All That Fake/オールザットフェイク(2.I Got Rhythm)


モノレールを待つ。
旅行への行き--空港へのモノレールを待つ時は良かったな。
旅に行く胸の高まりはもちろん、駅の3階にある、風の動きが感じられるホームがよかった。
だが今は帰りだ。このホームでは風の動きを感じられない。ただのビルの中だ。


ホームへのエスカレーターを登った先が先頭車両の位置だったので、そこで待つ。
アナウンス--間もなく到着します。
注意--ホームの内側へお下がり下さい。
金属が軋む音。到着。ホームドアが開く。
乗車する。進行方向に向いているイスに座る、
だが先頭車両故にそこから見える景色がいいと云う訳ではない。


モノレールが動きだす。……。疲れたな。眠ろうか?
目を瞑る。すぐさまウトウトとしだす。
モノレールが止まる。動きだす。動いている。声が聴こえる
「つぎはー赤土小学校まえー、つぎはー赤土小学校まえー」
ウトウトしている。
モノレールが止まる。動きだす。動いている。声が聴こえる
「つぎはー熊野ぉー、つぎはー熊野ぉー」
ウトウトしている。
モノレールが止まる。動きだす。動いている。声が聴こえる
「つぎはー足立小台ぃー、つぎはー足立小台ぃー」
……ちょっとまて、そこは天空橋駅じゃないか?
というか、いまあんたが大きな声でアナウンスしているのは、
舎人ライナーの駅名じゃないのか?


目を開ける。声の方向に顔を向ける。
運転席側の窓に向かって、体を押し付つけるようにして立っている男が居る。
年齢は30歳くらいだろうか。


パッとみて感じる。
彼には、精神か脳か神経なのかは分からないが、なんらかの障害がある。
俺はそう云う事にくわしくないし、今はそんな事は関係ない。
電車好きならこのモノレールの駅名を呼んでくれよ!
今アンタが言っているのは、舎人ライナーの駅名だろ?そうだろ?
日暮里から出発する電車の駅名だろ!?
……まぁでも、楽しそうだな。いつか俺もそんな楽しさを感じたいよ。


周りを見渡す、若い奴らは彼の事を見ていない。
年配の夫婦は、彼の方を見て、これこそ平和だ、という顔をしている。
幼児をつれた母親は、微笑んで子供になにか話している。


自分の右側を見る。
車内の反対側、俺が座っているイスと同じ様に、
運転席側に向いているイスに女が一人で座っている。


白のブラウス、ブラウンのカーディガン。
ベージュのスカート。黒か茶色の--(ここからではよく見えない)パンプス。


きっと彼女は人当たりがいい。
会話をして、こちらがどんな意見をいっても彼女は笑顔で楽しそうにうなずくだろう。
だが実際には、自分の考え以外を頑として受け入れないタイプだ。
自分が納得した考えなら認めるが、彼女にそれを認めさせるのは難しい。
笑顔で会話をしているが、それは会話を流しているだけだ。
そんな考えもあるのね、だからどうしたの、
と心の中では思い、本格的にその意見を受け止める事が無い。
心の固い女--《頑固な女》だと思う。


モノレールが止まる。動きだす。動いている。声が聴こえる
「つぎはー扇大橋ぃー、つぎはー扇大橋ぃー」
彼女は彼から目をそらしていないが、気にしてもいない。


「ねぇ……ねぇ」彼女に声をかける。
彼女は少し驚いた様に顔をこちらに向けて返事をする「はい……?」
「彼が言っている駅名は舎人ライナーのじゃない?」
「え?わかりません、でもそうかもですね」キッパリした声、ぎこちない笑顔。
間違いなく頑固な女だと思う。
彼女は顔を前に戻す。
「どこの駅名でも、楽しそうで良いと思いますよ」笑顔--自然。
頑固な女と意見が一致した時は嬉しい物だ。
俺も前を向く。
彼が楽しそうに声を上げる。
「つぎはー中野ぉー、つぎはー中野ぉー、」


なんでいきなり中央線になった?




浜松町駅に着いた。
彼女とはあれ以降話しをしていない。


「では」彼女が会釈をしてイスから立ちあがる。
俺は、後を追う形にならない様、少し間を置いてからホームにでる。
例の彼は、いの一番に車外へと飛び出していた。


ここからまた電車に乗らなきゃならない。
いくら飛行機の性能や空港の利用状況が変わっても、
そこへ行くまでの道のりが変らなくては、海外が近くなったとはいえない。
つまり、海外から自宅への道のりも遠いと言う事だ。



電車を2つ程乗り継ぎ自宅の最寄り駅に到着した。
改札口を通る、バッグが引っかかる。
夜飯はどうする?
冷蔵庫の中にはなにもない--酒以外は。
冷凍庫の中には解凍すれば喰える物があるだろう。
でも、弁当でも買って帰ろうか。


自宅から一番近いスーパーマーケット。
バッグとケースを持つ手がだるい。
総菜コーナー。夕方前。品物は選び放題。
疲れた。総菜を選ぶのすら面倒だ。
弁当にしよう。魚は……あまり喰いたくないなぁ。
肉か。目を左右に振る。牛丼弁当が目に付いた。これでいい。
飲み物は……家にあるな。


レジ。良く見かける女性店員。年齢は20前後。大学生かな。
表は赤く、内側の色は薄いピンクの眼鏡。
テンプルの部分に花模様かなにかの装飾がある。
俺はもっとシンプルな眼鏡が好きなんだけどな。
「お会計は480円になります」
開いていた財布から500円玉を取り出す。
「ポイントカードはお持ちですか?」
髪は濃く暗い茶色。長い髪を首の後ろで結わいて、肩甲骨の下まで垂らしている。
「もってないよ」無愛想に言う。
仕事中だからだろう、彼女の化粧は薄い。
「失礼致しました。500円お預かり致します」--作り笑顔。まだぎこちない。
「20円お返し致します」
爪はとても薄いピンク。
「どうも」俺の口調は無愛想だ。


「ありがとうございました」
少し太ったんじゃないか?



鉄か何かで出来たドアを開ける。いつもの事だが重い。
開いた空間に体を入れる。肘でこじ開ける。荷物が扉に突っかかる。
室内に体を滑り込ませる。我が家だ。
息を吸い込む。我が家だ。
壁のスイッチで室内の電気を付ける。我が家だ。


バッグと楽器が入ったケースを上り框に置く。
革靴を脱ぐ。木製の床に足を上げる。
靴下を脱ぐ。洗濯機の方に向かう。
蓋は空いている。中に向かって放り投げる。シュート、ゴール。


ジャケットを脱ぐ。
玄関の壁に掛けられたハンガーに掛ける。
下駄箱の上にあるスペースに置かれているブラシを手に取る。
それでジャケットを下から上に、上から下に撫で付ける。
埃を取る。起き上がった毛と繊維を寝かして行く。
洋服は手間をかければかける程、身体に馴染み色気を増して行く。


買って来た弁当をテーブルに置く。
パンツを脱ぎ、ダイニングのイスに掛ける。
シャツを脱ぐ……これは……明日でいいよな?
明日風呂に入る時にでも、袖と襟の汚れを石鹸で落とそう--師匠からの忠告。


バッグの中に入っている衣類は、すでにホテルでクリーニング済みだ。
噂に聞くシャツの素晴らしい仕立て方、糊の付け具合。悪くない。
荷を解くのは明日で良い。


兎に角シャワーだ。
んで、ビールだろう。



下着を脱いで、洗濯機に叩き込む。
風呂場の扉を開ける。お湯の蛇口をひねる--冷たい。
早く温かくなってくれ--よし、よしいいぞ。
頭からお湯を被る。気持ちが良い。
シャンプーだ。洗顔だ。ボディーソープだ。トリートメントだ。
日本に帰って来た実感が沸いた。


タオルで体を拭く、髪を拭く、
体から零れ落ちた水で濡れた床を拭く。
保湿ローションを顔へ適当に塗る。
鏡を見る。アメリカの食事で数ミリ太った気がする--まぁ、いい。


暗い色の木で出来たクローゼットからジーンズを取り出す。
下着も履かずに足を通す。上半身はこのままで良い。


眠い--まだだ。
弁当を開けろ、箸を持て--その前にやる事がある。
冷蔵庫の扉を開ける。ハイネケンを取り出す。
プルタブを開ける、プシュっと小気味の良い音がする。
口元に持って行く。
10度、30度、80度--缶を傾ける。
ビールが口を、喉頭を、食道を通過して胃に到着する。
ただいま--我が家だ。


ダイニングリビングのイスに座る。
弁当を食う--肉を、白米を、口に運ぶ。
10分もかからずに食べ終わる。


ベッドの横にあるテーブルから電話の子機を取り上げる。
ベッドに横になる。
市外局番を押す。その後はデタラメに思いついたままに数字を押す。


1回目で……架かった。
呼び出し音が流れる、1回、2回、3回……6回、カチャ。
「はい、もしもし」--老婆の声。
「あなたの好きな映画を教えて欲しい」
「はい?」
「好きな映画は?」
「間違えてますー」
「いや、間違えていない、あなたの好きな映画を」ガチャ。
電話を切られた。


2回目。ランダムに数字を押す--「御架けになった番号は現在使われておりません」
3回目。ランダムに数字を押す--「悪戯は止めて下さい!」--若い女の声。
4回目。ランダムに数字を押す--「は?」--多分、俺と年が近い男の声。


「あんたの好きな映画を教えて欲しいんだ」
「からかっているのか?」
「いや、趣味なんだ。周りの人間がオススメして来る映画は全部見てしまって」
「……」考えているのか?


5秒、10秒--電話の男はまだ答えない。


「柏木、お前は緊張しすぎだ」
「はい?」
この男が好きな映画を答えるか、電話を切るか悩んでいる少しの間、
俺の心は過去に飛ぶ。


「ステージに上がったお前は指も舌も固まっている。
 あれでは実力なんて出せないだろう」
外のベンチに座って、
上手く演奏出来なかった事に落ち込んでいた俺に師匠がそう話しかけた。


「適度な緊張は、それは良いんだけどな」
いつもの様に俺の目を見ながら、
膝丈の黒いコートを風に旗めかせ、手をポケットに入れて話す。


「分かってはいるんですが、どうも緊張してしまって……」
「度胸を付ける方法なんて簡単さ。
 家に帰ったら知らない奴に電話を掛けろ。
 そして好きな映画や最近よく食べている食べ物でも聴いてみな」
そう言って、月を見上げる。
「それ、いたずらじゃないですか」
「やってみなよ。柏木が思っているより簡単だよ」
顔をこちらに戻す--いつもの笑顔だ。肩まで伸びた黒い髪が風にそよぐ。


「の夜だ」
「あ?」
「だから、アメリカの夜だ」
男が答えた。俺の心が現在に呼び戻される。


アメリカの夜トリュフォーのやつ?あんたは映画関係者か何か?」
「ただの映画好きだよ。ってなんだ見た事あるみたいだな」
「ああ、答えて貰って悪いけど。でもあれは良い映画だよな。
 特に女優の夫……医者だったか大学教授だったかのキャラクターが好きだよ」
「男は大抵そう云う」
「そうかもな」
「もう切るぞ」「どうぞ、答えてくれてどうもありがとう」--ガチャ。


あれは何年前の出来事だったかな。
兎に角、少しだけ度胸とやらは付いて来ている様だ。







(つづく)







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