【短編小説】割とありふれたどこにでもいる平凡な彼女

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【まえがき】
この部分は小説とは関係の無い前書きです。
ですので読み飛ばして頂いても支障はありません。


日頃から当ブログ【インヴィジルブ ポエム クラブ】をご観覧してくださいましてありがとうございます。そして最近は更新もめっきり減ってしまい申し訳ありません。更新が遅れている理由は最近長編小説を書いているからです。以前、お題を元に10分で小説を書くと言う競技性の高いサイトでSF恋愛就職生活職場小説(つまり日常小説ですね・笑)「潔癖な惑星」というお話を書いたのですが、書いている途中で盛大なプロットが出来上がってしまいその初めと終わりだけを上記のサイトには書きました(そうしないと10分で小説が完成しないので)。このままではもったいないとプロットに沿った小説を書こうと思ったのが更新停滞の始まりです(笑)「潔癖な惑星」は1000文字程度の小説でしたが現在の段階で12万文字ほどになっています。これで6割り7割り程の完成度です。完成した際には18万文字程度になるのではないかと思っています。元が1000文字ですから180倍ですね。実はそれでも第一幕のみで「潔癖な惑星」は三幕構成を予想しています。ですが第一幕が書き終わった所でいったんその筆を置きたいと思います。理由は第一幕でもお話が終わる事と、その他に書きたい小説が在るからです。「潔癖な惑星」は第一幕が書き終わった段階で、毎週掲載という形で少ずつ当ブログに載せていく予定です。


「潔癖な惑星」の他に書きたい小説は「クラウドヘッド」や「All That Fake/オールザットフェイク」(オールザットフェイクはこのブログのカウンターを一番回すコンテンツとなっています。ちゃんとを続きを書きますのでお待ち頂ければ幸いです。因に最下位は「詩」です・笑)。ホラー?サスペンス?(この辺りは音楽と同じ様にジャンル分けが難しいですね。無意味とも言いますけれど)である「日記」の2と3(日記はその3で終わります)「牛」「奇数」「4927820481201」「写真」「夜の鍵音」。他にも「クラウドヘッド」や「All That Fake/オールザットフェイク」の流れを汲む「死と私と史と本」「i see the moon(and the moon sees me)/僕は月を眺める(時、月は僕を見ている)或は【異物】」。SFである「笑えない程冷たく、歌えない程残酷」「眠れない程速く、笑えない程冷酷」などです。それにコンテクスト付きの組曲もすでに完成しています(こちらは新しいホームページの公開と共にドロップ予定ですが、そのHPがなかなか完成しない・笑)。在り過ぎですね(笑)とりあえず「クラウドヘッド」や「All That Fake/オールザットフェイク」、「日記」シリーズを重点的に更新しますので、読んで頂ければ幸いです。それと誤字脱字が多くてごめんなさい(笑)これでも更新前には何回も読み直しますし、気がついたら直す様にしているんです……。


さて今回の更新である「割とありふれたどこにでもいる平凡な彼女」は日頃【インヴィジルブ ポエム クラブ】をご観覧頂いている皆様に感謝を捧げる為に書きました(内容がそういう物であると言う事ではないです)。それもここをRSSに登録(これ、僕は未だに仕組みがわかりません)やブックマークに登録していただき観覧して頂いている方への感謝です(それ以外の方に感謝していないという意味ではありません、念のため。お手数御掛けしてすいませんという意味です。)。【インヴィジルブ ポエム クラブ】は更新を自分のtwitte(https://twitter.com/torasang001)でお知らせしているので、そうすると飛躍的(と言ってもウェブ全体との比較ではなくて、あくまでもこのブログ内での比較です。このブログ内では飛躍的だという意味です)にカウンターが回るんです。ところがtwitterで更新をお知らせしなくてもこちらを更新するだけでも何人かの方は小説をお読みになってくれている様なのです。(その中で顔が見える読者の方は10人くらいですかね(その中の5人位は比喩ではなくて実際に顔を知っている))その方達、つまりもうハッキリいって数寄者ですけれど(ご存知の通り「数寄」は「好き」の語源であり、始めは茶道と能などの舞を、次には文学をさす様になりました)そういった雅な方、あるいは僕に(の小説に)好意を持って下さっている方々の為に更新しました。長編がいつ書き終わるかわからないので(笑)ですのでこちらの更新は直ぐさまその情報をtwitterでお知らせすると言う事はありません。最速でしても一週間は先ですかね。なんというか適切な言葉を知りませんけど先行公開の様な形でしょうか。こんな事を書きつつも【インヴィジルブ ポエム クラブ】はネットの片隅の片隅で行われる小説と詩の掲載ページであるので見てくれているかたはごく少数ですが、数に関係なく読んでくれている方には感謝しています。


今回のお話は、
僕(言うまでもなくこれは主人公の事です。作者である俺の事ではないです。当たり前ですけれど念のため・笑)と過去の彼女と友達と今の彼女とtwitterの彼女のお話です。


それではどうぞよろしければ
「割とありふれたどこにでもいる平凡な彼女」をお楽しみ下さい。
【まえかぎ、ここまで】







「割とありふれた
 どこにでもいる平凡な彼女」



26歳になった僕と
それまでの僕とを比べて変った所と言えば、
人に優しくする人の大半が
優しいのではなくて寂しいだけなんだと
気がついた事くらいだった。


でもそこから人間関係の何かが生まれれば
それはそれで良い事だよなと思った。
だから僕は5秒後にはそんな事実を受け入れてあげた。


思えば僕はそうやって様々な問題を受け入れて来た。
サンタクロースが実在しない事や、
中東問題の複雑性。
正義のヒーローは玩具メーカーに雇われている事や
女性器のグロテスクさと臭いなどがそれだ。


26歳になった僕は
フィアットの黄色いバルケッタで春の八幡通りを流している。
窓の外には代官山アドレスが青い空へと背筋を伸ばしているのが見えた。
代官山アドレスは商業施設とオフィスそして居住区が併設された建物で、
この辺りでは唯一の高層マンションだ。


代官山アドレス全体の基本的な設計を担当したのは
ロバート・ザイオンというアメリカ人だ。
彼はハーバード大学ヘルシンキ大学で
客員教授まで勤めた造園家兼ランドスケープアーキテクトだ。
ランドスケープアーキテクト』という聞き慣れない複雑な横文字を
日本語に直すと『風景設計士』になる。
彼はニューヨーク近代美術館通称MoMAの中庭や
IBM本社のワールドヘッドクウォーターアトリウム、
そして何よりニューヨークに鎮座されまつる
自由の女神の御所、リバティ島を設計した事で知られている。
代官山アドレスも自然の緑と風を感じる設計がなされている。
僕は彼のデザインが大好きだった。



そんな僕のお気に入りのこの場所を、
何年か前には何年か前の彼女との
デートの舞台に、良く選んだ物だ。
代官山アドレスにある商業施設「ディセ」は彼女のお気に入りだった。
中でもアデュートリステスというブティックを彼女は好いていた。
アデュートリステスはリネンやコットンという
柔軟な自然素材を使った洋服を作って売っている。
白すぎない白いゆったりとしたスカートや、
柔らかい色の柔らかいカーディガンなどだ。


何年か前の彼女はナチュラルな服装が好きな女の子で
アデュートリステスの洋服を軽やかに上品に着こなしていた。
いつも清潔で、カフェに入れば
必ずミルクたっぷりのカフェオレを注文する。
彼女は早くおばあちゃんになりたいと思っていて、
若い時期も30代も中年も吹っ飛ばして老化すれば
女性としての全ての重い重い苦労と苦悩と制約から
解放されると思っている、
とても可愛い何処にでも居る
ありふれた傷ついた平凡な女の子だった。


筋力の無い子で階段を上がるのも辛そうにしていた。
だから僕は彼女と居るときは出来る限り
エレベーターやエスカーレーターを使う様にしていた。
どうしても階段を使う時には
僕は彼女の手を普段よりしっかりと握りしめた。
彼女が転びそうになる度に彼女の体を支える。
その度に彼女は目にかかる前髪を横に掻き上げて、
僕の事を観て小さく笑った。


アデュートリステスはフランス語で
 『Adieu Tristesse』と書くんだけど、
 これはフランスの女性作家サガン
 『悲しみよ、こんにちは』のオマージュだよね。
 『悲しみよ、こんにちは』の原題は
 『Bonjour Tristesse』で
 ボンジュールはこんにちは、
 トリステッセは悲しみという意味なんだ。
 それで、一方『Adieu Tristesse』のアデューはさようならだから
 アデュートスセテッセは『悲しみよ、さようなら』になるね。


 実は両方ともフランス人でシュールレリズムの詩人、
 エリュアール作の『繊細に顔をゆがめた女』という
 詩に繰り返し出てくる言葉なんだけどね。
 一行目が悲しみよさようなら。
 二行目が悲しみよこんにちは


こんなどうでもいい下らない話しをしながら
彼女とはディセにあるイタリンレストランの
クオーレディローマでよくランチを採ったものだ。
僕のお気に入りは仔鹿とキノコのフェットチーネ
彼女のお気に入りは酸味の利いたトマトが
たっぷりと入ったアマトリチャーナだった。
アマトリチャーナはトマトとチーズを使った
パスタの一種だ。


天気のいい日はテラス席で陽を浴びながら食事をした。
『Cuore di ROMA』はローマの心という意味だ。
店内ではとても小さな注意しなくては聴き取れない様な
音量でレスピーギ作曲の『ローマの松』が
食事中のBGMとして流されていた。


食事量の多く無い彼女は、
それなのに僕の食べている
仔鹿とキノコのフェットチーネを物欲しそうに見ている。
だから僕は「シェアしようか」と頬笑んでから
小皿に自分のフィットチーネを取り分けてやる。
彼女はうんとだけ言って小さく笑う。
結局彼女は自分のアマトリチャーナを残すから、
僕が平らげたやる。それを彼女が嬉しそうに眺めている。


時には「ディセ」の一階にあるベーカリー
「代官山シェ・リュイ」で菓子パンやサンドウィッチを買った。
それから円山町までバスか電車で移動して
ホテルでセックスをしてから、
ソファに投げっぱなしのそれらを袋から出して食べた。
彼女は色々な種類を少しずつ食べるのが大好きで、
小さく千切ったパンを両手で持って小さな口で食べた。


彼女とのセックスの定番は決まっていた。
彼女が僕の指と舌とペニスで何回か絶頂してから、
僕がコンドームの中に射精する。
暫く2人で横になって、
彼女の髪の毛を僕の指が解かした後に
彼女が僕のペニスを小さな口に頬張る。
僕は彼女の口の中に精液を吐き出して
彼女はそれを胃へと飲む込む。
その後で彼女は僕の精子
一滴も零すまいとする様にペニスを強く吸い上げる。
そして僕は再び彼女の髪の毛を解かす。
指に髪の毛が絡み付かない様に、
彼女に痛みがない様に気を使いながら。
暫くするとどちらかが恥ずかしそうにして
お腹が空いたねと言う。


僕のペニスを頬張って、
精液を飲込んだ口のままで
口もすすがずにパンを食べる彼女を見て
僕は一度「気持ち悪く無いの?」と訊いた事がある。
彼女はなんで?と不思議そうな表情を
顔に浮かべているだけだった。
だから僕は彼女の唇に愛のキスをした。
ごはんの途中だよと笑う彼女を見て
僕も笑った。
彼女からパンを取り上げて、
もう一度、二度、三度とキスの雨を降らせた。


「もう無理だよ」
寂しそうに笑う彼女のこの言葉で
結局、僕は振られてしまった。2人の関係は終わった。
ラブ・イズ・オーヴァー。
悲しいけれど終わりにしよう、きりがないから。
たしかそんな古い歌があったなと思い出した僕は、
なるほどなかなかの名曲じゃないかとその時に思った。
あれからもう何年も経った。
26歳になった僕はもう彼女の事を思い出さない。
覚えているのは彼女の肉体と
素肌の温もりと彼女の中と口内の体温の事だけで、
意図的に思い出して自慰行為にふける程度だ。



僕は別れを受け入れて、
気がついたら
エリュアールの『繊細に顔をゆがめた女』を
空で言える様になっている自分も受け入れた。
窓の外では代官山アドレス
青い空へと背筋を伸ばしていた。


  悲しみよ さようなら
  悲しみよ こんにちは


  お前は天井の中に
  お前は愛する人の瞳の中に
  お前は悲惨さを持っていない
  貧者であってもお前の名を呼ぶとき
  その人は頬笑みを持ち寄り


  悲しみよ こんにちは
  愛おしい肉体から生まれる愛
  力強い愛
  愛からは優しさが溢れ増す
  目に見えない怪物の様に
 

  失望した表情
  悲しくも美しい君の顔


止まっていた
車列が動きだす。
僕は車のシフトレバーを動かしてから
アクセルを力強く踏み込んだ。



それから僕は八幡通りの直ぐ先に在る
ショッピングモール「ラ・フェンテ代官山」内の
「XEX Daikanyama」へと向かう。
友達と会う為にだ。


この辺りにある店や建物の名称には
大抵「代官山」が付いている。
いやそれにしても付きすぎるだろうと僕は何時も思う。
代官山の正式名称は代官山町
この名称は江戸の時代にはすでに存在していた。
代官屋敷が在ったからとも
お代官さま所有の山があったらとも言われてるが
実は正式な由来は誰も知らない。
ただ「代官」という言葉の響きと意味を
ここに暮らす人々が気に入っているのは間違いないだろう。
代官山の土地の大半を締めるのは店舗でもなければオフィスでもない。
この場所に最も多く存在するのは、
人々が住み日々を暮らす一般住宅だ。
そんな代官山の周囲を囲むのが、恵比寿や渋谷や目黒だ。
一等地に囲まれた一等地の住宅街。
それが代官山だ。


つまり「代官山」という地名は1つのブランドに成っている訳だ。
建物や店舗の名称に土地の名前が付けられる事は良く在る事だ。
代官山はきっと渋谷よりも目黒よりも霞ヶ関よりもそれが多い。
銀座には負けるだろうけど。


八幡通りをバルケットで直進していると
駐車場への入り口が見えた。
駐車場ゲートを潜り車を止めて
助手席から彼女がプレゼントしてくれた
レザーのジャケットを取って袖を通す。
春はまだ寒かった。


僕の目的を正確に言うと
ラ・フェンテ代官山内のXEX Daikanyama、
そらにその内部にある「The Bar」だ。
ラ・フェンテ代官山を地下からエレベーターで三階まで昇る。
三階の全てがXEX Daikanyamaという名称の
飲食店のフロアーになっている。
寿司屋やイタリアンレストランに並んで目的地のBarがある。


店に入るとキュートとしか表現出来ない様な
清潔なウェーター君がいらっしゃいませと言った後に
こちらの人数を尋ねてくる。
僕は「待ち合わせで。後でもう1人来るんだ」と言った。
既に友人が到着していないかを確認しなかったのは、
あいつが約束の時間通りに
待ち合わせの場所に来た事が無かったからだ。
するとウェーター君は頬笑んではあちらの席はどうですか?
外になるのですが、今日は気持ちが良いと思いますと言って
視線を外のテラス席へと向けた。


今日は珍しく外の席が空いている。
いつもはそこから満席になるって言うのに。
僕は「では、そこにするよ」とウェーター君に頬笑む。
彼は頷いて僕を席へと先導する。
僕は待ち人は女性じゃないんだごめんね。
でも君はゲイ君だから男同士で洒落た所で洒落たもんを食べても
嫌な顔1つもしないだろう?と心の中でウェーター君に謝罪した。


この店にはテラス席が在る。
ラ・フェンテ代官山は三階建てで、
The Barは三階にある。
つまりテラス席は屋上席とも言える訳だ。


テラスには浅いプールの様な人工的な小川が作られていて、
岩で出来た壁や緑の樹々が多く植えられている。
ちょっとした清潔な人工庭園だ。
ウェーター君は小川沿いの木製の椅子とテーブルに僕を案内した。
人工の小川が代官山の春の太陽を照らしている。
風はほんの少しだけ冷たい。
僕はレザージャケットを着て正解だったと自分を褒める。
それから僕はウェーター君に
「車で来たから、ノンアルコールのカクテルを。
 あまり甘く無い奴ならなんでも良い。
 待ち人が到着するまでそれで粘るよ」と言う。
キュートなウェーター君はかしこまりましたと言った。
彼はメニューを1つだけテーブルに置いて
店内へと戻って行った。
恋人と何を食べようかと考える時間は楽しいですよね。
という彼のメッセージだと思われる
メニューを一瞥してからテーブルの端におく。


屋上席の客は疎らだ。
店内で食事をしている客の方が多い。
まったくみんな今は春なんだよ?と思ったのだが、
春を愛する人もいれば、
春を恐れる人もいるよなと思った僕は
他人を責める事をやめにした。
室内には何時もの様に
グランドピアノが置かれて居た。
夜はピアニストによるJazzが聴けるのがここの売りだ。


少し前に今の彼女と夜、ここを利用した事がある。
店を選んだのは彼女だ。
2人で飲んで食べて笑った。
ピアニストが奏でる音楽なんてろくに聴いてはいなかった。
彼女の自宅への帰り道。
途中、彼女があまりにも不安そうな顔をしていたので、
僕は何か彼女の悲しみを打ち抜いてしまったのかと思った。
僕が素直に不安の理由を聴くと
彼女は幸せ過ぎて罪悪感があるのと言った。
僕はまたかと思った。
今までの彼女達はみんな僕と付き合っている間
最低でも一回は同じ様な表情を見せてこの言葉を言うのだ。
彼女もそんなどこにでもいる平凡な女性だった。


僕が26年間の人生の中で女性について学んだ事は
自分が幸せになってはいけないと、
意識的にせよ無意識的せよ思っている女性が
結構な割合で居ると言う事だ。
幸せを目の前にして壊す行動をして、
本命の男からは逃げて
自分を仕方のない人間と諦めて、
定めとか運命と言う言葉で誤摩化して、
無理矢理自分の人生に納得して人前では明るく生きる。
そういう彼女達は自分に幸せが訪れると
恐怖や罪悪感や嫌悪感を自分に感じてしまう。
原因が彼女達が育って行く中で行われた
父親や母親から受けた冷たい仕打ちなのか、
冷たい夫婦仲を見せつけられたからなのか
身勝手な父親を見たからなのか、
溜め息ばかりでいつも怒っている母親を見たからなのか
彼女達が成長して行く中で行われた
男達による精神的肉体的、
意識的無意識的、程度の軽重を含む
他人、家族、恋人、友達による
レイプによってなのかは僕には判らない。


ただ僕は彼女達は呪いに掛かっている様な物だと思っている。
自分が幸せにはなってはいけないという呪いだ。
だから僕には王子様を待つ女性や
強引で野蛮な男が好きな女性の気持ちが理解出来た。
物語の中で呪いを解くのは大抵、
優しく美しい白馬の王子様か勇ましくて端整な勇者だ。


26年間生きて来た僕はそういう事を学んだけど、
彼女達がその表情と言葉を浮かべた時に
どうしてやればいいのかを未だに知らない。
だから僕は彼女に小さくキスをして、
抱きしめて彼女の顔を僕の胸に埋めさせた。



3分もしないうちに
ウェーター君がノンアルコールのカクテルを持って来た。
オレンジに光り輝いているグラスを木製のテーブルに置く。
春の陽がグラスを通してテーブルの表面に
緩やかに柔らかく揺れる影を作っていた。
オレンジブリットですと彼は言った。
初めて聴いた名前だったので、
僕は
「シルヴァーブリットというジンベースのカクテルがあるけど
 それと関係があるのかな?」と訊く。
するとウェーター君は滑らかな口調で、
はい、シルヴァーブリットのジンとキュンメルリキュールを、
ジェニバーベリーとキュンメルを付けたシロップに変更して、
100パーセントのグレイプフルーツジュースと
合わせて細かい氷とシェイクしたのものですと言った。


僕はオレンジブリットを一口喉に流し込む。
冷たさが喉頭を滑り落ちる。
甘さと酸味の戦いは僅かに酸味が勝つ。
絶妙なバランス。
僕はウェーター君に味に満足した事を告げる。
彼はキュートな顔で僕が作ったんです。
ご満足頂けて幸いですと言った後、
ごゆっくりどうぞと店内へ消えた。


胸をくすぐるヴァイヴレーション。
スマートフォンにメールが届いた合図だ。
僕は内ポケットからスマートフォンを取り出して
ロックを解除する。メールを見る。
彼女からだ。
今日は残業の予定だったけれど、定時で退社出来そうだと言う。
だから早く迎えに来てね。
それからあなたの誕生日を祝おうよとメールには書いてある。
僕は彼女にOKわかったありがとう大好きだよと返事を書いた後、
twitterの画面を呼び出す。
僕は画面を見て喜ぶ。
ちょうどあの子が一言二言言葉を呟いている所だった。
何時ものあの子が。


僕はtwitterでしか面識がない
つまり一度も現実世界ではあった事の無い
この彼女にぞっこんに惚れてしまっていた。
自分のアイコンを何処かの美術館で
自ら撮影したというジャコメッティの彫刻にしている彼女に。
もちろん、僕が実社会で付き合っている彼女と、
このtwitterの彼女は別人だ。
twitterの彼女は柔らかな魅力を持っていた。
柔らかくて安心出来る様な魅力だ。
だから僕は心だけで言えば
完璧に浮気している。
でも肉体的には
twitterの彼女とは一度も顔を合わせた事が事が無いのだから
浮気も何もしていないという事になる。
それが何か皮肉なおとぎ話の様に見えて僕は一人笑う。


僕はtwitterでしか知らない彼女が好きだった。
だからtwitterでの彼女を全部知りたかった。
彼女のつぶやきは全部読んで、
彼女と、彼女と会話して居る他の人間のプロファイリングも行った。
男なのか女なのか、彼女とは実際の面識があるのかないのか、
彼女は何を知ってるのかいないのか。
彼女の何を知っているのかいないのか。


ある時これは所謂ネットストーカーを言う奴だろうと
僕は気がついた。
あるいは最近twitterで見かける言葉だと
ツンデレとかヤンデレとか言うあれだろうか。
ユングの流れを継ぐ精神分析医の斎藤環
オタクとそれ以外の人間の境界線は
アニメ絵を材料としてマスターベーション
出来るかどうかだと書いているのを読んだ事が在る。
彼の見解と自分を照らし合わせると、
僕はアニメやマンガで自慰行為をした事が無いので
オタクではないということになる。
ツンデレとかヤンデレはオタクと言うコンテキストの下に
語られる物であるのだろうから、
僕にはツンデレヤンデレの意味が判らない。
でもきっと僕はその類いだ。


僕はなんとかtwitterの彼女と接点を持ちたくて
彼女はどういった趣味をもっているのか知る為に
彼女の指から漏れ出るつぶやきに目を傾けた。
彼女は僕より2つ年下の24歳で活発な女の子で、
趣味が色々あって、
都内で事務職をしている事が分った。
直接的に書かれていた訳じゃないけど、
どうやら大手銀行のグループ会社に勤めていて
そこでグループ全体のデータ管理や分析を行っているらしい。


彼女の家族の事も分った。
彼女は一人っ子でそんな彼女を生んだ両親は
離婚こそしていないけれど仲が悪い。
彼女のお父さんは浮気をしてお母さんを泣かせて
彼女に対しても無神経な人だという事。
彼女はそんなお父さんの事が嫌いで死ねば良いと思っている事。
でも本当はお父さんに愛されたいと願っている事も分った。
お母さんの事は愛していて、
愛していると言葉にもしているけれど、
泣いてばかりのお母さんの事が嫌いで
お父さんを浮気に走らせた事を恨んでいる事も分った。
自分は母の様にはならないと思っている事や、
そんな両親の事を見て育ったから、
結婚という行為に怯えている事も分った。


趣味に関しては彼女が
Jazzという音楽が好きなのだという事も分った。
僕はJazzを真剣に聴いた事が無い。
映画のBGMとして聴いたり、
レストレランやBarでミュージシャンの演奏を
会話のBGMとして聴く程度だ。
痩せた黒人がスーツを着て演奏している音楽という事は知っている。
彼らのスーツの素晴らしい着こなしを写真で見て
惚れ惚れとした経験もある。
だけど僕はJazzを本当の意味では聴いた事がなかった。
お洒落な音楽なのだろうという事は予想出来た。


彼女がJazzを好んでいると知った時、
僕は車の中に居た。
今現在ラ・フェンテ代官山の地下に停まっているバルケッタを運転していた。
Jazzと言っても誰のCDを聴けば良いのか判らない僕は
カーラジオのスイッチを入れた。
FMラジオならばジャズの1つや2つは流しているだろうと思ったからだ。
ところが東京や横浜からこの車へ流れるFMからは
クラブ音楽やJポップしか聴こえて来ない。
Jazzは、どうしたのだ。


お洒落なJazzはどうしたのだろうか?
数十分聴き続けていても、
僕の耳に響くのは車が切る風の音と、
一定のテンポを正確に保つ
クラブ音楽のスネアドラムの音。
それに妙に艶かしい男性と女性のDJが発する声だけだった。


がっかりした僕は
駄目元でAM放送へとチャンネルを変える。
万が一だけど、
AMでもJazzが流される事があるかもしれないと思ったからだ。
だけど大抵のAMラジオから流れてくるのは落語や
老人向けの爽やかな毒舌を吐く、老人のDJの声だろう。


所がその万が一が起った。
AMラジオのDJはこの番組は海外のヘッドフォンメーカーに
スポンサードされていると言ってから、饒舌にJAZZの話しを始める。
話しの最後には初心者にオススメだと言って
マイルス・デイヴィスの「So what?」を掛けた。
so what?」が収録されている
マイルス・デイヴィスが1959年に録音した
カインド・オブ・ブルーは
今でも年間十万枚以上売れているアルバムで
総売上は一千万枚以上なのだという情報も添えて。


僕はマイルスの吹くトランペットに耳を集中する。
twitterの彼女と接点を持つ為に。
所がJazz史上の名盤と言われているこの曲は
僕の耳にはフランスのクラシック作曲家、
クロード・ドビュッシーエリック・サティの音楽を
スーツを着たクールな黒人が
当たり障り無く演奏しているだけにしか聴こえなかった。
僕はガッカリした。
彼女との接点の可能性が消えた事に。
その後、CDを買って再び真剣にJazzを聴いてみた物の
Jazzに対しての印象が変る事は無かった。


僕は不意に今と今までの彼女達の事を思い出す。
そして僕は僕と彼女達の間に趣味の接点は
一つでもあれば上出来な方で
大抵はゼロだったという事を思い出した。


AMラジオのDJはタイトルの「So What?」を
日本語に直すと「それがどうした?」になると言っていた。
なるほど。まったくだ。
僕と彼女の接点は一つ消えた。
それがどうした。
そう呟いて僕はラジオのスイッチを勢いよく切った。
それがどうした。


それからの僕はtwitter
なんとかして彼女に話しかけたり、
結局話しかけられなかったりした。
そして恐れていた事が起こった。
彼女に付き合っている男が居る事が判明した。
僕のプロファイリングでは
そいつは僕と同世代の妙に気取ったいけ好かない奴だ。
それなら僕に似ているじゃないか、
なんで僕を選んでくれなかったんだと思った後で
彼女と僕は現実の接点が一つもない事を思い出して
自分の気持ち悪さに笑った。


彼女の事を諦められない僕は
彼女とtwitterだけで接点を持ち続けて、
気がついたら彼女の今日の機嫌や体調の良し悪しや、
昨日の夜は彼とセックスをしたのかさえ
彼女の指が呟く言葉で分る様になっていた。
それは僕の小さな地獄だった。
だけど、自宅や会社の住所まで
プロファイリングしようとはしていないから
赦してくれと願った。
でも結局、その御陰で僕は自分の事を
より気持ち悪い奴だと思う様になっていた。


実際に想像力を働かせてみる。
僕が彼女の立ち場で
僕の様な人間が僕と接して来たら
ありとあらゆる手段を取って僕はそいつと
ネット上での付き合いをやめるだろう。
それくらい僕は僕を気持ち悪く思う。


だけどそんな気持ち悪い自分を僕はやめられなかった。
やめられなかった。
気持ち悪い自分をやめられないのが恋なのかとも思う。
恋とは落ちる物だなと改めて実感する。
昇る物でも掴む物でもない。落ちる物だ。
落ちた先は泥沼だけど。
と僕はずぶ濡れで酷いありさまの
汚く気持ち悪い僕を想像して笑う。
その後、それがどうしたと僕は一人で呟いてみる。
でも結局何も変らなかった。


へい!バルマン!という声とともに
僕は肩を思いっきり叩かれて思いを現実に戻す。
パルマンというのはいま僕が着ている
レザージャケットを作っているブランドの名前だ。
僕は予定通りに予定に遅れた友に
「良く一目で分かったな」と言ってこの店のメニューを渡す。
椅子に座った彼はメニューを睨んでからウェーター君を呼んだ。


友人はウェーター君にゆっくりと注文を告げる。
スコッチのビッグスモークをストレート、
チェイサーにギネスビール。
サーモンのピッツァ、
香草と黒オリーブの盛り合わせ、
チーズの盛り合わせ、
鶏肉とキャベツ、トマトソースのカサレッチェ
カサレッチェとはシチリアで生まれたパスタの一種で、
マカロニの様な大きさをしている。
筒を縦に通る溝が二カ所あって、
S字にくねっているのが特徴だ。
カサレッチェの意味は家製や手作りだ。
どうやら彼はこの場でちょっとした酒盛りを開くつもりらしい。
友人は酒をどれだけ飲んでも一向に酔った素振りを見せない。
顔も赤くならない。すぐに赤くなってしまう僕は彼の事を羨ましく思う。


彼が酒を飲み始める前に
僕は用件を済ませようとする。
僕は「相変わらずかよ」と笑って、
彼が欲しがっていた資料を渡した。
彼は資料を受け取りながらお前は呑まないの?と僕に言う。
どうやら僕が飲んでいるカクテルがノンアルコールだと
言う事を見抜いているらしい。彼はいつでも直感がするどい。
「車だからな」と言って僕はまた笑った。


屋上を抜ける春の風は角がなく柔らかくて冷たい。
視線を少し遠くへやれば代官山の景色が見えた。
友人、このあまり有名ではない小説家、
彼が求めていた資料を渡すのが
今日の僕が達成すべき目的の1つだった。
僕と彼が友人になったのはとあるバーでの出来事が原因だ。
でもそれはまた別の話しだ。
もう何年も前の出来事だ。


彼は人をそそのかすのが大好きだった。
女性でも男性でも、だ。
そんな彼は僕に会う度に、
おまえの書く文章は面白いから
おまえもなんか話しを書けよと言って来る。
その度に僕は「ああ、気が向いたらね」と返答するのだった。


僕の他の友人は、
僕とこのあまり有名ではない小説家が友達だという事を知らない。
彼が求めていた情報は、
絵画の保管方法に関する事と絵画を飾る額縁に関する物だ。
僕は仕事柄彼が求めている物を提供出来る立ち場に居たので、
いくつか質問に答えてそれから資料を集め作ってやった。
数日前、資料が用意出来た事を彼に伝えると、
彼はお前誕生日だっただろ?飯でも奢るよと言って
待ち合わせの日時と場所を指定して来た。
それがここだ。


今度書く小説の材料にするという
資料を受け取った友人はいくつか質問をしてきた。
僕はそれに答える。
そうしているとウェーター君が彼の酒と料理を運んで来た。
ウェーター君の帰り際に僕はもう1杯オレンジブリットを注文した。


友人がさぁ食べようかと言った。
僕は「よし」と答える。
それから2人は仕事の事を忘れた。
彼が最初に話題を出す。
内容はここに来る途中ですごい美人を見かけたという物だった。


それからお互いの近況や
最近の社会の出来事を不真面目に語り合う。
途中で話しが再び仕事の事へと戻った。
彼は仕事の定義を自分が一生かかってやり遂げるものだと言った。
金を稼ぐのは労働だという。彼の中では労働と仕事は別の事らしい。
「じゃあお前の仕事はなんなんだ」と僕が聴くと
彼は僕に顔を近づけてから小声で
『女の恋は上書き保存、男の恋は名前を付けて保存』とか
最近恋をパソコンに例える知ったかぶりな奴らが居るけど、
そういう奴らをこの世から一掃する事さと言った。
顔を僕の顔から離した友人に
「でも、それって正しいとか言われていないか?」と訊く。
すると友人は嫌な物でも見る様な顔で
んな事を言っている奴は恋愛経験があっても二人三人くらい、
場合によっては一度も女や男と付き合った事の無い、
童貞か処女だぜ。それで女や男そして恋の事を決めつける。
少ない経験を人から聞いた話しや小説で補う。
恋愛なんて実際に経験してずぶ濡れにならないと
気持ちなんてわからないのにな、いくら言葉で言ったって。
そう言った友人はストレートグラスのビッグスモークを飲み干して、
三秒後きっかしにギネスビールを喉へと流し込んだ。
ウェーター君におかわりを要求する。


例えば老人ホームにいる老女が、と
友人が言った所で、
彼が以前老人ホームに入居者の話しを聞きに行く
なんたらコミュニティだがなんたらカウンセラーだが言う
ボランティアをしていた事を思い出した。
あれも取材だったのだろうか?
彼は酒を飲んで僅かに饒舌になった口で話しを続けている。


20代の頃の恋を
繰り返し繰り返し語る事がある。
それも色々な男の話しじゃない、一人の男の話しをだ。
そういう老女はいっぱいいる。
あれはきっとさ年取って
やっとそういう事を語れる様になったんだろうな、
他人にさ。きっとあれは家族とか、
それこそ女友達や娘には絶対語れないぜ。
馬鹿にされるのが怖いだろうから。
だって周りは経験不足で愛を語る女や
セックスを求める男ばかりだぜ、特に若いうちは。
女は過去の愛を語るのが難しいんだよ。
おせっかい女もおおいからな。と言った。


彼の話しを聴きながら、
これは彼流の女性に対する愛の形、
あるいは懺悔なんじゃないかと思えて来た。
全ての女性、
母親、姉妹、友人、恋人、セックスをしただけの女、他人、
に対する悔悛。それか畏怖か。


彼はまだ話しを続ける。
僕は黒オリーブを手でつまんで、
自分の口の中に放り込む。
鼻の中が僅かに塩の匂いになる。
屋上に吹く風が鼻孔をくすぐり潮風の様に感じる。
目の前を流れる人工の水流が目に入る。
ここは海辺なのだとほんの少しだけ錯覚した。


彼は言う。
だってさ、お前、別れた彼女の誕生日覚えているの?と。
僕はついさっき車の中で思い出していた
何年か前の彼女が生まれた日を思い出そうとする。
考えて思い出して思いだして僕は口を開く
「たしか春、それも4月のはずだった。たぶん」
僕の答えに満足した彼は勝ち誇った顔で、
俺は今まで色々な女に振られて来たけど、
翌年の俺の誕生日に元彼女から
所謂おめでとうメールが届く確率は100%だと言った。
何が女は上書き保存で男は名前を付けて保存だって言うんだ。
まったく笑えるよと言う彼の言葉を頭の端で聴きながら、
僕は自分の恋愛遍歴と誕生日に関する出来事を思い出す。
思い出して彼の言葉に納得しそうになった。


「それを小説で表現しようっていうのか?
 少ない経験を人から聞いた話しや小説で補う奴は嫌いなんだろう?
 そういう読者で良いの?」と
僕は少し意地悪な気持ちで彼に言う。
彼は片目を瞑ってそこにつけこんでやるのさ、
敵よ!汝の弱点は我の友なり!と言った。
それから僕と彼の会話の内容は最近観た映画の話しになった。
恋愛の話しは目の前を流れる水流と共に忘れた。


そろそろお開きかと言う時になって
友人はトイレへの旅に出た。
彼が帰って来たのは
僕がグラスの中の三杯目のオレンジブリットを
飲み干した時、
つまり彼の旅立ちから十数分後で
だから僕は彼に「腹でも悪いのか?」と聴いた。
彼は歯ブラシを掛けていたと言う。
これからまた飯食って
セックスしなきゃならないんでねという言葉を添えて。
僕は彼の頭を小突いた。
辺りにはオレンジの夕日が見え始めている。
人工的に植えられた木々の葉が光を反射して揺れる。
オレンジブリット。
でもブリットは弾丸の意味で、
太陽は弾丸より砲弾だなと思う。


友人が別れ際に妙な質問をして来た。
なぁ、いいか?そういう前置きを置いて。
彼は問う。
ある所に怪物が居るんだ、
まぁ魔物でも悪魔でも猛獣でも良いんだけどさ。
兎に角とんでもなくおっそろしい奴。
それでさ、そいつの生態を行動から
心の中で思っている事までも描く小説があったら、
そのジャンルはどういった物になると思う?と。
僕は友人が出した意図が良く分からない質問について考える。
生き物の生態を描くなら観察日記の様な物だろうと結論を出してから、
口に出すのを少し踏みとどまった。僕は更に考える。
でも怪物なら人間を食うだろう。
そして怪物の食事風景が描かれ、
怪物の内面も描かれる。
きっと今回の人間はマズかったとかうまかったとかだ。
そして次にはどういう人間を食いたいと思っているかが描かれるだろう。
捕食される方にしてみればそれはもはやホラーでしかない。
だから僕は友人に「ホラーだよ」と言葉を返した。
彼は俺もそう思うよと言った。


店を出て、食事の代金を支払ってくれた彼に僕は礼を言う。
彼は誕生日おめでとうなと言って、何処かへと消えた。
僕は地下に止めたバルケッタに乗り込んだ。
キーを回してエンジンをならす。
ゆっくりとアクセルを踏んで地上へと飛び出した。
さぁ愛する彼女を迎えに行こう。




目的地に着く。歩道に車を寄せて止めた。
僕は外に出て
車の前方、車道側のガードレールに腰掛ける。
そろそろ彼女がやってくるはずだ。
彼女は数年前から代官山にあるブティックに勤めている。
当時の職場は何年か前の彼女のお気に入りのブティックの一つだった。
当時の僕と当時の今の彼女はそこで出会った。
なんてことはない、何年か前の彼女お気に入りの
服屋に勤める店員と僕は浮気をしたんだ。
僕は何年か前の彼女に振られて、
今の彼女は職場を変えた。


彼女が移った職場もブティックで、
世界的にも名が知られているブランドの路面店だった。
彼女は転職する時にステップアップよ、
あなたも側にいるし、色々感謝しなきゃと言って笑った。
僕が着ているジャケットは
彼女が働くブランドのフランス人デザイナーが作った商品だ。


浮気相手の女性はいつでも優しい。
みんながみんなその時々で
僕が付き合っている彼女の悪口を言う。
僕が彼女の不平を漏らせば同意してくれる。
とてもとても優しくしてくれる。
こどもっぽい彼女と付き合っていれば
大人っぽい浮気相手は彼女の子供っぽい所を非難し、
大人っぽい彼女と付き合っていれば、
子供っぽい浮気相手は彼女の理屈っぽさを非難して、
あなたが居なくてもその人は大丈夫なんじゃない?と僕に言った。
いつしか僕はこれは僕に同情してくれているんじゃなくて、
相手の価値を自分より下にしたいから
行っている行為なんじゃないかと考える様になった。
だけど、僕はそれに対しては結論を出さない。
浮気相手の女性はいつでも優しい。それでいい。


男もそうだろうか?と僕は考える。
彼氏や夫がいる女性と付き合っている男の事だ。
僕はそういった女性と関係を持った事がないので、
彼らの事を想像してみても答えは出ない。


兎に角、今の彼女もそんな女性の一人だった。
今の彼女は何年か前の彼女を非難した。
あなたに甘えているだけで
あなたの事を愛してはいないのよと。
そして私には頼っていいのだと
あれこれ世話を焼いてくれた。
世話を焼く理由を彼女に聴くと、
だってあなた、
なんか放っておけないんだものと答えた。
それに可愛いだけの女に騙されているだけで
可哀想だものと僕にキスをした。


だから、
今の彼女もどこにでもいる普通で平凡な女性だった。
彼女はスポーツこそしないけど体を動かす事が好きで、
2人でよく散歩をしたり自然が多い場所に出かけたりした。
彼女は映画が好きだった。
彼女は明日も仕事になのに衛星放送で夜中に
放映されている映画を最後まで観てしまい
つい夜更かしをしてしまう事がある。
聴く音楽は洋楽の明るく軽いロックや
艶やかなダンスソング、R&Bだ。
つまり彼女は平凡な女性で、
僕はその平凡さが好きだった。


僕は自分の恋愛編気を振り返る。
僕は女性と付き合っているのに
浮気をして彼女に振られて浮気相手と付き合って、
また別の女の子と浮気して彼女に振られて
浮気相手と付き合ってという事を繰り返している。
僕はそんな自分を嘲るが、
仕方の無い事だとも思う。
何より楽で、女性が優しいのが良かった。


僕が生まれた家は
家長である父親が仕事で不在、
寂しさを募らせた神経質な母と
年の離れた恋多き姉。
普段は大らかだが頑固な信念を隠し持ち
子供の頃に戦争を味わった事を源とする
他人に対する残酷な厳しさを持つ祖母。
明るいが意地悪な叔母などに囲まれて育った。
つまり僕の周りには常に女性が居た。
一日中家に居れば話すのも顔を見るのも
今日の機嫌を感じ取るのも女性ばかりという環境で育った。
年の離れた姉の友達からはやたら可愛がられた。
叔母の子供、つまり従姉妹はみんな女だった。
思春期に入ればここに彼女も加わった。
もし僕の誰にも言えない
心からの暴露が赦されるならば、
思春期に入るのを待たずに
家族ではない他人の女性がここに加わる。
それは小さい頃に会った父の若い愛人や、
友達の家に行く度に僕の性器を指で擦ったり
舌で舐めたりする友達の母親だ。
僕が初めてセックスを経験した相手も
この女性だった。
射精こそしなかった物の、
僕は小学生になる前に童貞を失っていた。


そんな環境で生きて来たから、
僕はいつしか女性の体調と
今日の出来事と彼女達の主観と
彼女達が他人から言われた言葉に起因する
彼女達の今日の機嫌と気分と言う波に合わす事を覚えた。
それも波は複数人同時発生していた。
大波小波荒波、そして穏やかな波。
僕は波間を泳ぎ切る手段と
自己防衛の方法を覚えた。


まぁよくあるパターンだろう。僕はそう思う。
だから僕は女性の辛辣で残酷な側面を見過ぎていた。
飽き飽きしているとも言う。
飽き飽きしているから男と話すより
女性と会話をしたり一緒に過ごす方が幾分は気が楽だった。
26歳になった今でも、
女性達よりも男達との会話の仕方と生態把握に難しさを感じる。
だからなのか僕はゲイなのだと思われる事も多かった。
御陰で女の子はからは少しばかりはモテたけど。
でも、それがどうしたって言うんだ。
だから僕は女性の優しい側面が大好きだった。
ここで優しい女性と言わないのが
僕の人生における学習の成果だ。



スマートフォンtwitterを見ると
僕が恋をしてる彼女が何か呟いていた。
彼女が呟いていたのは今日の晩ご飯の選択の事だ。
春らしい物が食べたいとtwetterの彼女は言う。
僕は勇気を持って「鰆なんかどうですか」と
彼女とのコミュニケーションを謀った。
彼女は魚が嫌いではないはずだ。
僕のプロファイリングでは
この時間帯彼女は中々返信を返さない。
だから僕はスマートフォンを内ポケットへとしまった。
彼女は一人で晩ご飯を食べるのだろうか?
それとも友達と?それとも彼と?


うん、やっぱり似合ってる。
その声で僕は顔を上げた。
どうやら今日、人に話しかけられる
第一声はジャケットの事と決まっているらしい。
でも声の主がプレゼントしてくれた物なのだから仕方が無い。


僕の横にはいつの間にか今の彼女が居た。
黒いパンツが長い足によく似合っている。
スプリングコートの色は暗い。
だけど彼女は軽やかな華やかさを発していた。


待った?との彼女の言葉に
「いま来た所だよ」と
人類史の中で1000億回言われて来たで在ろう言葉を返した。


僕は運転席を親指で指して
「運転する?」と訊く。
この車は彼女の物だったからだ。
彼女はあなたがしてーと答えて、
僕の肩に寄りかかった。
そして耳元で今日は楽しみにしてねと呟く。
彼女の髪の毛から
ロクシタンの薔薇のシャンプーの匂いが漂って来た。


彼女は先日僕の誕生日を祝ってくれた。
それなのに今度は私の手作り料理で
僕の事を祝いたいと言って今日デートをする事を決めた。


僕と彼女は、
食料品店を経由して彼女の自宅へと行く為に
彼女の車を走らせる。


その途中でちょっとしたアクシデントが起こった。
彼女はこれなぁに?と言って
赤色の信号で止まりハンドルから手を離した僕に
一枚のCDケースを見せた。


CDにはマイルス・デイビス、カインド・オブ・ブルーと書いてある。
しまった。完全に僕のミスだ。
twitterの彼女との接点を得ようと必死な僕は
CDショップで店員にJazzコーナーの居場所を聴いて
このCDを購入した。Jazzコーナーのあまりの狭さに驚きながら。
これならアニメソングコーナーの方が遥かに広い。
僕はCDショップで日本の縮図を観た。


購入したカインド・オブ・ブルーを
僕は車に乗って環八を流しながら聴いた。
車とはこのバルケッタの事だ。
僕は彼女の車で別の女性の為に音楽を聴いたのだ。


僕と今の彼女が付き合った来た数年の歴史の中で、
僕が車にJazzのCDを持ち込むのは、
いや僕がJazzのCDを持っていると言う事自体が初めての事だろう。
あなたJazzなんか聴いたっけ?と彼女は僕に目を向ける。
僕は彼女の目を見ない様に前を向く。
信号は未だ真っ赤に点灯している。


赤色に目が眩みそうになりながら、
僕は心の中で友人に詫びる。
「友達に是非聴いてみろっていわれてさ」
一呼吸置く。
「だからくれたんだよね」
うまく言葉が繋がっていないと僕は自分をなじる。
彼女はふーん?と言った後、友達って?と質問を続ける。
僕はここで、自分でCDを買った事を素直に話すのが正解だったのだと
気がついた。ただtwitterの彼女の事だけはいわなければ良いのだ。
雑誌で気になってとか読んだ小説に出て来てとか、
ともかく、だから買ったんだよと適当な理由を話せば良い。
嘘は真実の中に混ぜるのが鉄則、という言葉と、
一度嘘をつくとそれを積み重ね無くてはいけない
という言葉を同時に思い出す。
僕は「ああ、今日会うっていった奴」と冷静に言った。
26歳になった僕は嘘が上手になっていた。


彼女は小説家の人ね、楽しかった?と僕に聴く。
僕は「ああ、下らない話しばかりだったけど」と言う
誕生日の祝いと資料を作った事に対する礼として
食事をごちそうしてもらった事を添えて。
彼女はそうなんだ、
男の子同士だからあまり気にしなくていいのかもだけど、
お礼のメールとかした方がいいかもねと言って
CDケースからカインド・オブ・ブルーを取り出す。
車に取り付けられたオーディオシステムのCD挿入口へと
銀色に反射する円盤を持って行く。
飲込まれるCD。一曲目の「So What?」が掛かり出す。
彼女は疑問を解消した様だった。


信号を見ると赤から青へと変る瞬間だった。
僕は前の車に続いてゆっくりとアクセルを踏み込んだ。



食料品店に向かう為に山手通りをバルケッタが走る。
彼女と会話をする。景色を眺める。
音を聴く。Jazzを聴く。
車のライトとビルのネオン、
街路灯と月が光のアンサブルを描く。
窓の外、光は車の速度に置いていかれ
アスファルトの黒い滑らかな波に砕かれて行く。
僕は彼女と2人きりの空間に居る。
彼女の柔肌の音が聴こえる様な気がした。


カインド・オブ・ブルーは曲順の三曲目、
ブルー・イン・グリーンを流している。
トランペットの今にも壊れそうで
繊細で美しい長い長い一音が車内に響いた。
彼女が突然、ねぇどうおもう?と言った。
僕は横目で疑問を呈する。
うん、Jazzって彼女は続ける。
その顔がとても真剣に見えた僕は
嘘をつけない。


「正直いまいちというか、よくわからない」と
僕は答える。彼女は僕の言葉に続いて直ぐに
だよねといって声を出して笑った。
私も良く分からないわと笑う。僕も笑った。
変えて良い?と僕に訊く彼女は僕の言葉を待つまでもなく、
チャンネルをラジオへと変えた。
ラジオから流れて来たのは彼女が好きな洋楽だった。


この辺りにしては大きなスーパーで、
僕と彼女は買い物をする。
彼女は僕に、
あなたの好きな鶏肉の香草漬けは
昨日のうちに下ごしらえしてあるの。
だから美味しく漬けられていると思うわと頬笑んだ。
僕も「それは楽しみだ。ありがとう」と頬笑み返す。
僕はスーパーの買い物カゴをカートに乗せて、
彼女の後ろを付いて歩く、
彼女は真剣な目で食材を眺めてはカゴに入れる。
彼女はあ、もしかして今日もケーキを食べたかった?と
僕の瞳を見て言う。
僕は「この間食べたからもうそれで十分。ありがとう」と返す。
うん、と彼女は言ってまた食材を選び始めた。


こう云う事をしているとまるで僕たちは夫婦の様だと思う。
きっと周りの人にもそう見えている。
僕たちの年齢的には当たり前の事だろう。
数年前の僕ならきっと「夫婦みたいだね」と口に出していただろう。
そして数年前の彼女ならばそれを聴いて嬉しそうにしただろう。
結局は彼女を泣かせるのを知らずに。


26歳になってそれを知っている僕は、
「こうしているとまるで夫婦の様だね」とは
決して口に出さない。
今の彼女の年齢を考えると
きっともっと泣かせる事になる。


この店には4帖程の大きさがあるワインセラーが置いてある。
透明な扉を開けてセラーに入った客は
直接お目当てのワインを探す事が出来る。
僕と彼女は2人でそこに入る。狭い空間の中、
3方の壁がワインに囲まれている。
僕たち以外の客は居ない。


友達にワインに詳しい子がいてね、
オススメ訊いてみたの。あなたはタンニンが強いのが好きでしょ。
だからそんな感じなのが無いかって。
彼女はそんな事を言いながら
辺り一面に並べられたワインボトルと睨めっこをしている。
しばらすると、あ、見つけた。と言って
棚の大分上の方を指で指した。
彼女の背ではとても届かない高さだ。
周囲を見ると専用の足踏み台があった。
でも僕は背伸びをして彼女が指したワインを取る。
「これでいいの?」と言って僕は彼女にボトルを渡す。
彼女はボトルに貼られたラベルを観て、うんと言った。
それから透明な扉の先を見渡して、彼女は僕にキスをする。




この後の展開はありふれた物だ、
それはそうだろう。
ありふれた平凡な女性と、
平凡な女性を愛する僕なのだから。


彼女と僕は彼女の自宅にたどり着く。
彼女はヒールを脱いでコートをハンガーにかける。
ストッキングを脱いで
足がむくんでいると言う。
彼女はいつも足がむくんでいる。職業病みたいなものだ。
僕は「後でマッサージするよ」と言う。
彼女はでも今日はあなたの為のお祝いだからと言う。
言い終える前に僕は「気にしないでよ」と言う。
じゃあお願いするねと言った彼女は手を洗ってエプロンを付ける。
テレビでも見て待っていてねとチャンネルを衛星放送に合わせた彼女は
キッチンへ向かう。
ソファに座る僕は
彼女の料理する後ろ姿を見て、背中を抱きしめたくなる。
そして抱きしめる。抱きしめたのならキスをしてねと彼女が言う。
僕はキスをする。「がまんできない」と僕が言うと。
彼女はじゃあ料理は無しだよ?お腹がへっちゃうよ?と言う。
僕は「がまんする」という。そういうありふれた展開だ。


とても幸せな気分の僕はソファに戻る。
スマートフォンtwitterを確認する。
twitterの彼女からの返信は無し。


暫くすると彼女の手料理が完成する。
彼女の料理は美味しくて
特に僕の大好きな鶏肉の香草漬けは完璧だった。
ローズマリーの匂い、にんにくの旨味、鶏肉の柔からさ。
他の料理も素晴らしくワインも僕好みの美味しい物だった。
僕は彼女に感謝した。
これからも一緒にいようねと彼女は言った。


僕と彼女はお互いがワインでいい具合に酔ったあと、
ソファによりそい映画を見ながら何度も何度もキスをした。
その途中で彼女は、
あなたがお化粧を食べちゃうからお風呂に入りたいと言った。
そして2人で風呂に入った。


彼女は広いお風呂がある所に引越をして良かったと言った。
僕と付き合ってからここに越して来た彼女は
2人でのバスタイムを楽しむ度に今の言葉を言う。
僕もそうだねと彼女に同意する。
僕はtwitterの彼女は今頃彼氏に
抱かれているのだろうかと考えていた。


僕はバスタブに入りながら
今の彼女が洗顔や体を洗うのを眺めている。
その姿を美しいと思う。
油断と警戒の間で彼女の心が浮遊している。
彼女は僕が彼女の姿を美しいと思っている事を知っている。
だから洗髪とケア、顔のメイクと体の汚れを流した後で
彼女は僕に向けてほんの少しだけ照れた笑顔を浮かべる。
その姿が僕の仕事で以前取り扱った、
印象派の画家、エドゥアール・マネの入浴する女性の絵画に見えた。
彼女の名誉の為に言っておくと、
彼女がマネやあの時代の絵画に描かれた女性の様に
でっぷりと豊満な体型をしてるという訳ではない。
印象の話しだ。
彼女が僕に体を洗ってあげるから来てと言った。


僕はタオルを肩にかけただけの姿で彼女のベットの上に座って居る。
彼女は洗面所で体や顔に色々な物を塗っている。
ケア、メンテナンス、休養、備え、鍛錬。
それらが終わった彼女はバスタオルを体と頭に巻いて
台所で水を飲んだ。
「ねぇ、おいでよ。足のマッサージをするから」
彼女はうん、でもちょっと待ってと言って
なにかこまごまとした用事をしている。
それが時間稼ぎか躊躇の表現に見えた僕は、
いつもより少し強引に「来いよ」と言う。
彼女は僕の顔を見てから諦めた様な、
でも頬が大いに笑っている表情を顔に浮かべて
僕のもとに飛び込んだ。


彼女はベットの上で寝ている。
正確にはベットの上に敷いたバスタオルの上で、
裸のままうつ伏せになり寝ている。
僕は適当な乳液を手の平に取り、
掌と掌を合わせて手の中の乳液を僕の体温に温める。
それから彼女のむくんだ足をマッサージする。
乳液やオイルを手で温めず女性の肌に塗って
冷たがる反応を見るのも好きだ。
僕の手は普段から冷たい。
だから冷たいオイルや乳液と合わされば
さらに面白い女性の反応を見る事が出来る。
でも彼女が可愛そうで今の僕には
それをなかなか行う事が出来ない。


ベッドの上、
うつ伏せに横たわる彼女の足を撫でる。
背中も撫でる。マッサージはいつしか愛撫へと変る。
僕の唇が彼女の首筋を撫でる。
愛撫はいつしかセックスへと変る。


彼女とのセックスの定番は決まっていた。
決まっているから定番なのだとも言う。
彼女が僕の指と舌とペニスで何回か絶頂してから、
僕がコンドームの中に射精する。
暫く2人で横になって、
彼女の髪の毛を僕の指が解かした後に
彼女が僕のペニスをその大きな口に頬張る。
僕は彼女の口の中に精液を吐き出して
彼女はそれを胃へと飲む込む。
その後で彼女は僕の精子
一滴も零すまいとする様にペニスを強く吸い上げた。
そして僕は再び彼女の髪の毛を解かす。
指に髪の毛が絡み付かない様に。
彼女に痛みがない様に気を使いながら


彼女とのセックスも、
僕の人生の中に何時でもあるセックスと
一切の変りがなかった。
どこにでもある平凡なセックスだった。
気怠そうに僕に瞳を向けてる
平凡な彼女を見つめて僕は彼女の髪の毛を撫でる。


ベッドの脇、サイドテーブルに置かれている
彼女のスマートフォンが振動した。
無視する彼女に僕は「見て良いよ」と言った。
これは許可とかそういう話しではなくて、
彼女の僕に対する思いやりの話しだ。
彼女はうん、ごめんねと僕に言う。
「気にしないでよ」と僕は言う。


彼女がスマートフォンを綺麗な指先で弄る。
器用に、手慣れた手つきで、どこかあぶなっかしく。
彼女があっと驚いた様な、何か思い出し様な声を上げる。
僕は疑問を2人の間にながれる雰囲気だけで伝える。
彼女はちょっと書かなきゃいけない事を思い出したのと言う。
重要な仕事に関するメールの返事が何かだろうか?
彼女は半目でとても眠そうにしている。
僕は大変だなと思いながら「うん」と言う。
それから彼女の肩に自分の額をくっ付けた。
頭に伝わる彼女の体温が心地よい。
僕は意識する事無く、眠りに落ちる。




音がした。
僕は目覚める。
壁の時計を見る。時間は十数分しか経っていない。
彼女は僕に背を向けた状態で横になって寝ている。
音の発信源を見つけようと僕はベットの周りを見る。
眠る彼女の指が指し示す方向に、
彼女の手にあったはずのスマートフォンが落ちていた。
僕は彼女のスマートフォンを床から拾い上げる。
画面はまだ明るい。
僕の目はスマートフォンの画面に釘付けになっている。
どういう事なんだ。
どういうことだろう。


画面に移ってるのはtwitterのページで、
具体的にはtwitter利用者のある一人のアカウントが表示されている。
正しく言うのならば、僕の恋するtwitterの彼女のアカウント画面だった。
僕の頭は混乱し幾通りもの可能性を素早く算出する。
それは今の彼女が僕がtwitterの彼女に恋しているのを
知っていてtwitterの彼女を監視しているという物だ。
僕の算出結果に僕は疑問を呈する。
そもそも彼女は僕のtwitterのアカウントを知らない。
個人情報も極力発していない。
だからtwitterの彼女の事も今の彼女は知らないはずだ。
そう考えてから、
twitterの彼女の気を引く為に呟いてしまった
僕の個人情報も沢山あった事を思い出す。
でも僕にはこの答えは現実味が無い。
信じたく無いだけなのかもしれないけど。


この考えは一旦保留しておいて、
僕は別の答えを検証する。
今の彼女とtwitterの彼女が
僕の知らぬ所で偶然にも知人であったという考えだ。
知人の度合がネットでの繋がりだけなのか、
実社会でも会う程度の物なのかは判らない。
ただ今の彼女もtwitterの彼女も東京に住み東京で働いている事は確かだ。
でもそんな偶然があるのだろうかと僕は思う。


結局は僕は簡単に正確で確実な答えを見つけた。
僕の驚く答えに僕は打ちのめされる。



混乱して答えの算出を繰り返す僕の頭が
不意に指を触れるつもりの無い物へと触れさせた。
twitter利用者本人のアカウントページへ飛ぶホームボタンだ。
ホームボタンを押す必要は無い。
僕は今の彼女のtwitterアカウントを知っているのだから。
それは彼女が僕に教えてくれた物だ。
彼女はそのとき、あなたのアカウントは
あなたが私に教えたく無いなら教えなくて良いと言った。
その後に彼女がケンカはいやだからねと
少し寂しそうに言った事を覚えている。
僕には彼女の言葉と寂しさが
彼女の経験から来ている物の様に思えた。


ホームボタンを具然にも押した僕は驚愕する。
更新された画面に現れたのは
今の彼女のアカウントではなくて、
twitterの彼女のアカウントの物だった。
僕は焦り混乱しホームボタンを連打する。
何度更新しても画面に映るのは
今の彼女のアカウントではなくて、
twitterの彼女のアカウントの物だ。
なんで今の彼女のアカウント画面が表示されないのだろう。
今の彼女のアカウントは当然twitterの彼女のアカウントではない。
なんどホームボタンを押しても結果は変らない。
この事体から答えはでた。
今の彼女はtwitterの彼女だ。


いったいどういう事だろう?
答えは出たが答えが僕の頭をよりいっそう複雑に混乱させる。
意味が判らない。
彼女は彼女で彼女だったつまり彼女だ。


混乱し過ぎて落ち着いた僕は、
彼女が何をtwitterで呟いていたのかを見る。
彼女は僕の送った「鰆なんかどうですか」という
言葉に返信を書いている。それもいいですねと。
彼女は自分の好きなJazzの事を書いている。
今日初めて彼と一緒に
マイルスのブルー・イン・グリーンを聴いたのだと。
楽しくてとても感動して嬉しかったと書いてある。
車を運転する彼の横顔とブルー・イン・グリーンが似合っていて、
彼の顔の向こうにある窓ガラスに写る夜の闇とネオン、
それと彼の顔の輪郭が解け合った様に混ざり
すごく美しかったと書いてある。
そんな彼が私は大好きなのだと彼女は呟いている。
僕は涙が出そうになった。


僕は彼女のなにも知っちゃいないのだと思い知らされる。
それ程の彼女の秘密を見つけてしまった気がした。
なにが平凡な女性と平凡を愛する僕だ。
僕は思い上がっているだけの男なのだと思い知らされる。
例えば僕がするセックスのパターンが
相手がどんな女性でも同じなのは、
僕がそういうセックスが好きで、
彼女達がそれに合わせてくれるだけなのだという事に気がついた。
26歳になった僕は26歳になっても何も知ってはいないじゃないか。
僕は頭を垂れてシーツの上に倒れ込みそうになる。
旗からみたら彼女に謝罪をしている様な体勢だろう。


その時、ベットのシーツが動く音がした。
僕は頭を上げる。
寝惚け眼で彼女が僕を見ている。
彼女はどうしたの?と僕に訊く。
僕はからからの喉につばを一滴飲み込んで、
「う、うん、スマフォ、落ちてたよ」と言う。
僕は震え怯える小さな子供だ。


ありがとうと言った彼女は僕からスマートフォンを受け取って、
サイドテーブルに置いた。
それから彼女は元の体勢に戻って、
自分の肩をしなやか指で音も無く一度二度叩いて、
だっこしてとつぶやいた。
僕は彼女の肩に手を回して後ろから抱きしめた。
彼女が小さく笑い手が冷たいよと言った。
僕は彼女になにもかもバレている様な気持ちになる。
実際にバレているのかもしれないし、
実際にはバレていないのかもしれない。
分らない、彼女の事が判らない。


全てを知っているのならば、
彼女はtwitterの僕をどう思っていたのだろう。
知らないのならば
彼女にはtwitterの僕がどう見えていたのだろう。
それになんで彼女はtwitter
年齢や仕事先その他諸々をまるで
架空の人物の設定の様に偽ってるのだろう。
問いただしたくて仕方がない。
でもそんな事は僕にはできない。
僕の行為は浮気になるのだろうか。
浮気ではないのだろうか。
浮気だとしたら彼女に僕は赦されるのか。
それとも既に赦されているのか。


混乱して様々な可能性を考えた僕は
彼女にだいぶ振り回されていると感じる。
でもそれは嫌な感情ではなくて、
なんだか晴れ晴れとしていて面白いとさえ感じる。


26歳の僕はなにも知ってはいなかった。
ただ一つ、僕は今日から女性に振り回される事と、
女性は常に予想もつかない想像もできない驚きを
僕に与えると言う真実を受け入れる事にした。
その瞬間、
僕の心に神と天使の祝福が訪れた様な気さえした。


これは女性に対する無理解や諦めの誓いではない。
女性の辛辣で残酷な側面な飽き飽きして、
女性の優しい側面が好きな僕だ。
女性に振り回されまくったあげく
彼女達の辛辣な側面のみを向けられるという
事体は避けたいと思う。
それは今でも変らない。
思考や考えで時には肉体を使って
それを回避してもいいとさえ思っている。
でも、彼女達が僕を振り回す行動を取る事や、
思考や哲学や感情、
思いなどを否定したり制限しようとは思わない。
受け入れる。
辛辣や残酷な側面も否定だけはしない。
だから彼女達に振り回されても良い。
そして驚きを受け入れる。
そこには僕の心からの楽しみや
愉快な決して寂しく無い賑やかな人生が待っていような気さえした。


とりあえず僕は朝起きたら彼女に
心からの愛と懺悔を込めた口づけをしようと誓った。




翌朝は、彼女より僕の方が早く起きた。
寝返りを打ったのか僕と彼女は顔を見合わせる様に眠っていた。
朝のベットの上には清潔な空気が横たわっている。
明るい光が空間を満たす。


僕は彼女の顔を見ている。
何十分も飽きもせずに。
彼女の瞼が開く。


向こう側にある窓ガラスに映る朝日で、
彼女の顔の輪郭がぼやける。
白い光と彼女の顔の境界線が見分けられない。
穏やかな呆れた様な表情で彼女が笑う。
朝日に眩しそうにして。
彼女はねぇわたしの顔を見ていたの?と
僕に訊く。
僕は「そうだよ」と答える。
じゃあキスしてねと彼女が言う。
僕は彼女に口づけをする。




26歳の僕は一つだけ物事の真実を知っている。
27歳の時に僕はどうなっているだろうか。
その時に何かまた一つ何かを覚えられたら良いのにと思う。
きっと年を取るっていうのはこういう風に愉快な事に違いない。







〈割とありふれたどこにでもいる平凡な彼女/おわり〉





Blue in Green by. Miles Davis







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