデルにした場面を描く。
それは引用趣味というものでありゴダールもこれを持っている。
しかもゴダールの方が過剰に引用趣味だった。
ゴダールの映画は過去の映画や絵画や小説の引用によって
出来上がっている。
例えば処女作である「勝手にしやがれ」の全てのシーンで
何らかの作品の引用を見つけることができる。
主人公はフィリップ・マーロウーであり、
台詞にはシェイクスピアやフォークナーが現れ、
音楽はモーツァルトが使用され、
画ではラングやヒッチコックやフラーといった
偉大な監督の作品の影響が大きく、
そもそも脚本は実在の事件を元にしており、
実際の犯人も自動車泥棒であり恋人はアメリカ人だった。
プイグにしてもゴーダルにしても素晴らしいのは
そういった引用元をまったく知らずに作品を鑑賞しても
面白いことだ。
彼がしたのはパロディーやオマージュではなくて、
モンタージュマッシュアップなのである
持ってくるだけではなく、混ぜ合わせたのだ。
話をプイグの小説に戻す。
ゲイの囚人には目論みがあった。
彼は革命家の青年からその所属する組織の情報を引き出し
密告する代わりに刑期の短縮を得るという取引を
警察から持ちかけられていたのだ。
秘密を引き出すためには青年と親しくなり
彼の信頼を得なくてはならない。
2人の男が映画の話をすることで互いに心を近づけて
やがては愛が生まれる。
ついには肉体的にも交わることとなる。
「蜘蛛女のキス」では3つの話が重層的に、
ロシアの名産品のマトリョーシカの様に展開されている。
1つは革命組織の情報を聞き出すというサスペンス、
2つ目は2人の男の間に産まれる愛について、
そして3つ目は作中で語れる映画の物語。
しかし複雑になっておらず軽妙で洒落たものになっている、
それはプイグが小説に施した技の結果だ。
物語の最後でゲイの中年は
革命組織の者が放った銃弾によって殺され、
革命家の青年は警察の拷問の末に死んでしまう。
それにも関わらずこの物語は軽妙だった。
残虐非道な拷問から解放されて
死に至るまでの僅かな時間で青年は夢を見る。
夢の中ではゲイの囚人の幻が
彼にこうやって語りかけて物語は終わる。
「だって、この夢は短いけれど、
 ハッピーエンドの夢なんですもの」


最後に登場するのがオースターである。
ゴダールもプイグも1960年頃から活躍を始めている。
しかしこのアメリカの小説家が登場するのは80年代のことである。
82年に小説家デビューした彼は、
86年に発表した小説「幽霊たち」で世界に衝撃を与えた。
「幽霊たち」は一般的な探偵小説の形式を保っている。
探偵が居て、依頼者が居て、依頼があって、探偵は仕事をする。
だが通常の探偵小説とは何もかもが違っている。
この小説の書き出しはこうだ。


まず始めにブルーがいる。
次にホワイトがいて、それからブラックがいて、
そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。
ブラウンがブルーに仕事を教え、こつを伝授し、
ブラウンが年老いたとき、ブルーがあとを継いだのだ。
物語はそのようにしてはじまる。


登場人物の名称は全て色の名称であり探偵たちや犯罪者たちの間であるいはスパイたちの中で飛び交うコードネームのようだ。実質的にこの小説の登場人物には名前が無いのだ。
「幽霊たち」はまず始めに登場人物に
名前がないことを表明して始まるのである。
この文章に続いて主人公と彼を取り巻く状況が説明される。
探偵ブルーは師匠のブラウンから仕事の仕方を教わった。
そんな彼のところに仕事の依頼がくる。
依頼主はホワイトと名乗る人物で
その依頼内容はブラックという男を暫くのあいだ監視すること。
要約するとこうである。しかしこの仕事がおかしい。
依頼主ホワイトはとあるアパートの一室を借りている。
その部屋の窓には望遠鏡が設置されており
覗けばブラックの住むアパートの一室を望める。
ブルーはその部屋に住むことになる。
ブルーは初めこれは簡単な仕事だと思った。
素行調査か家庭や恋愛のいざこざが関係しているのだろうと
推測して一日中ブラックを見張る。
ところがいつまでたっても何も起らない。
ブラックは特別なことを何もしない。
彼は毎日机に向かい読書をし
紙の上にペンを走らせ何かを書いている。
何週間もその毎日の繰り返しなのである。
時たまブルーが覗く望遠鏡の視界から
ブラックが消えることもあるが、
それも数分で、だからトイレに用を足しに行ってるのだろう。
そんなふうにして何日も何も起らない。
きちんと仕事をしているのにもかかわらず何も起らないのだ。
彼が置かれているのはどういう状況だろうか?
想像してみよう。
君は店番を任されている。
君が働いている店は個人がやっている
古道具屋とか古本屋などのように、
接客や商品の入れ替えや整理があまりない商いの方が良い。
その店に客は1人もこない。
だが君は別のどこかに行って仕事をさぼることは出来ない。
君は君の雇い主から雇用契約を結んだ勤務時間のあいだは
その場にいることを定められているし、
何より君は真面目な人間だから
仕事はしっかりと果たそうとするのであった。
しかし君はこの時間を持て余してしまう。
この仕事を始める以前の君は身体を使う仕事に就いていたのだ。
暇な時間などはなかった、
身体を使い流した汗の分だけ客に感謝されて会社からは給料を貰い、
Barに寄り道してビールを飲む。
あるいは帰宅して冷蔵庫で霜がつく程に冷やされている
ビールを飲むという想像でも良い。
だから君はこれまでの人生の中で
暇な時間というものを意識することは無かった。
肉体労働のすべてがそうというわけではないが、
運良く君はそういう仕事にありついていたのだ。
しかし君はなにかの理由があってその職場を去り、
それから新しい仕事に就いたのだ。
君はそんな新しい職場で困っている。
仕事中なのにも関わらずこんなにも暇なのでは
勤務中の時間も勤務外の時間も似たようなものだ。
店番をしながら君は時計を横目で観る。
しかし針は依然として進まないし、
小さな窓から朧げな日光が差し込んでいる店内はどうにも薄暗い。
客の来店が無いのだから店の扉は開かないし
だから外の空気も入ってこない。
部屋の中は淀んだ空気が充満していて、
君はそれを肺に入れて呼吸している。
憂鬱だ。
憂鬱に耐えているぶん
少しは仕事をしているような気にもなるが
いかんともしがたい気持だ。
とりあえず君はぼーっとしてみるのだが
そんなものにはすぐに飽きてしまう。
前の職場が懐かしい。
だから君は店の古道具で遊んだり、
古本を読んだりすることを試みる。
いまの君の手が届く範囲にあるのはそれしかないのだ。
古道具や古本を暇つぶしの道具として使うことに対して
真面目な君は若干の罪悪感を感じるが、
これも仕事の勉強だと自分に言い訳をした。
君のそれまでの人生では文章を読むという行為は
新聞のちょっとした記事やエッセイを読むことを意味していた。
だから君は上手く本が読めない、
読書というものに馴染んでいないのだから仕方がない。
君は亀の歩みで文字を拾っていく。
大して難しい本ではないのだが、
君は始めの1ページを15分かけて読んで、
次のページを13分かけて読んだ。
そうこうしていくうちにしだいに君の瞳は
文字を追うことに慣れていく。
読書のときの呼吸を覚えて、
ページをめくる指の動きも滑らかになっていく。
そして君は新たに読書という行為を覚えたのだ。
古道具を手に取ったり眺めるのも同じことだった。
そして君は独りで書物や道具と対面する。
聞こえるのは自分が出す音だけ、
呼吸やページをめくる音だけだ。
仕事をしていても何も起らないとはこういうことなのだ。
だから思考が産まれる。
惚けていたり本を読んだり独りで道具を手に取る君は
どうしたって内相的になってしまう。
1人なのだ。君は色々なことを考えてしまう。
君の人生や君の家族や君の恋愛や君の仕事や君の存在や
まだ観ぬ客や君の未来について考えだしてしまうのだ。
進んで思考しているのではない、
そういうことを考えざるをえない状況なのである。
肉体を使う仕事をしていた時はそんなことは考えなかったのに。
独りで、目の前には本か古道具しかない。
客は来ない、なにも起らない。
それはブラックのことを見張るブルーも同じであった。
彼は自分のことを考えブラックのことを考える。
ブラックが読んでいる本の表紙を望遠鏡で確認して
同じ物を取り寄せて読む。
これも仕事だと言い訳をする。
ブラックが読んでいる本をブルーは読んで
ブラックがなにを考えているのかをブルーは考える。
あるとき遂にブラックが外出をする。ことが動いたのだ。
はやる気持を抑えてブルーは彼を尾行する。だが事件は起こらない。
ブラックがしたのはただの散歩で近所を一周したのちに
帰宅してしまった。
その日からブラックは時たま散歩をするようになった。
しかし彼が歩くところは決まったもので、
それでも複数のコースがあったけれど、
街から抜け出すことも彼が誰かと接触することもなかった。
これではなにも変わらない。
なにも起らない日々に
散歩という行為が1つ加わっただけなのである。
しかしブラックが散歩を繰り返すものだがら
彼を尾行するうちにブルーは街並を観ることを覚えた。
街の片隅のレンガ塀の割れ方や揺れる樹々と木漏れ日、
水面の輝きや風になびく女たちの髪の毛を観察するようになった。
そこにも他人との会話はなくてだからブルーはまた考え事をする。
しかし部屋の中での思考と
歩きながらの思考では頭に浮かぶ物事が違った。
例えば自分の過去を考えるにしたって
散歩をするブルーの思考に現れるのは
この道を幼き頃の自分が父親と一緒に歩いたことだった。
部屋に居てはそうはいかない。
部屋の中で彼が思い出したことは
しばらく会っていない恋人のことだった。
思考は場所によって変わるのだ。
部屋にいる時と本を読む時と散歩をする時では、
思考に現れるのはそれぞれ異なる人や情景なのだ。
こんな風にしてなにも起らずに
物語は最後の数ページまで進んでいく。
これが「幽霊たち」という小説である。
いままでの探偵小説とはまったく違った小説だ。
前衛小説であるがそこに中南米文学のような
グロテスクや狂気や狂信や幻想はないのだ。
オースターの作品が
エレガントな前衛と評されたわけを理解して頂けただろうか?


そして面白いことが見えて来た。
ここから話が少しだけ複雑になる。


オースターは探偵小説が身に纏っていたものを引き剥がした。
それは探偵が纏っていた
マントやスーツやトレンチコートみたいなもので、
殺人事件と破滅とか悲劇とかいったものだ。
そういった探偵小説におけるアイコンをすべて取り払った。
そしてたった1つの真実だけが残った。
探偵に読者はついていき、
探偵は街中を歩き、そして物語が進むということである。
探偵は事件を解決するために街のあちこちを駆け回る。
その度合は恋愛小説よりもホラー小説よりも高い。
つまり探偵小説とは観光のことで、
探偵は読者を導く道先案内人だったのだ。
旅行や冒険譚や戦場を舞台にした小説は旅であって観光ではない。
部屋にいながらにして事件の全貌をあばく探偵もいるが
彼らは安楽椅子探偵である。
そういった名前を与えることで
他の探偵小説とは分別されているのだ。
言うまでもなく探偵小説と推理小説は同じものではない。
探偵は街を駆け回る。例を出そう。
チャンドラーが作り上げたマーロウという探偵は
ロサンゼルスの街の観光に読者を誘う。
横溝正史が書いた日本を代表する探偵金田一耕助
美しくも陰鬱な日本の片田舎に読者を連れて行く。
ダシール・ハメットの小説「マルタの鷹」の探偵サム・スペードは
サンフランシスコだし、
ロス・マクドナルドリュウ・アーチャーは
ハリウッドのサンセット大通りに事務所を構える。
ロバート・B・パーカーの探偵スペンサーはボストンで、
日本ならば野村胡堂が生んだ銭形平次は江戸を駆け回った。
忘れてならないのはアーサー・コナン・ドイルが世に出現させた
シャーロック・ホームズだ。
多くの人間がこの名探偵の住まいの住所を知っている。
ロンドンのベーカー街221Bだ。
映像作品に眼を向けてみるのも良い。日本に限定しても、
松田優作が主人公の工藤俊作を演じた
探偵物語」の舞台は東京都内の西側である渋谷や新宿だった、
浅野忠信が演じた「私立探偵 濱マイク」は
横浜の黄金町に事務所がある、大泉洋松田龍平
探偵はBARにいる」の舞台は北海道はススキノだ。
これで探偵という人間は
自分達の街を持っているということが分かってきた。
縄張りと言い替えも良い。
彼らは自分達の縄張りに読者を連れて行くのだ。
作中では街が丁重に描かれている、
探偵の物語を描くためには
中央から隅々まで街の全景が必要だからだ。


探偵は社会的には正義でも悪でもない。
そこが警官や犯罪者と違うところだった。
探偵は必要とあらばどこにでも出向くことが出来るのだ。
街の表と裏。清潔な所と汚い所。
読者である君は探偵に同行することによって
そういった場所に行くことができる。
君はロサンゼルスの夜、ピンクと黄色のネオンが輝きジャズが鳴り響くナイトクラブに向かい、昼間の横浜、港湾仕事を仕切る暴力団の事務所をお茶を飲みに行く気軽さで訪ねる。かと思えば夕方のロンドン、しとしとと霧のように降る雨を抜け賑やかになってきたパブで労働者に酒を奢り情報を得て、ブルックリンとマンハッタンの間に流れる河に掛かる橋の下に夕陽が沈んでいくのを眺める。深夜の渋谷、警察署の一室でくたびれたスーツを着てタバコの煙を飲んでいる刑事の話を聞く。江戸ではそば屋で、因習が伝わる地方の村では地主の権威と禍々しさが同居する屋敷、サンフランスコではチャイナタウン、ボストンはミスティック川に浮かぶ船の上だ。そして早朝の小樽、陽の出始め、深い闇の中で美しく輝いていた夜景が光の中に消えていく最中に港の角で君は犯人の自白を聞くのだ。
職務として正義を背負っている警察官や、
生活の為に法を犯す職業的な犯罪者ではこうはいかない。
彼らはいける場所が限られている。
しかし正義でも悪でもない探偵は違う。
見晴らしの良い丘の上、背の高い壁で囲われた住宅街があって、
出入り口には警備員がいる。
そこは富裕層のみが住める住宅街で、その家の1つ、
君は肌触りの良い生地をふんだんに使った
ふかふかのソファーの上で依頼を聞いて、
スラム街で年端もいかない少年少女が
身体を売っているのを横目に情報を集める。
精神病院に潜入して、
証言能力がないと判断された目撃者を君は探し当てた。
ホテルのBarカウンターで君は
ギムレットを1杯飲んで一時の休息を感じて、
深夜営業のスーパーマーケットで食料を買い込み、
どこにでもある集合住宅の一室で眠りながら
どこかで女が殴られ泣き喚いている声を聞く。
固茹で卵とカリカリのベーコンとトースト
そして昨日の夜にドリップした苦いコーヒーで朝食をとり、
大学の図書館で資料を調べて、
弁護士の事務所や警察の署長室に招聘され、
君は企業のオフィスに乗り込む。
違法カジノや売春宿の場所も知っていて、
君はそこでの作法を熟知している。
どこかのカフェで開かれている読書会に潜入するのも、
観劇や芸術観賞やその批評もお手のもので、
なにせ君は汚れたインテリなのだ、遊びも学びも良く知っている。
君は時には繁華街に居を構える暴力団事務所の一室に監禁され、
一晩を警察署の拘置所で過すこともある。
緑が生い茂る公園でたたずみ波が囁く浜辺で星を見上げ、
恋人のベッドの中で相手の肌を指でなぞり、
真夜中のハイウェイをドライブしながら君は精神を集中させて
記憶のピースをパスルとして繋ぎ合わせ事件の全容に辿り着く。
最後に君は再び例の街に舞い戻り、肌触りの良い生地を使った
ふかふかのソファーに座り依頼人と対当する。
そして本を閉じた読者である君の頭の中には、
舞台となった街の地図が出来上がっている。
君はこの街にすっかりと馴染んでいる。
こうして探偵たちは各々の馴染みある街に読者を案内するのだ。
これは身のこなしの軽さ、
各々の職業が持つ
フットワークの重軽というものに関する議論でもある。



オースターの探偵小説はエレガントな前衛だから
「幽霊たち」はこの探偵小説の本質をしっかりと捉えていた。
エレガントというフランス語の語源はラテン語のエリールで、
その意味は選択をすることだ。
この小説にも街への馴染みがある、
というより先程書いたとおりそれだけが残っている。
物語は1947年から始まる、
舞台はニューヨークのブルックリンだ。
読者はまずブラックを見張るためにブルーが何年間も住むことになる部屋に馴染み、毎日のように散歩をするブラックを尾行するブルーに同行することでブルックリンの街に馴染む。
「幽霊たち」はエレガントで前衛な探偵小説だから事件は起きない。
だから主人公ブルーは内相的にならざるをえず、
彼が語ることといえば自分の過去と自宅と街の様子と
いま読んでいる新聞や本について、
そしてそれらに対してなにを感じて考えたのかというものばかりだ。
他の探偵小説よりも街そのものへの思考が際立って描かれていて、
故に読者は街の様子によりいっそう詳しくなり馴染んでいく。
部屋の壁にはいま何が張られているのか、
テーブルの上には何が置かれているのか、冷蔵庫の中身は、
ブルックリンの街の地面、建物の壁、人々、天候、歴史、
ブルックリン橋の建設過程、教会の庭に立つ像、野球チームブルックリンドジャース、映画館、Bar、郵便局、食料品店、川、空、1947年のブルックリンを通り過ぎる風。
それらを読者が当たり前のようにして知っているのは、
オースターが探偵小説という存在の肉体から骨格だけを残して
肉と脂肪を根こそぎ削り取ったからであった。
そして本質だけが残った。
探偵小説に必要なものは探偵と依頼人であり、
探偵が街中を動き回る動機さえあれば他には何も要らなかったのだ。
チャンドラーは言った
「物語を終わらせたければ、
 銃を持った男を登場させればいいのだ」。
事件とその結果などはなんでも良いのだ
しかし更に踏み込んでいけば探偵小説には
事件さえもが起きる必要がない。
オースターは自ら探偵小説を書くことで
その事実を証明してみせたが故に
「幽霊たち」という小説は前衛的である。
それも知識と洒落っ気溢れる軽やかな文章
つまりエレガントな文章で証明してみせたのだ。
だから彼の作品はエレガントな前衛と呼ばれるのだ。


以上が本小説
「ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている」の解説だ。


アラビアのロレンス」から「幽霊たち」まで、
影響を受けた作品の解説を羅列することで
本小説の解説の代わりとした。
この解説は
「ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている」の
これまでの物語に対しての解説ではない。
Intermissionのあとにも続く物語の終わりまでを
範疇に収める解説である。
だって、この夢は短いけれど、ハッピーエンドの夢なんですもの。




(Intermissionはまだ続きます)


そして、つづきはこちらです
 「ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている 6ページ目」
 http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20161124/1479999656




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