ブロークンネック&エッグノック


神様、ねえ神様。
なんで今でもビバップのジャズメン達のスーツ姿がクールに映るのかな神様。
麻薬中毒のどうしようもない男達のスタイルが。


神様、ねえ神様。
なんで今でもココ・シャネルがデザインした洋服が通用するのかな神様。
どうしようもない男達を愛し続けた生涯未婚の優しい女のファッションが。


神様、ねえ神様。
なんで今でもジャクソン・ポロックの絵画が
エネルギーに満ちあふれてると感じるのかな神様。
優しい女を愛し続けられなく自殺した男の芸術が。


神様、ねえ神様。
なんで今でもクレオパトラ7世の愛の軌跡が伝わっているのかな神様。
自殺した男の愛の意を汲んだ女の一生が。


神様、ねえ神様。
なんで今でも小デュマが書いた椿姫が僕らの心を撃つのかな神様。
愛の意を汲んだ女を書いた作家の小説が。


神様、ねえ神様。



苦痛と困難、悲劇と絶望、殺人と自殺、
陵辱と去勢、貧困と飽和、睡魔と病魔、
無関心と無理解、決めつけと単純化、恐喝と奴隷、
中毒と洗脳、無寛容と切り捨て、
罵詈雑言と阿鼻叫喚、嘔吐と便秘、差別と放任、
忘却と固定された記憶、自己嫌悪と自己憐憫
事故と罠、腐敗と慣例、灼熱と氷結、期限と怠惰、
長距離と短距離、長きと短き、多忙と浪費。



言葉では言い表せない全てが俺たちに襲いかかっていた。


切り抜けた人も利用した者も無抵抗の人間も自ら命を絶った人物もいた。
彼女達そして彼らの思いはわかる奴にしかわからない。


笑う奴は笑った。思いを考えなかった奴は考えなかった。


わかる奴にしかわからない。


この世界に鎮魂歌がごまんと在る事を我々は知っている。


知っているのだ。


そしていつの時代にも
鎮魂歌が歌われるだけではいけないのだと行動する人物がいるのも知っている。


だが我々は常に臆病なのだ。臆病なのだ。



我々はアリギエーリが書いた神曲のなかでのダンテより
シェイクスピアが書いたマクベスのなかでのスコットランド王より
ジョイスが書いた若き芸術家の肖像のなかでのダイダロスより
マルケスが書いた迷宮の将軍のなかでのボリーバルより
川端が書いた雪国のなかでの駒子より
セルバンテスが書いたドン・キホーテのなかでのキハーノより
臆病なのを知っている。



太陽に焼き殺されたイカロスより
裏切られたカエサルより
暗殺されたジョン・フィッツジェラルドケネディより
刺されながらも酒を飲み続けた力道山より
画家の夫の後を腹の中の子と共に追ったジャンヌより
師を追放したユングより臆病なのを知っている。



恐ろしい事に言い訳をし続ける者の末路も知っている。


知ってしまっているのだ。







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