【短編小説】底が抜けちまった(後編)


前編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130405/1365173628
中編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130415/1366044153
後編;本文




       物語には牽引する力ある。
       人々を牽引するのには5つの作用が必要だ。
       勇者の嘘 愚か者の嘘 歴史の嘘 統合 心に残る真実


      (「ハムレット」や「マクベス」といった
       演劇史に名前を残す戯曲を書いた
       劇作家シェイクスピアの言葉)
       ウィリアム・シェイクスピア イギリスの劇作家、詩人
      (1564〜1616)






《ねむぃが継ぎだな》


翌朝、欠伸をするダ・ヴィンチ
身体を伸ばして朝陽を観た。
人間の身に何が起こっても陽の色は変らねぇなあと再び欠伸をする。


昨日、リザの私邸を去る時、
ダ・ヴィンチはいつか無報酬で彼女の肖像画を再び描く事を約束した。
そして資金の問題は解決の目処が付いた。計画は次ぎの段階に移った。
描いた絵画をどうやって世に出すか?という事だ。
良い絵を描いた所で画家個人が所有していては
誰が絵画を観れるというのだろうか?




《来たか。さすが商人は時間に厳しい》


その時、自宅の扉を叩く者が現れた。
計画通りの時間だ。
ダ・ヴィンチはいそいそと客人を向かい入れた。
彼に頭を下げてしっかりとした足取りで入室したのは
貿易商を営むジョヴァンニ家の使いだった。年齢はサライと同じくらい。
だが活発な美丈夫といった出立ちをしている。


「こちらがお求めの品です」
使者は両腕に抱えていた麻袋をダ・ヴィンチに渡した。
彼は片手でそれを受け取ってから紐を解いて中身を確認する。
ダ・ヴィンチは使者に労いの言葉を言った。
使者はうなずいた後に
サライは元気にしているだろうか?という伝言を与っています」と言う。
ああ、元気でよく働いてくれている。
相変わらず頭の回転も良いし人の心も読める。
酷い病気にもかかっていないから安心して下さいと伝えてくれと
ダ・ヴィンチは使者に笑いかけた。


食料品を主な貿易の商品とするジョヴァンニ家は、
ワインの名産地であるトスカーナを有する
フィレンツェ共和国の首都にも支店を構えていた。
ダ・ヴィンチが数日前、ジョヴァンニ家への
使いとしてサライをそこに送った。
目的は今彼の碗中にある麻袋の中身を要求する事だ。
サライことジャン・ジャコモ・カプロッティの
父親であるピエトロ・ディ・ジョバンニと
サライの雇い主であり預かり人であるダ・ヴィンチ
定期的にこうしたやり取りを行っていた。
ピエトロは愛人との間に産まれたジャン・ジャコモの事を気に掛けていたのだ。
サライ本人もその事を知っている。
ダ・ヴィンチサライがいつか言った「父を恨んだ事が一度も無い」という
言葉は本当の様だとピエトロとのやりとりから実感していた。
大商人であるピエトロは
一介の工房主であり息子の師でもあるダ・ヴィンチにも気を配っていた。


ダ・ヴィンチは使者に再度礼を言って、
ピエトロ・ディ・ジョバンニに宜しく言っておいてくれと言う。
使者はうなずき
「また何かあったら言って下さい」とダ・ヴィンチの宅から退出した。




《さて》


その後、サライが彼の自宅に来た。
2人は朝食を採る。ダ・ヴィンチサライに今朝の事を伝えた。
サライは楽しんでそれを聴いた。
ダ・ヴィンチは再びサライに伝令を頼んだ。


それから2人は宅を出る。
サライは伝令を達成する為にある屋敷へと向かった。
ダ・ヴィンチは計画通り、目的地へと向かう。



彼は眩しい朝の光の中、
フィレンツェを走る小川の橋を渡る。
住宅街を通り過ぎて広場に出る。
広場に並ぶインノチェンティ養育院と
サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂を通り過ぎる。
目的地は広場に並ぶ宗教施設の中の1つ、セルビ・ディ・マリア修道院だ。


道中、ダ・ヴィンチは再びあの集団に出会った。
外見を見るに彼らは昨日と変らず
フィレンツェの一般市民で構成されている様だ。
集団は変らず街角の巨木の下に集い手を合わせて何かを祈り呟いていた。
ダ・ヴィンチが今日もかよ?祈るなら教会にでもいけよと思い、
僅かな狼狽を持ってその光景を眺めていた。
すると昨日と同じ1人が彼に話しかけた。
「あなたも祈りませんか?」とその市民は
昨日と同じ様にダ・ヴィンチに言った。
ダ・ヴィンチは無言だ。そういえばあんたは昨日、今日自殺するっていてなかったか?と思う。市民は無言のダ・ヴィンチに言う。
「私達は今まで教会の中で神に祈ってきました、
 ですが今、世界は破滅しようとしています。
 だから私達は教会とは別の場所、空の下で神に祈りを捧げるのです」と
一般市民は天を仰ぎながらつぶやいた。
「それでだめだったら、私は明日にでも首を括るつもりです。
 私は悔い改める事にしたのです産まれた事を。
 私が夜寝台で寝ていると私の身体を叩く者が居ます」
一般市民はダ・ヴィンチに生気のない顔を向けた。


市民はダ・ヴィンチの事をすっかりと忘れている様だった。
おまけに昨日より服装が酷い、服装はだらしなく、
間から黄ばんだ下着が顔を覗かせている。
ダ・ヴィンチは心の中で苦笑した。
それから、そうかまぁしっかりな、
俺はいかなきゃならない所があるんでなと
昨日と同じ様に市民の肩を叩いた。


ダ・ヴィンチは市民に背を向けて数歩歩く。
それから険しい顔になった。
後ろを振り返ると市民は再び巨木と空に祈りを捧げている。
今日もまた彼はまったくろくな事が起こっていない、
これも環境と状況がわるいのだろうか?と
今の出来事を判断する事を倦ねていた。


苦みばしった味が口の中にじわじわと広がって行く様な気分で
ダ・ヴィンチは再び目的地へと歩き出した。
俺には俺の目的があって
あんな風にいつまでも祈ってばかりはいられない。


セルビ・ディ・マリア修道院は数日前の晩、
ダ・ヴィンチが夫婦の混乱を止めるのに協力を仰いだ、
イッポリト・アルドブランディー修道院長が管理する修道院だ。
ダ・ヴィンチの個人的な小さな工房もその中にある。


修道院に入ったダ・ヴィンチは何時もの様に工房へ向かう。
途中で見かけた修道士にアルドブランディー修道院長を
工房に呼んで来てくれと頼んだ。手の空いた時で良いからと添えて。


工房にたどり着いたダ・ヴィンチ
1週間以上訪れていなかった為か埃っぽくなって居る工房を見つめる。
ステンドグラスを通過した午前の濁った光が部屋を照らしている。
画家の部屋には複数の画架が並んでいる。
画架の上には板に貼られた帆布が置かれ、
帆布には描きかけの絵画や、試作があった。
部屋には他にも画材や棚や卓、椅子が置かれている。
描きかけの聖ヒエロニムスの肖像画には
汚れを避ける為に白い布が掛けられている。


彼は木製の窓を開けて空気を入れ替えた。
椅子を部屋の中央に移動させて座る。
背もたれに体重を掛けて天井を見上げた。
それから画架に置かれた様々な絵画を眺めて
どうしようかねーと頭の後ろで腕を組んだ。


しばらくそんな事をしていると工房の扉を叩く音がした。
どうぞ、と返事をすると
アルドブランディー修道院長が扉を開けて入って来る。
「君がここに来るのは久しぶりな気がするよ」と
白い髭を片手でもふっと掴んでいる。


「君の方からこの部屋に呼ぶとはめずらしいね」と修道院長は椅子に座る。
画家と教役者、2人は茶飲み友達だった。
修道院長の部屋で飲む事もあれば、ダ・ヴィンチの工房で飲む事もあった。
修道院長は修道院の長である。故に気軽に茶を飲める相手は限られる。
修道士などはもっての他だ。そこに芸術家が現れた。
芸術家からしてみても
自分の絵の方向性を認めてくれる教役者は良い茶飲み友達だった。
茶とは珈琲の事だ。
珈琲は未だ異端、異教であるイスラムの飲み物という風潮が強かった。
アルドブランディー修道院長は度々冗談だという口調で
「私がもし教皇に選ばれたら、一番初めにする仕事は
 珈琲豆に洗礼を与える事だよ」と言う。
ダ・ヴィンチはそれが強ち冗談では無い事を知っている。
そんな茶飲みの始まりを告げるのはいつも修道院長の方からだった。


だから今日の様にダ・ヴィンチの方から修道院長を呼び出す展開は珍しい。
ダ・ヴィンチは単刀直入に目的を告げる。
話しを聴く修道院長は目を閉じたり開けたりしながらうなづく。
ダ・ヴィンチが話しを終えると、
修道院長は白い髭をもふっと触り感心した様に「ほぅ」と言って
ダ・ヴィンチの事を見つめた。


「うまく行くかな?」と修道院長は彼に尋ねる。
ダ・ヴィンチの行動自体には異議異論がない様だ。
流石、修道士なのにも関わらず、市井の揉め事に
顔を出してくれるだけの事はあるなぁとダ・ヴィンチは感心する。
こういう人間を仲間として側に侍らせておくのは気持ちがいいと思う。


ダ・ヴィンチは上手く行きますよと言ってから
卓の上に麻袋を置いた。修道院長にそれを差し出す。
修道院長は首を捻る。ダ・ヴィンチは指で麻袋を指す。
修道院長は袋の紐を解き中を覗いて眼を見開く。
暗い麻袋の中、中身は更に黒い。さながら悪魔の様な黒さだろう。
修道院長は袋の中の匂いを鼻一杯に嗅いでえも言われぬ幸せな表情をする。
それから中身を指でつまむ。教役者の指に握られているのは珈琲豆だった。


最高級品ですよとダ・ヴィンチは笑う。
修道院長は椅子からがばっと立ち上がり、
「さっそく飲んでみよう」と珈琲豆が入った袋をもって何処かへと消えた。
暫くして2つの珈琲カップを持って修道院長が戻って来る。
工房が一瞬で新鮮な香しい匂いに包まれた。
画家と教役者、2人はカップに口を付ける。
ジョヴァンニ家に頼んだ上質の珈琲豆は確かに美味かった。
悪魔の様に黒く地獄の様に熱く天使の様に純粋で恋の様に甘い。
ひとしきり無言で珈琲を飲んだ後、
修道院長は「ではやってみよう」と言った。


計画はまた1つ前へと進んだ。






      この作品は象徴性に富み、モービー・ディックは悪の象徴
      エイハブ船長は多種多様な人種を統率した人間の善の象徴
      作品の背後にある広大な海を人生に例えるのが一般的な解釈である


     (アメリカの作家ハーマン・メルヴィル作の「白鯨」を解説した
      WEB上のフリー百科事典ウィキペディア日本語版からの抜粋)






《ねむぃが更に次ぎだな》


翌朝、欠伸をするダ・ヴィンチ
身体を伸ばして朝陽を観た。
人間の身に何が起こっても陽の色は変らねぇなあと再び欠伸をする。


朝食を持ち彼の自宅を尋ねたサライダ・ヴィンチ
そろそろ根回しは終わりそうだといった。
その後2人は朝食を食べた。それから2人は宅を出る。
サライは工房へと向かう、今日は伝令の仕事が無い。
ダ・ヴィンチは計画通り、目的地へと向かう。


計画の次の段階、解決すべきは
世に出た絵画をどうするのか?という事だ。
良い絵を描いた所でそれが芸術品愛好家の蔵に仕舞われては意味が無い。



彼は眩しい朝の光の中、
フィレンツェを走る大通りを歩く。
住宅街や教会を通り過ぎて広場に出る。
途中に配置されている警備兵に手を上げて挨拶をする。
目的地は警備された道と扉の先。メディチ家の屋敷だ。


道中、街中でダ・ヴィンチは今日もまたあの集団に出会った。
彼らは相変わらずフィレンツェの一般市民で構成されている様だ。
集団は相変わらず巨木の下に集い手を合わせて何かを祈り呟いていた。
ダ・ヴィンチがまた今日もかよ?祈るなら教会にでもいけよと思い、
僅かな狼狽を持ってその光景を眺めていた。
すると一昨日と昨日と同じ1人が彼に話しかけてきた。
「あなたも祈りませんか?」
市民は一昨日と昨日と同じ様にダ・ヴィンチに言った。
ダ・ヴィンチは無言だ。そういえばあんたは一昨日も昨日も今日自殺するっていてなかったか?と思う。市民は無言のダ・ヴィンチに言う。
「私達は今まで教会の中で神に祈ってきました、
 ですが今、世界は破滅しようとしています。
 だから私達は教会とは別の場所、空の下で神に祈りを捧げるのです」と
一般市民は天を仰ぎながらつぶやいた。
「それでだめだったら、私は明日にでも首を括るつもりです。
 私は悔い改める事にしたのです産まれた事を。
 私が夜寝台で寝ていると私の身体を叩く者が居ます」
一般市民はダ・ヴィンチに生気のない顔を向けた。


市民は今日もまたダ・ヴィンチの事をすっかりと忘れている様だった。
おまけに今日は服装が綺麗だ。
見た目だけは貴族と一切の遜色が無い格好をしている。
ダ・ヴィンチは心の中で苦笑した。
それから、そうかまぁしっかりな、
俺はいかなきゃならない所があるんでなと
一昨日と昨日と同じ様に市民の肩を叩いた。


ダ・ヴィンチは市民に背を向けて数歩歩く。
それから険しい顔になった。
後ろを振り返ると市民は再び巨木と空に祈りを捧げている。
今日もまた彼はまったくろくな事が起こっていない、
これも環境と状況がわるいのだろうか?と
今の出来事を判断する事を倦ねていた。


苦みばしった味が口の中にじわじわと広がって行く様な気分で
ダ・ヴィンチは再び目的地へと歩き出した。
俺には俺の目的があって
あんな風にいつまでも祈ってばかりはいられない。




《申し訳ない気にもなるな》


メディチ家の広大な屋敷、
その巨大なバルコニーで待たされているダ・ヴィンチは思う。
だが頬に当る風は気持ちがよい。


ダ・ヴィンチは今日屋敷を尋ねるという事を、
サライを伝令に送る事で昨日のうちに伝えていた。
家長が体調を崩している時に宅を尋ねるのは
悪い事をしている気分にもなった。だが、仕方が無い。
病床に居ても市井の怒声と混乱の声は聞こえて来るだろう。
それが収まる可能性もあるのだから、どうか許して下さいよと、
ダ・ヴィンチは心の中でロレンツォ・メディチに詫びた。


「レオナルド!久しぶりだ!元気そうでないよりだ」
バルコニーにやって来たのはロレンツォの長男ピエロだ。
やぁピエロ、あなたこそ元気そうで。
ダ・ヴィンチとピエロはお互いの身体を抱き締め合った。


数ヶ月ぶりに見るピエロは随分と身体を逞しく成長させていた。
顔立ちも大人びている。
良い成長の仕方をしているとダ・ヴィンチは嬉しくなる。


ロレンツォの容態は?
ダ・ヴィンチの問いにピエロは一瞬息を止めて、
「医者が言うにはすぐに起き上がれると言う訳ではない様だ」と
ダ・ヴィンチの眼を見る。
彼は長男ピエロのその様子から、
ロレンツォの容態は芳しく無い様だと推測する。
名家の次期家長が現家長の病状を一介の画家に素直に言う事などは出来ないだろう。ダ・ヴィンチはロレンツォが天に召される前にもう一度会いたいと思う。
だが、今は絵画の事が問題だ。
上手くすれば今回の事が良い見舞いの品になるかもしれない。


ピエロは話しを切り替える。
話題はダ・ヴィンチメディチ家の屋敷を訪れた目的の事だ。
彼はすでにその内容を昨日のうちに
サライメディチ家の屋敷に送る事で伝えている。
「話しは聞いている。質問の回答としては、
 ウフィツィの画廊には空きがある」
ダ・ヴィンチはそれを聞いてそれはよかったと頬笑んだ。


ウフィツィはロエンツォ・ディ・メディチ
フィレンツェ中に散らばる行政の事務所を1カ所にまとめるべく建築した建物だった。1480年に着工し90年には完成している。
当然、そこにはフィレンツェ内外の市民や商人が大量に出入りする。
そんなウフィツィには訪れる人々にメディチ家の力を
知らしめ見せしめる様に、
美しい1流の絵画や彫刻を飾る画廊が設置されていた。
メディチ家ダ・ヴィンチに描かせた絵画の幾つかは
今ではその画廊に飾られている。
数多くの市民や商人が画廊で芸術作品を見ては心を癒し審美眼を養い鍛え、
メディチ家の権力を形ある物として見つめていた。


「掛けて欲しい絵があるとの事だが、
 それはレオナルドに描かせた絵のどれかか?
 それとも、新たに買い取って欲しい絵があるということだろうか?」
ピエロの目がダ・ヴィンチの事を見定める様に鋭く光っていた。
それは次期家長としては素晴らしい事だとダ・ヴィンチは頬笑む。
俺が描いた絵画ではないんだとピエロの瞳を見つめ返す。
それにその絵はあなたに寄付します。ダ・ヴィンチは口角を上げる。


「寄付?」ピエロは拍子を外された様な意外な顔をしている。
ええ、良い絵なんです。
ダ・ヴィンチは頬笑みながらもピエロの顔から視線を外さない。
「そうか、私は父や弟とは違い、
 私はあまり美術に詳しい方ではないのだが。
 寄付をしてでも画廊に並べたいというのか?」
ピエロはどこか気の抜けた顔をしてる。
その様はこの青年がまだ幼い頃の事を思い出させた。
はい。とても良い絵で。それを観たフィレンツェ市民の心も休まるものなんだ。
ダ・ヴィンチはピエロから視線を外してバルコニーの外、
青空をゆっくりと眺めた。
ピエロはうなずく。ダ・ヴィンチの最後の一言に彼の真意を納得した様だった。


「分った。
 私は、父や弟がレオナルド、君の実力を信用している事を知ってる。
 家族が信じる君を信じよう」
ダ・ヴィンチはピエロの言葉に笑顔で礼を言う。ピエロも笑った。
それから私は用事がある、後は部下にまかせるとしようと言って
足早にバルコニーから去って行った。
ダ・ヴィンチはその背に再び感謝の言葉を投げかけた。
ダ・ヴィンチは消え行くピエロを見ながら、
自分が思っている以上にロレンツォの容態は
良く無い物なのかもしれないと感じた。


彼はこれで根回しの全てが終わった事に胸を撫で下ろした。
後は自分の力だ。それがどこまで通ずるだろうか。




《ここまで上手く行くなんてな》


絵画を描く。


ダ・ヴィンチの計画はこうだ。
まずは彼が絵を書く。絵画をみせる対象は一般市民である。
決して芸術に明るい愛好家や王侯貴族や教役者ではない。
目的は震災と混乱に怯えて浮つく人々の心を鎮める事だ。
だから絵画の内容は小難しい事じゃ行けない。
抽象的じゃいけない。
一目で分かり易いと良い。直接的だと尚の事良い。


パトロンや教役者向けの絵画なら抽象的で1つの絵に多様な意味を込める。
観る者はそれを読み解くだろう。だが、今回は相手がただの市民だ。
それでは届かない。特別、美学を知っているという訳ではないのだ。
故に彼が描く絵画は、現代の状況を直接気に表現する地震の絵だ。


ダ・ヴィンチキリスト教の伝達力を知っている。
出来れば利用したい。だがキリスト教聖典
聖書には地震からの救済を描いた場面は無い。
あるいは描く事で今の状況に適した物は出て来ない。


モーセが描いたと言われる旧約聖書内の創世記。
その5章から始まるノアと大洪水の話しは現状には適さない。
大洪水は確かにアマルフィを襲った災害と繋がる所もあるが、
人々の混乱と恐怖を鎮める絵画の題材にはならない。
大洪水は神による浄化であるのだ。
ダ・ヴィンチはまず初めにこれを除外した。


ダ・ヴィンチモーセの事も研究してる。
新約聖書内の使徒行録にはモーセの事が
神の目に叶った美しさをもつ男だと書かれている。
そんな男が居るのならばダ・ヴィンチは是非あってみたいと思っている。
そこまで美しい男をこの目で見てみたいし、
見ればそういった美しい絵画を描く事もできる。
だが、どのみち死後の話しだと妄想を止める。


旧約聖書内のソドムとゴモラも題材にならない。
神の怒りに触れて、天から降る硫黄と火の玉で
滅ぼされた2つの悪徳都市の話しもまた今の状況に適さない。
ダ・ヴィンチが今回描く絵画の目的は
滅びの不安に怯える人の心を慰める事なのだから。


キリスト教が聖人と認定した教役者の中には
地震と洪水から教徒を守る役目を与えられている人物もいる。
ギリシアグレゴリオス・タウマトゥルゴスだ。
オスマン帝国コンスタンティノープルがまだ東ローマ帝国の物だった頃に
建てられたキリスト教の大聖堂アヤソフィアにはモザイク画が描かれている。
そこにはグレゴリオスの姿を確認する事が出来る。
グレゴリオスは西暦213年に生まれて270年にはこの世を去ったと記憶されている。【信仰告白・テオポンポスへ】【謝辞】といった様々な文章を残し、
キリスト教の正統的な信仰の在り方に影響を与えて来た教役者だ。


だが、地震や洪水の被害者を守護する聖人に選ばれていながら、
その事はあまり残されていない。
ポントゥス。現在はオスマン帝国に支配されている
西アジアアナトリア半島の中、
黒海に面する地域を地震とその後の津波を襲った。
その時グレゴリオスが人々を導き加護した事はわかっているが、詳しい事は残っていない。だから巧く絵画の主題としては利用できなかった。
実在した人物を描くならば、その者を徹底的に研究せねばならないからだ。


他の聖書の出来事も、聖人の話しも似た様な物だった。
それらは大きく、抽象的な意味や、真実の所では人々に愛を伝えるだろう。
だが、現代。人々が混乱し恐怖する中で、
物事の真実を見据える余裕を殆どの人間は持っていなかった。
だからこそ、ダ・ヴィンチ即物的で現在の状況に適する物を描こうと思った。


それはつまり架空、幻想だ






      制御出来ない物、迷宮、魔術、無限、空想の中に
      制御出来るものを入れる。それが幻想。
      分るかい?マルケス
                      ---ボルヘス


      制御出来ない物が、制御出来るものに影響を受けて
      変化することでしょう?ボルヘス
                      ---マルケス


     (南米文学の先駆者、「伝奇集」の著者である
      ホルヘ・ルイス・ボルヘスの言葉。
      そして南米魔術的リアリズム文学の代表者、
      「百年の孤独」「予告された殺人の記憶」の著者、
      ガブリエル・ガルシア=マルケスの言葉)
      ホルヘ・ルイス・ボルヘス アルゼンチンの小説家
     (1899〜1986)
      ガブリエル・ガルシア=マルケス コロンビアの小説家
     (1928〜 )






《嘘を描くの始めてだな》


ダ・ヴィンチは己の行為に身震いし、挑戦に心震えた。
それは彼個人の性格を越えた芸術家としての性、或は悪習だった。


嘘と言ってもキリスト教聖典の中に
現状に即する地震津波に関する事が出ていた事にして、
絵画として描くという訳には行かない。
それでは絵画が人々の眼に触れた段階で教会から批判されてしまう。
展示場所を提供してくれたメディチ家にも迷惑を掛けてしまう。
何より、嘘が発覚した時点で絵画は吸引力を大きく失う。
この絵画にはキリスト教並みの大きな信頼や根拠が必要だ。
人々の心を鎮め、奮い立たせねばならない。
それはまるでアルドブランディー修道院長の言葉のようなものだ。
伝統的、歴史的な言葉や出来事はそれ相応の信頼を人に与える事を
ダ・ヴィンチは宗教画の描き手として知っている。


そこでダ・ヴィンチが眼をつけたのがギリシア神話だった。
プラトンの思想と共にギリシア神話キリスト教と折半し
現代の社会に受け入れられて来た。
だが決して体系的に学ばれている訳ではなく、研究も進んでいない。


東ローマ帝国ではフランスや半島の諸国を含む西側諸国よりも
ギリシア神話の体系的な研究が進んでいた。
1453年の5月29日、
オスマン帝国により東ローマ帝国が滅ぼされた事で、
研究の成果は西側の諸国にも伝わる様になった。
コンスタンティノーブルのギリシア人学者が西側諸国に亡命したためだ。
これにより紀元前の著作家アポロドーロスが書いた、
ギリシア神話を包括的、系統的にまとめた【ビブリオテーケー】等も
ギリシア語の書物として西側諸国に持ち込まれる事となる。
それから40年程が経過した今、
ギリシア神話フィレンツェの一般市民にも物語として知られる様になった。
だが戦火で失われた資料は多く、
今だにフィレンツェを初めとする諸処の国々では
学問として体系的な研究が深く進んでいる訳ではなかった。


ダ・ヴィンチはそこに目を付けた。
ギリシア神話には人々の心を引き寄せる吸引力がある。
説得力と信頼をもたらす歴史もある。
それでいて聖書とは違い現代では学問的な体系が無いので
嘘を付く隙がある。




《嘘をつくのも楽しい物だな、笑えるし笑えるし面白いし笑える》


ダ・ヴィンチは作品で嘘をついた事が無い。
キリスト教に伝わるある一場面を書く際も、
その背景や登場する人物や物体を徹底的調べて現実性を求める。
調べられない事が多ければ、依頼された絵画であっても制作を途中で破棄した。
エスや聖人の頭上に浮かぶ光臨、ニンブスを描く事が当たり前である現代でも
ダ・ヴィンチはそれを自らの絵画には登場させずに
登場人物の現実的な人間としての強さを表現した。


肖像画を描く場合、ダ・ヴィンチは描く人物の瞳の奧を覗き込んだ。
その人物が持つ表像だけではなく、何を考えどういった思想を
持っているのかを肖像画で描こうとした。
プラトンの思想と、アリストテレスの思想を持っている人間では
それぞれ描き方が異なった。


ダ・ヴィンチは、今回の絵画で初めて嘘をつく。
ギリシア神話の名を借りて幻想を描く。
それがダ・ヴィンチには楽しくて仕方が無かった。
嘘には自由がある。人を信じさせられるかどうかは別の事だが。
ダ・ヴィンチには今までの絵画作製の中で得た膨大の知識とひらめきがある。
後は嘘にそういった真実を注ぎ込むだけだった。


だが、完璧な嘘ではない。
描くのは規律が完璧に決まった聖書の一場面でもない。
かといって全くの無から新しい世界を想像する訳でもない。
2つの中間、ギリシア神話に依る嘘の構築だ。
だから彼がこれらから描くのは完璧な嘘という訳では無かった。


ダ・ヴィンチの心は高ぶる。
表現という物の楽しさを感じる。
表現とは自己表現の為にあるのではない。
表現の形式や規律の中に自分を見せて行く行為だ。
彼はその楽しさを今改めて感じていた。




《楽しみだ》


ダ・ヴィンチは、
声を立てずに1人笑う。白い歯を噛み締め歯茎まで外界に晒す。
彼の愛人が此の場に居たのなら、
「先生はまるで獅子や狼になった様だ」と思うだろう。


ダ・ヴィンチの計画では、
彼の描いた絵画は作者不明、制作年代不明の代物として世に出る事になる。
勿論、完成した絵画には古く見える様な加工を施す。
その理由はこの絵画は嘘を描いた者であり、
嘘である責任を不明の作書に負わせる為にだ。
本当の作者であるダ・ヴィンチでも、
絵画に関わるアルドブランディー修道院長やメディチ家の物でもない。
不明の作者に嘘を描いた責任があるのだ。


また時代が不明な事も重要だった。
絵画でも楽曲でも演劇でも文学でも、
事が起こってから制作した物は説得力に弱い。
その時代に生きた人間が描くと、制作物が状況に合致しすぎているか
逆に重要な部分から目を反らしている物が出来上がってしまうからだ。
まさに今自分が悲惨な状況を体験しているからこそ、
大きな目で物事が見えなくなったり、逆に主観的になり過ぎてしまう。


事件が起こる前から存在していながらも、
その時の状況にあった作品こそ本当の説得力と信頼を持つ。
誤摩化しが効かない事が重要だ。
既に作品は完成しているのだから手を加えたり誤摩化す事など出来はしない。
そして何より、過去の作品なのだという事実が重要だ。
なぜならば、そういった作品が現代に現存しているという事は、
人間達が様々な苦難や
幾千の真っ暗闇の夜を抜けて来たという徹底的な証拠だからだ。
ダ・ヴィンチは嘘で過去を再現する。
作者不明、時代不明の絵画で人類の様々の戦いと勝利の証左を再現する。
勝利には条件があるという事を
人類の過去または神話の教訓として見せしめる事が重要だ。


その絵画は、
セルビ・ディ・マリア修道院の蔵から見つかった事にする。
とある物を蔵から探し出す際、
アルドブランディー修道院長が偶然見つけた事にする。
きっと絵画は何時かの昔に、
市民や商人が修道院が断るのも聞かずに寄付した物や、
他宗教の研究の為に取り寄せられた物に違いない。
ともかく、キリスト教ではない
ギリシア神話のある一場面が描かれている絵画の芸術性を修道院長は認める。
だが、聖書とギリシア神話の折衷が認められている現代とは言え、
流石にギリシア神話の絵画を修道院に置いておく分けないはいなかい。


そこで登場するのがメディチ家だ。
アルドブランディー修道院長は出来は良いが
ギリシア神話が描かれている為に修道院に置いておく訳にはいかない絵画を
相談の末、メディチ家に寄付する。
メディチ家は絵画を、現状に適している必要な物だと認め、
一般市民にも鑑賞出来る様にウフィツィの画廊に飾る。


絵画をダ・ヴィンチが描いている最中の賃金は、
リザの旦那、織物の商人にして
フィレンツェの行政官フランチェスコ・デル・ジョコンドが支払ってくれる。
これでダ・ヴィンチも弟子も生活に困る事は無い。
ジョコンドは大した役人だった。


ダ・ヴィンチの嘘の絵画を見た市民が
どういった反応を示し反響を呼ぶのかはわからない。
ただ、彼が行う事はただ1つ。
自分の持つ最大の技術と知識を持って嘘を描く事だけだ。






      俺がバードから教わった一番大切な事は
      芸術家は言葉の上でなら
      もっと嘘を付いても良いんだってことさ


     (偉大なJAZZサックスプレイヤーチャーリー・パーカー
      弟子にしてJAZZの帝王と呼ばれたマイルスの言葉)
      マイルス・デューイ・デイヴィス3世 アメリカの音楽家
     (1926〜1991)






《難問は去ったな。意外にもあっけねぇ》


ダ・ヴィンチにとっての難関とはただ1つ。
絵画の構造だった。つまり具体的に何を描くかだ。


ダ・ヴィンチは5日間、
画架に掛けられた、真っ白な帆布の前に居た。
帆布は板に貼られ筆が付けられるのを待っていた。
その面積は巨大だ。一目で人の目を惹く巨大さだ。


ダ・ヴィンチは絵画の具体的な構図や色使いという物は
絵画の主題や目的が決まっていれば
天空から意識の中へとそのうち不意に降りてくる物だと思っている。
そう思う程に構図を研究し知識を集め技術を磨いて来た自信が彼にはある。


もちろん、ダ・ヴィンチは今だその全てに満足している訳ではない。
一作ごとに研鑽を重ねている。
だが、いざ絵画を描く段になると、
直前での修練など手慣らしの意味以外では誤摩化しでしか無く、
帆布と言う真っ白な空間の前では
ここまで積み重ねて来た自分の全てを出すしかなかった。
つまりそれは自分を表現という手段で人々に見せつける事ではなくて、
表現の形式や規律の中で自分を見せて行くという事だ。
これまで積み重ねて来た経験や知識と鍛錬の結果を表現に託す行為だ。


ダ・ヴィンチが真っ白な帆布と対面してから5日後、
彼の意識の中に絵画の完成図が沸き上がった。




《まぁ、悪く無いな》


ダ・ヴィンチはいま、
自分の心の内に見えている絵画の完成図にそんな感想を言った。


絵画の中央には1組の男女が立っている。
厳格な視線の中に穏やかな笑みを隠した男と、
穏やかな笑みの中に厳格な視線を隠した女だ。


男はギリシア神話の主神ゼウスに見える様に描く。
長い髭と神の毛。逞しい体つき。
だがそれだけではなく、
キリスト教のイエスが現代の絵画に描かれる際の特徴も取り入れている。
それは生命力に溢れ活気に満ちている人間の姿だ。
故に通常描かれるゼウスよりも外見は若い。
肉体は若さと雄大が交流して折衷を保っている。
裸体に纏う布は赤い。
男はゼウスでありイエスだった。
ゼウスは社会秩序の乱れや問題を調停する全知全能の守護者の象徴だ。


女はゼウスの妻ヘーラーだ。
美しい顔つきとしなやかな肢体。
だが、彼女もまただのヘーラーではなく、
聖母マリアに見える要素も取り入れられている。
ヘーラーは年に1度若返りの泉に入る事で永遠の若さを保っている。
聖母マリア処女懐胎をしている為、原罪を免れている。
原罪を免れているとはイエスが神の御業によって誕生した事を指す。
人間同士の間の誕生した者は産まれてから洗礼の祝福を受けなくてはならない。
だがイエスは洗礼を受ける必要が無い。
故にイエスを産んだマリアも原罪を免れ老いる事も無く死ぬ事も無い。
絵画に女は若い。
女が纏う布は薄い青色をしている。
青色はキリスト教の伝統で天国と聖母マリアを象徴する。
女はヘーラーでありマリアだった。
ヘーラーは母性愛延いては家族愛を象徴する女神だ。


この折衷は絵画の鑑賞者がキリスト教の知識しか持っていなくとも
ギリシア神話の神々の事を知っていても、
両方の意味でもどちらか一方の意味でも
見る者に伝統と神話の説得力を感じさせる事を目的に仕組んだ仕掛けだ。
深い知識がなくとも一目で描かれている事の意味を判らす事が
ダ・ヴィンチが描こうとしている絵画には必要だった。


中央に立つ男女を境に絵画の上部には海が見える。下部は大地だ。
海には海の精霊ニンフ達が居る。
ニンフ達は男女にひれ伏している。
また海に巣くう怪物ケートスが槍で倒され波間に浮かんでいる。
ケートスは津波の象徴であり、それが倒されている場面を描く事には意味があった。だが波は荒く穏やかに静まっている訳ではない。辺りの景色は暗い。
しかし天からは僅かだが穏やかで新鮮な光が漏れている。
ダ・ヴィンチは天使を天空から舞い降ろそうかとも思ったのが、
世間に溢れる終末思想を連想させそうなのでそれを構図から取り除いた。
海の向こうには山が見える。頂上には火口が見えるが、噴火はしていない。


一方、下部の大地には多くの人々が居る。
人々は神でも精霊でもなくただの人間だ。
家族や男女が居る。子供がいて大人が居る。
大地は所々にヒビが走り、崩れている岩もある。
だが全ての人の視線には強い意志がある。
絵画の外を見ている者も居れば、膝付く者に肩を貸している人も居る。
子供を優しい目線で見つめる者も居れば、肩を寄せ合う男女も居る。
荒波を挑む様な目付きで見つめる者も居れば、温かい頬笑みで祈りを捧げている者もいる。
大地にはすべての人間が居た。
絵画を見る者に自分の視線にも
本来は強い意志が宿っている事を気がつかせるのが描かれる人々の目的だ。


それは震災が天罰であるという言葉や終末論者の言葉に怯えず、
必要以上に怒らず心を乱されぬ視線だ。
根拠の無い噂や予言に惑わされぬ意志の確かさだ。
事の真意を冷静に判断する思考力だ。
噴火などの更なる天災には用心しそれから目を逸らさぬが、
恐怖で混乱する事は決して無い精神の強靭さだ。


ダ・ヴィンチが描く絵画の人間はそういった人々であり、
ダ・ヴィンチは絵画を持って
あなたこそその人間なのだという事を見る者に思わせたかった。




《まったく》


ダ・ヴィンチは笑った。
意識に沸き上がった完成図を彼の知能と知覚が読み取った。
ダ・ヴィンチにはそれが随分と陳腐な絵画だと思えた。構図も古い。
絵画の真ん中に全知全能の神かイエスと神の妻か聖母マリア
上部に海と山と空。賑やかす様にニンフと怪物が配置されている。
下部には大地と人々。岩。土。絵画は中心で左右と上下を対称させている。
捻れや湾曲の美しさが無い古典的な構図だ。


たとえば、なにかの理由で落ち込んでいる人物が居る。
彼を励ましたい。だから頑張れと声を掛ける。
これほど直接的で個人の感情を無視した言葉もない。
意志の疎通の在り方として陳腐だ。


だが、どうやら、
その古くさいこと、ありふれていて、つまらない方法こそ
役に立つ場面もあるらしい。
ダ・ヴィンチは笑う。1人声を上げて笑った。
まったく笑えるし笑えるし面白いし笑える。


工房を照らすステンドグラスの陽を見れば、
時刻が正午前だということが判った。
白布をずっと見続けていたダ・ヴィンチの目に透明な光は新鮮だった。
それから彼の視覚は再び白い帆布へと向かう。
開け放たれている木製の窓の縁に、
くちばしにオリーブの実を啄んでいる白い鳩が止まっている。
だが彼は鳩に気がつかない。
鳩は静かなこの空間に一時の安息地を見つけた様だ。
羽を畳み、時折クビを小さく傾げる。


辺りは静かで、ダ・ヴィンチの耳には教役者の説教が小さく届いている。


旧約聖書内、箴言24章16節。
正しい者は7たび倒れても、また起きあがる、
しかし、悪しき者は災によって滅びる。
17節、あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない、彼のつまずくとき。
彼の聴覚はそこで途切れる。後には無音が支配する。


ダ・ヴィンチは椅子から立ち上がって間近な距離で帆布と対当する。
そして画家は使い慣れた道具を手に取った。


これまで積み重ねて来た人生の経験と
嘘偽りない知識と数千の夜を越えた鍛錬の結果を今、嘘に託す。






      化学式;C8 H11 N
      SMILES記法:C1=CC=CC=C1CCN 


     (天然由来の有機化合物の中で塩基性を示す
      アミノ基を1つだけ含む神経伝達物質
      フェネチルアミン)   






《         》 


帆布に地塗りをして下地を作る。
彼が油彩具に望む発色具合になる様に塗り方と量を調整する。
木炭で下描きをして描かれる物の大きさを調整する。
色調の変化と濃淡を決める。


画家は絵の具の作り手でもある。
自分や弟子が天然の素材から作った顔料を
彼は油で溶かして油彩具にしていく。
同じ色を作ろうと思っても素材によって顔料の彩りは大きく変わる。
混合の具合によって輝が変る。顔料は溶く油によって表情を変える。
時に筆で時にパレットナイフで帆布に絵具を塗って行く。
その動きは速く遅い。機敏で鈍重だ。筆の速度に変化をつける。
薄く塗る所。高く盛る所。絵具の凹凸で光の反射を操る。
腕は大きく跳躍し、指先は繊細に震える。
細かい所と大胆な場所を1つの絵画に両立させてゆく。
その動作は偏執狂的なまでに神経質、かと思えば無関心の様に大雑把だ。


朝が過ぎ夜を越え、再び朝を迎える。
3日間描いて、3日間食って寝る。
描く3日間、ダ・ヴィンチは眠ることも食事をする事もなかった。
寝る3日間、ダ・ヴィンチは絵を描く事をも見る事もしなかった。
その日々を繰り返す。
繰り返して反復して積み重ねて1枚の絵画は完成に近づいていく。


その結果、帆布と対面する時。
彼の喜怒哀楽は消え去り自己表現は完全に消滅する。
いまダ・ヴィンチの全て、頭の先から足の先まで、
全ての器官が筆と繋がっている。
骨と筋肉と神経が彼が握る筆を踊らせている。
呼吸の1つ1つが筆の毛1本1本を揺らす。



彼の知識は知っている。
ゼウスとヘーラーの表情と外観を。
彼は以前、アポロドーロスが書いた
ギリシア神話を包括的、系統的にまとめたビブリオテーケーを読んだ事がある。
彼の鍛錬は知っている。
エスとマリアの特徴を。
彼は旧新聖書、外典含むキリスト教に関する文章を読み込んでいた。
彼の生活は知っている。
ゼウスとヘーラーと折衷するイエスとマリアが纏っている衣の色の意味を。
熱心な師、ヴェロッキォからそれを現代絵画の基礎として教わっていたのだ。
彼の完璧主義は知っている。
エスとマリアが纏う赤と青の詳しい色彩を。
新約聖書には含まれない今では説教にも使われないような
外典に書かれていたのだ。
彼の目は知っている。
荒波の激しさを。
彼が暮らしたフィレンツェにもヴェネッツィアにも海があった。
彼の親交は知っている。
ギリシアや半島周辺の波の性質を。
酒場で貿易商人達と海の話しを肴に酒を飲んだ事がある。
彼の知性は知っている。
神話が成立する紀元前の海面の状況を。
古代ギリシアの詩人アイスキュロス著作のアガメムノーンには
紀元前のトロイア戦争の海戦が描かれている。
彼の視覚は知っている。
怪物ケートスがクジラだという事を。
現代にも残る古代ギリシアの壷にはケートスが多く描かれている。
多くの学者がそれをクジラだと認めている事を知っている。
彼の知力は知っている。
ケートスに突き刺さる槍の形状を。
紀元前の武器に関しては人類最初の歴史家である
ヘロトドスの著書である【歴史】が詳しい。
彼の異性愛は知っている。
ゼウスとヘーラーにひれ伏す海のニンフの美しさを。
彼は今まで、リザを初めとする美しい女性達と身体を重ねて来た。
彼の同性愛は知っている。
ゼウスの肉体の美しさを。
彼はそれだけ男を抱いて来た。
彼の書棚は知っている。
火山の火口の形状を。
西暦1世紀はローマの政治家、
ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥスは
ポンペイを襲ったヴェスヴィオ火山の描写を今に残している。
現代では書簡集としてそれを読む事が出来る。
彼の想像力は知っている。
雲の切れ間から指す太陽光の美しさを。
彼が見て来た空模様の中、
美しい物だけが纏められ合成され今や心の中にそれは描かれている。
彼の感情は知っている。
人が人を優しい視線で見る感情を。
両親や友や弟子達の事を考える。
彼の職業は知っている。
強い意志が籠る視線を。
彼はありとあらゆる事を絵画で表現する為に
何物からも目を反らす事の無い意志を持っている。
ダ・ヴィンチの愛は知っている。
絵画に描くべき簡単には表す事が出来ないような
他者に対する言葉に出来ない不明の感情を。
思い出すのは愛する人サライ・カプロッティの事。


数週間、筆は走った。
絵画は完成した。


彼は喜びも笑いもしない。
筆を白布に初めて付けたとき、完成する事が見えていたからだ。
ただ、沸々と微弱に沸き上がる満足感はあった。
完成する事が分っていた物を思い通りに完成させるのにも満足は在るものだ。


完成しても絵画には勿論、彼のサインが入っていない。
だが、僅かな彼の自己主張。
彼にしか分らない方法でこの絵画にはサインが掘られている。


まだ最後の仕上げが残っていた。
絵画が完全に乾いた所で、
新品の作品を古く見せる為の加工をしなくてはならない。
彼は松脂が染込んだ松の樹皮を焼いて煙のヤニを出す。
絵画をこの煙に晒すと汚れて古ぼけさせる事が出来る。
彼は真新しい絵画を5秒間だけ眺めてから煙に漬けた。


加工は終わった。新鮮な絵画は古ぼけて汚れた。
この絵画をアルドブランディー修道院長に預ける前に
彼にはもう1つだけ、最後にしなくてはならない事があった。



工房を抜けて修道院から抜け出る。
空を見れば月が薄い雲に覆われて淡く輝いている。
久しぶりに歩く市街地を抜けて1軒の民家に辿り着く。
白い壁。バルコニーを飾る花々と地面に向かって足れる蔦。
頑丈そうな木製の入り口扉。彼は手の甲で扉を2回3回と叩く。
僅かな時間の後に声がする。彼は名前を名乗る。
扉が開く。そこに住む、夫と妻が顔を出した。
出て来たのは何時かの夜、彼とアルドブランディー修道院長が
争いを止め心をなだめた夫婦だ。
居てくれて良かったと思いながら彼は夫婦に挨拶をする。
2人は挨拶を返す。妻の頬には殴られた跡は無く、
夫の目は涙に滲んでいる訳ではない。


彼は夫婦にある頼み事をした。
夫婦は快諾する。夫も妻も彼には感謝していた。
夫婦は彼の案内のまま宅を後にして夜道を歩く。
暫くして辿りついたのはセルビ・ディ・マリア修道院
その中にある彼の小さな工房だ。


彼は夫婦に完成した絵画を見せた。
1組の男女はその絵画を眺める。
彼は男女の顔、その瞳の奧を凝視する。
夫と妻は互いの手を胸の前で繋いだ。
彼の目は夫婦の表情を捉える。


ダ・ヴィンチは絵画の完成を確信した。




《やっぱトスカーナ産のワインは美味いわ》


ダ・ヴィンチは頭の上で手を組みながら、
座る椅子の背もたれに体重を掛ける。
そのまま頭を上げて天井を見上げる。
ダ・ヴィンチは自分の故郷が作ったワインに舌鼓を打っている。
やっぱり美味い。


時刻は夜で、白い蝋燭の火が木製の室内を照らしている。
フェレンツェにある自宅の天井は高い。
天井からは彼が設計した空飛ぶ装置が吊り下げられている。
この装置は人の背中に付ける巨大な羽だ。
モデルは鳥だ。


この装置を付けた人間が風の強い日に高い所から
空中に飛び出せば、人は空を飛べるはずだった。
だが被験者がなかなか表れないので、そろそろ自分が実験台になって
飛べるかどうかを試してやろうかと思っている。


例の絵画は夫婦に見せた次の朝、
朝の説教を終えたアルドブランディー修道院長に託した。
それから1週間と数日後が今だ。
今日の昼にはメディチ家のウフィツィの画廊に絵画は展示されているはずだ。
だがダ・ヴィンチはその現場を見てない。
お披露目の初日に顔を出しては
自分が制作者だと名乗っている様なものだからだ。
さすがにそれはマヌケ過ぎるというものだ。


ダ・ヴィンチはワインを飲む。
同じ銘柄なのに絵画を描く前よりだいぶ美味く感じる。
それはダ・ヴィンチが自分の役割、
画家としては出来る事を成し遂げた後だったからだ。と彼自身は思っている。
ダ・ヴィンチは思う。確かに全力を尽くした。
だから夜中、例えば、今だ。
近所から叫び声や怒声が聞こえて来ても二度と仲裁には入らない。
その代わりゆっくりとワインを飲み愛人との時間を楽しむ。
1夜に1度愛人と身体を重ねただけでは満足できない。
何度でも愛人の身体を味わいたい。
その時間を確保する事こそが、例の絵画の目的だった。


安楽かな顔をしやがって
ダ・ヴィンチはそんな気持ちで,
オスマン帝国で作られた柔らかい敷物の上
彼が座る椅子に手首を巻き付ける様にして寝ているサライの寝顔を見つめる。
先程まで身体を重ねていたので2人は裸のままだった。
ダ・ヴィンチは床に這う長いサライの髪の毛を自分の足の親指で絡めとって流した。ダ・ヴィンチは俺の髪の毛より綺麗だなー、綺麗だなーと思って、
小憎らしい気持ちで寝ている人物の頬を足の親指で突いた。


その時、近所から怒声が響いた。仕方の無い事だ。
自分の描いた例の絵画が
たとえ盛大な影響力を持った物であるとしても、
直ぐに効力を発動するという訳では無いのだ。
だからダ・ヴィンチは二度と仲裁には入らないという
誓いと合わせてその声を聞き流した。
優雅にゆっくりとグラスに入ったトスカーナ産の白ワインを飲む。
また悲鳴。次に怒声。
ワインを飲む。悲鳴と怒声。
ワインを飲む。悲鳴。


ダ・ヴィンチは眉間の皺を深める。
さすがにこれは五月蝿い。だが無視してやる。
俺はやる事をやったからなと歯を噛み締めて笑った。
無視しても良いだろ?いいよな?いいんだ。いいんだ!
そこで彼は自分のふとももがくすぐったい事に気がついた。
見るとサライが睡眠から起きていた。彼は師の太ももに顔を乗せている。
サライの柔らかい綺麗な毛がダ・ヴィンチのふとももに触れてくすぐる。
愛人の目が彼の事を見ている。
ダ・ヴィンチにはその目が何かを期待をしている視線の様に感じる。
一方のサライは眉間に皺寄せ歯を噛み締めて笑う師を見て
「先生はまるで獅子や狼になった様な顔をしている」と思っている。


再び悲鳴。怒声。
ダ・ヴィンチは思わず溜め息を付きそうになって、
それを白いワインで胃の奧へと流し込んだ。
愛人の前で溜め息をすることは悲しい事に思えたからだ。
彼は再びサライの顔を見る。1秒、2秒、3秒。
サライダ・ヴィンチを見続けている。4秒、5秒、6秒。
ダ・ヴィンチは腿に乗るサライを退けて立ち上がった。
急な動きに驚いたサライが「ぐぎゃ」と意味不明な声を出して床に倒れた。


彼は口角をあげて苛立ちをかくして愛人に頬笑んだ。
サライ、服を着せてくれ。お前も着ろと言う。
サライは師の事を見上げた。


ダ・ヴィンチはそんなサライ
さぁ俺に早く服を着せてくれよと言って、背を見せて両腕を広げた。






《あとがき》


ここからはお話の後書きの様な物です。
ここまで、このお話をお読み頂きありがとうございます。
嬉しいです。



今回の【底が抜けちまった】は
全盛期ルネサンス期に活躍した画家、学者、発明家にして軍人の
レオナルド・ダ・ヴィンチを主人公としています。
1491年の11月24日に起きた
シチリア王国アマルフィを襲った地震津波
彼はそんな災害と直面して同時代人としてある絵画を描きました。


絵画は当初その題名を【守護】と呼ばれていました。
勿論それはこの絵画を愛した人々が名付けた通称です。
後にこの出自不明作者不明の作品がダ・ヴィンチの筆による物である事が
彼の制作意図と共に発覚します。
その後、絵画は題名を【ダ・ヴィンチの祈りと地震】と変えました。



メディチ家の有するウフィツィの画廊に【守護】が初めて展示された当初、
この絵画の出自はダ・ヴィンチの計画通り、
セルビ・ディ・マリア修道院に保管されていた絵画を
アルドブランディー修道院長がメディチ家に寄付したものと信じられていました。1492年の春から初夏の間の事です。


ですが、ダ・ヴィンチの死後である1552年には
画家にして150人以上の芸術家の伝記を書いた作家のジョルジョ・ヴァザーリが【守護】はレオナルド・ダ・ヴィンチによる作品ではないかとその著書で指摘しています。


ジョルジョ・ヴァザーリラファエロの弟子です。
(本小説に書いている様にラファエロ
 ダ・ヴィンチの同門の兄弟子であるジョルジュ・サンティの息子であり、
 2人は何度も顔を合わせた事があります。
 ラファエロは作品に置いてもダ・ヴィンチの影響をとても受けています)
ヴァザーリの記述によればラファエロダ・ヴィンチの生前から
【守護】が彼の手による作品ではないかと指摘していたと言います。
ですが、それは公になってはいません。
その理由はダ・ヴィンチが【守護】との関わりを否定したからのか、
ラファエロが【守護】に籠めたダ・ヴィンチの思いを汲み取って
公に指摘しなかったからなのかは分りません。






      ソーカル事件


     (ニューヨーク大学の物理学教授ソーカル
      数式や化学用語を挿入した適当な内容の哲学論文
     「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」を書いて
      人文学系(哲学や批評や現代思想)の雑誌に送った。
      デタラメな哲学論文は掲載された。
      掲載された事で当時の人文学者達がこぞって使用していた
      数式や化学用語を当の本人達は実は理解していなかった事が
      公の場に晒されてしまったという学問上の事件)
      アラン・ソーカル アメリカの物理学者
     (1952〜 )
      ソーカル事件
     (1994〜1997或は現在)






ヴァザーリの指摘の後》


その後も【守護】が誰の作品であるのかは多くの芸術家や批評家、
研究家によって議論され続けてきました。
真相が明るみにでる前は西洋絵画史の中でも
最も議論が繰り広げられて来た謎の1つでした。


西洋絵画史の中で議論されて来た謎は数多く在ります。


ダ・ヴィンチ作の【モナリザ】のモデルが誰であるのか?という事。
ダ・ヴィンチと同時に活躍した、
美しい絵画を残しながらもその生涯と作品の真贋が不明な
ジョルジョーネという画家の存在。
オランダの画家フェルメール作の【真珠の耳飾りの少女】のモデルの正体。
スペインの画家ベラスケス作の【ラス・メニーナス】の構図。
宮廷画家であり19世紀最初のジャーナリストでもあった
スペインの画家ゴヤが晩年別荘にこもり、
暗く恐ろしい場面を描く【黒い絵シリーズ】
(かの有名な【我が子を食らうサトゥルヌス】も含まれる)を
描くに至った精神状態。
19世紀後半に活躍したアンチ印象派の旗手
ヴィンセント・ファン・ゴッホの精神的肉体的疾患の有無。
20世紀最初に作られた、
現代芸術の始祖であるマルセル・デュジャンの作品
【彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも】の芸術的評価。


これらと並び、【守護】の作者を特定する事は
美術史に置ける議論の大きな的でした。




《真相》


真相が判ったのは1980年の事です。
この年、フランスはパリのルーブル美術館では
ヨーローパ中に散らばるダ・ヴィンチ作品を集めた展覧会が開かれていました。
その中にはダ・ヴィンチの弟子が描いた絵画の中で
芸術的に素晴らしいと評価されている作品や、
作者不明ながらもダ・ヴィンチの作であるだろうと
議論されている絵画も展示されていました。
【守護】もその1つです。


展覧会の目玉企画として、
ダ・ヴィンチの絵画を科学的検査に掛ける事で
作品の表面には表れない下書や
修正の痕跡を調査し発表するというものがありました。
この企画を命じたのは当時のフランス文化・コミュニケーション省の
長官だったジャック・ラングと
ルーブル美術館の館長であったユベール・ランドです。
作者不明ながらもダ・ヴィンチの作品であるだろうと言われている絵画も調査に掛けられました。


もちろん、【守護】も徹底的な調査が施されました。
【守護】は後述するこの作品が
社会で扱われて来た過程からも注目を受けていましたが、
もう1つ別の意味でもダ・ヴィンチの作品集の中で重要な物でした。
なぜ重要かと言うと【守護】がダ・ヴィンチの筆による物ならば、
ダ・ヴィンチ作の絵画の中で唯一現存する
ギリシア神話をモチーフとした作品となるからです。


ダ・ヴィンチは1508年に【レダと白鳥】という
ギリシア神話のゼウスとレダをモチーフにした作品を描いています。
ですが【レダと白鳥】はダ・ヴィンチ自身の手により破棄されています。
今には残されていません。
故に【守護】は二重の意味で注目されていました。


ダ・ヴィンチは生涯に渡り手稿を書いていた事が有名です。
約40年もの間に書かれた手稿、その中で現存する物には
【守護】の事を指し示していると推測出来る文章が3度程でてきます。
共通する言葉は"ギリシア神話モチーフ"と"巨大な絵画"という言葉です。
【守護】のギリシア神話をモチーフとしており、
大きさも204×198センチメートルという巨大な絵画の為、
その双方に当てはまります。



【守護】は赤外線、X線、紫外線検査によって精密に調べられ、
間違いなくダ・ヴィンチの筆による作品である事が判りました。






      態度が形になる時


     (フリーランスのサーキュレーター(学芸員、専門家)の
      先駆者ゼーマンが最初に企画した展覧会の題名)
      ハラルド・ゼーマン スイス人のフリーランスサーキュレーター
     (1933〜2005)






《理由はサイン》


【守護】がダ・ヴィンチの作品と認められ理由はサインです。
表面には一切サインが描かれていないこの無記名の絵画は
実は隠された所に制作者の名を刻んでいたのです。
絵画が描かれるキャンバスは、通常素の状態の上に
地塗りをして絵具が付着し易い様にします。
その上で下書をして、それから実際の油彩具で着色していきます。
そして完成すると、絵画の右下にサインを入れます。


ですが【守護】に描かれたダ・ヴィンチのサインは、
下書をした段階でキャンバスにパレッチナイフで
薄く目立たぬ様に掘られていました。
その上には油彩具が凹凸を付けて塗られる事になるので、
サインは一切表面に出てきません。
絵画の下地にダ・ヴィンチのサインが描かれている事は
赤外線を使った調査で判明しました。
その後サインを筆跡鑑定に掛けた結果、
ある時代のダ・ヴィンチのサインと完全に一致しました。
これこそが【守護】がダ・ヴィンチの作品と認められ理由です。



同時期、バチカン市国ローマ教皇庁が管理運営する
バチカン図書館に収められている教皇クレメンス8世の手記が公開されました。
この手記は言わば日記帳のような物です。
教皇クレメンス8世とは本小説に登場したアルドブランディー修道院長の事です。小説の時代にはまだフィレンツェにある修道院の長にして司祭枢機卿という立ち場ですが、後にローマ教皇に選出されます。
因に作中にある様にクレメンス8世は珈琲に洗礼を施しています。


クレメンス8世の手記は教皇修道院長であった時代から書かれています。
そこには【守護】がダ・ヴィンチの作品であるという事や、制作の理由。
ダ・ヴィンチの行動などが細かく書かれていました。
教皇クレメンス8世の手記、ラテン語で書かれています。
バチカンに保管されているラテン語の文書や重用な文章や書物は
以下の2つで観覧する事が出来ます


バチカン図書館のオンラインカタログ(イタリア語)
http://www.vaticanlibrary.va/home.php?pag=cataloghi_online
IBMバチカン図書館蔵書の電子図書化プロジェクト(英語)
http://www.research.ibm.com/journal/rd/402/mintzer.html


下書きに掘られたサインとクレメンス8世の手記を持って、
絵画の真贋と制作の理由が詳しく判明しました。
【守護】と呼ばれていた作者不明の絵画は
これを持って【ダ・ヴィンチの祈りと地震】と呼ばれる様になったのです。


因に、サインは絵画の上部左側、
火口は見せているが噴火はしていない火山の中央に描かれていました。
通常、右下に描くサインがこの位置に在る事の意味は、
現代でも様々な評論家や芸術家により論じられています。




《絵画の評価》


さて、では【ダ・ヴィンチの祈りと地震】の実際には
どう評価されてきたのでしょうか。


メディチ家の有するウフィツィの画廊に展示された当初は
まさにダ・ヴィンチの狙い通りの評価を得ています。


この時代、知識層である貴族や人文学者はもちろん、
貿易商人や学問を学んだ一市民が様々な手記を残しています。
その中には生活や仕事の記録の他に
鑑賞した絵画や書物の感想も書かれていました。。
同時代のフィレンツェで暮らし【ダ・ヴィンチの祈りと地震】を鑑賞した
医師であるエウセビウス・ヴェルチェッリは
「この絵画は人々の心を落ち着かせ
 困難に立ち向かう闘志を沸き起こさせる物だ」という文章を
自らの手記に残しています。。
メディチ家の銀行に勤めていたランドという名前のみが判明している男は
「何度見ても落ち着く。目の前から離れたく無い」と書いています。
ローマ生まれの靴職人ピエトロ・マルティノ・ボカペコラ
「絵画の前に人集りが途切れた事は無い」と手記に残しました。


廷臣の息子であり自身も役人として働き、
ウフィツィの責任者を任されていたヨハネス・パレオロゴスも
ダ・ヴィンチの祈りと地震】の事を残しています。
彼が書いたウフィツィの日報には
「あの作者不明の絵画の人気は凄まじく、
 公的な用事でウフィツィを
訪れる物よりも絵画を観る為に画廊へやってくる人々の方が多い。
 しかし、それも判るというものだ。
あの絵は天災で衰えた我々の心を励ます」とあります。




ダ・ヴィンチの死後》


この様にダ・ヴィンチの目論み通りの効果を発揮した
ダ・ヴィンチの祈りと地震】ですが、
絵画が本当の力を発揮するのはダ・ヴィンチの死後の事でした。


イタリア半島は度々大きな地震に見舞われています。
1491年のアマルフィ地震の後には
1559年にアブルッツォを地震が襲っていますし、
1612年にはボローニャを中心とした地震被害にあっています。


被災地で暮らす被災者を励ます為に【ダ・ヴィンチの祈りと地震】は
被災地周辺の美術館や画廊に展示される事もありました。


その度に当時まだ【守護】と通称されていた
ダ・ヴィンチの祈りと地震】は注目を受け、
ある種、人々の心の拠り所の1つとなって行きました。






      半分の真実は偽りよりも恐ろしい


     (詩人フォイヒタースレーベンの「警句集」より)
      エルンスト・フォン・フォイヒタースレーベン 
      オーストリアの詩人、医者、哲学者
     (1806〜1849)






《劣化加工の問題》


ダ・ヴィンチの祈りと地震】は完成直後に
制作年代を古く見せる加工が施されている為に状態がよくありません。
加工方法は松脂である事が前述の調査で判明しています。
また絵画完成当時の美術品の保管方法は好ましいとは言えず、
松脂が絵画に深く浸食しています。
絵画が完成した20年後である1510年代には
ルネサンス期の画家ドッソ・ドッシにより早くも大幅な修復を受けています。


ドッソはフェラーラ派と呼ばれる芸術の学派に属しており、
フェラーラを支配するエステ家に仕える宮廷画家でした。
フェラーラルネサンス期に栄えた文化の中心地の1つです。
この時代フェラーラを中規模の地震が襲っています。
ダ・ヴィンチの祈りと地震】はメディチ家エステ家の取引により
フェラーラに移された事が判っています。
ドッソは【ダ・ヴィンチの祈りと地震】の修復を通じて
この絵画に影響を受けました。
そして宮廷画家であったドッソの絵は
フェラーラ派全体に影響を与える事になります。
ダ・ヴィンチは自らの絵画を通じて、被災書の心を励ますだけでなく、
その地の画家にも大きな影響を与えて来たと言うことになります。




《この絵画の、現在の扱い》


ダ・ヴィンチの祈りと地震】はこの様に度々修復され、
様々な土地で公開されてきました。
そしてその度に多かれ少なかれ、その地の芸術に影響を与えて行きました。
忘れてはならないのは、
近年に至るまでこの絵画が作者不明であったと言う事です。
芸術家達はダ・ヴィンチという名前ではなく、
作品自体の素晴らしさを見抜きこの絵画に美学を学んできたのです。


しかし修復を受け保存の状態が改善されても、
時代が経つにつれて松脂の浸食はより深くなっていきます。
近年に入ると絵画の保存の為、【ダ・ヴィンチの祈りと地震】が
公開されるのは少なくなっていきました。


公開されるのはイタリアが大きな地震の被害に見舞われた時です。
近年でもイタリアは大きな天災の被害に合っていますが
その都度、現在は建物全体が完全に美術館となった
ウフィツィなどで展示されています。


それとは別に、
地震津波の被災者の守護聖人であるグレゴリオス・タウマトゥルゴス。
聖人歴におけるグレゴリオスの記念日である11月17日の前後数日間も
ウフィツィ美術館で【ダ・ヴィンチの祈りと地震】が公開されています。
この絵画を見たいのならばこの時が一般的なチャンスという事になります。




《実体験》


僕は【ダ・ヴィンチの祈りと地震】の実物を見た事があります。
実はそれは偶然なのですが。


鑑賞したのは勿論フィレンツェです。
僕は当時勤めていた日本に展開する某イタリアンレストランの
フィレンツェ本社で数週間、研修を受けていました。
因に、後にも先にも僕が海外に行った事があるのはこの時だけです。


慣れない海外生活で忙しくも充実した日々を過ごす中
休日にウフィツィ美術館を訪れました。
なんと偶然、
その日が正に【ダ・ヴィンチの祈りと地震】の公開日だったのです。
本当はボッティチェッリの【東方三博士の礼拝】が目当てだったのですが、
僕の目は【ダ・ヴィンチの祈りと地震】に釘付けになってしまいました。
時間の都合でこの絵画を観る事が出来たのはこの1度だけですが、
今でもあの衝撃は心に焼き付いています。
それから日本に帰国して、人生を生きて行く中で辛い時期もありましたが、
ダ・ヴィンチの祈りと地震】が
その時の心の支えになったのは間違いありません。


この様な経験もあって今回は
ダ・ヴィンチの祈りと地震】に関するお話を書きました。






      信頼と嘘
      刺激と安定の両天秤


     (世界で最も影響力のある投資家ウォーレン・バフェットの師であり
      教師的な株式投資家であるフィリップ・フィッシャーの言葉)
      フィリップ・フィッシャー アメリカの株式投資
     (1907〜2004)






《今作のダ・ヴィンチ


今作の主人公レオナルド・ダ・ヴィンチは、
普通彼が映画や小説で描かれであろう性格とは
別の物になるように狙って性格の設定をしました。


有り体に言うと型破りな天才や
この世の真実を知る思慮深い哲学者というダ・ヴィンチではなくて、
ちょっと面倒くさいところもある不良中年ですね。


今回、ダ・ヴィンチをそう言ったキャラクターにした下地は
ロシアのサンクトペテルブルク美術大学映像学部の
准教授 Лжец.Абаев(ルジュツ・アバーエフ)が書いた
論文を元にしています。



その論文とは、
「То, что "Шерлок Холмс" и "продолжение",
 работа британского режиссера Гая Ричи.
 Методология сделать так плохо,
 героя, который используется там. sура.」
(イギリス人映画監督ガイ・リッチー作品「シャーロックホームズ」と
 その「続編」で使用された主人公を不良として描く方法論。
 歴史的人物、または架空の人物をそれまでとは違う不良として描く事)(2012年)


の事です。


The National Library of Russia Electronic Catalogues
http://www.nlr.ru:8101/eng/opac/
上記のURLはロシア国立図書館の蔵書目録です。
1989〜1997年までの学位論文は”Dissertation Abstracts”
で、1998年以降の学位論文については”Current Books in Russian”で
検索することができます。




《不良のホームズ》


ご存知の方も多いと思いますが、
小説家アーサー・コナン・ドイルの探偵推理小説群を元にした
ガイ・リッチー監督の映画「シャーロック・ホームズ(2009)」と
続編「シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム(2011)」では
それまである種紳士然として描かれて来た
世界で一番有名な名探偵シャーロック・ホームズ
クレイジーな不良中年と描く事で新鮮なホームズ像を提供して
映画の人気を呼びました。
ルジュツの論文ではこの事を方法論的、技術論的に分析しています。


この論文を元にして
今作「底が抜けちまった」の不良中年としての
ダ・ヴィンチ像を創作しています。


論文では歴史的な人物や架空の人物をそれまでとは違った
不良として描く事の方法と
作品に与える効果を細部に渡り詳細に検討しています。
この論文の御陰で今作を作る事が出来ました。
論文の作者であり、拙いロシア語でありながらも幾つかの質問に答えて頂いた
ルジュツ・アバーエフ サンクトペテルブルク美術大学准教授に
感謝を捧げます。




《最後に》


それでは最後になりますが、
ここまでこの物語を読んで下さった皆さんに感謝します。
お楽しみ頂けたのならば幸いです。






      十分に終わりのことを考えよ
      まず最初に終わりを考慮せよ


     (ルネサンスの画家にして発明家ダ・ヴィンチの手稿に
      書かれている言葉)
      レオナルド・ダ・ヴィンチ フィレンツェの芸術家、発明家
      地形学者、植物学者、外交官、解剖学者、数学者、万能人
     (1452〜1519)






〈底が抜けちまった/おわり〉


前編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130405/1365173628
中編;http://d.hatena.ne.jp/torasang001/20130415/1366044153
後編;本文









.