【クリスマスの短編】赤と緑


クリスマスという日へようこそ。
今日は幸福の日であり、過酷な日でもある。
そう、つまり今日は二つの異なる顔を持つという訳だ。


まずは前者、クリスマスが持つ幸福な日という側面を挙げよう。
夫婦や恋人、家族あるいは友達とだって良い、
一人じゃない幸せを感じて愛を伝えあえる日だ。
別に愛というものは毎日伝えたって良いのだけど、
恥ずかしいって言う人も多いからね。
クリスマスなら今日がクリスマスなんだと言う理由で
愛の交換を惜しげも無く行える。


次は後者、過酷な日って奴だ。
一年のうちで今日ほど一人で居る事の辛さって
奴を思い知らされる日はないだろう。
あるいは……今日と言う日は
君が好きな女がどこかの男にファックされているに違いない
ってことを君が最大級に考えてしまう日だ。
君が好きな男が妻や子供と幸せな家族を描き
子供が寝静まった後にはその枕元にプレゼントを置いて
その後奥さんと愛を囁きあうのだろうと
一人冷たいベッドの中に潜る君に想像させる日だ。


今日と言う日はそう云う日だ。
俺もそんな今日を迎えている。
俺がいるのはどっちの今日かな。
恋人と一緒に過ごしている訳じゃないけど、
一人で部屋にこもっているという訳でもない。
かと言って今現在好きな女が居る訳でもない。
だから過酷な想像はしなくて済む。
だか別にゲイって訳でもない。


そんな俺が今現在のクリスマスを過ごしてい場所はカジノだ。
この場所ならではの酷い状況に置かれている。
まったく酷い話しなんだ。
よかったら聴いてくれ。



負けが永延と込んでいる。
勝つことはある、でもそれも小さな物さ。
僅かな勝ちが反って次の勝負へと向かわせる。
そして結局大きく負ける。
だから総額では負けている。
負けが永延と込んでいる。


タキシードとウィングカラーシャツ。
そしてボウタイを締めた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
ディーラーの顔を見る、彼は笑っている。
勝ち誇った笑顔だと思いたくなるが
考えてみればそんな顔をして客が怒って
帰っては意味が無いからそんな表情は出さないだろう。


髪型はオールバック、格好はオールブラック。
白いシャツと黒いベスト。
完全にカジノでのベストな格好。
30才の俺より少しばかり若いだろうか。
という事はこのディーラーは20代後半だ。


プレイしているゲームはクラップスだ。
カジノの中で唯一プレイヤーがサイコロを振る事を許されているゲームだ。
ゲームの始まりもプレイヤーがサイコロを振る事から始まる。
考えてみてくれ、カジノの中じゃこれは非常に珍しい事なんだ。
クラップスが唯一サイコロに触れる事の出来る
ゲームだというのは今教えたが、
そもそもカジノでは賭けの道具に触る事が出来るっての自体が珍しい。
ルーレットやスロットなんて
賭けの道具には我々はまったく触る事が出来ない。
だからそういったゲームは基本的には運任せ100%って奴だ。
ポーカーやブラックジャックにはそれなりの攻略法があるのに、
ルーレットやスロットで役立つのは己の直感という
非常に頼りない奴だけだ。


そのポーカーやブラックジャックだってトランプに触れる事は出来るが、
それはすでにディーラーがシャッフルした物。
つまり胴元である彼らによって選別された物だ。
意地の悪い見方をすれば、そこにはイカサマの可能性があるという事だ。
以前、ディーラーがトランプの数字を完全にコントロールしていて、
酷い損失を出した事がある。イカサマだ。


選別された物と言えば、バカラだってそうさ。
あのゲームはさらに質の悪い事に
配られたカードじゃなくて、
自分が勝つか負けるかに掛けなきゃならない。
自分が負ける事にコインを掛けている時、
カードの勝負で勝っても掛け金は戻って来ない。
そんな酷いゲームだ。


その点クラップスはゲームの始まりを
プレイヤーがサイコロを振る事としている。
それどころかこのゲームでは
ディーラーがサイコロに触れる事は一切ない。
もちろん、サイコロなので所詮運のゲームなのだが、
自分でゲームを始めて
勝つにしても負けるにしても自分でゲームを終える事が
出来る点を俺は気に入っている。
だがそんな気に入っているゲームで俺は負け続けている。
どうやって負けているかはこれから話そう。
その前に軽くクラップスのルールを説明しようか。




クラップスでは
客の中から選ばれたシューターがサイコロを振る。
参加者はまず始めにそのシューターが勝つか負けるかを賭ける。
つまりこのゲームもバカラと同じ様に
サイコロ自体の勝敗ではなく、
選ばれ者が勝つか負けるかを予測するゲームだという言う事だ。
でも酷いゲームのバカラとは違い
クラップスではゲームの勝敗にディーラーは介入しない。
基本的に客はシューターが勝つ方に賭ける。
そういう暗黙のルールがある。
もちろんシューター自身も自分の勝敗に賭ける事が出来る。
だがシューターが自分が負ける方に賭けよう物なら
場は白け他のプレイヤーはどこか別のテーブルへと行ってしまうだろう。
そう云うゲームだ。


シューターが勝つ方に賭けるのにも色々な掛け方があるのだが
その説明は省こう。なんせ面倒だ。考えてくれ。俺は負け続けているんだ。
兎に角、賭ける方を参加者が決定したら、
いよいよシューターがサイコロを振る。
振るサイコロの数は2つだ。
2つのサイコロをテーブルの天板に貼られた
緑色の柔らかいラシャの上に転がす。
出目の合計が7か11だったらシューターの勝ちだ。
2か3か12だったら負けだ。
それ以外だったらシューターはもう一度2つのサイコロを振る。
1度目とは出目の意味が変る。
今度はシューターが7や11を出しても勝てない。
シューターは彼が1回目で出した出目を再び出せれば勝つ事が出来る。
一方7が出てしまったら今度は彼の負けとなる。
どちらかが出るまでシューターは2つのサイコロを振り続ける。


賭けかたを少しだけ説明しよう。面倒なのだが……。
シューターが勝つか負けるという事以外にも賭け方はある。
シューターが負ける前に6が出れば
賭け金が2倍になって戻って来るという賭け方だ。
負ける前に8が出れば良いと言う賭け方もある。
これは本当にほんの一部の賭け方だが。
まぁとにかく色々な賭け方があると言う事だ。
シューター自身を含めた参加者が勝つ方法がね。


なのに負けが込んでいる。
そういった色々な賭け方をしているのにだ。
シューターは客が代わる代わる順番に行う。
勝つか負けるかしたら交代する。それまでは1人が振り続ける。
俺がこのテーブルに座った時には他の客も居た。
勝ったり負けたりした。
だがやがて負けが多くなった。
時間経つ、夜が更けて行く。
同じテーブルの客が1人また1人と席を離れている。
俺の隣りに座って居た最後に残った女性も
数十分前にすぐそこのスロットへと行ってしまった。
明るい表情でリアクションが大きく、
長いブロンドが美しい、新しい林檎の匂いのする女性だったのだが。
そういえば緑色のワンピースが細身の体に良く似合っていた。


さらに酷いのがそこからだ。
ついさっき基本的に客はシューターが勝つ方に賭けると説明したよな。
これは客が複数居る段階での話しだ。
客がシューター1人になったら、
つまり今の状況だが、そうなったら自分が負ける方にも賭けてもいい。
文句言う奴はいないからな。
自分がサイコロを振っているのに自分が負ける事を期待する。
おかしな、というかこれもまた酷い話しだ。
そして俺はそんな酷い話を実行したりもした。
なのにも関わらず予想が外れた。
自分が負ける事を期待した時に限って俺は勝った。
数回自分が負ける方に賭ければ予想が当たって
賭け金が多くなって自分の手元に帰ってくる事もあったが、
あまり嬉しくはなかった。
自分が勝つと賭ければ負けて、
負ける方に賭ければ勝つ。
結局負けが込んだ。


なぁ、酷い話しだろう?




なのに俺は未だ2つの赤いサイコロを降り続けている。
そしてまた負けた。
別に負けた金を取り戻したいという訳ではない。
クラップスでは最早無理だ。
このゲームは賭け金の倍率が低い。
それは勝率的計算を由来とする物なのか、
参加者が賭けの道具を操る事に由来としているのかは俺は知らない。
だから大きく賭けてもクラップスで負けを挽回するのは難しい。


2つの赤いサイコロ
そう、このゲームで使うサイコロは赤いんだ。
テーブルの天板に貼られたラシャの緑との対比だ。
ラシャってのは生地の名前だ。
英語ではない。ポルトガルの言葉だ。
羊の毛を緻密に織り込んだ生地の総称だ。
丈夫で保湿性が高くて滑らかで美しい。
だからスーツに使われる事もある。
滑らかだからビリヤードテーブルにも貼られている。
球が転がり易いからね。
なにより高級感を出し易い。
故にカジノのテーブルでもこうして重宝されている。
トランプも配り易く手に取り易いというのもある。


緑と赤という色を補色と言う。
補色というのはその二つの色を混ぜ合わせると、
無彩色……まぁ灰色だな。になる色の事を言う。
赤の補色が緑であり、緑の補色が赤だ。
混ざれば無彩色になるが、
混ぜずに赤と緑を並べて配色すると、
たちまちお互いを引き立てる色になる。


思い出してくれ。
企業、特に飲食店の看板やロゴに
如何に赤と緑と言う配色が使用されているかを。
牛肉ステーキの横になぜ緑のブロッコリー
時には赤い人参と一緒に配置されているかを。


そうなんだ、赤と緑の組み合わせは
人間の食欲を刺激する色だと言われている。
あるいは欲望全般を刺激するとね。
だからカジノではよくこの色が使われる。
客の欲望を刺激して大量の金を掛けさせ様と言う算段だ。


クリスマスの色も赤と緑だ。それに雪を表す白か。
クリスマスにこの色を使用するのも欲望を喚起させる為だ。
クリスマスの赤はサンタクロースの衣服の赤から来ている。
サンタの赤はコカ・コーラの広告から生まれたと言う説がある。
云うまでもなくコカ・コーラのイメージカラーは
コーラ自体の褐色色と、赤だ。
確かにコカ・コーラ社は自社の広告に
赤い衣服を着たサンタクロースを登場させていたが、
それ以前からサンタは赤の服を身につけていた。
だからこの説は大嘘だ。
真顔で知ったかぶって話すと何れ恥を掻く事になる。


サンタクロースはキリスト教の聖人、
St.ニコラウスの伝説から誕生した。
セントニコラウスが訛ってサンタクロースになった訳だ。
キリスト教の聖職者の衣服には赤色が使われていた。
つまりそういう事だ。


ここに緑を合わせたのは欲望を刺激する為だ。
補色による欲望の喚起だ。
それは子供が持つプレゼントに対しての欲望だ。
それは恋人同士のセックスへの欲望だ。
それは言い替えれば愛の欲望だ。
クリスマスカラーを選定した人間はノーベル賞を受賞しても良いと思う。
この色のお陰でどれだけ経済的な発展を生んで、
どれだけ人口が増加させた事か。
それは言い替えれば愛の欲望だ。



さて、全ての色には補色がある。
代表的なのは……ここでいう代表とは
カラーコーディネーターや
ファッションスタイリスト、
或はインテリアコーディネーターや
メイクアップアーティストの資格試験での
勉強で教わるという意味での代表だ。
それは赤と緑、
そして青と黄色だ。


欲望の赤と緑に対して、
黄色と青は活発で清涼的だと言われている。
思い出してくれ、スポーツウェアーではよく
青と黄色が使われている。
ベテラン的だったり風格を表す黒のスポーツウェアーもあるが、
活発な青と黄色のスポーツウェアーは良いものだ。
特にそう言った明るい色のスポーツウェアーを着た……
それもタイトでボディラインに
密着した様な物を着用した女性は素晴らしい……と
この話しはあまりにも本題、
つまり今の俺の境遇と離れ過ぎてしまうので
割愛しよう。


兎に角、未だに俺は
緑のラシャに補色の赤いサイコロを投擲し続けている。


ああ、また負けた。
さっきも言った通り負けで失った金を取り戻したい訳じゃない。
たぶん負けが気に食わないんだ。金の問題じゃない。
負けと言う事実が気に食わないんだ。
だから勝負を続けている。
続けている限り、
いつか納得のいく勝ちを手に入れる事が出来るかもしれないだろう?
もちろん延々とクラップスを続けられる訳じゃない。
これも金の問題じゃない。
今のカジノではクレジットカードでコインを買う事が出来る。
時間の問題だ。カジノに閉店時間はない。
だがディーラーには就業時間があるし、
それ以前に休憩時間や持ち場の交代がある。
勝ちをこのディーラーからもぎ取りたい。
そんな事が負け続けていても諦めきれない。


始めは勝負を諦めなかった。
やがて諦められなくなった。
そして今、勝つ事が諦めきれなくなった。
この3つはそれぞれ違う。似ているが違うんだ。
「諦めない」と「諦められない」と「諦めきれない」は違う。



また負けた。
ディーラーを見る。笑っている……様な顔をしている。
周りを見る。夜が更けて客の数は更に少なくなっている。
先程まで俺の隣りに居て、
今はスロットの前に座っている林檎の匂いの彼女を見る。
彼女もまた負けてる様だった。
くやしそうにしている。そんな顔さえ魅力的に見えた。
いけない。駄目だ。
今はこのディーラーとの勝負に集中しなくては。



1回目の投擲を終えて
2回目の投擲を行う。
赤い立方体が緑の平面の上で転がる。
5と2。合計7。俺の負け。
俺は自分が勝つ事にコインを賭けている。
つまり、俺の負け。負けて、負けた。


思わず溜め息がでた。
「負けが込んでいますね」
そういったのは目の前に居て
笑っている……様に見える顔のディーラーだ。
「ああ、どうも駄目だね」口がそう動いた。


「ここで流れを変えるのも良いかもしれませんね」
ディーラーがそう言って笑顔になった。
やっぱり先程までの顔は笑っていた訳ではない様だ。
勝負の予想は外れたが、人間観察の予想は当ったらしい。
「それは良いかもしれないね。でもどうやって流れを変えるんだい?」
「一般的なのは一呼吸置くという物だと思います」
「なるほど。バーでいっぱいカクテルを飲んでくるのもいいかもしれないね」
「はい、それも素敵ですが、少し私とお話しませんか?」
「いいね。でも君が怒られないかい?」
「ご心配をありがとうございます。
 このカジノには全てを取り仕切るマネージャーが居ます。
 その上にはホテルのオーナーや役員が居るのですが、
 彼の下には2人のチーフマネージャーがいます。
 その下に6人のフロアマネージャーがいます」
「うん、下に行く程実際の業務に関わるから
 人数が多くなるんだね」
「はい。そしてフロアマネージャーが
 実際にこのカジノフロアを取り仕切っています。
 それで今日のフロアマネージャー……
 あそこでこちらを見ている背の高い彼です」
そういってディーラーがフロアの遠く、
全体を見回せるだろう角の方を指さした。
彼の言う通りにそこには背の高い男が居た。
赤いブレザーを羽織っている。
顔は笑顔だ。男が俺の視線に気がつく。
男は一瞬手を上げた後、顔を下げて会釈をした。
「彼はお客様とのコミュニケーションを重視しているんです」
「なるほど。君と会話をすれば俺の運気も上昇するかもしれないし、
 君の勤務態度の点数も上がる訳だね」
「お厳しいですね。いや実際にそうなのですが」
彼が笑った。


「で、何を話そうか?
 今日の天気?ここの銘物?今日食べた食事?
 景気の事?仕事の事?最近見た映画の事?」
「そうですね、それらも面白いと思うのですが、
 ここは人間関係の自論などはいかがでしょうか?」
「自論?君のかい?」
「はい。恐縮なのですが」
彼が人差し指で自分のこめかみを掻いた。
照れているのだろうか。
「いいね。人間関係と言っても色々あるよ。
 家族。恋人。夫婦。友達。どれについての持論なんだい」
「そうですね、全てでしょうか?」
「すべて?」「ええ全て」
大きくでたな、と思う。


「私は人間関係。えっと、コミュニケーションと云う奴でしょうか、
 それをサイコロの様な物だと思っているんです」
「サイコロ?カジノのディーラーらしい考えだね。
 でも具体的にはどういった事だい?」
「正確にはサイコロを使ったゲームかもしれません」
「どんなゲーム?」
「そうですね、少し実践してみましょう。
 お客様は1から6までの数字の中から、
 1つだけ好きな数字を心に思い浮かべて下さい」
「オーケー、思い浮かべるだけでいいんだね?」
「ええ」「したよ」
「では私がサイコロを振ります」
いつの間にか彼の手にはサイコロが1つ握られていた。
だが俺がこのテーブルで振っていた赤い物とは違い、
透き通った青い色をしている。
なるほど、クラップスのテーブルでクラップス用のサイコロを振る事が
許されているのは客だけだという事だろうか。
或は他の客への配慮かも知れない。
通常、クラップスで彼がサイコロを投擲する事はないのだから。


彼が透き通った青いサイコロを振る。
3が出た。
「3、ですね。お客様が思い浮かべた数字は?」
「5、だ」「残念です。コミュニケーションは不成立に終わりました」
「なるほど」彼の言わんとしている事が少し判った。
「投企は構造主義により敗北したんだがな……」
思っていた事が小さく声でつい口に出た。
ディーラーが慌てた顔をして顔の前で手を横に振った。
サルトルですか。でも違うんです。
 もっと小さな物なんです。まさしくゲームの様な」
「小さいゲーム?」
「はい。自分自身を状況に進んで投げ出して行くという事を
 言いたいのではないのです。
 奥様や恋人にデートの時に今日何を食べたいか
 お聞きになった経験があると思うのですが、その様な物です」
少しだけ過去を思い出す。
それで彼の言わんとしている事が判った。
「大抵は何でも良いという返事がくる。
 でも大抵は男が選んだ店に不服を言い渡す?」
「ええ、はい、まさに」彼の顔が安心した様に崩れた笑顔になった。


彼は持論の説明を続ける。
「選んだ店が私が振ったサイコロ。
 彼女が心の底で本当に行きたかった店が
 お客様が選んだ数字です」
「答えが判らぬまま、こちらから行動するわけだね。
 それはわかるよ、でもサイコロというのが分らない。
 店は自分で考えて選ぶけど、サイコロはランダムだよね」
「ええ、ランダムです。そして思考は自分で選択する物です。
 ですが、私は思うのです。 
 こちらが考えて出した答えを相手がどう取るかなんて分らないと。
 それも答え合わせ以前の問題としてです」
「本気で好きだと言ったのに、冗談だと取られたり?」
「はい、まさに」「確かにそうだ」
「こちらが同じ言葉を同じ気持ちで言っても、
 相手のその日の気分や体調により
 言葉の捉え方は変化するかもしれません。
 だからどうしたって我々のコミュニケーションには
 どうしようもないランダム性というものが付き纏うと思うんです」
「だからサイコロと云う訳だね」
「はい、捉え方と答えは相手委せですが、
 相手に対してサイコロを振る事は出来ます。更に……」


彼が言葉を区切った。
「更に?なんだい?」俺は彼に次の言葉を催促する。
「あ、いえ、あの」「どうしたんだい?」
「次はお客様がコミュニケーションのサイコロを振ってみませんか?」
「誰に対して?」
「40分程前に、お客様の隣りに座っていた女性のお客様に対してです」
「え?」自分でも随分とまぬけな声が出た物だと思う。
「確かに彼女は素敵だけど、クリスマスにナンパなんて。
 しかも、いや……」
「お気づきでは無い様ですが、
 先程から何回も彼女があなたの事を見ています」
「え」また間抜けな声が出た。しかもさっきよりも酷い。
「本当に」
「はい。更に言いますと、
 お客様がこのテーブルに着席する前にも
 あのお客様はこちらのテーブルに着いていたのですが、
 数回ゲームをした後に席を離れられました。
 その後、あなたがここにやって来てゲームを初めて、
 それを見た彼女がお客様の隣りにお座りになられたのです。
 彼女はお客様に何かを感じたのかも知れません」
「……」少しばかりの妄想と期待が胸の中で膨らんだ。
「でも、そうだとしても、どう声をかける?
 それを彼女がどう捉えるか想像しただけで恐ろしい……」
そこまで言いかけて口から息が漏れた。自分の笑い声だ。
「だからサイコロだっていうのかい?」
「はい」ディーラーも笑った。


「もう一度、先程のゲームをしましょう。
 でもルールを1つ付け加えさせてください」
「いいよ」なんだかこのたとえ話が面白くなって来ていた。
だからクラップスで負け込んでいた事など忘れていた。
「私がお客様が思い浮かべる数字に関して質問しますので、
 正直に答えて頂きたいのです」
「オーケーオーケー。いいよもう思い浮かべた」
今頭の中にある数字は「2」だ。


「では質問します。その数字は偶数ですか?」
「イエス」この時点で答えは2か4か6に絞られた。
「3で割る事ができますか?」
「ノーだ」
「では次に……」。
「待ってくれ、この時点で正解を当てる確率は1/2だ。
 質問し過ぎじゃないか?」
「確かにそうですね。答えは2か4です。
 ではサイコロを振ります」
そう、確かに答えはそうだ。
だが彼が回答として使うのはサイコロだ。
2か4。正解だと思う方を狙って振ってもそれが出るとは限らない。
彼の例えで言うのなら、
「こちらが考えて出した答えを相手がどう取るかなんて分らない」だ。
それこそ2を出しても、相手には6に見えるかも知れない。
これこそがこの話しの重要な点だろう。
つまりコミュニケーションのランダム性だ。


そんな事を思いながら緑のテーブルに転がるサイコロを見た。
コロコロ回る。止まる。2が出ていた。驚いた。
「驚いたよ。正解だ。答えは2だ」
「これでお客様とのコミュニケーションは成立しました」
彼がさら笑顔になった。


「……」そこで何かに気がついた。
無駄に年を取る物じゃないなと思う。
たまにはそれ、主に失敗の積み重ねも役に立つ事がある。
「なぁ」「はい」
「今度は6を思い浮かべた」「……」
「さぁ、サイコロを振ってくれ」「……」
先程までの笑顔とは打って変わって、
無言のディーラーが賽を振る。
滑らかなラシャの上を青く四角い物体が転がる。
そして止まる。出た数字は6。


「さすがプロだね」「お褒め頂きありがとうございます」
「でも、君の言いたい事がわかったよ」「さようですか」
「質問したり動作を見たりして相手の心を考えれば、
 頭の中にある数字を少しは推測する事が出来る可能性はある。
 ……可能性だけどね。
 そしてサイコロの出目も……君みたいに上手くは出来ないだろうけど、
 コントロール出来る可能性がある。
 だからそこにはコミュニケーションが生まれる可能性がある。 
 ほんと、人の心なんて分らないから、あくまでも可能性だけどね。
 そしてサイコロを振らなくては可能性すら無くなってしまう」
「……はい」
「負けには慣れている。
 だからと言って負けたショックが少なくなる訳ではない。
 でもショックは何れ消える事を、或は想い出に変る事を知っている。
 もちろん勝利するのが望ましいけど、
 敗北の痛い想い出でも、何もないより遥かにマシだと思う」
「……」


「いいゲームだったよ」「ありがとうございます」
「抽象的過ぎるけどね」俺は彼に頬笑みかけた。
「はい」彼は少し申し訳なさそうに笑った。



「3分くれ」
そして50分程前までは俺の隣りに居た
林檎の匂いの彼女の事を思い出す。
彼女の動作を表情を、言葉を。
現在のスロットの前に座っている彼女の事を見る。
ああ、失礼にならない程度に、だけど。
彼女の心にある数字は幾つか、
そしてその数字をどうやったらサイコロで出せるか。
3分が経過した。



俺は椅子から立ちあがった。
「では行って来るよ」「幸運を」
「ところで……」「はい?」
彼は不思議そうな顔をする。
「君は寂しそうな男女をくっ付けるのが趣味なのかい?」
「……実はフロアマネージャーと賭けを」
カップルを作る?」
「ええ、カップルになればこのカジノは2人に取っての
 想い出の場所になります。
 ご結婚された際には是非ハネムーンでお越し下さい。
 失敗した場合、ヤケになった男性は
 更なる金額をカジノへとつぎ込んで頂けます。
 どちらにせよ我々の勝ちです」
「結局最後はカジノが勝つのか。
 他のゲームと同じだね。
 君のコミュニケーションゲームの例えだと、
 カジノは"社会"、それか"経済"になるのか?」
「そうかもしれません」
そう呟いた彼は、
俺が負けを取り戻そうと必死になっていた時に
浮かべていた表情をしている。
つまり俺が笑っている……様なと感じた顔だ。
訂正だ、間違いない。こいつは笑ってやがる。
まったく……。


「で、君はどっちに賭けたんだい?
 俺のサイコロが当るのか外れるのか」
「もちろん当る方です」彼が小さくウィンクをした。
「オーケー。
 上手く行ったらピアジェというカクテルをごちそうするよ」


不思議そうな顔をしている彼を背に、
俺は彼女の方に向かって歩き出す。
彼女がプレイしているスロットが点滅している。
どうやら彼女は僅かばかりの当たりを引いたらしい。


ピアジェは赤と緑色のカクテルだ。
それは欲望を喚起させる色だ。
言い換えればそれは愛だ。



クリスマスという日へようこそ。
今日は幸福の日であり、過酷な日でもある。
そう、つまり今日は二つの異なる顔を持つという訳だ。











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