君が僕に対して話した君の話を/ノートルミュジーク


昨今は小説や批評しか掲載していない本ブログですが、
その始まりは詩を掲載するためのものでした。
そしていま、久しぶりに詩を書いたので掲載します。
不定期更新の小説「ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている」
 の続きは今月中に掲載予定です)


それではどうぞ、お楽しみ下さい。


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君が僕に対して話した君の話を/ノートルミュジー


君の生きている世界に君の腹を満足させる程度の食事があって、それは決して君の味覚を満たすものではないが、そして今日が晴れていて、これもまた君の好みに完全に一致した気候ではないが、それらを悪く無いと君が思ったとして、それでも人はドン・キホーテになろうとするのだろうか?


エル・インヘニオーソ・イダルゴ・ドン・キホーテラ・マンチャ/ミゲル・デ・セルバンテス、スペイン、1605年。スペイン語。小説。この時代は南アメリカ大陸で悪事の限りを尽くしていたスペインがその無敵艦隊をエリザベス1世率いるイングランドによって破れらそれを発端にした凋落が始まっていたときだった。しかし教会にはエル・グレコが居て宮廷にはベラスケスが居た。そして文字の世界に居たのがセルバンテスだ。国の斜陽が、その混乱が偉大な芸術を作ったのだ。


キホーテが闘ったのは数基の風車と若干の豚だが、自分がそれらと闘うことで人を救えると信じたんだ。彼は狂人だがどうせ君も同じだ。やはり食事と晴天を得ても君はドン・キホーテのままだろう。だって君は君のやり方しか知らないだろうから。僕は君にとっての風車が、それと数匹の豚がなんなのかは知らないけれど、どうせ僕にとっての風車と豚がなんなのかは君にも分からないだろうからおあいこだけれど、とにかく、そのままでいるといい。狂ったままでいなさい。おっと、やめてくれ、この詩は君への悪口じゃないんだ。賞賛の言葉でもないけれど。


それはつまり、僕は君みたいな狂人には関われないということさ、そして僕自身も狂人だから君も僕には関われはしない。君は自分が狂人であることを自覚している、ならばわざわざ人を自分の世界に導こうとしたり、押し付けたりするだろうか? まさか自分の正常性を主張することなどはしまい。


ともかく、僕はこの世界にある紛れもない共通の真実を公にしているだけなんだから。それは次の文章みたいなものだよ。人生。


君の父親のことを僕は念頭に置いて話をしているんだ。彼のことは良く覚えているよ。君はあのときのことをよく僕に話すからね。君のお父さんは働き者で決して楽ではない日々の労働を真面目にこなして君を育てるための金銭を稼いで生きてきた。世間からの評判も悪くなく君が通う学校の行事には良く参加したし、休日になれば家族を色々な行楽地に連れて行った。


そんな部分だけを切り取って描けば良い父親だけれど君は彼の習慣を知っている。君が気がついたある時期から彼は、仕事のある平日は帰宅して晩ご飯を食べたあと、休日は家族と楽しく過した外出先から帰ってきた夕方から、予定がないときは1日中、君の父親はリビングに置いた1人用のソファーに座り酒を飲む。ベッドに入るまでのあいだずっと。


君の観察によればアルコールには特にこだわりはないようだった。ビールの6本パックや安い焼酎やワンコインで買った赤ワイン、高いブランデーやバーボンでもなんでもいいみたいだった。彼は休みなく酒を飲む。酔えればいいのだろう。彼の目は眼前にあるテレビの画面に向いている。


その内容にも特にこだわりはないようだった。野球でも映画でもニュースでもバラエティー番組でもなんでもかまわない。打席に立つバッターがその手に握るバットを勇猛果敢に振るい自らのスポーツマン人生の価値を表現するかのような満塁ホームランを打つ。スタジアムの観客が悲鳴と歓声を上げる。しかし君のお父さんは声の1つもあげない。君の観察が正しければ眉毛の1つも動かしていない。なにを観ていても同じだった。罵声も、笑いも、涙もない。


どんなに酒を飲んでも暴れることも家族に暴力を振るうこともなかった。椅子に深く座って酒の入ったグラスを口に運ぶ以外は身動きしない。君や彼の妻が声をかければ返事はするが、返ってくるのは適当で曖昧な言葉だった。このときの彼は会話をする気分じゃなかったんだろう、人の言葉を必要としていなかったのかもしれない。そのうちそんな彼に声を掛けるのを止めたと君たちが言っていたことを僕は覚えているよ。君はソファーに座る父親の背中を数秒見たあとでなにか言葉をかけようとして断念したのだよね。それを何回か繰り返したあとで全部諦めた。父親、ソファー、彼の背中、アルコール、テレビ。


朝になればまたいつもの父親に戻っている。仕事に遅刻したことや欠勤したこともない。休日は彼と良く遊んだ。そして君の父親は夜になればまた1人でアルコールを飲み始める。夜の君たちには会話がなかったよね。君はそんな父親のことをはじめのうちは奇妙に思っていたけれど、そのうちそんなものだろうと思い始めた。朝と夜。その両方が彼なのだということを君は幼いながらに学び取ったのだった。君は思った、僕の人生もそれなりに大変なのだから、彼の人生もそれなりに大変なのだろう。


あるとき君は夜中に目を覚ました。暗い自室の中で起き上がった君は喉が渇いている。だから君はキッチンに足を運んで流し台の蛇口をひねって手に持つコップに水を入れる。そこで君は気がついた。父親がまだソファーに座って酒を飲んでいる。照明が消えたリビングのなかでテレビ画面の光に照らされた父親の顔が浮かび上がっている。彼の頬を涙が伝っていた。そのうち彼は頭を抱えて声を詰まらせて泣いた。泣いた。泣いている。君は彼に声を掛けることが出来ない。テレビ画面になにが映っていたのか君は良く覚えていない。どうすればいいのかわからない。君は部屋に戻って布団を被って目を閉じた。父はいまも泣いているのだろうか。君はその意味と自分がなにをすべきだったのかを考えていた。それから一応の、仮置きの、取り繕った、急ごしらえの、当面の答えを出した。つまりこうだ。人生。


君の母親の話をしよう。この話も君から何度も聞かされたものだよ。まだ幼い時分の君が母親と一緒にデパートに行ったことをいまの君は覚えているだろうか。あの日は平日で君と母親は父親の仕事が終わるのを待っていた。デパートで待ち合わせて母親の洋服かなんかの買い物をして、それからディナーを食べに行く。そういう約束だった。特になにかの記念日というわけではなかったけれど、両親はなんとなくそういう気分になったのだった。だから君と母親はデパートに父親が来るのを一緒に待っていた。


彼の仕事が終わるまでにはまだ時間があったので君は母親に手を引かれて売り場を見て回っている。1階の化粧品売り場、6階の家具売り場、5階の紳士服売り場、それから3階の婦人服売り場。母親が婦人服売り場を丹念に見るので君は不思議に思った。父親が来たあとでまたここにやってくるのだからいまは見る必要がない。幼い君はそれまでの人生の中で父が母に洋服をそうやってプレゼントする場面を何度も見てきたからそういうことも知っているのだ。


それから勘の鋭い君は母親の思惑を見破った。彼女はいま、あらかじめ気になる服を選出している最中なのだ。そのなかのどれかを夫に、君の父に買わせる魂胆なのだろう。そういえばそうだった。幼い君はそれまでの人生を振り返りそういった場面をなんどか見てきたことを思い出している、そしてそれらをまとめて結論をだした。もっと早く気がついても良さそうなものなのに。君は心の中で自分の頭の悪さを罵った。それから君はそんな母親のことを可愛らしく思った。彼女はきっと彼に言って欲しいのだ、その服は君に良く似合っていると。それが嬉しいのだろう。だから君は母が鏡の前で服を手に持ち体に合わせているところを見てこう言ってやった。ママ、その服すごく似合っているよ。


事件の発端はこのあとに起った。婦人服売り場の側には宝飾品売り場があった。ディスプレイのなかにはきらめく宝石たちが並んでいる、誰かの手に取られてその肌を飾る日がくることを今か今かと待ち望んでいる。プラチナで作られた葉が真珠を抱えるようにデザインされたイヤリング、金の三日月とエメラルドのネックレス、ブレスレッドは銀の星とハート、ルビーが散りばめられた腕時計、そして女王、大きなダイヤモンドがついた指輪が真ん中でスポットライトを浴びて光り輝いている。


君の母親は夫から送られた婚約指輪を持っている。それは金の指輪で大きいものではないけれどダイヤモンドがついている。君はいつか彼女からその薬指を飾っている指輪を見せられて、そう自慢されたことを覚えている。綺麗でしょ、これはダイヤモンドと言ってとても高価なものなのよ。それは1組の男女に輝かしい恋愛の軌跡があったことの証明、想い出であり、愛が形を持って彼女の指に納まっているということなのだ。幼い君にも判っていた。つまり彼女は君に、彼女とその夫のあいだには愛がありその結果としてあなたが生まれたのだと言っているのだ。


その指輪はいまでは寝室に置かれた彼女の化粧台の棚のなかにある宝石箱のなかにひっそりとしまわれている。彼女が指輪を外したのではない、彼女の指が指輪を手放したのだ。彼から愛の形を送られたとき彼女の指は細かった。結婚をして君を生んで、社会や家庭の仕事をするうちに徐々に指が太くなっていく。指輪のサイズと彼女の指のサイズが合わなくなっていった。そしてあの宝石の輝きが彼女の指の上で踊ることはなくなった。だが、そうであっても大切な想い出だから無くさないように彼女は棚の奧にそれをしまったのだった。



結婚をして君を育てるとはそういうことだった。
細い指ではいられない。
というのは嘘さ。


実は僕は知っているのだけど、それを君だけに教えるよ。彼女には君を産まないという選択肢もあった。もちろん結婚をしないという選択肢もあったしそれ以前の選択もあったわけだけれどそれらを言いだすと切りがないから省くよ。彼女には君を生まないという選択肢があった。社会や家庭の仕事を一切しないこともできた。僕はそちらを選んだ彼女のことを、その結末を見たことがあるんだ。結局は彼女の指は太くなっていったよ。そして指輪をはめられなくなった。年を取るということはそういうことなんだ。


君のことを産んだ彼女はデパートで君の手を引いている。2人は婦人服売り場を見終わって宝飾品売り場の前を通りすぎた。そこで彼女は運命の出会いをした。運命というのは彼女が僕に言った言葉だ、ある時期のあいだだけ、それが彼女には素敵な運命の出会いに思えたんだ。


そこにはこの時期だけ設置されたカウンターがあって、そこではジュエリーのリフォームを受け付けていた。いまならば特別に値引きした価格で請け負うようだ。その文字を見た彼女の頭のなかで小さな、輝かしい花火が上がった。音もなく、派手さもなく、単色で地味なものだが、暗闇の中できらきらと輝いたオレンジ色の火の粉が地面にゆっくりと落ちていく。それは棚に大事にしまってある愛が再び光り輝いたものだった、その予兆だった。結婚指輪のサイズを直せばまた彼女の指にダイヤモンドが輝く。


夫と合流した彼女は、彼に気を使って、彼の愛を誤って傷つけないように、慎重に計画を話した。妻が指輪を身に着けることが出来ない理由を彼も知っていたから彼女の計画を快く承諾した。良い計画だとも言った。それから君をつれて3人は例のカウンターに向かった。販売員が笑顔で夫妻を迎えた。そこには様々な写真や文言が用意されていた。指輪のビフォーとアフター、職人の顔と経歴、仕事風景、依頼者の感想。そのどれもがこの1組の夫婦の愛を刺激するのには十分なものだった。リフォームした指輪の実物もあった、写真に映っているリフォーム前の指輪と比べるとサイズも、デザインも石のカットも若干だが変っていた。つまり昔の指輪を現代風のデザインに直して洗練させることもできるのだ。夫はそれが良いといった、初めのうちは躊躇していた妻も快諾した。古い愛が、新しくなるのだ。そういった象徴や意味を持たせるのには結婚指輪が最適だった。言葉にはしなかったものの、夫妻を担当した販売員も含めてその場にいた全員がそれこそが指輪をリフォームすることの価値だという前提で話を進めていた。過去に、過去の愛に固執しない勇気のある決断だとも。


販売員が見積もりを出して、その数字を夫妻は受け止めた。決して安い金額ではなかったが、それでも良かった。値引きされている事実事体に2人は安堵した。そして後日、君の母親は、宝石箱から久しぶりに取り出した指輪を店に預けたのだった。


指輪が職人の手に渡り、その技法によって魔法が掛けられ真新しい存在になり彼女の手に戻ってくるまでの数週間、彼女はずっとせわしなかった、それにはワクワクという表現が適切だった。君が誕生日やクリスマスの当日に感じるあの幼くかわいらしい感情を彼女はこの時期だけ持っていたのだ。古い愛が新しい形になる。彼女の全身から喜びが溢れていた。それは彼女をあの頃の、夫となる男と付き合い始めた当初の彼女に戻していた。朝のキッチンに立つ彼女や夜のベッドの中での彼女は新鮮な空気そのものだった。テーブルの上に差し込む澄み切った光、夜を包み込む柔らかなシルクだった。それから数週間のあと、電話を受け取った彼女は喜んでデパートに行った。あのカウンターへ。


指輪が完成したのだ。


家に戻ってきた彼女の全身からは失意が放たれていた。それを君は良く覚えている。彼女はそのときそれを必死になって隠そうとしていたが、君は母親の僅かな変化に気がついた。疲労を表すうなだれた小さな背中、疲れた顔、力のない腕の動き、遅い足の運び、皮膚の上のシワやもう若くはない女が体から放つあのにおい、そういったものが彼女の悲しみを表現していた。


彼女は君に指輪をみせた。それは君の目にも明らかだった。安っぽく薄っぺらく軽い指輪だった、小さな石がその片隅で鈍く光ってうなだれて座っている、デザインこそ現代風になったが、取り繕っただけのものだった、完全に完璧な真新しい現代のものではなかった。偽りの新しさ、偽物のいまだった。それがかえって指輪を安っぽくみせていた。あの古い愛がそんなものになってしまった。そんなものが君の母親の指を必死に飾っていた。そしてついに彼女は君の目の前で泣き崩れてしまった。なにもかも思い通りにいかない。


それからも彼女は結婚指輪を指にはめていた。誰もが指輪のリフォームは失敗だったことを知っていたが、そうするしかなかった。だがあるとき彼女が夫と君と外出しているとき、あの小さなダイヤモンドが指輪から外れて地面を転がりどこかへと行ってしまった。石の留め着けが不完全だったのだ。正確にはどこで石を落としたのか、どこで無くしたのかも分からない。彼女とその夫と君は地面に這いつくばって石を探したけれど見つからなかった。彼女たちの膝は地面と擦れ皮膚が剥がれ、傷からは血がにじむ。それほど必死になったのに。道行く人が彼女たちを横目で見て不思議そうな顔をして通り過ぎていく。あの鈍く光るダイヤモンドは見つからなかった。


夫はあの販売員に連絡をして店の過失を訴えた。相手は不手際を認めて指輪は再び引取られた。詫びとして代わりの石が取り付けられた。代金は払い戻しになった。しかしそんなことは彼女にとってはどうでもよかった。指輪がまったくの別ものになってしまったと彼女は感じた。古かったけれどそれでもあれは愛の形だった、なのにもうどこにもない、別のものに変わってしまった。あんな安いっぽいものに。もとの指輪はそうじゃなかったはずだ。それから君の母親は指輪を再び化粧台の棚のなかの宝石箱にしまったままにした。それどころかあれから彼女は他のアクセサリーを付けることすらもやめてしまった。死ぬまでずっと。君は考える、なんで彼女はあんな出来事を経験しなければならなかったのか。それから君はまたいつものように一応の答えを出した。つまりこうだ。人生。


最後に君の弟の話をしよう。妹でもいいけれど。とにかく君より年下の家族の一員と考えて思い出して欲しい。この話も君から聞いたんだ。僕は君がした話ならばなんでも覚えているんだ。君の弟は若者らしい活発さと飽きやすさで色々な趣味に手を出していた。君たちは少し年が離れた兄弟だったから、彼の若さが君の目にはより印象的についていた。


彼は色々なスポーツをやった、それに学問も芸術もやった、当たり前のように少々の悪さもやったしボランティアもやった、恋愛もやったしもちろんセックスもやった。だけれど彼はそのうちのどれかにのめり込むことはなかった。器用貧乏といえば聞えは良いけれど、その実、緩やかな自殺をしているような気分に彼はなっていた。死から逃れるために君の弟が次に選んだのはギターだった。その演奏だった。とはいえ君たち家族は音楽一家というわけではなかったら家にはギターがない。だから彼はアルバイトをして購入資金を貯めることにした。


彼が選んだ仕事はハンバーグ屋の厨房で、右手にトング、左手にヘラを握りながら大きな鉄板の前に立ち1日100枚以上のハンバーグを焼くことだった。細長い厨房の先端に彼は居て、ガラスで囲まれたその場所からは彼が焼いたハンバーグを食べる家族や恋人たちのランチやディナーの様子を見ることが出来た。季節は夏だった。気温で溶けた生肉が指の皮膚にこびり付き、彼のコックコートと前掛けを血が汚し、熱した鉄板が肉汁を蒸発させて油の脂肪酸が熱になりグリセリンが煙となって彼の体や髪の毛を包み込んだ。帰宅した彼は生肉と焼いた肉を混ぜ合わせたにおいを放っていた。しかし君は弟の頑張りを知っていたから、そのにおいを悪いものと捉えることをしなかった。


それから数ヶ月がたち、アルバイトを続けて無駄遣いをすることもなかった彼はそれなりに良いギターを買った。練習をした彼は技術を身に付けて、諸手を挙げて褒めるようなものではなかったけれどそれなりに様になった演奏をした。このとき君は心配していた、弟は他の物事のようにギターにも飽きてしまうのではないかと。そして君はそのあとに経験したあの夜のことを僕に教えてくれたのだった。


あの夜があったのは夏が彼方に過ぎ去った、秋の終わりのことだった。とても小さな音で奏でられた音楽が弟の部屋から聞こえてくる。しばらくして君はそれが弟のギターの音だと気がついた。あれは音楽だった。練習という言葉はもちろん演奏という言葉でさえもそれを表すのには不適切な響きを持った美しい旋律だった。その音楽は演奏者の気まぐれからか途中で終わってしまった。普段はそんなことはしないけれど、君は思わず弟の部屋のドアをノックした。顔を出した彼に対して君は言った、良い曲だ。もっと聴かせて欲しい。弟の部屋。ソファーに座る彼。君は床に座って彼の奏でる旋律に耳を傾ける。部屋は薄暗く、窓の向こうを眺めた君の目には民家の屋根と空に浮かぶ星々の光が入ってくる。僅かな隙間が開いている窓から入る肌寒い風はさわやかで、静かな夜を部屋へと運んで来た。君の弟が弾くギターの音は目の前で聴いていてもとても小さなものだった。その小ささが旋律に静けさと繊細さと想像力を与えていた。君はそれこそが彼の持つ技術なのだと理解した。彼が意図して曲に与えた繊細な音だった。君はそれに気がついて、今まで知らなかった弟の一面を知った。しばらくして音楽が終わった。君の弟ははにかんだ笑顔を浮かべて、ギタースタンドに楽器を慎重に置いた。冬が始まりつつあった。


結局のところ、彼はギターをやめてしまった。あの夜から数週間後、せっかく手にしたギターを楽器屋に売ってしまったのだ。得た金は新しく興味を持ち始めたスキーをやるための用具を買う資金にするという。だから君はもう永遠にあのときの音楽を聴くことができない。弟があの技術を発揮することは二度とない。君の一生にあの夜が再び現れることはないのだ。君は考えている、なぜ自分があんな夜を体験することが出来たのか、それから君はまたいつもの一応の答えを出した。つまりこうだ、人生。


すべては寓話だ。君は君の経験を人に話すとき、この経験とはつまり君の過去のことだけれど、君はまるでそれに価値があるかのように話す。君はそれを教訓や学びがある話として、つまり寓話として僕に語ったんだ。そんなものは本当はないのだけどね。君のさも寓話めいた話は人類の誰にとっても価値のないものなんだ。だいたい君は僕に本音を語っていないじゃないか。僕は知っているよ、あのとき君が父親にかけようとした言葉を、母親にしようとしたことを、弟に思ったことを。だけれど真実はこうだ。不可能。なんせ人間に本音なんてものはないからね。無意識を意識出来たらそれはもう無意識ではないということだよ。君は君自身の本音を君の人生のなかで理解することはできない、そんな日はこない。


…… …… …… …… 。


いつか君は死ぬ。案外あっけなく死ぬんだなと思った一瞬のうちにそれは君にやってくる。その瞬間はスローモーションになり0.1秒が1秒に引き伸ばされる時間感覚だが所詮は短い。君はその想像を僕に語ったことがある。君はいつどうやって死ぬのだろう? 癌や心臓病か?殺されるのか?交通事故か?それとも恋人や子供と行った遊園地でのデートで乗ったジェットコースターが脱線して君は青空の中に投げ出され逆さまになり誰かの悲鳴を聞きながら地面に頭がぶつかり頭蓋骨が割れ首が折れて髄液が漏れて死ぬのか?そういった心配はするだろうけれど、死ぬその瞬間は言葉のとおり一瞬のあいだなんだ。



しかしそこにいたるまでの人生というやつが生と死を区切り、
君の眼前に先の見えない道を作っている。
だから僕には君のことがわかるよ。


でも死なんてものはないし人なんてものはいないんだ。君に死は無い、そして君の世界に僕はいないし僕の世界に君はいない。その世界で誰が君を狂人と決めるのか。問題はなにもない。だから風車と闘うと良い、数匹の豚とも。思う存分やれば良い、君の仕方で。キホーテは狂っていたが人を救おうとしていた。そして、彼はその旅の途中で人々と出会ったんだ。


詩は思いを伝えるものよりも、世界を丸裸にするものの方が良い。丸裸にすると言ったって、裸婦画ならばマネもドガもいたし、男の裸ならばベーコンもミケランジェロもいたわけだけど。つまり、そのやり方はいろいろあるということだけれど。



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