【短編小説】底が抜けちまった(前編)


前編;本文
中編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130415/1366044153
後編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130417/1366177435






       物語には力が宿る
       強度を求めるならば5つの捧げ物が必要になる
       事実 嘘 構造 多義性 真実


      (ルイジ・プルチ作のモルガンテを
       パロディーとして書き換えた
       小説「パンタグリュエル」(1532年)より)
        フワンソワ・ラブレー フランスの作家
      (1483〜1553)
  



 
《底が抜けちまった》


なんせ、全て水と消えちまった。
威勢のいい事行ってた奴に限って即行逃げちまった。


ダ・ヴィンチは頭の上で手を組みながら、
座っている椅子の背もたれに体重を掛ける。
そのまま頭を上げて天井を見上げる。
まったく厄介な事体だな。


時刻は夜で、白い蝋燭の火が
木製の室内を照らしている。
フェレンツェにある自宅の天井は高い。
天井からは彼が設計した空飛ぶ装置が吊り下げられている。
この装置は人の背中に付ける巨大な羽だ。
モデルは鳥だ。
自宅に傷を負って迷い込んだ鳥を介抱してやって、
鳥がいざ大空に飛び立たんとする瞬間を見て思いついた物だった。
同時に上下する双方の羽。飛び立ったあと姿勢の固持。
民家がバルコニーを飾る為に掲げた
数多くの花を舞散らせる風。を温める太陽。
上昇する鳥。
この装置を付けた人間が風の強い日に高い所から
空中に飛び出せば、人は空を飛べるはずだった。
実験の被験者に名乗り出る奴は今だにいないが。




《あーチンコかゆい》


ダ・ヴィンチは姿勢を変えずにそう思う。
手で自分のペニスを掻きたくなるが優雅ではないので我慢した。
別に誰に見られているという訳ではなかったのだが。


何かを移されたかな?
やはり原因はあの時買った男娼だろうかと考える。
普段は男娼など趣味ではないが、
顔があまりにも可愛かったのでつい手が出てしまった。
感染症じゃないだろうな?とダ・ヴィンチは眉間に皺を寄せる。
もしそうならば、あの男娼を1発2発ぶん殴ってやろう。
まったく、俺の人生の前で邪魔な転がり方をするんじゃない。


ダ・ヴィンチはペニスを手で掻く代わりに、ワイングラスを握った。
白いワインを口内に注ぎ込む。
夕食に食べた鳥の肉の脂や小さな食べカスが胃の中に流れた。
何もかもが流されて口の中がすっきりした。
さっぱりとした気分になった後で、
彼はアマルフィもこうやって何もかも流されたのだろうかと想像する。
ダ・ヴィンチの気持ちに影が落ちた。




トスカーナのワインはやっぱうめーな》


ダ・ヴィンチはここ10数年は
フィレンツェとミラノの間を行ったり来たりしている。
だがフェレンツェに居る方が落ち着くなと改めて思った。
フィレンツェ共和国内のトスカーナ、ヴィンチで生まれた彼は
若い頃から首都であるフィレンツェに住んでいた。
だからミラノ公国の首都ミラノよりもここに馴染みと安らぎ感じていた。
なによりワインが旨い。
流行のシチリア王国産のワインは甘すぎるし、
ミラノのワインは評すまでもない。
それに比べてトスカーナワインの複雑でいて切れ味の素晴らしい事よ。
特に複数の高い塔がそびえ立つ町、
サン・ジミニャーノの白ワインはダ・ヴィンチの好みだった。
あの町は面白い、小さな町の中に塔が複数建っているだけでも面白いが、
その高さが富の象徴となっている所がさらに面白い。
だがしかし、やはりシチリア王国のワインは品質その物が高い。
好みはあれどあの島はワイン好きに取ってゆめのしまだろう。
いつかあそこに別宅の1つでも持てれば良い。
ダ・ヴィンチがそんな事を考えていると、彼の耳に大きな音が響いた。





     いかなる虚偽もその為に
     更に別の虚偽を捏造する事なくしては主張する事ができない


    (神聖ローマ帝国錬金術士ゲオルク・ファウストをモデルにした
     戯曲「ファウスト」の断片より)
     ゴットホルト・エフライム・レッシング 神聖ローマの劇作家
    (1720〜1781)





《ああ、うっせーな》


自宅の外から女の泣き声が聴こえたダ・ヴィンチ
考えを止めて不機嫌になる。
それから天井と羽を見つめて白いワインの余韻に浸るのをやめた。
見えもしないはずの外の通りを見つめた。
彼の目に見えたのは石で出来た壁と、今は閉じられている木製の窓だけだった。

だがダ・ヴィンチの心が見たのは、
暗い家の中で泣いている女の顔だった。
彼のフィレンツェの自宅はの街の中心地に在った。
静かな夜はこうして近所の家に住む人々の声が聞こえてくる時もあった。
女が泣いている理由は不安とか恐怖とか憎悪とか混乱だろうと予想する。
何時もの事だ。まったく落ち着いて酒も飲めないじゃないか
泣く女は五月蝿い、
デッサン用の消しパンを口に詰め込んで黙らせれてやろうかと、
ダ・ヴィンチは口元を歪めて微笑した。




《女の涙を力ずくで止めるのはさぞや楽しいだろう》


ひとしきりそう言った妄想を楽しんだ後、
女ではない、女を泣かせる状況が悪いのだと
ダ・ヴィンチは長髪を掻き上げてから、怒りの対象を変える事にした。
そもそも外に出るのには服を着なきゃなれーしめんどうくせえよと
彼は自分の裸の腹筋を掌で撫でた。
ダ・ヴィンチは今、裸だった。
上下一体型の下着、ドレスシャツさえも来ていない。
理由は小一時間程前まで、
椅子に座る彼の足下で寝ている人物と身体を重ねていたからだ。




《安楽かな顔をしやがって》


ダ・ヴィンチはそんな気持ちで,
オスマン帝国で作られた柔らかい敷物の上
彼が座る椅子に手首を巻き付ける様にして寝ている人物の寝顔を見つめる。
ダ・ヴィンチは床に這う長い髪の毛を自分の足の親指で絡めとって流した。
ダ・ヴィンチは俺の髪の毛より綺麗だなー、綺麗だなーと思って、
小憎らしい気持ちで寝ている人物の頬を足の親指で突いた。





     1つの嘘をつく者は、
     自分がどんな重荷を背負い込むのかを大抵は気がつかない
     つまり、1つの嘘を通す為に別の嘘を二十発明せねばならない


    (「ガリバー旅行記」の作者スウィフトが
     神聖ローマ帝国錬金術士ゲオルク・ファウスト
     題材に書いた小説「ファウスト」の断片より)
     ジョナサン・スウィフト アイルランドの小説家
    (1667〜1745)





《起きっかな?》


そんなダ・ヴィンチの予想通り、
彼の足が原因で閉じれていた目がゆっくりと開く。
「せんせい、もう朝なのですか?」
ミラノ語の訛が抜けないトスカーナ語で
眠っていた青年が口を開いた。
青年は顔をダ・ヴィンチの裸の太ももに乗せた。
青年の緩やかに曲線を描く長く柔らかい髪の毛が
彼の太ももをくすぐった。
可愛いらしい青年の寝起きの顔を見ながら、
ダ・ヴィンチはチンコかゆいの移しちゃったごめんなと思った。
でも、2人して痒いとか笑えるし笑えるし面白いしすげえ笑えるし笑えるよと
青年の瞳を悪魔でも穏やかな表情で見つめた。




《やぁ。まだ夜だよ》


ダ・ヴィンチはそう返事を返した。
青年は20歳になったばかりだった。
1454年に生まれたダ・ヴィンチよりも18歳も若い。
現代、1492年。ダ・ヴィンチは38歳の仕事盛りだった。




サライの髪はやっぱサラサラだわー》


ダ・ヴィンチは右手で
寝ぼけて彼に甘える青年の髪を撫でながら左手でワインを飲む。
青年はダ・ヴィンチの弟子にして、ダ・ヴィンチの愛人だった。
青年は名前をジャン・ジャコモ・カプロッティと言う。
ダ・ヴィンチがジャン・ジャコモを呼ぶときのサライは所謂愛称いうやつで、
ダ・ヴィンチが弟子に画家としての名前を付けてやろうと言って命名した物だ。


彼の本心としてはそれは割とどうでもいい事だった。
ダ・ヴィンチ命名という事の意味を知っていた。
キリスト教カトリック教会の霊名や東方正教会の聖名。
つまり洗礼名。アジアで使われる字名。
命名の先に在るのは新たな人格と運命の創造と加護だ。
そして個人的にはダ・ヴィンチの独占欲。
彼は愛する男を自分の物にしたかった、
それが自分の好みに合っていた。
青年の今までとこれからを切り離すつもりで新名を名付けた。





     物語は船の構造
     1つはマスト、2つはバラスト
     マストは心を目指す物へと近づけてくれる
     バラストは偏った心を中立に戻してくれる


    (フランシス・フォード・コッポラ監督(ゴッドファーザーなど)の
     映画「地獄の黙示録」の原作「闇の奧」を書いた、
     テオドール・コンラード・ナレツ・コジェニオフスキーの言葉)
     テオドール・コンラード・ナレツ・コジェニオフスキー
    (1857〜1924)



    

《我ながら良い名前を付けたな》


ダ・ヴィンチはジャン・ジャコモ・カプロッティにある思いを込めてサライ
フルネームではアンドレア・サライという名前を付けた。
勿論青年にもその名前が持つ意味を意味を教えてやった。


アンドレアはキリスト教の聖人にして
エスの12使徒の1人の名前だ。守護聖人としては漁師を守護している。
アンドレアは同じく聖人にしてイエス使徒の筆頭、
そして初代ローマ教皇になったシモン・ペトロスの兄あるいは弟だ。
兄弟は始め、イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの弟子だった。
その後、ヨハネの許可を得てイエスの弟子となった。
2人はイエスの最初の弟子だ。


つまり、ジャン・ジャコモ・カプロッティに付けられた
名前であるアンドレア・サライアンドレアとは偉大な聖人の事だ。
サライには聖人の名前が相応しい。
そもそもジャン・ジャコモ・カプロッティのジャンもジャコモも聖人の名前だ。
新名とはいえ、聖人の加護をはずのは良く無い事だ。




《兄あるいは弟か……まったくムカつく》


この言葉を思い出したダ・ヴィンチ
そういう所はちゃんと記録しておいてくれよと眉間に皺を寄せる。
この表情は幸せそうに寝ぼけているサライには見せたくねーなぁと
顔を隠す様にして天井を見上げる。
それから意味もなく自分の裸の腹を掻いた。



ダ・ヴィンチ、38歳。
彼が32歳だった6年前の1486年。
ダ・ヴィンチキリスト教はフランシスコ修道会からの依頼で
ミラノはサン・フランチェスコ・ グランデ聖堂に祭壇画として
【岩窟の聖母】という油絵を制作している。


油絵の制作を始める当たり、
ミラノ行政が発行した月報誌にダ・ヴィンチの名前が書かれている。
印刷という紙や布に描かれた物を複製する技術は昔から在ったが、
複製物を大量に生産出来るシステムとして完成させたのは、
神聖ローマ帝国ヨハネス・グーテンベルクだ。時代は1450年の事だ。
1455年には世界初の活字印刷で作られた聖書を180冊作っている。
1490年、フェレンツェやミラノという国々の識字率は高かった。
貴族や聖職者は字を読める事が当たり前であったが、
一般市民にはまず最初に文字は、商人が使う道具として広まっていた。
1450年、そんな状況に印刷技術が加わり文字は市民にも普及して行く。
公証人と言う文章を作成する職業が盛況したのもこの時代だ。
だからこそフィレンツェやミラノでは人文学から始まる諸処の芸術が発展した。


ダンテ・アリギエーリがフィレンツェで使われていた言語、
トスカーナ語で【神曲】を書いたのは14世紀初期の事だ。
フィレンツェには人文学が発展する下地があった。


そういった中で印刷されていたミラノ市の月報誌には
サン・フランチェスコ・ グランデ聖堂の祭壇画を担当する画家として、
ダ・ヴィンチの事が載っている。
月報誌に書かれているミラノ語はこうだ
「素晴らしい技術、丈夫な力強い肉体、美しい顔立ちをもつ芸術家」。
(Artista con grande tecnologia, forte corpo durevole e bei lineamenti)


ダ・ヴィンチ、38歳。
彼を讃えるミラノの言葉から6年後の今、1492年でも
彼は技術は無論、力強い肉体と美しい顔立ちを持ち、
それらが年が原因で衰えるという事はなかった。
彼が自分で掻く腹部は6つの大きな隆起で仕切られていた。


そんなダ・ヴィンチは1487年から1490年にかけて
【最後の晩餐】を描いていた。
依頼主はミラノ公国の統治者、スフォルツァ家の当代当主ルドヴィーコだ。
描いた場所は、
ミラノ市にあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁だ。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院はルドヴィーゴの父親である
フランチェスコが建設を命じた。
時代が進み、老朽化した修道院の改修を命じたのが
フランチェスコの息子ルドヴィーコだった。


ダ・ヴィンチとルドヴィーコは2歳しか年が違わない。
ダ・ヴィンチ建築学地形学や統治学にも詳しく
そういった知識からある種の軍事にも通じていた。
それは防衛という行為だ。
当の当主は芸術に明るかったので2人は意気投合した。
ダ・ヴィンチはそれもあってルドヴィーゴの
壮大な教会改修計画に賛同して、大きな絵画を描く事を引き受けた。




《ああ、ムカつな》


ダ・ヴィンチは過去を思い出して怒りを増大させた。
自分を落ち着かせようと首の後ろに手を回して分厚く固い肩を揉んだ。
ダ・ヴィンチに取ってアンドレアとペトロスの兄弟。
そして自らが描いた最後の晩餐は苦々しい想いに彩られている。


最後の晩餐を掻くにあたり形式や資金的な問題面はなかった。
新しい技法にも挑戦出来た。
絵画の真ん中にイエスを描く事は決めていた。
大きすぎる絵画なので遠因法を正確に保ちながら描く為に
真ん中に釘を打って、そこからひもを使って四方八方に直線を引いた。
それを目安に美し調和のとれた絵画を描く。
結果イエスのこめかみに釘の穴が空いているという形になったが
完成する直前に穴を上手く補修したのでバレる事はないだろう。


問題は彼が若い愛人に付けたアンドレア・サライという新名の由来である、
アンドレアとペトロス、イエスの12使徒である2人の兄弟の事だ。
エスが磔の冤罪に科せられる直前、
師と12人の弟子で行われた食事風景を描くこの絵画に
2人を登場させない訳にはいかなった。
だが、この2人はどちらが兄で弟なのかハッキリしていない。
ダ・ヴィンチにはそれが気に食わなかった。


描くのならば完璧な物を描きたいというのがダ・ヴィンチだった。
描く対象の意味と歴史を調べ、
描かれる風景の草花や石や土の性質を調べる。
人の肌の色を知り瞳を覗いて、空の色を確かめ風の吹き方を思う。
そしてそれを言葉を持たない絵だけを使い自分の技術で的確に表現して行く。
時には描く人物が纏う衣服の材質を知る為だけに
大量の古文書を読み漁る事もあった。
だからダ・ヴィンチアンドレアとペトロス、
どちらが兄であるのかを知りたかった。
彼が常に完璧を目指していた。
ダ・ヴィンチがいう完璧とは調和が取れている事だ。


ところがイエス使徒達の事が書かれている新約聖書をいくら読んでも、
アンドレアとペトロスの2人は兄弟だとしか書かれていなかった。
これではどちら兄なのか弟なのか分らない。
この時代に普及していた聖書は旧新ともにラテン語に翻訳されている物だった。
調査に手を抜かないダ・ヴィンチは原文であるギリシア語版の新約聖書を読んだ。
だが彼が望む答えは得られなかった。


新約聖書は本来はギリシア語ではなく
エスと弟子達が会話をする為に使用していアラム語
ヘブライ語で書かれているという説があった。
そんな新約聖書の原文があるのあらば、
そこにこそ兄弟の答えがあるかもしないとダ・ヴィンチは思った。
だが、彼の人脈が許す限りの貴族や王族、商人そして聖職者に
アラム語ヘブライ語で書かれた古い新約聖書の所在を尋ねても、
返ってくる返事は「残念だが、そう言った物は未だ発見されていない」という物ばかりだった。


ダ・ヴィンチは自分で出来る限りの調査をし尽くした。
結局、アンドレアとペトロス、どちらが兄であり弟であるのか?
という疑問の解消を彼は諦める事にした。心は悔しさに溢れた。
当時の状況を明確に記憶しなかった聖人達の事をもう少しで恨みそうになった。


直前の所で思いとどまったのは、
ルネサンスと言う人文学の隆盛、様々な哲学の広がり。
カトリック教会の権威の弱まり。宗教改革の息吹を感じさせるこの時代、
その直前の15世紀後半、ダ・ヴィンチが神の存在を信じていたからだ。
人体の調和を知る為に人間の死体をを解剖しても、
防衛兵器を開発しても、男を抱いても、
彼は神の存在を疑うぎりぎりの所で信じていた。
神の存在と神と契約した者達の繁栄。
そして世界は最後の審判が起こるまで続いて行く
そういった思いが彼が自分の作品に完璧を求める原因だったとも言える。


つまり






     「手を抜くな。すべてを容赦なく調べなさい」
     「とくに一つの何かの作品の細部に入っていきなさい」
 
    
     (アニー・ディラード作の「本を書く」より)
      アニー・ディラード アメリカの作家
     (1945〜 )

     



《俺の作品は後世に残っちまうよなぁ》


ダ・ヴィンチは作品を作る際に常にそれを意識していた。
これを天才の自惚れとも天才の先見性とも捉える事が出来る。


疑問が解消される事のなかった当時のダ・ヴィンチは想像する。
最後の審判を書き終えた後にアンドレアとペトロスの
どちらが兄であり弟であるかと言う事が
何らかの歴史的資料の発見から判明したらどうする?
それが自分が今から描こうとしている物とは
反対の結果だったとしたらどうなる?
それが最後の審判が完成した1日先なのか1ヶ月先なのか
1年先なのか10年なのか100年先なのかは分らないが、
それが自分の命が在るうちならばまだましな方だ。
幾らでも描き直せるし、正しい物として同じ題材の新作を作っても良い。


自分の死後だったらどうなる?ダ・ヴィンチは想像する。
得意げに自分の調査の失敗を指摘する人々を、笑う人々を。
てめらぶち殺すぞ!と
あるかどうかも分らない未来と未来の人々を想像して、
ダ・ヴィンチは読んでいたギリシア語の聖書を
ミラノの自宅の床に叩き付けそうになった。
勿論ギリギリの所で思いとどまる。
それから彼は目を瞑る。椅子に座る。
自分が最後の審判を描いている所を想像する。
西暦33年、イスラエルにあるシオンの丘。
そこにある建物の2階の大広間を想像した。
新約聖書内のマルコによる福音書、14章15節によれば、
最後の晩餐の舞台は2階の大広間だった。
彼は今まで読み込んだ"資料"を思い出す。




《今はこれが限界か……》


それから3年後の1490年。
ダ・ヴィンチ、36歳。
彼は眉間に皺を寄せて完成した最後の審判を眺めていた。


最後の審判に描かれている場面は
エスが弟子の裏切りを自ら予言した瞬間だ。
新約聖書内のヨハネによる福音書
13章21節から24節までに書かれている事を描いている。
勿論、アンドレアとペトロスの2人の兄弟、2人の使徒も描かれている。
ペトロスがヨハネに何かを耳打ちしている。
今までパンを切る為に使っていたナイフを力強く握りしめ、
今にも裏切り者を殺さんとする勢いだ。
アンドレアは両手を掲げて師の予言に驚いた表情をしている。
2人の顔は似ている。だが表情は違っている。
2人の外見から推測出来る年齢は近い。だが異なる行動をとっている。
2人は隣り合って座っているが、彼らの顔は離れている。
2人の上半身の間には銀貨を持つユダの顔がある。


一目で彼らが兄弟だとは分るが、どちらの年齢が上かは分らない。
完成を祝うミラノ公や聖職者の言葉に、
ダ・ヴィンチは1人不満な表情を浮かべていた。
誰にも分らぬ様に小さく歯ぎしりをして
今はこれが限界なのかとつぶやく。




《完璧主義って奴も考えものなのかもしれねえな》


今現在、フィレンツェの自宅で
トスカーナの白いワインを飲むダ・ヴィンチ
眉間に皺を寄せるのをやめてどこか情けなく鼻から溜め息を出す。


完璧主義。完璧主義は問題もある。
1481年、ダ・ヴィンチ27歳。
フィレンツェに建つサン・ドナート・ア・スコペート修道院の依頼で
祭壇画として作成した【東方3博士の礼拝】の時は、
彼のそういった主義が原因で絵画は完成する事がなかった。


未確定の所が多すぎるんだよなー、
27歳の当時を思い出したダ・ヴィンチ
サライが微睡み寝ぼけている事を確認してから1人苦い顔をした。


【東方3博士の礼拝】はイエスがこの世界に降誕した時に
東方から来た3人の博士がイエス降誕を確認した時の事を描いている。
所がイエスとマリアの元に現れたのが博士だと記したあるのは
新約聖書の中でも、マタイの福音書2章の第1節から12節のみだ。
旧約聖書詩編、第72編11節には
降誕したイエスの元に出向いたのは王であると書かれている。
1人はペルシア王で、1人はアラブ世界の王で、1人はインドの王らしい。
さらには新約聖書内のルカによる福音書では
賢者も王も出て来ない。
その第2章、8節から20節に描かれているのは羊飼い達だ。
羊飼い達はマリアと降誕したイエスを見つける。


当時のダ・ヴィンチは「3博士」と言う存在の未確定さに疑問を持った。
だが修道院からの依頼が
「3博士」という事だったのでその点は諦める事にした。
もしかしてイエスを礼拝した3人は王でもあり博士でもったのかもしれない。
ダ・ヴィンチ自身絵描きでもあるし学者でもある。
ダ・ヴィンチフィレンツェでのパトロンである
ロレンツォ・デ・メディチフィレンツェ共和国の支配者にして
メディチ銀行の支配者にしてすぐれた芸術評論家だ。
つまり人が何かを兼任するのは珍しい事ではないはずだと
当時のダ・ヴィンチは自分を納得させた。
それに、イエスが降誕したのは馬小屋なのだから、
そこには羊飼い達もいたのかもしれない。


未確定がそれだけならば良かった。問題は他にもあった。
博士なり王の数は3人とされているのが、
その数字はイエスを礼拝しに来た人物が捧げた贈り物が
3つだったからという事に起因している。根拠はそれしかない。


マタイによる福音書、第2章第11節によれば
それは金、乳香、没薬だ。
この贈り物は絵画の描写にとって大切な物だ。
乳香と没薬に関しては問題がないが、金の形状がどういった物であるかは、
どの資料にも書かれていなかった。
エスに金を献上した賢者あるいは王はどのようにして
イスラエルまで金を運んでどういった形で渡したのだろうか。
そもそも3博士の年齢や容姿も判っていない。
恐ろしい事にキリスト教的な解釈の定番も決まっていなかった。


絵画の主題としての東方3博士の礼拝は未確定な所が多過ぎた。
その辺を上手い事するのが教役者の仕事なんじゃね—のかよ、と
27歳のダ・ヴィンチは憤りを感じた。
しかし、彼は知っていた。
これは現代を生きている教役者に怒りをぶつけても
今直ぐに解決する様な問題ではないのだと。


ダ・ヴィンチはその時の事を良く覚えている。
行き場のない怒りと言う奴だ。
誰かに文句を言ってても簡単には解決しない事の苦しさ。
東方3博士の礼拝の完成を諦めた彼は、酒を浴びて飯を食らった。
トスカーナ産のワインと兎と鶏肉と一緒に飲込んだ。
それからいつか何らかの方法でこの問題を解決してやろうと思った。
その時の自分の力が届く範囲ならば、だが。
ダ・ヴィンチはそういった未来の事を想像して思考の奥で凝視する。
睨む。待っていろよ、クソやろう。


ダ・ヴィンチが東方3博士の礼拝を
未完成に終わらせた理由は彼の完璧主義の他にある。
通常の宗教画ならばマリアやイエスの頭の上や背後に
丸い光輪、ニンブスを描く。
だがダ・ヴィンチはイエスの聖性、
栄光の象徴であるそれを描かなかった。
ダ・ヴィンチは聖書に書かれた場面を描く場合でも、
現実性を付加したかったのだ。
現実性を宗教画に持ち込みたかった理由は
肉体を持ちこの世界に降誕したイエスという存在の人間的な強度、
強さを強調して描きたかったからだ。
それは聖神と奇跡ではなく、逞しさと生命力の表現だ。


絵画の主題に対するこういった表現を彼が行うのは、
人文学という学問、
つまり物語や哲学や個人の喜びや悩みを表現する事も含む、
学問が隆盛した時代だからであり、それこそがダ・ヴィンチが持つ心と
彼自身の生き方の趣味だったからだ。


修道院ダ・ヴィンチの表現の意図を認める事はなかった。





    

      科学が親類に与えた最大の贈物は   
      人間に真理の力を信じさせた事だ


     (シカゴ大学物理学教授、ワシントン大学総長
      マンハッタン計画に参加した物理学者アーサー・コンプトンの言葉)
      アーサー・コンプトン アメリカの物理学者
     (1829〜1962)





《あの時は親父にも悪い事をしちまったんだな……》


絵画が完成していれば、
修道会から1年は軽く暮らせる分の報酬が出るはずだったのだ。
だが作品は未完成に終わり報酬も未納付に終わった。
27歳当時のダ・ヴィンチアンドレア・デル・ヴェロッキオの
工房を出て、自分の工房を立ち上げて独り立ちをしたばかりだった。
そんな無名な芸術家が首都にある修道院と契約を結べたのは
ダ・ヴィンチの父親、セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチが公証人であったからだ。
公証人は事実や契約を法律、公権力を根拠に文章で証明する職業だ。
つまり契約の保証だ。
だから新人の彼には父親という存在と父親の職業の保証、
修道院との契約を正式に履行するという保証があった。


だが、彼は東方3博士の礼拝を完成させる事が出来なかった
ダ・ヴィンチは作品と契約を反古にしてしまった。
父親が社会に対して与え持つ信頼性も失わせしまった。
この時ダ・ヴィンチは、自分が出す仕事の結果は
他の者にも何らかの形で降り掛かる事を実体験として学んだ。
良くも悪くもだ。


未完成の絵画は現在、アメリゴ・ベンチの自宅に飾られている。
ベンチは今ではローマ教皇庁の財政にも深く関わる
メディチ銀行の総支配人という立ち場に居る人物だ。
メディチ家の家長であるロレンツォ・デ・メディチ
この絵画を買い上げてくれた。
紆余曲折あってアメリゴが所有する事となった。
御陰でダ・ヴィンチは金には困らずにすんだ。




《うるせぇ……》


思考の途中、自宅の外、近所のどこからか
再び女の泣く声が聞こえて来たダ・ヴィンチ
不機嫌に低い声で呟いた。
思考の網が途中で途切れてしまった。


その顔をサライが心配そうに見ていた。
ダ・ヴィンチは口角をあげて苛立ちをかくして頬笑んだ。
サライ、服を着せてくれ。お前も着ろと。
微睡んでいた、今は心配そうな顔をしている青年に向かって言う。
「せんせい。ケンカはだめですよ?」サライは言う。
ダ・ヴィンチはケンカじゃねえよ?と言って、
さぁ俺に早く服を着せてくれとサライに背を見せて両腕を広げた。
まったく落ち着いて酒も飲めねぇよという気分だ。




《夜の石畳も悪く無い》


服を着た師と弟子は
夜のフィレンツェの町を歩いている。
地面は舗装された白と灰の石畳だ。
街路や庭先に植えられた樹々から葉が散り、
夜風に緑の葉が舞っている。
月は明るく、町を歩くのには月光だけで事足りた。
その光が町中を走る舗装された水路の川に反射していた。
ヴェネツィア共和国の首都ヴェネツィアとは比べる事は出来ないが、
それでもフィレンツェの都市には舗装された水路が多く造られていた。
街の真ん中にはアルノ川という巨大な橋が架かる川もある。
ダ・ヴィンチと彼の愛人はそんな水路に掛けられた橋を2度程渡る。
ヴェネッツィアも良い町だったな。
彼はたまに水が臭くなるのが球に傷なんだがと以前住んでいた都を思い出す。
そして、ヴェネッツィアに、
ナポリ王国内のアマルフィを襲ったのと同じ規模の悲劇が降り掛かったのならば、
あの水の都は一瞬で沈んでしまうだろうと想像する。
現に、いつかそれが起こると根拠もなく信じて怯えている人々も多かった。


2人は先程から会話を交わしてはいない。
それは耳を澄ましてていたからで、
澄ましていた理由は女の泣き声がどの家から聴こえてくる物なのか
探り当てるためだった。
ダ・ヴィンチは叫び声の発生源を探し当てて、
癇に障るその叫び声を止めさすつもりだ。
彼には叫びの原因も止めさせ方も検討が付いていた。


周囲を見渡したダ・ヴィンチは、
家々の扉や窓の隙間から漏れ出る蝋燭の光に注目した。
この時間にしては光の数があまりにも多い。
だが、その光の多さは半年前から続いている。
ダ・ヴィンチは今日もまた、寝むれない奴らが多いらしいと、
表情に影を作る。


そんな彼らの耳に何かを叩き付ける音と
女の叫ぶに近い声が飛び込んで来た。
発生源は2人がいま立つ場所の直ぐ近くだった。
具体的には白い壁が立ち並ぶ中、その住宅の1つだった。
彼らは顔を見合わせる。以外にも早く2人の探索は終わった。
叫びの発生源に赴く前に、
ダ・ヴィンチサライに口づけをした。
「せんせい?」疑問と不安が入り交じった顔の青年に、
ダ・ヴィンチはいつ何が起こるか分らないからなとウィンクをした。
彼は内心では
可愛く美しい青年の顔に不安の色が刺すのも良いものだなと
加虐的な笑みを漏らしている。


だが、そんな物も、
見れなくなる時は急にやって来るものなのだろうな。
俺が死んだりサライが死んだりで。
それは半年前にナポリ王国で起きた悲劇から
ダ・ヴィンチが感じ実感した物だった。
彼は愛人にもう一度口づけをした。





     嘘は雪だるまである
     転がせば転がす程に大きくなる


     (キリスト教の改革者ルターの言葉)
     マルティン・ルター ドイツ人、キリスト教改革の創始者
     (1483〜1546)





《ここだな》


ダ・ヴィンチは叫びの発生源である民家の前に立っている。
白い壁。バルコニーを飾る花々と地面に向かって足れる蔦。
頑丈そうな木製の入り口扉。


サライダ・ヴィンチの背に居て
師の太く逞しい腕を掴んでいる。


ここに住んでいるいるのは夫婦だったはずだと
ダ・ヴィンチの記憶力が彼に告げている。
夫婦と直接話した事はなかったが、
互いの宅が近い事もあり顔を度々見かける事が在ったはずだ


ダ・ヴィンチが住人を呼び出す為に扉を叩こうといざ手を掲げると
建物の内側に向かって扉が勢いよく開いた。
中から頬を赤く腫らした女が泣いて飛び出して来る。
ダ・ヴィンチはその厚い胸板で女を抱きとめて
素早く自分の背、正確にはダ・ヴィンチの背に居るサライの更に後ろに回した。
数秒の間を置いて、息を切らした男が手を振り上げ女の追って飛び出して来る。
ダ・ヴィンチと男が対当する。ダ・ヴィンチは笑う。
男は泣きそうな顔をしている。


戸惑った男が声を出す。「な、なんだ、お前は」。
ダ・ヴィンチはやー、なんか叫び声を聴こえたのでねと
あっけらかんとした口調で返事を返す。
男のこめかみから汗が1滴流れる。
「警吏か自警団でも呼ぶ気か」男はそこで一呼吸置く。
乾いて張り付く喉に唾を飲み混む様にして言葉を吐いた、「夫婦の事で」。
男の顔は切迫している、目は泳いでいる。
焦燥と混乱。怒りと悲しみが男の心中を襲っているようだった。
女はサライの背で泣いている。


いや、呼ぶのは聖職者さ。
ダ・ヴィンチはにやりと笑う。
彼は唖然としている男に眼を向けたまま、
弟子であり愛人であるサライに、
近所にあるセルビ・ディ・マリア修道院に行って
イッポリト・アルドブランディー修道院長を読んで来てくれと命じた。
戸惑っているサライダ・ヴィンチ
俺が何時もの用事で呼んでいると言えば判る、
さぁ駆足だ!と語尾を強めて言った。
「はい!」返事をしたサライは、
女に向かって「せんせいに委せておけば大丈夫ですよ。安心してください」と
言って頬笑んでから修道院へと駆け出した。




《なんだよ、このワイン》


ダ・ヴィンチは夫婦の自宅の中にいる。
自宅にある食事用の卓と椅子に座っている。
卓の上に置かれたグラスを持ち口元に運んでいる。
グラスの中身は赤ワインだ。
ワインを彼に入れたのは、この家に住む妻だ。
同じ卓に付く夫の前にも同じ物が置かれている
だが、夫はワインに手を付けていなかった。
ゴルディアスの結び目で椅子に縛り付けられたかの如く身動き1つしない。


ダ・ヴィンチは家に入ってまず、自宅の家具や調度品を観察した。
その観察は今起こっているの問題の解決に意味はなく、
画家としての彼の趣味の用な物だった。
家具も調度品も品があり価値もそれなりに在る物ばかりだった。
その結果、ワインを飲むダ・ヴィンチは少しばかり不機嫌になっている。


金はあるだろうになんでこんなマズいワインを飲むかね……。
それも客に出すとか笑えるよ。
せっかくトスカーナを有するフィレンツェに住んでいるんだぜと、
眉間に皺を寄せてもう1度2度とグラスを口に運ぶ。
ダ・ヴィンチは家具と調度品とワインへの評価を下すついでに、
この家には都市に住む夫婦が作り出す、慌ただしい生活感や
神経質な秩序がない事を見抜いた。
今はどの家もこんなものかもしれねーなと眉間の皺を深める。
こう云う時程、旨い物食って、旨い物飲んで、
愛し合うのが重要だと思うんだけどな。
彼はグラスを空にした。


妻がダ・ヴィンチが開けたグラスに新たにワインを注ごうと動く。
それが合図になって居た様に夫が小さく動いた。
妻はワインのデキャンタを持ったまま動きを止めた。
怯えている様だった。
「俺だって怖いんだ」
夫は両手の先を自分の額に置いて俯いた。
今にも消え入りそうなつぶやきだった
気持ちはわかるよ、今は誰だってそうだ。
ダ・ヴィンチは片方の目尻と口元を上げて
嫌みにならない程度に夫へと明るく頬笑む。
でも、人の晩酌と愛人との愛の時間を邪魔して良い訳じゃねえんだけどなと
心中では思っている。
「私が悪いんです。私が五月蝿くして
 あなたの言う事を聞かなかったから」
女が小さい声でつぶやく。
動きは止まったままだが、その身を小さく揺らしている。震えているのだ。
「すまない……本当にすまない」
夫は今にも泣きそうな声を出している。
ダ・ヴィンチからは俯いている夫の表情が見えない。
夫は既に泣いているのかもしれなかった。
妻は「あなた……」と再び小さい声で呟いてから、
デキャンタをテーブルに戻して、
夫の方へ駆け寄った。そして肩を優しく抱いた。
男のすすり泣く声が聴こえた。
頬を赤く晴らす妻の顔。青ざめて泣く夫。




《あの時から色々な事が止まっちまった》


目の前の光景を見ながらダ・ヴィンチはそう思う。
だが、無理も無い。
彼自身、あの時はフィレンツェに居ながらも、
大地の大きな揺れを感じたのだ。
ダ・ヴィンチはまず始め、
ナポリ王国の側にあるヴェスヴィオ火山が噴火したのかと思った。
西暦1世紀はローマの政治家、
ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥスは
友人であり同じくローマの政治家であるタキトゥスにあてた手紙の中で
79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が噴火した事を報告している。
その地に在ったポンペイという町は噴火した溶岩の下に沈んでしまった。
ダ・ヴィンチプリニウスの手紙をまとめた書簡集を読んでその事を知っていた。


悪かったのは天災だけじゃない。
混乱し怯える目の前の夫婦を見ながら、
ダ・ヴィンチはあの当時を思い出す。
空になったグラスに誰もワインを注いでくれないので、
彼は図々しくも卓のデキャンタを持ち上げて自分でグラスに赤ワインを入れた.
あの時から色々な奴が色々な逃げ方をしやがった。





     人間の細部において個別に判断するものこそ
     もっとも真実を言い当てるだろう


     (ボルドー市長、著作家。「エセー」の著者、モンテーニュの言葉)
     ミシェル・ド・モンテーニュ フランスの人文学者、政治家
     (1533〜1592)





《静かだ》


夫の泣き声は先程から止んでいる。
女と男が小さな声でつぶやきあっている。
一応、この場の混乱は落ち着いたらしい。
だが、とダ・ヴィンチは思う。
時が立てば、この女はまた混乱して不安に怯えて泣き叫び、
自分の不安をひた隠し耐えて来た男は
女の叫びに触発されて混乱して追いつめられて、
それらを収めようと妻の頬を引っ叩くんだろうな。
今夜の出来事の繰り返しだ。
問題は根本的な原因が解決していない事と、
人の不安や混乱はなかなか消えず立ち向かう勇気がなかなか涌かない事だ。
院長を読んでおいて正解だったなと彼は自分の判断を褒めた。


それにしても今、この状況は面白いな。
ダ・ヴィンチは不意に込み上げる笑いを抑える。
怯えて混乱し今は互いを慰め合う夫婦の横で
彼らが買ったワインを彼らの自宅で赤の他人が飲んでいる。
そんな不思議な状況に、彼は笑いを抑える。
笑えるし笑えるし面白いしすげえ笑えるし笑えるよ。
それにタダ酒ってのは良いものだなと思う。
再び空になったグラスにデキャンタから赤ワインを入れた。
デキャンタは空になった。
俺が失笑していまいないうちに
サライよ、早く院長を連れて来い。
彼は口元まで出た笑みを胃へと押し流す様にして、
勢い良く赤ワインを飲込んだ。




《お、来たな》


家の扉が叩かれる音がする。
「せんせい、アルドブランディー修道院長をお連れしました!」
外からは弟子の声が聞こえる。
抱き合っている夫婦を笑顔で制してダ・ヴィンチは弟子と修道院長を出迎える。
扉を開けると息を切らしている愛人と、
悠然とした雰囲気を纏いながらも困り顔をしている
イッポリト・アルドブランディー修道院長が立っていた。
サライが彼の顔をみて「せんせい」と言うので、
ダ・ヴィンチは弟子の柔らかい髪の毛を撫でた。
「やぁ」50歳になろうとしている
修道院長がそのままの表情で彼に挨拶をする。
ダ・ヴィンチはこんな夜なのに突然申し訳ないですと詫びた。
「そんなことよりも」修道院長はそこでいったん言葉を止める。
青年の髪の毛を愛情籠めて撫でている
ダ・ヴィンチの事を肩眉を釣り上げて見つめる。
「聖職者の前だというのに、きみは相変わらずだな」
修道院長は表情を悠然とさせたまま変えない。まるで優しい説教の様だ。
いや、ははは、すいません。
ダ・ヴィンチサライの髪の毛から自分の頭に手を持って行って、
申し訳ないという表情をした。
修道院長は鼻と顎と頬ともみあげ、
全てが繋がり白く茂るヒゲを片手でもふっと掴んで。
「きみらしい反応だな」と苦笑した。




《毎度すいませんね》


ダ・ヴィンチ
感謝と優しさと苦みが交じった笑顔で
アルドブランディー修道院長に再度礼を言う。
「今のご時世、仕方のない事だろう」
修道院長は平然とした顔で頷く。
黒色のワンピース、修道士の平服。その立ち襟を指で整える。
襟から裾まで釦が一直線に33個並んでいる。
その数はイエスが地上で暮らした年数と対応している。
黒い祭服を夜の暗闇の中で見るのも中々悪く無いなと
思いながらダ・ヴィンチはそんな事を思い出した。
彼が33個というボタンの数が持つ意味を知っているのは、
今、彼の目の前にいる修道院長が丁重に教えてからだ。


「こう云う時こそ、私達の出番だからね。
 不安に怯える人々を救わなくて何が教役者だというのだね」
修道院長のその言葉には若干の怒りが入っている様に感じた。
そういう所がこの人は良いんだよなぁと
ダ・ヴィンチ修道院長に悟られない様に心の中で笑顔を洩らした。
「それで彼から聞いたのだが、
 今回も何時もの様な感じなのかな?」
ええ、そうなんです今回は夫婦ですけど。
ダ・ヴィンチ修道院長の目を見つめて返事をした。
「なるほど、では案内してもらおう」
彼は頷いて修道院長を夫婦の家へと入れた。
外に残っているサライが不思議な目をして師の事を見つめている。
それに気がついた彼はサライにお前も入れよと言う前に
どうしたんだ?と尋ねる。
サライ
「せんせいは、何回もこう云った事をしているんですか?」と首を傾げた。
サライダ・ヴィンチ修道院長の会話を聴いてその事を疑問に思った様だ。
ダ・ヴィンチはなんだそんな事かよと思う。
お前がいる時は今回が初めてだったな。
アマルフィが海に飲込まれてから6回か7回位は
こんな事をしているはずだと答えてやった。
それを聞いたサライは眼を潤ませてから
「やっぱりせんせいは素晴らしいです」と胸に抱きついて来た。
ダ・ヴィンチは弟子に小声で今は修道院長が居るから後でなとつぶやいた。
心の中では兎に角落ち着いて酒が飲みたいだけなんだがなとつぶやいていた。


夫婦の目の前に修道院長が現れた時、
2人の男女は無言のまま今だ不安気で悲しい顔を白髭の教役者に向けた。
何はなくともまずはあいさつからだろうと、
修道院長は夫婦に
「やぁ、失礼しますよ。今日は月明かりが眩しい日ですね。
 月が良く出ています」と言った。






      真実こそ隠すに限る
      隠れ蓑に最適なのは良く出来た嘘だ


     (映画「三十四丁目の奇蹟」「喝采
      「大空港」の監督ジョージ・シートンの言葉)
      ジョージ・シートン アメリカの映画監督
     (1911〜1979)






《やはり、言葉は素晴らしい》


ダ・ヴィンチは目の前で行われている光景を見ながら
改めて実感する。


ダ・ヴィンチはイッポリト・アルドブランディー修道院長に
特別な懇意を抱いていた。
ダ・ヴィンチが絵画を本格的に制作する工房、作業所は
修道院長が治めるセルビ・ディ・マリア修道院の中にあった。
そこはサライを初めとしたダ・ヴィンチの弟子が
働く工房ではない。彼の個人的な作業所だった。
彼1人で事足りる絵画の作成、
或は1人にならなくては完成する事の出来ない作品はそこで作った。
場所を提供してくれたのは勿論、修道院長だった。
修道院長は彼が目指す宗教画の方向性に賛成したのだった。


いま、修道院長は夫婦に説教をしている。
聖書に書かれている物語と言葉から
現在の状況に在った物を取り出して
判り易い言葉に変えてその真意を説いてゆく。
正しい物と間違っている物がハッキリと区切られ
積み重なり作られている聖書の解釈を修道院長は使用して行く。
真贋が定められ詰みかさなる物はやがて権威を帯びる。
歴然とした権威と、権威の正しさだ。
それが聖書、そしてキリスト教が誇る歴史と学問だ。
アルドブランディー修道院長はそれらを踏まえ利用して
自らが語る言葉に信頼性を付与して行く。
信頼は言葉を聴く者に言葉の意味を信じさせる。
この場合は、2人の男女を落ち着かせて行く事になる。


ダ・ヴィンチの前で繰り広げらているのは、
講義でも談義でもなく、まぎれもない説教だった。
ダ・ヴィンチは長く続いている物は、
こう言う状況にこそ強いよな片方の口角を上げる。
師の横に座っているサライは、
「(先生は何か良からぬ事を考えているのではなかろうか?)」という
表情を顔に浮かべて居た。




《絵画には言葉がねぇんだよなー》


修道院長の説教を聴くダ・ヴィンチは眉間に皺を寄せる。
絵画には言葉がない、言葉には音楽がないが、音楽には絵がない。
表現から感じる連想や想像ではなく、
絵画や言葉や音楽が持つ本質的な部分での話しだ。
何もかも一長一短かねーと彼は小さい溜め息をつく。


修道院長は夫婦に如何に社会が混乱している時こそ
愛を持ち恐怖に負けず落ち着いて未来を見据え、
明るく生きる事が大切であるかと説いている。
夫と妻は手を取り合い修道院長の言葉に聴き入っている。
2人には最早混乱がない。
時折互いの顔を見つめ合う。その目には信頼の高まりがある。


何もかも一長一短。
だったら絵画に出来る事もあるかもな。いや絵画だからこそか。
それを目指して見るの面白いかもしれねーなと
ダ・ヴィンチは瞳孔を僅かに開けて瞳を鋭く輝かせる。
師の横に座っているサライは、
「(先生は更に何か良からぬ事を考えているのではなかろうか?)」という
表情を顔に浮かべて居る。




《夜中に申し訳なかったね》


修道院長の説教は終わった。
ダ・ヴィンチは家の入り口の前で、
夫婦に対して深夜に突然来訪した事を詫びた。
「いえ、礼を言わせて下さい」と夫婦は返す。
夫の方が彼の事を強く抱き締め感謝の情を表現した。
好みじゃねーからうれしくねー。
ダ・ヴィンチは気にしないでくれよと言ってから
ゆっくりと夫を自分の体から引き剥がした。


修道院長は最後にもう一度言葉を放つ。
妻には
「貴方が不安に怯える時、人もまた怯えているのです。
 貴方から光をつけなさい」と言った。
夫には
「思いを自分で言葉にせずに、代わりに誰が言葉にするでしょうか?
 家族を信じなさい」と言った。


ワインをありがとう。
ダ・ヴィンチは最後に笑顔を見せて2人の家から去る。




      
       真理はたいまつである。しかも巨大なたいまつである
       だから私たちはみんな目を細めて
       そのそばを通りすぎようとするのだ
       やけどする事を恐れて


       (ファウストの著者。
        疾風怒濤運動の立役者、ゲーテの言葉)
       ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ドイツの詩人
       (1794〜1832)





《やっぱすげえな》


ダ・ヴィンチと彼の愛人と年上の友人は、石畳の上を歩いている。
それぞれが帰るべき場所へ向かう。途中までは道が同じだった。
歩きながらもダ・ヴィンチは、修道院長が行った説教を頭の中で反復し、
混乱し怯える夫婦を落ち着かせる様に感心していた。


ダ・ヴィンチの自宅と
アルドブランディー修道院長が治め、
ダ・ヴィンチの工房があるセルビ・ディ・マリア修道院
フェレンツェの同じ地区に立っていた。街中の中心地だ。
詩人でトスカーナ語で書かれた「神曲」を著した
ダンテ・アリギエーリがフェレンツェで暮らしていた時期の邸宅も近くに在った。


ダ・ヴィンチの自宅とセルビ・ディ・マリア修道院が近くに在るのは偶然ではない。
修道院に彼の工房が置かれる事が許可されてから
ダ・ヴィンチがここに越して来たのだ。
数年前まで彼はそことミラノの工房を行き来して生活していた。
今はフィレンツェにだけ宅が在る。
それより以前の彼がフィレンツェに置いた自宅は
ダ・ヴィンチの師であるアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房近くに在った。


1472年、ダ・ヴィンチ18歳の時に、
芸術家組合である聖ルカ協会から親方(マスター)の資格を授かり
父の協力を得て小さな工房を立ち上げたのた。
彼はそこで寝泊まりをして単独で作品を作成したり、
師であるヴェロッキオと共同で作品の制作に取り組んでいた。


さらに以前は師の工房に通い学び働いていた。
父親と、父の4回目の再婚相手と共に暮らしていた。
ダ・ヴィンチにはつまり5人の母が居た。
育て親を含めるとその数はもっと多くなる。
彼と様々な母親達との間には
様々な問題と様々な関係があったが、御陰で学んだ事も多かった。
自分が男も女も愛す様になったのは彼女達が原因だろうと
ダ・ヴィンチは思っている。それには彼は感謝していた。
男女共の美しさを知り合いしてこそ、
美しく力図よく繊細な絵画や彫刻が作れるのだと思っている。


あの時代、ダ・ヴィンチは同門の門弟であり、
同僚でもある者達と芸術、技術、美学の事を語り合った。
師であるヴェロッキオからの影響は言うまでもないが、
ダ・ヴィンチより17歳年上でヴェロッキオの
弟子にして協力者であるジョヴァンニ・サンティや、
7歳年上であり同じ1466年に工房に弟子入りした
サンドロ・ボッティチェッリからも影響を受けた。
サンティは勿論、同期とはいえ既に数人の師の下で
絵画を学んでいたボッティチェッリとの話しは刺激的であり、
学ぶ事が大いに在った。ダ・
ヴィンチはあの時代を2度と得る事の無い大切な財産だと思っている。
手放してはならない物と思っている。


ダ・ヴィンチは彼らの事を思い出す。
この状況下で彼らはどう暮らしているのだろうか?
ボッティチェッリは新作を書いているのだろうか?
サンティとその子供は元気にしているだろうか?
ダ・ヴィンチはサンティの子供と一度会った事がある。
場所はサンティが宮廷画家をしているウルビーノ公国だ。
ウルビーノ公国フィレンツェ共和国
シエラ共和国の間に挟まる小国で海に面している。
サンティ親子はそんな場所で暮らしていた。
子供の名前はラファエロと言ったか。
サンティの子供なら良い画家になるだろうとダ・ヴィンチは確信している。
だが、社会が混乱している今、
サンティ親子は大丈夫だろうかと急に心配になった。
どうもあの夫婦に当てられちまったかなあと、
ダ・ヴィンチは眉間に皺を寄せる。


「修道士でも怯える者が多くてね……」
ダ・ヴィンチが眉間を寄せたのを見計らう様に
修道院長はつぶやく。
ああ、まぁそうでしょうね、とダ・ヴィンチは返事を返す。
教役者でも貴族でも恐ろしい物は恐ろしいのだという事の証明を
ダ・ヴィンチそして同時代に生きる人々は十分に見て来た。
災害が起こる前に威勢のいい事を言っている奴に限って即行で逃げちまった。
揺れ。波。火山。噂。恐怖。ダ・ヴィンチは苦笑を抑える。
逃げ出さないだけいいじゃないですかと修道院長に言う。
あるいは、逃げられないだけかな?と心の中で悪態をつく。
平和な時、修道院長が先程の夫婦にした様な説教をする聖職者は沢山居た。
だがいざ事が起きてから同じ事を出来る聖職者の数は極端に減った。
重圧に耐えられなくなって逃げたり、
自分自身が怯えて身動きを取れなくなったのが理由だろう。
そんな中、修道院長は聴衆に教えを説くだけではなく、
こうして夜中に呼び出しても教役者としての役目を果たすのだから
相当に大したものだ。
ダ・ヴィンチはそんなアルドブランディー修道院長の事を
好み尊敬していた。彼が好意を表明するまでもなく、
修道院長は他の聖職者からも一般の教徒からも尊敬を集めていた。


ダ・ヴィンチ修道院長であり、
司祭枢機卿としての位階と称号を与えれている
イッポリト・アルドブランディーニは
何れ教皇に選出されるかもしれないと予想している。
修道院長と言う立ち位置、
司教枢機卿ではなく司祭枢機卿という所が選出の押しとしては弱いが、
大きな修道院の長が司教並みの権力と財力を持つ現代ならば
それも可能だろうと思っているのだ。
何より人間として、教役者としてアルドブランディー修道院長は
何の問題もない人物だ。


そんな事をダ・ヴィンチが考えているとは知らずに、
修道院長は片手で自分の白髭をもふっと掴み宙を見る。
「本来は私は修道司祭であって、
 在俗司祭ではないのだからね。
 こう云った行いは在俗司祭がするべきであり、
 修道司祭としての私は修道士達を教え規律を正し
 共に神に使えるのが本務であってだね。
 それに私は枢機卿としては教皇の特使として
 急遽遠地へ赴く可能性もあるのだから、
 夜中は寝て体力を養わねばならぬのだよ。
 修道院に付属するインノチェンティ養育院の
 運営もしなくてはならないし。
 それに科学的な事を訊かれたらどうしようかと
 毎回冷や汗ものだよ。私は学者ではなくて聖職者なのだからね」とつぶやく。
だがそのつぶやきはダ・ヴィンチに対する文句というより、
何処かの誰かに対する不満事の様に聞こえた。


ダ・ヴィンチは気持ちは判るがと前置きした上で心の中でつぶやく。
この人は堅物というか真面目すぎる所があるなと。
ダ・ヴィンチが描こうとしている宗教画の
神性ではなく人間性の大きさには賛成なのに、
科学力学に関しては神の領域を起す事がないのかと危惧している。
近年フィレンツェに入って来たイスラム教圏の飲み物、
コーヒーが好きで
「この飲み物に問題が在るなら洗礼を授けてしまえば良い」と言う一方で、
人間が起す行動の規律には厳しい。
そこまで考えてダ・ヴィンチはああ、この人は物には甘く
人間には厳しい人間なのかと理解した様な気がした。
人間に厳しいのは悪い事ではない。
だがいつかそれが、彼に汚名を注ぐ事にならなければ
良いのだがと年上の友の事を心配した。
ダ・ヴィンチは何にせよ、修道院長は悪くは無いと思う。
魔女狩りと異端審問の活性化、
金銭による位階の売買を行った先代の教皇、インノケンティウス8世。
1492年現行、今年になってから教皇の地位に着いている
アレクサンデル6世ことロドリゴ・ボルジアよりは遥かにマシだろう。


ダ・ヴィンチは同時代、
ローマ教皇の威光が届く所々の都市国家で暮らす人々と同様、
教皇アレクサンデル6世の事を嫌っていた。
枢機卿の称号を持つ教役者達による教皇選出の投票会議、
コンクラーベの際、ロドリゴ・ボルジアが
多くの枢機卿を買収、恐喝した事を知っていた。
コンクラーベに参加する枢機卿の2/3以上の得票数を得れば
教皇になる事が出来た。
話しを広めたのは買収に載らなかった枢機卿達だ。
ダ・ヴィンチコンクラーベに参加した
アルドブランディー修道院長から話しを聞いていた。
彼はさらに、教皇が息子のチューザレ・ボルジアを
急遽バレンシア教区の大司教に任命した事も気に食わなかった。
画家として教役者を含むキリスト教徒や政治家とも通じている
ダ・ヴィンチはアレクサンデル6世のその他の悪事も知っていた。
彼は例えヴァチカンに呼ばれ絵を描く名誉に預かっても
あいつらが教皇のうちは絶対に絵も描かねーし、
知恵を貸すのも建物を設計するのもその他の協力もしねえからなと
自分に誓っている。


それに比べれば、
アルドブランディー修道院長はだいぶ増しだ。
完璧な物などそうそうなく、自分でさえ作り出すのは難しい。
だから悪いものの中から一番マシなものを選択するのも悪く無いと
ダ・ヴィンチは考えている。そういう事を考えるのは楽しかった。


修道院長は
「でも、それを行う者がいないのならば、
 私は喜んでするよ」と
再び白髭を片手でもふっと弄りながら言う。
修道院長は夜の空を見上げている。
目線の先には幾千の夜よりも明るく輝く月があった。


なぁ?まったくもって悪く無いなろう?
ダ・ヴィンチは自分に向けて笑顔になった。




《今度良いコーヒー豆をお持ちますよ》


セルビ・ディ・マリア修道院まで白髭の修道院長を送った
ダ・ヴィンチサライの2人は別れ際にそんな事を約束した。


次にダ・ヴィンチサライを宅まで送る。
その後で彼は自宅に戻りワインを飲み直す予定だ。
ダ・ヴィンチサライにフィレンテェで暮らす宅を用意してやっていた。


数時間ぶりに愛人と2人きりになったダ・ヴィンチは、
修道院長の真似をして愛人の毛を片手でもふっと掴んだ。
掴んだのは髭ではなく髪の毛だが。
師よりも少しばかり身長の低いサライ
僅かに上目使いで彼の事を見つめて、委せるままにしている。
ダ・ヴィンチはその顔をちょっとした悪魔じみた美しさだと思う。


ダ・ヴィンチダ・ヴィンチサライと呼ばれる前の
ジャン・ジャコモ・カプロッティが出会ったのは1490年。
大体2年前の事だ。
彼がミラノ公国の統治者ルドヴィーコスフォルツァの依頼で
ミラノ市にあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院
食堂の壁に【最後の晩餐】を描いた直後だった。


ダ・ヴィンチはミラノ公スフォルツァから
金銭の他に報酬として、ミラノ公が所有していた
ミラノ市内のブドウ畑を譲り受けた。
ブドウ畑はミラノ市内の中心に耕されている。
畑は城門と城壁の遺跡に隣接していた。
遺跡は帝政ローマが半島を征服し
諸処の都市が都市国家に分裂するまでの時代に建てられた物だった。
ガイウス・ユリウス・カエサルは紀元前44年、
ブルトゥスによってに暗殺された。
カエサルの死で激化した内乱を制したは
カエサルの義理の息子アウグストゥスだった。
アウグストゥスが皇帝に就任した紀元前27年、帝政ローマが始まる。
帝政ローマは395年テオドシウス1世が死去し、
領地の東側を長男に、西側を次男に分地した事で終わりを告げる。


ダ・ヴィンチがミラノ公から授けられたブドウ畑は、
そんな時代に建設された城壁と城門の遺跡の直ぐ隣りにあった。
草や樹々が疎らに生える地の上に、古い壁と門が立つ。
表面には緑色の苔が生している。
ブドウ畑から伸びる蔦の一部は、
歴史ある壁と門の跡形に絡み付いていた。
そこから畑の端を見ようと遠くを眺めても、
なだらかに標高を上げる地面に生えるブドウの蔦と、
ゆるやかに円を描く青い空に映える白い雲に阻まれる。
今ではミラノという都市の領地は帝政ローマ時代より遥かに大きく広がっていた。


ダ・ヴィンチのブドウ畑も面積は広く、
真面目にワイン作りを行えばそれなりの財産を生み出しそうだった。
彼はブドウの性質を調べ、
どうすれば効率よく旨いワインを大量に作れるか考えた。
その行程は楽しくもあったが、ダ・ヴィンチにとっては
あまり現実的な事ではなかった。
彼はルドヴィーコスフォルツァから賜ったブドウ畑を
育てる気など端からなかったのだ。
理由は幾つかあったが
一番重要なのは、ブドウ畑を運営するのには
そこに大きな情熱を注がなくはならない事だった。
ワイン作りに注ぐ情熱は
勿論他の事、例えば絵画の作成や作品の為の情報収集、
閃きの発現に注がれる分から差し引かなくてはならない。
ワインを作るのも、絵画を作るのもどちらも一朝一夕では出来ない事だった。
ダ・ヴィンチは迷う事なく絵画の方を選んだ。
その時、彼は
まぁ俺はもともとミラノのワインが好みではないのだからなと自分を慰めた。


ダ・ヴィンチは雇い主であるミラノ公スフォルツァ
ワイン畑を返還する事を申し出た。
代わりに僅かでも金銭を貰えれば良いと思っていた。
ところがブドウ畑の前・持ち主は彼が思ってもいない事を言った。
「なるほど、流石代が見込んだ男よ!
 ならば、畑を人に貸せばよかろう?」
スフォルツァは色黒の顔を破顔させる。
そんな事しても良いんですかね?
ダ・ヴィンチは主の意外な言葉に驚く。
「がはは、無論。
 畑の持ち主は最早、御主だろう。我ではないからな」
ダ・ヴィンチは何か肩透かしをされた気分になる。
更にスフォルツォは言う。
「当てが無ければ、信頼出来る借地人を紹介するぞ?」




《本当に?ではそれでお願いしますよ》


ダ・ヴィンチスフォルツァ
彼の主として、そして友として申し出た提案を
ありがたく受け入れる事にした。


数時間後、
ダ・ヴィンチは公証人の立ち会いで、
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニという男との農地貸借契約を結んだ。
彼は賃料として畑から作られたワインの売り上げの数割りを貰う事になった。
もっとも、契約書にサインをしたのは、
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ本人ではなく、彼の代理人だったのだが。


こうしてダ・ヴィンチ
報酬が安定しない絵画制作や発明の対価以外に
定期的に一定以上の収入をもたらす源を得た事になる。
この段に来てダ・ヴィンチは全てがスフォルツァの計らいだと気がついた。
ダ・ヴィンチがブドウ畑を運営するならそれもよし、
そうでないならば借地人を紹介する。
畑自体が資産になるのは勿論の事だが
どちらにしろダ・ヴィンチにとっては良い収入源になる。
スフォルツァの提案から数時間で
契約を完了したのが何よりの証拠だった。


彼はスフォルツァが行った計らいの手際の良さと
自分に対しての嫌みや押し付けがましさが一切無い気配りの仕方に
感心した。そしてより一層スフォルツァに信頼を寄せ、友情を深めた。





     『ガニュメデスの誘拐』


     (オランダの画家レンブラントギリシア神話上の同性愛
      ゼウスによるガニメデの誘拐を描いた絵画)
     レンブラント・ファン・レイン オランダの画家
     (1606〜1669)





《ありがたい事ってのは続くものだな》


ダ・ヴィンチがブドウ畑を
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニに貸し、
ピエトロが雇うワイン農家達がミラノ公国に移住した数日後、
彼はそんな事を実感した。


ピエトロ・ディ・ジョヴァンニは
大陸に存在する諸処の国家を股に掛け商いを営む
貿易会社を経営するジョヴァンニ家の長男だ。
ジョヴァンニ家はミラノ公国に籍を置き、
ワインや香辛料などを含む食料品を主な商品としていた。
各国で1番高値で売れるワインがシチリア王国産の物だ。
2番目はトスカーナ産で次いでミラノ産のワインと言う順番になる。


ジョヴァンニ家は数年前に家長を亡くした。
後を継ぎ貿易会社全体の経営を行っているのは、
兄弟の中で1番優秀である次男のアンデレ・ディ・ジョヴァンニだ。
ジョバンニ家の家長とその妻マッダレーナ・ジョバンニの
子供はピエトロ、アンデレを含めて12人いる。12人兄弟だ。
長男ピエトロはアンデレと比較すれば能力は劣るが、
それでも貿易において重要な商品である
ワインの製造販売管理を任されていた。


兄弟は本来、13人兄弟となるはずだったのだが、
家長の死後、後を追う様に
末っ子のジューダス・ディ・ジョヴァンニが亡くなってしまう。
死因は転落事故とも自死とも言われている。
兄弟の長男は40を越えていたが、末っ子は12になったばかりだった。
兄弟はこの時点で11人兄弟だった。
だが驚いた事に、家長は忘れ形見を残していた。
家長がこの世を去り、直後ジューダスが亡くなった後。
丁度8男のトンマーゾが家長の死が不自然な物であるとして、
死亡原因を執念深く必要に調査していたときの事だ。
兄弟の母親マッダレーナが妊娠している事が発覚した。
数ヶ月後、新しく誕生した末っ子はマティアと名付けられた。
こうしてジョバンニ家の兄弟は再び12人となった。


ダ・ヴィンチが農地貸借契約を結んだ
ピエトロ・ディ・ジョバンニとはそういった人物だった。


1488年には大陸最西端に位置する国、
ポルトガル王国の航海士バルトロメウ・ディアス
暗黒大陸の最南端である希望岬に航海で到達している。
ディアスの祖父と父は共に大航海時代の幕を切った
エンリケ航海王子に仕えていた。
そんな生粋の船乗りの家系から生まれた者が希望岬に辿り着いた。
その事によって大陸から希望岬を経由し、
アジアへと続く航路の開拓と、新大陸の発見が期待された。
新航路の開拓は新たな顧客と商品を得る事を意味する。
貿易という商売は船と航路があっても、商品が無ければ行う事が出来ない物だ。
故に、扱う商品の生産量を大幅に上げる事で利益の拡大が期待で来た。


画家であり発明家でありブドウ畑の持ち主である
ダ・ヴィンチとジョバンニ家の長男
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニとの間に交わされた
農地貸借契約にはそういった背景もあったのだ。




《やばいだろ、美しすぎる》


単純に言っても俺の好みだ。
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニのワイン農家達が
彼の畑に手を付け始めて数日後、
ダ・ヴィンチは職業としてワインの生産を行う物達の
手腕を見学しようとブドウ畑に向かった。
彼は帝政ローマ時代の城門が建つ場所までやって来た。
そこでダ・ヴィンチの目を奪ったのは広大なブドウ畑でも、
働く農家の動きでもない。
昼食の休み時間、1人、枝で地面に絵を描いている青年の顔だった。


ダ・ヴィンチは、サライと出会った。
サライは人1人が腰掛けられる程の岩に座っていた。
手には枝を持っていた。枝で地面に砂で絵を描いていた。
ダ・ヴィンチはその横顔を見た。
その顔は一目でもあるいは一週間凝視し続けても、
男女どちら物であるが、判断が出来ないだろうおのだった。
男の美しさと、女の美しさ、両方を持った造形だった。
ただ、青年の身体が自らが男である事を語っていた。
しなやかな肉体。なでらかな肌。角張った骨格。
最後の骨格が青年が男である事を証明している。
男女の違いが判らぬ中性性。両方の特徴を持つ万能性。
宗教史と美術史からみても青年の造形は美しい物だった。
だが、ダ・ヴィンチ
そんな美学の理論も宗教と文化人類史の倫理も越えて、
青年の顔を美しいと思った。
端的に言うと、趣味というやつだ。


「こんにちは……」
彼の視線に気がついた青年は戸惑いながら言葉を発した。
こんにちは、とダ・ヴィンチも挨拶を返した。
2人の間に数秒沈黙が流れる。
その間に彼は青年が描いていた絵を眺めた。
髭を生やした壮年の男が描かれている。
下一体型の服であるトゥニカを着て
1枚布で出来たトーガを巻き付けている青年も描かれている。
男は青年の脇腹に手を入れてその裸体に触れようとしている。
砂上の絵なのにそれがハッキリと判った。
ダ・ヴィンチはその絵が聖トマスの懐疑を描いているのだと一目で判断出来た。


エスの弟子であるトマスが
師の復活を疑う場面が書かれていたのは
新約聖書ヨハネによる福音書20章の
19節から31節までだったかなと思い出す。


ダ・ヴィンチは挨拶を返してから、
絵を描いてるんだな?と質問した。
青年は「ええ、好きなんです」と笑顔になる。
18歳になろうとしている青年の笑顔に、
彼は再び引き寄せられる。


ダ・ヴィンチは再び地面の絵を眺める。
審美を見極めようとする。
聖トマスの懐疑はダ・ヴィンチの師である
ヴェロッキオも作品のモチーフにしている。
師の作品は青銅の彫刻であったが。
ダ・ヴィンチは青年の描く絵を師匠の作品と比べるには
あまりにも出来が離れ過ぎているが、描く線そのものは悪く無いと判断する。


聖トマスの懐疑だな?とダ・ヴィンチは青年に尋ねる。
「はい、ミラノにはボッティチェッロが描いた
 聖トマスの懐疑があるんです。
 それを見てからこの場面が心から離れないんです」
青年は自分が描いた若きイエスの傷穴に手を触れる
壮年の使徒を見ながら言った。
青年の言葉は王侯貴族や聖職者の物とは違い、
ミラノ語の訛が強かったがダ・ヴィンチには聴き取る事が出来た。


ダ・ヴィンチボッティチェッロはボッティチェッリ
最初の師匠だった画家の事だったかなと思い出す。
次に青年に2つ目の質問をした。
懐疑の意味は知っているのか?
ダ・ヴィンチの質問に青年は歯切れよく返事を返す。
「イエスの肉体が実際に復活したと証明する場面ですよね。
 それと見えるから信じるのではなく、
 見えなくても信じる事の大切さを説いている場面です」


完璧だなとダ・ヴィンチは青年の回答に頷く。
彼はワイン農家だと思われるこの青年に
何処まで知識があるのかを試したくなった。
トマスの意味は知っているか?
この問いに青年は申し訳なさそうな顔をして
俯いてから首を横に振った。


ダ・ヴィンチは答えを言う。
アルム語、当時のイエス達が話していた言葉で
双子を意味する単語ディディモをギリシャ語に訳すとトマスになる。
ダ・ヴィンチの言葉に青年は大きく頷き、
嬉しそうな顔になる。目を輝かせて目の前の男に質問する。
「誰と双子だったのでしょうか?」
青年の疑問にダ・ヴィンチは素直な好奇心は素晴らしいなと思いながら回答する。
調べて調べても誰の双子なのか判らないんだよ、困った事に。
でも、だが、こういう解釈もある。
仲の良い友達の事を兄弟って呼ぶだろ?多分それだろうって言うやつさ。
ダ・ヴィンチの解説に青年は大きく頷いた。


陽は天空から僅かに傾き、
透明な色を橙色へと変えて地面を照らしている。
ブドウ畑は湿った土の匂いを纏い、蔦を茂らせる。
縦列する樹々の間を冷風が吹き抜け、
2人の髪と衣服を緩やかに揺らした。


ダ・ヴィンチはそこで自分が何者であるかをまだ名乗っていない事に気がついた。
自分の名前はレオナルド・ダ・ヴィンチであるという事。
今日、このブドウ畑に居る理由を青年に話した。
彼の言葉に青年は眼を一段と輝かせた。
ダ・ヴィンチがサン・フランチェスコ・ グランデ聖堂に祭壇画として
制作した【岩窟の聖母】を何度も見た事があるのだと言う。
青年はダ・ヴィンチの名前と存在を知っていたのだ。
それから【岩窟の聖母】の素晴らしさを言葉多くして
目の前に居る制作者に対して素朴な青年らしく熱く語った。





      こうして彼はいまだ知られない技に打ち込む


     (「ユリシーズ」を著作した作家ジョイスの作品
      「若き芸術家の肖像」のエピグラフより)
      ジェイムズ・ジョイス アイルランドの小説家
     (1882〜1942)
      




《それは嬉しいね。では今度は君の事を教えてくれよ》


ダ・ヴィンチの言葉で、
青年は自分が何者であるかを名乗っていない事を思い出した。
青年はハキハキとしかしどこか照れている風に自己紹介を始める。
もしかし青年は緊張しているのかもしれない。


ジャン・ジャコモ・カプロッティ。
それが美しい顔を持つ青年の名前だ。


ジャン・ジャコモ・カプロッティのジャンもジャコモも聖人の名前だ。
ジャンはイエスの洗礼者とイエスの弟子。合計2人のヨハンナのフランス語読みだ。
一方のジャコモは始祖アブラハムの息子イツハクの息子ヤアコブ、
別名イスラエル、全てのユダヤ人の祖。
またはイエス使徒に含まれる2人のヤアコブのイタリア語読みだ。
ジャン・ジャコモ・カプロッティ。
ダ・ヴィンチはそんな青年の名前を面白く思った。


聖人。
確かに青年の美しさは神聖さを感じさせる。
だが、ジャン・ジャコモに一瞬で魅了された
ダ・ヴィンチは、この青年は聖人というよりも
人を美しさで誘惑する悪魔の方があっているよなと1人頷く。
青年はダ・ヴィンチのブドウ畑を実質的に管理している
農家の長の子供なのだと言う。
絵はダ・ヴィンチが聞いた事の無い工房で倣った事があるのと、
趣味で描く中で覚えた程度なのだという。
なるほど。ダ・ヴィンチはジャン・ジャコモの現状を聴いて
青年の聖書理解の度合にある背景を理解した。


彼はもう一度地面に書かれた絵を眺めて、
腕を磨けば良い絵を描く様になるだろうと考える。
なにより、ジャン・ジャコモ・カプロッティの事を側に置きたい衝動にかられた。


さっき話した、このブドウ畑を貰う原因になった絵画があるんだが
良かったら今度観てみないか?
最後の晩餐は修道院の食堂に描かれているので、
修道僧以外の者は立ち入り事が出来ない。
さが、制作者であるダ・ヴィンチならば別の話しだった。


彼の提案にジャン・ジャコモは喜んだ。




《まったく、人生っていう奴は複雑だな》


ミラノの自宅で
寝ているサライの裸体を見ている、
ダヴィンチはサライの頬を手の甲でなぞる。


この年、ダ・ヴィンチでのミラノの仕事は
絵画制作以外にも数多くあった。
スフォッルツァ城で行われた主、ミラノ公と
フェラーラ公エルコレ1世の次女ベアトリーチェとの結婚式で
彼と同郷の宮廷詩人ベッリンチョーニが制作した詩劇【楽園】が上演された。
舞台装置を作り演出を行ったのがダ・ヴィンチだ。
またミラノ公の部下である武将ガレアッツォ・サンセヴェリーノと
部下達が馬上槍試合の前に行う行列の為に衣装を制作した。


その合間を縫って、ワイン畑で出会った2人は、
ミラノにあるダ・ヴィンチの作品を見て回り、
ダ・ヴィンチサライに知識と技術を少しずつ教えて行った。
サライは彼の仕事の手伝いをする様になっていた。
2人は師と弟子も同然の関係になって居た。
ダ・ヴィンチが自らの性的な好みと性愛恋情愛情から
ジャン・ジャコモの唇と身体に手を掛けた時、
青年は一切の抵抗と拒絶を示さなかった。
ダ・ヴィンチサライに魅了されてからそういった関係になる事を望んでいたが、
サライもまた彼と同じ事を望んでいた様だった。


ダ・ヴィンチサライに様々な事を教えはしたが
サライの事を教わりもした。
サライは本来、ダ・ヴィンチの畑を取り仕切る
ワイン農家の息子ではない。
彼はジョヴァンニ家の長男、
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニとフランス人の愛人の間に生まれた子供だった。
当然、ジョヴァンニの性名は名乗れない。
ジャン・ジャコモ・カプッロティ。
カプロッティはジャン・ジャコモを生んだ母親の姓だ。
母親は何年も前に幼い彼を残して死んだ。
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニは1人残されたジャン・ジャコモを
ジョヴァンニの貿易会社のワインを作る畑の管理者に預けた。
管理者は子供のいない中年の夫婦だった。
その御陰でジャン・ジャコモは衣食住で困った事は無い。
今では青年と父親が顔を合わす事は数年に1度、
それも僅かな時間に限られたが、ジャン・ジャコモは父を恨んだ事が一度も無い。


ジャン・ジャコモはダ・ヴィンチにそう言った。
ワイン畑。にある、石で作られた小さな休憩場の前。
冷風が吹く誰もいない夜。苔生す古代ローマの城門。
朽ち果てた城壁。ワイン畑の中でのたき火。
その前で1つの毛布に包まれる2人。夜空。星。匂い。感触。
ジャン・ジャコモはダ・ヴィンチに肩を抱き締められながら、
自分の生い立ちを告白した。


ミラノの自宅で
寝ているサライの裸体を見ているダヴィンチは
サライの頬を手の甲でなぞりながら、
こいつに新たな名前を付けてやろうと思いついた。


命名の先に在るのは新たな人格と運命の創造と加護だ。
そして個人的にはダ・ヴィンチの独占欲。
彼は愛する男を自分の物にしたかった。
大切にして青年が思うままの未来を歩ませてやりたい。


名前は一瞬で決まった。
アンドレア・サライだ。




サライというのは小悪魔という意味だ》


彼に青年に画家としての名前を
与えると言った時、ジャン・ジャコモは喜んだ。
ダ・ヴィンチがジャン・ジャコモ・カプロッティに
与えた新しい名前はアンドレア・サライだ。


アンドレアはイエス使徒であり、
同じく使徒のシモン・ペトロスの兄あるいは弟である聖人の名前だ。
次に、サライという名前の意味を、
青年に教えた時、サライは不満を表明した。
「小悪魔ってひどいです。僕、先生に何かしましたか?」
サライの珍しい怒り顔にダ・ヴィンチは笑いそうになる。
なんとかして堪える。
ダ・ヴィンイは心の中で、ああ、十分すぎる事を俺にしただろと笑った。


サライ旧約聖書のトビト記に登場する人物から拝借した名前だ。
トビト記は異教の地で暮らしながらも
主を信仰しシャルマナサル王に仕える信行者トビトと
息子トビアの災難と信仰と救いの話しが記してある。
トビトは人生の道中で失明する。
息子トビアは天使ラファエルの助言で悪魔に取り付かれている女性を救う。


女性は不幸に見舞われていた。
7回結婚した女性は7度、初夜前に夫を殺された。
彼女は若く、美しかった。
2度、3度と夫が殺されても自分ならば大丈夫だと
求婚する男が現れた。


彼女は悪魔に取り付かれていたのだ。
悪魔の名をアスモデウスという。
アスモデウスは色欲を司る。
彼女の夫達を殺していたのはアスモデウスに取り憑かれた彼女自身だった。


息子トビアは友人であるアザリアの助言に従い、
寝室で魚の胆のう、心臓、肝臓を香炉で焚き
彼女に取り付いていた悪魔を追い払った。
息子トビアと女は結婚した。
息子トビアはその後、父トビトの視力を魚の胆のうを使い回復させた。
友人アザリアは天使ラファエルが人間の姿として地上に現れたものだった。
ラファエルは逃げたアスモデウスをエジプトへと封印した。


悪魔に取り付かれた、美しい夫殺しの女性の名をサラという。


サラという人名は始祖アブラハムの妻サラの名前でもある。
だが悪魔の様な、それも男と女を超越した美しさを持つ青年に
心を射抜かれたダ・ヴィンチはトビト記のサラという名前こそが
愛人の新名に相応しいと思った。


しかし、それでは青年の名前にしては
女の面、それも妻や母として側面が強調され過ぎる。
だから彼はサラにトスカーナ語で親愛を示したり可愛らしいと感じたものや
小さい物の語尾に付けるinoを付け加えてSarainoとした。
これで悪魔に取り付かれた美しい女の名前サラは、
サライーノ、小悪魔になった。


それから妻や母という側面から逃れさせるため、
そして妻サラの名を男に付けるのが恐ろしかった為に、
SarainoのRをLに変更して、Salainoにした。
短縮してサライと呼ぶ事にした。


そこまで考えた所でダ・ヴィンチは気がついた、
アブラハムの妻サラの元の名はサライであった事を。
アブラハムの元の名はアブラムであり、
妻サラの元の名はサライだった。


アブラムが99歳、妻サライが89歳の時、
主は1年後に夫婦に子供が生まれる事を伝えた。
夫婦の間に子供が生まれた事は今まで1度も無かった。
主は、夫婦に改名する様に行った。
アブラムはアブラハムに、サライはサラになった。


旧約聖書内の創世記17章に5節にはこうある。


あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、
あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。


15節にはこうある。


神はまたアブラハムに言われた、
あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。


サライはサラになった。
トビト記のサラも妻サライの名を取りサラと名付けられている。
ダ・ヴィンチは弟子であり愛人の名前を
2人のサラから拝借して名付け、更にサライと変更した。
この大きな偶然と人名の旋回にダ・ヴィンチは愉快な気持ちなった。






《中編へ続く》


前編;本文
中編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130415/1366044153
後編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130417/1366177435





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