短編小説「きみは森の散歩道を歩いている」

まえがき

短編小説「きみは森の散歩道を歩いている」はつまらない小説です。
物語的な動きや動機やオチといったものは登場しませんし、
社会的なメッセージや批評や寓意も込められてはいません。
森にある散歩道を歩くだけのつまらない小説です。
ですのでお暇つぶしや気分の紛らわしに読んでいただければ幸いです。


またこの小説は先日掲載した「森の散歩道を歩く」↓の姉妹作です。
http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20160421
内容はほぼ同じですが「きみは森の散歩道を歩いている」は
文章を新たに書き直しています。



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【きみは森の散歩道を歩いている】



きみはひさしぶりに日記を書いた。
特別なことや凄く素敵なことがきみの身に起ったわけではない。
きみがしたことといえば森を歩いただけだから。
だけれど緑の中を歩くということはきみにしては珍しいことなので
きみはそのことを文章に残すことにしたのだ。


きみは森の中を歩いている。
きみは昨日いつものように色々なことがあってから眠りについたから
その日も普段通りにぐっすりと眠れると思って寝床についた。
ところが睡眠の途中できみの目は覚めてしまった。
夜中の起床にきみは戸惑ったけれどその後になんとかして目をつぶった。
そうこうしていて気が付いたらいつのまにか朝が来ていた。
寝床に入ったままきみは時計に目をやる。
するときみはきみにしては珍しい時間に起床をしていたことに気がついたのだ。
そういう日も1年のあいだに何日かはあるものだときみは思った。


物事にはタイミングがあるのは周知の事実で
それがずれてしまうと少し座りが良くないものだ。
きみはそういったことを知っていた。
この日の朝もまさに座りが良くなくて
きみはいつもの予定まで時間を持て余してしまった。
2度眠も考えたのだけれどきみの目はどうにも冴えてしまったから
どうにかしてこの時間をやり過ごさなくてはならない。
だけれどテレビやインターネットを見るもの
なにか煩わしさ感じだろうからそれは違うときみは感じた。
それにきみはこんな時間に誰かと話をするのも
迷惑なんじゃないかと思ってしまっている。


とはいえ寝床で1人ぼうっとしているのも間が持たないときみは知っている。
だからきみはふらっと外にでてどこかに歩きにいこうかな思い立つ。
そうしてきみは遠出をするわけでもないしどこかの店に入るわけでもないから
着の身着のままで外にでたのだった。


自宅の外。
そこできみは立ち尽くしてしまう。
どこにいこうかときみは迷っているのだ。
そうやってあれこれと思案しているうちにきみはふと思いつく。
自宅から歩いていけるところに森があることをきみは覚えていたのだ。
きみは普段ならばそういう場所にはいこうとは思わない。
だけれど以前なにかのついでにその森に少しだけ立ち寄ったことを
きみの記憶力は覚えている。
あの森には緑の樹々や良い香りのする花々が端正に立ち並んでいて
穏やかな散歩道が敷かれている。
その森はきみの覚えているあの穏やかで静かな森のことだ。
この時間にそういった気持ちの良さそうな道を歩くことをきみは想像する。
それだけできみの気分が少しだけ安らぐ感じがした。


起き抜けだからなのか気怠さを表明してしゃっきりとしない手足を
きみはえいさっと振って歩き出す。
きみは自宅をうしろに歩いていく。
しばらくすると森の入り口がきみの瞳に映る。
きみは森の入り口のまえで立ち止まって周囲をみる。
きみが以前この森に立ち寄ったときと変らない
穏やかでもの静かで柔らかな雰囲気のある場所が広がっていた。
きみの想像通りだ。
入り口のそばに設置されている木製の案内板をきみは見つけた。
きみはその木製の案内板に書かれている散歩道のコースを見て取る。
コースは複数ある。
そのなかに持て余した時間を適度に過せそうな道があったから
きみはそのコースを歩くことにした。


散歩道。
森の入り口から森の中へと続く
端整に並ぶ樹々のまにまに走る土で出来た散歩道。
きみはきみの気怠い脚を動かして一歩目を踏み出した。
樹々が端整に並ぶ穏やかな散歩道。
きみの足の裏には柔らかくて心地の良い土の感触が伝わって来る。
そのおかげなのかきみは穏やかな気持ち良さを感じる。
きみは土の柔らかな感触の理由を考えた。
だからきみがいま考えていることは
この静かな雰囲気をまとう森の散歩道を作っている土の成分のことについてだ。
きみはいまそれ以外のことを考えていない。
そしてきみは1つ2つ3つほどの理由を考えた。
きみが出した答えは
あたりの樹々から舞った木の葉が
クッションのような層になっているからだろうかとか
土が樹々からでたつゆを含んだ空気を吸収しているのからだろうかとか、
そういったものだった。
それからきみは思い出す、
ワイン瓶の栓に使われていたコルクを細かくしたものを混ぜた土があることを。
コルクはもともとは樹なのでそれを混ぜた土は自然に優しいし、
その土の上を歩く人の脚の負担も減らすという知識をきみは思い出している。
この道もそういうものかもしれないときみは思う。
きみは屈んで土の匂いが嗅ごうとする。
きみのてのひらを優しい感触のする土の上につけて顔を近づける。
きみは想像したのだ。
コルクはもともとワイン瓶の栓なわけだから
それを混ぜた土はどんな匂いがするのだろうかと。
そこできみは気が付いた、
人が見たら自分がすこし不思議な行動をしようとしていることに。
そしてきみは少しだけれど面白い気分になった。


きみはそんな気分で歩き出す。端整に並んだ樹々と土の道。
森の散歩道をきみは歩いている。
歩きながらきみは考える、
さすがに土と混ざったコルクからは匂いはしないだろうと。
だけれどきみは土からブドウの匂いがしたら面白いのにと考えている。
それからきみは土と合わさったブドウの良い匂いを想像する。
イタリアの葡萄園にでもいけばそういう匂いも感じられるのだろうか。
きみの頭のなかには葡萄園のほかにも
イタリアの青空や出来立ての美味しそうなイタリア料理がひろがっている。
今きみの心にいつかそんなイタリアに行ってみたいという希望が芽生えた。
そしてきみは予感する、
直ぐにはできないだろうけれどいつかそういう機会もやってくるだろうと。
それも確実であることを。
きみはそんな予感は確かに感じている。


歩く。
きみは端整に並んだ樹々のなかに続く道をゆっくりと歩いていく。
一歩、二歩、三歩と歩いていくうちに
きみは少しだけだけれど調子が出てきたと感じている。
土の感触がきみの脚からきみの膝に伝わって来る、
そしてその感触はきみの膝からきみの腰へと伝わって来るのだ。
そこできみは空気の感触のようなものが変化していることに気がついた。
空気の透明感が増していることをきみはその肌に感じているのだ。
きみが住む自宅の周囲も自然の少ない場所ではなかったけれど、
森の中と外ではこんなにも空気感が違うことをきみはあらためて知る。
だからきみはてのひらを広げて空気を扇ぐように動かした。
そして透明なつゆを含んだ清い風がきみの頬を優しく撫でた。


それからきみは立ち止まる。
きみは周囲を見る。静かな森の散歩道。きみはいま空を見上げる。
それから腕を広げてきみは鼻から森の空気を吸い込んだ。深呼吸だ。
きみは鼻から樹々の匂いをすぅーと吸い込んで口から空気をはぁーと出す。
深呼吸。深呼吸。
森の樹々の匂いをきみは受け取る。
端正で清くて柔らかい空気。きみは深呼吸。
きみのなかを端正で清くて柔らかい空気が満たしていく。
良い匂い。心地の良い匂い。
もう一度深呼吸。
きみは鼻から空気をすぅーと吸い込んで口からはぁーと出す。
良い匂い。
きみは少しだけだけれど得をした気分になった。


そしてきみは再び森の散歩道を歩き出す。土の感触。
きみの眼に映るのは美しい樹々たち。
樹とひとことに言っても色々な種類があるもので、
空に向かって背筋を伸ばしているものや横にうんにょりと伸びているもの、
一本芯が通っているものからなにやら枝を沢山生やしているものまである。
きみはその多様性を理解する。
葉にも色々なものがありぎざぎざしているものや丸いもの、
彩りも緑色のものから少し黄色いものまである。
そんな観察をしているときみの目の前を一つの葉っぱが舞って横切った。
きみは思わず手を伸ばす。
そしてきみは葉っぱをつかんだ。


その葉はつゆに濡れていたからきみの指の先をつゆが覆った。
きみの指先に伝わるのは
葉っぱの表面の柔らかくてすべすべとした感触とつゆの穏やかな感触だ。
葉の大部分は柔らかいのだけれど、
先の方は肉厚でぶよぶよとしていることをきみは知る。
指に感じるその感触が少し面白くて、
きみは一度二度と場所を変えて指先でいじってみる。
きみの目にはその葉のとても良い色が映っている。
きみは葉を持つ手を空の光に挙げてみた。
すると色を透かして明かりが差し込んで葉の彩りがわずかに変化した。
綺麗な色だ。
きみはそこに少しの面白さを感じる。


そしてきみはまた歩く。樹々、木の葉、つゆ、感触、光を透かした彩り。
そしてきみは少し開けた場所に着いた。
ここがこのコースの折り返し地点らしい。


そこは円形状に開けた場所で周りを樹々が覆っている。
そのかたわらにはたくさんの花々が植わっている。
きみはその花々を他の場所でも見たことがあるけれど名前を知らない。
花の形は様々で色もとりどりできみの目には賑やかに映っている。
綺麗に整列した花々の印象から
これらは人の手によって作られた花壇だということをきみは理解する。
花壇は何カ所もあり、それぞれにちがったテーマで作られているであろうことが
きみには一目でわかった。
可愛い花があつまった花壇、凛とした花があつまった花壇、
鮮やかな花があつまった花壇。他にもいろいろある。
きっとそれぞれ別の人がデザインしたものなのだろうと推測して、
きみはその個性を楽しんだ。
花壇の横には木製のベンチとテーブルが置いてある。
きみはそこに座って周りを見渡した。
きみは少し休憩をすることにしたのだ。森の中。散歩道。折り返し地点。
少しの休憩。少しの休憩。
樹々、花々、土、空気、彩り、匂い。きみは深呼吸をもう一度。


きみは深呼吸をもう一度。


それからきみは入り口に折り返す道を見つけた
来た時とはまた別の道で、そこを歩いていけば入り口に戻れる。
きみはベンチから腰をゆっくり上げて
少しだけ軽くなったような気がする手足を振るって歩き出す。
帰り道。様々な樹々たち。きみは少し良い気分になる。空気、新鮮な匂い。


きみは途中で小さな小さな川に出会した。
きみの脚を少し伸ばせばまたげるほどに小さい小川だ。
土の上をたおやかに伸びている透明な水をきみは見ている。
きみがいま見ているのは完璧に清らかなものが
この世界には存在しているのだという証拠だ。
きみは思わず腕を伸ばして小川の中に手のひらを入れた。
清流がきみの指と指のあいだの皮膚をくすぐるようにゆっくりと泳いでいく。
水はさらさらとしていて質感は軽い。きみはそれを手のひらに受けている。
きみはその感触を十分に味わってから小川から手のひらを出した。
手のひらはほんのりと冷えていてきみは少しだけさわやかな気分になる。
さわやかついでにきみは手のひらでお椀をつくって中に水を入れた。
そして清らかな水できみの顔をすすいだ。
水はさらさらとしていて質感は軽い。きみはそれを感じている。
一回、二回、三回ときみは冷水で顔をそそぐ。
清潔な冷たさがきみの頬や瞼をなでる。おでこが水でひんやりとする
おでこを洗ったその水が頬を撫でてきみのうなじへと伸びていく。
きみは少しだけ爽やかな気分になる。


そのまましばらくきみは目をつぶっていた。
すると空気の暖かさできみの手とおでこがじんわりとぬるくなってくる。
ゆっくりとゆっくりと大気の温度できみの手とおでこが温かくなってくる。
温かく。
きみはそこで深呼吸をした。
清流、清らかさ、たおやかな小川、冷たさ、温かさ、大気。
きみは落ち着いた気分になった。
そして少しだけゆっくりとしてからきみは再び帰り道を歩き出した。


端整に並ぶ樹々のまにまに走る土で出来た散歩道。
きみは手足を振って歩く森の散歩道をあるく。
しばらくするときみは森の入り口に戻っていた。
その場できみはゆっくりと振り返って森の樹々を眺めた、
穏やかで静かでなんてことのない散歩道。
きみはもういちど深呼吸をした。
樹々、花々、土、空気、優しい匂い、清流、柔らかい感触、
指の間を泳ぐ水、爽やかな大気、彩り、つゆ、深呼吸、深呼吸、良い予感。
それからきみは家に戻ったんだ。






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