All That Fake/オールザットフェイク(4.Moment's Notice)

鎮痛剤は決して神ではない。
アスピリンは、ロキソニンは俺達の前に鎮座する新しい神ではない。
彼らは救いをもたらさない。


現に今の俺は、鎮痛剤の1つである
アルコールに苦しめられている--昨日は飲み過ぎた覚えはないのだが。
きっと疲れが抜け切っていないのだろう--つまりは二日酔い。


「なぁ、聞いてるか?」--その声で瞑っていた目を開ける。
問いかけた相手の顔を見る--「ああ、聞いてるよ」

「悪役の説得力ってのは難しいんだよ。
 悪役の強さの説得力っていうかな



喫茶【PJ】。東京。歌舞伎町のど真ん中に有るビルの2階。
テーブル番号26番。
ワンフロア丸ごと喫茶店
個室も無ければ仕切りとなる壁も無い。


晩ご飯。或はコーヒーか紅茶。


目の前に座っている男があっさりとした色白の顔をこちらに向けて、
真剣な目で話している。
手にはツナと目玉焼きとサニーレタスが挟まったサンドウィッチ。


「小説でも、映画でも、マンガでもアニメでも」
「ああ」--相づちを打つ。
「たとえば分かり易い所だとドラゴンボールだよ。
 どーん!星を1つ破壊しました敵超つええ!
 ばーん!強い味方を一瞬で殺しました敵つええ!
 これとかすげえ強さ感が分かり易いよなー」
「ああ」--相づち。
「星破壊とかはSF的強さの表現だよね。
 じゃあより現実的な物だとどうなるのか。
 例えばマフィア、ヤクザ、ギャング。
 一人で何十も殺した!とか組織を壊滅に追い込んだ!
 とかも良いけど、それは筋力的な物だろうー?
 それもいいけど、マフィアもヤクザも組織だ、組織は人だ。
 筋力的だけじゃなくて、人間的な凄みを感じさせたい。
 冷酷さでも頭の良さでもいいけどさー」
「ああ」--相づち。


目の前に居るすっきりした顔の男の右目周辺には青あざがある。
年齢は俺と同年代だ。

「ああ、映画の『ユージュアル・サスペクツ』ではさ……」
「カイザーソゼ!」
「ヤァ!」


目の前の男がサンドウィッチに噛み付く。
アイスコーヒーで流し込む。


「柏木の言う通り」
左手の人差し指と薬指で、
俺の顔を指しながら語る--1本指で指さないは彼なりの礼儀らしい。
「作中に出て来る伝説のギャング、
 カイザーソゼの強さの伝説として語られる出来事、
 目の前で、そして子供の目の前で、
 敵対する組織の刺客に妻をレイプされたソゼは
 刺客と妻と子供達を纏めて撃ち殺す。
 そして奴は言いやがる、こうした方が子供も妻も幸せだ。
 このエピソードだけでカイザーソゼの
 人間的な恐ろしさってのが伝わって来るだろ」


そうだな--イタリアの硬水【ゴッチアブルー】を飲みながらうなずく。
演奏の前に胃を満腹にする事は出来ない。
腹に息が入らなくなる。
俺が弾いている楽器がコイツの様にピアノだったら、
コイツの様になにか食べている所だ。


「『ゴッドファーザー』では……」
「そうなんだよ!流石柏木!」--大げさな手振りとウィンク。

「映画の冒頭、結婚式が行われている裏で 
 一介の市民である葬儀屋が、
 娘をレイプしながらも無罪判決を受けた男共に対する復讐を
 ゴッドファーザーに依頼する」
「彼は依頼を受けるが、金は受け取らない。
 葬儀屋に求めるのは自分に対する敬愛なんだよな」
「そうなんだよ、映画の主題云々を置いといても
 人間や組織やの強さと恐ろしさが上手く伝わって来る。
 悪役の説得力としても素晴らしい」--お互い早口で映画冒頭の粗筋を説明する。


【ゴッチアブルー】のボトルを手に取る。
少し温くなってる--喉に対してはこちらのほうが良い。
グラスに中身を注ぐ--一口飲む。
当たり前だがウーロン茶や緑茶はだめだ。
喉の油を取り去り乾燥を促す--そして音が出なくなる。


目の前に座っているこの男の渾名は最悪だ。
最悪な渾名なんじゃない、渾名が「最悪」なんだ。
本名は--


「なぁ瀬野山」--そう、瀬野山だ。
彼にそう呼びかけたのは、俺の隣りに座っている男だ。
「映画は良いよな、映画は。
 俺も好きだよ」--手に持ったアイスコーヒーをストローで啜る。
隣りの男に目をやる--疑問を抱いていると表す様に、
短い金髪頭をゆっくり左右に振っている。


「所でその顔の痣はどうしんたんだよ……」
「はい!はい!はい!美馬ちゃんそこに触れていくぅー!」
最悪事瀬野山が大きな声を出す。
こいつは急にテンションが上がるというか、
テンションが一定ではないので困る。
「はい!柏木ちゃん、コイツはいきなりテンションが上がるから困る苦笑……
 などと思っていくぅー!」
「うるさいよ」--苦笑い。困った奴だ。苦笑。
ピアノの腕は良いのに。苦笑。


「柏木があえてスルーとしていたのも、
 美馬が尋ねる気持ちも分かるよ!
 だから説明してやろう、これは」
「ウィイッス」


瀬野山の隣りにギターケースを持った男が表れる--話しは中断。
彼は店--仕事場によらず直接こちらに来た様だ。
前髪は眉毛の少し上、横は耳を出してる、後ろの毛は短い。
ストライプのタイトなスーツ、黒の革靴。


「ウッス」「よぉ」
「元木ちゃん今日も頭撫でられてるねー」--瀬野山が笑いかける。
「最悪うるせさいよ、今日は撫でられてねーから、彼女早朝から会議だったし」
元木がそう言いながらイスの後ろにギターケースを立て掛け、
瀬野山の隣りに腰掛ける。


「美馬、ベースは?」--元木がメニューを手に取りながら尋ねる
「今日はウッドの方。アップライトは修理に出してるよ」
「なるほど、オーケー。えーと、あーすいません、Bサンドウィッチを1つ」
店員を呼び注文をする。


メニューをテーブルの端に戻し、元木が俺の方に顔を向ける。
アメリカはどうだった?」
「よかったよ」
「そっか、向こうのクラブでも演奏したって?」
「ああ、盛大な拍手で終えてやったさ」
「加持さんは元気だった?」--師匠の事だ。
「いつも通りにクールだったよ」--師匠。
「相変わらずだな」そう言って元木が笑う。
「そう言えば美馬も昔アメリカに……」--元木が話題を変える。


硬水を口に含む、飲む。
右手で左肩を触れる。首を左右に揺する--首の神経を解きほぐす様に、
「トイレに行って来る」--席を立つ。
「おう」--誰かが返事をした。


トイレに向かう途中で回りを見渡す。
店員を捜す。
いない、いない、いない、居た。
探していたウェイトレスを見つけた。
制服は茶とベージュで纏められている。
上着は半袖、スカートの丈は短くも長くもない。
身長は155Cmくらい、やせ形、腕と脚を見れば骨が浮き出ている。
目の大きな美人。話し相手の目を覗き込みながら、顔を傾げるのがクセ。
愛想良く笑うのがクセ、自分の美貌が周囲に及ぶ影響を知っているのがクセ。
後頭部で結わいた髪の毛、左手には何も乗っていない皿を持っている。


「明日香、トイレの鍵を」
「……」--不機嫌な顔で睨まれる。
「宮増さん、トイレの鍵を下さい」
「はい、少し待ってくださいね!」--ワザとらしくも爽やかな笑顔。
年齢は20代中盤。気は結構強い。


店の奥に回った彼女が〈下敷〉大のプレートが付いた鍵を持って来る。
「はいどうぞ、ご利用後鍵は返してくださいね」--爽やか声。
「後店で下の前で呼ばないでってこの前の言ったでしょそれくらいわかってくださいよ嫌がらせですがそんな事すると店長に頼んでトイレの鍵を貸さないリストに登録しますよ?」--ここは小声、笑顔--と怖い声--ごめんなさい。
「ごめんなさい」--ここは素直に謝ろう。


喫茶【PJ】のトイレを利用するのには、店員に鍵を借りなくてはならない。
トイレは1カ所、男女共同。
中に洋式トイレが備え付けられた個室が二つある。
だが、一度に利用出来る人数は一名だ。
なんせトイレ自体の扉に鍵が付いているのだから。


数年前--と言っても俺がこの店を利用する事になるより前の事だから、
それなりに昔にはなる、街が変化する程度には時間が経っていると言う事だ。
店には場所柄、
他の地域ではあまり見かける事が無い様な職業の人間を多く見かける。
ホスト、ホステス、ヤクザ、チンピラ……。
その内のヤクザが店内で中国人マフィアに襲撃される事件があった。


中国人マフィアは目標となるヤクザ一味を同店で発見。
トイレでボストンバックから銃器等を取り出し襲撃の準備をする。
そして襲撃--体中に穴の空いたヤクザが完成する--死者は6名。
警察は威信を掛けて犯人を探すも実行犯を特定する事も出来ず、
中国マフィアからの身代わりと思われる人物の出頭もなかった。


以後、街での抗争は激化。組織同士の力関係も変化するが、
この店で変った事と言えば、トイレの扉に鍵が付いて、
その扉を開ける鍵が貸し出し性になった事だけだ。
店名も変わってはいない、
さすがにイスやテーブルは新しい物に変った様だが。


トイレの鍵が貸し出しせいになってからは、
この店がヤクザとマフィアが繰り広げる抗争の舞台になった事は無い。
だがその少し後にまた別のトラブルが起こった。


当時は鍵に〈下敷〉大のプレート等は付いていなかった。
その鍵を誰かが持ち帰った。
なんせ、鍵は鍵だ、小さい。
衣服のポケットにも、持ち歩いてるバッグにも入り、
上手くやれば目立たずに店外に持ち出す事ができる。


行方不明のままと思われていた鍵だが数日と経たず発見された。
客が座るソファーの背と尻を乗せる部分の境目にねじ込まれていたんだ。
鍵は見つかった--だが、それだけでは終わらなかった。
盗んだ奴は、合鍵を作ってから店に鍵を戻していた。


結果、鍵がソファーから見つかった数日後、
店の常連だったホストが
洋式トイレに尿を浴びせかけている所を後ろから刃物で刺された。
即死ではなく彼は自らの尿と血と臓物の液に塗れて苦しみならが死んだ。


犯人はホストの客であった女だ。
二人の間に何が在ったのか、
殺人の動機は何であったのかは聴いていないので知らない。
犯人である女は目標であるホストがこの店の常連である事を知っていて、
トイレの合鍵を手に入れ、犯行の機会を伺っていた様だ。
彼が勤めているホストクラブで犯行に及ぶのは勿論、
この歌舞伎町では暗い小道であっても人を殺すのには目立ちすぎる。


女はホストを刃物で刺した後、合鍵で表から扉に鍵を締めて逃走。
ホストが発見されたのは数十分後。その時には既に事切れていた。
女は数年経った今でも捕まっていない。


そして二度と鍵を盗む奴がいない様、
非常に目立つ下敷大のプレートが鍵に付けられる事となった。


扉の鍵穴に鍵を突き刺す。
扉を後ろ手で締める、鍵をかける。
ベルトを外し用を足す--ベルトを締める。
鏡を見る--少し落ち込んだ顔をした男が写っている。
師匠の話しが出た途端これか--苦笑。
随分と俺はナイーブじゃないか、と思う--苦笑する。
両手で頬を叩く。笑顔を作る--よし。


外に出て扉の鍵を閉める。
近くに居た男の店員に鍵を返す。
席に戻る。スーツを着た3人の男達が何かを話している。


「ルシファーとか格好いい訳じゃん?
 神による守られた服従よりも反逆の自由を選ぶ」--美馬だ。
「あれはかっけえぇよな」--瀬野山だ。
「あれ主人公はルシファーだからな」--元木だ。
「そう、ただ悪役の恐ろしさを描くだけじゃなくてさ、
 そんな格好いい悪役を登場させるというも方法としてはある訳だろう?」

イスに座る。
「ミルトンの【失楽園】の話でもしているのか?」
「ああ、そうだ」美馬が右の口角を上げる。
俺も口角を上げる。
「確かにあいつは良いキャラクターだよな、
 というか今まで何回世界中の諸作品の元ネタになってきたんだろうな?」
「一万回じゃたりないんじゃない?」--元木が人差し指を突き立てる。
「そうだな、と、でだ」--美馬が少し真剣な顔になる。


「最悪のその痣の理由を話しくれ。
 女性の常連さんだって多いんだ、顔は大事だ」--美馬が瀬野山を見つめる。
この四人が集まる時は美馬がまとめ役になる--特に年上と言う訳ではないのだが。


「いや、女とセックスししてさ」--瀬野山--頭に手をやり少し俯き気に話し始める。
「話しの導入がそれかよ!」--元木--呆れながらも大きな声。
「はいはい、
 元木ちゃん頭を撫でられていくぅ」--元木の頭に乗っける様に手を伸ばす。
「うるせえよ、続き続き」--手を払いのける--元木の苦笑


「軽いウェーブが掛かったロングヘアーが似合う女でさ」
「デティールは良いから……」--美馬が呆れながらも話しの先を促す。
「まぁ普通にしてた訳、コンドーム付けないで、生で。
 おいおいそこはちゃんと気をつけろよ!」--瀬野山が俺達を見回す。
沈黙。


「って、誰もツッコもないんだなお前ら」--瀬野山がもう一度俺達を見回す。
沈黙、沈黙。


瀬野山の咳払い。
「で、普通に彼女は帰った訳、あ、俺の家でしてたんだけどさ。
 で、身体がすげええダルかったから少し横になってたのソファーで、
30分くらいかな?」
「ああ」--相づちを打つ。


「そしたらさ、玄関のチャイムが鳴って、出たら連絡もなくやってきた女でさ」
「一応、確認するが」--美馬。
「さっきの軽いウェーブが掛かったロングヘアーの女とは別の人なんだよな」
「もちろん」
この言葉を聞いた美馬が目を瞑る--額に指先を乗せる。


「どっちかっていうとセミロングの……」
「デティールは良いから!」--元木
「あーはいはい、でさ、あ、これ面白いかも!と思って、
 キスしたあとに、ここでフェラしてよ、って言ったの。
 その子は自分に自信がなくて俺に嫌われない様に努めている子だったから、
 してくれるかな、っていうか前にも玄関でしてもらったんだけど」


美馬が顔を俯かせる。
元木はいつものことだとサンドウィッチを食っている。
俺もこいつはいつもこいつだなと思いながら【ゴッチアブルー】を飲む。
つまりみんな何も言葉を発していない。
瀬野山の話しは続く。

「数分は普通にしていてくれてたんだけどさ、
 急にこっちの顔をみて「いつもと違う味がする」っていうの」--笑顔。
「だから、ああ、
 さっきまでセックスしてたからその女の愛液の味じゃないかな?
 って言ったら次の瞬間玄関に置いてあった靴の踵で
 俺を殴打でこれもんですわ!」--顔の痣を指差して笑う。


「おまえさ」--美馬が顔を上げて瀬野山を見る、
「はぁー」--元木の溜め息、瀬野山を見る、
「まったく」--俺は少し笑顔だ--呆れた思いで瀬野山を見る。


「この子だったらそんな反応しないと思ったんだよね、
 泣き出したりするのかなって、
 そうしたらすげえ面白いと思ったんだけど、ほら女の泣き顔って可愛いから。
 でも結果この痣だよ。あーでも怒った顔も面白いんだよなぁ。
 はははっ、これだから女性は本当に面白いよな」---瀬野山の爆笑。


「しょーもねー……」--美馬が苦笑している。


「なあ、俺って本当に最悪だろ?」--瀬野山の大爆笑。



「最悪だ」--美馬。
「最悪だよ」--元木。
「最悪だな」--俺。



最悪だ。








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