【クリスマスイヴの短編】もぐもぐ子ちゃん。


【クリスマスイヴの短編】
もぐもぐ子ちゃん。



部屋(フロア)の四隅は揺れる影に照らせれて薄暗い。
テーブルの上や、テーブルとテーブルの間を
オレンジ色の暖かな照明が優しく照らしている。
白いテーブルクロスの上にはパン屑が散っている。


会話の邪魔にならない程度に音楽が鳴っている。
ヴァイオリンやチェロの音。伸びやかなフレーズに緩やかなヴィヴラート。
音楽にはあまり詳しくはないけれど
これはきっとハイドン弦楽四重奏曲だ。
たしかヒバリという題名のはず。


笑顔のままでゆっくりと周囲を見渡す。
スーツを着た男達。ドレスを着た女達。
笑顔、笑顔、笑顔だ。まぁ流石にそうだろうなと思う。
なんて言ったって今日はクリスマスイヴだ。
もし仮に上手く行っていないカップルだって
今日のディナーの間くらいは嘘でも笑顔で過ごすというものだろう。
それが出来なきゃそのカップルはとっくのとに終わっている。
逆に付き合いが上手く行っていてこの場所で今を迎えられたのならば、
喜びは一入(ひとしお)だろう。


給仕人がこちらにやって来る。
給仕人……ウェイターと呼ぶべきか。
いや違うな、それはアメリカのレストランやダイナーで使われる用語だ。
ではカメリエーエかな?
いやいやこれだとイタリア語で、給士を示す言葉になる。
えっとだから、ギャルソン……そうだギャルソンだ。
フランス料理のレストランで
客の注文を聞いたり料理をテーブルに運んだりする役目を担うのはギャルソンだ。
そういえばコム・デ・ギャルソンなんていう洋服のブランドもある。
あそこの男物は狙い過ぎて好きではないけれど、
女性もの、特にドレスやワンピースは素敵だと思っている。
これは個人的好みだと思うけどね。
給仕人は確かスペイン語ではカマレロ。中国ではフーウーヤンだったかな?
中国は使う言葉の種類が多過ぎて良くわからないけれどね。


これらは仕事上、必要に迫られて調べた事なんだが、
すぐに言葉にできないのでは日常生活で役に立っているとはあまり言えないな。


兎に角、そんなギャルソン君がテーブルの上に落ちている細かなパン屑を
専用の柔らかそうな毛を持つ小さなホウキと小さなちり取りで掃除してくれている。
ギャルソン君はまだ若く、刈り込んだ襟足と耳とおでこが見える髪型、
そして上品な髪色が中々にすがすがしい。
彼は柔らかい笑顔を浮かべ、細い身体で上手に重そうな皿を運んでいる。
オーダーを聴いたのも彼で柔らかい言葉で対応をしてくれた。
俺は彼がゲイなんじゃないかと思っている。
ゲイにはゲイの人間が一目で見分けがつくと言う。
俺自身はゲイではないが、これに関する判断は良く当る。
まぁ、彼がゲイであるかどうかはどうでもいい事なのだが。


テーブルに散らばるパン屑を掃除し終わった彼が一礼をしてから下がる。
こういった場所で提供されるパンは直接かぶりつかず、
一口で食べれる大きさに千切ってから口に運ぶ。
そういった行いは優雅で良いのだが、
どう注意してもパン屑が落ちてしまうのは問題だなと思う。
まぁ、千切らずに食べてもパン屑は落ちるだろうから
屑が飛び散るのはパン自体が持つ根本的な欠点とも言えなくもない。

暫くするとギャルソン君がスープを運びにやってくる。
彼は変わらない柔和な笑顔で丁重に料理の説明をする。
説明を要約するとこのスープはコンソメのクラシック、
シェリーで香りを付け中央には野菜とトリュフが置かれているという事だ。


彼が言う様に平たくて僅かに凹みがある皿にはブラウンで澄んだ色のスープ。
真ん中には湖に浮かぶ孤島の様に丸く小さく野菜が盛りつけられている。
野菜の上に乗っている薄くスライスされた黒い物体がトリュフだろう。
スープの名称にクラシックと付いてるのは、
このコンソメを作るのに手間ひまがかかる古典的な手法を取っているからだ。
そんな事を知っているのは1年前にスープに付くクラシックの意味を
この店で給仕人に尋ねた事があるからだ。
1年前のクリスマスイブに食事したフロアはこの場所ではなかったが。


このレストランは飲食する場所だけを数えてもフロアを4つに分けている。
それぞれのフロアが扉で仕切られていたり、
それぞれの広さに特別な違いがある訳でもない。
だけれど内装は違うんだ。
いま居るのは白の壁紙に、
張りや柱がナチュラルな木で出来ていて清潔で落ち着ける様な雰囲気だ。
床には穏やかな色のカーペットが引かれている。
このレストランは4つのフロアの他にもBarやVIPルームを備えている。
全体を見ると中々大きな建物だ。


さて、スープからはコンソメ特有の品の良い匂いが立ち上っている。
牛肉と野菜で採った出汁の成果だ。
だがコンソメの匂いの中に別の物が混じっている。
立体感のある心地よい匂いの中に混じる野生を感じる森の匂い。
あるいはイギリスのアイラ島で作られるスコッチのアロマの様な
自然の波打ち際を思わせる匂いを放ってるのはトリュフだろう。
匂いのバランスこそが目の前のスープの素晴らしさだろう。
品がいいだけでは物足りなくて、野生や自然だけでは臭くて飲めた物ではない。
だけれど2つがバランスよく合わされば食欲をそそる美しい匂いになる。


用意されたスプーンを使ってスープを口に運ぶ。
暖かい風味は円やかで太いコク。次に野菜とスープを一緒に口に運ぶ。
取ったのは緑色の葉っぱで舌には胡麻の様な味とコクが広がった。
だからだろうか、
食べているのはフレンチなのにも関わらず俺の頭は和食の汁物を連想した。


良い料理は良い物だなと思う。俺はスープに満足して周りをゆっくりと窺う。
他のテーブルに乗せられている料理は様々で前菜の前に出されるアミューズ
食後のチーズを食べたり、
締めのコーヒーや紅茶の飲んでいる恋人や家族達が目に入った。

その中で特にデセールを食べているカップルが目に付いた。
今の時間に食後のケ−キを食べ終えてしまうのは早いんじゃないか?と思った。
まだ夜は早すぎる。
まぁこのあと彼らは何処かに出掛けるのかも知れない。
夜景を見に行ったり、彼女に渡すプレゼントを選ぶ為に繁華街に向かったり。
何にせよ、この日、料理を食べ終わるのが早くても遅くても
カップルが最終的に行う行為にはそれ程の違いはないだろう。
別にそれに対してどうこう言いたいんじゃないし、
一般的に言っても良い事と捉えられているだろうし、
俺自身も良い事だと、とても良い事だとは思っているんだ。
まあ良い。
周りを観察してばっかりもアレだろうと思って前を向いて食事をする。


美味しいね、このスープと野菜。



それから不意に頭の中で空想が広がり始める。
またかと思う。
現実に起こったちょっとした刺激でアイデアや考え、
そして空想が広がり始める事がある。
それは俺の職業病みたいな物かとも思うが、
俺がそのせいで困ったり不快に感じたりしていないのだから
病気という言葉を使うのは違うとも思う。


俺が始めた空想は、架空のキャラクターに付いての事だ。
名前は……もぐもぐ子ちゃんかな。
少々可愛すぎるけれど、そんな名前が急に浮かんだのだから仕方がないね。
もぐもぐ子ちゃんは名前の通り、女の子のキャラクターだ。
食べるのが大好きで色々な食べ物をモグモグと平らげてしまう。
可愛い外見に可愛いお話、
きっと彼女は絵本や子供向けのアニメに出て来るキャラクターだ。
対象になる読者や視聴者は男のではなくてどちらかと言うと女の子だろう。
複雑な物語や、個性付けを狙い過ぎた変化球なキャラクターが多い中、
ストレートで単純に可愛らしい彼女の様な存在が合っても良いはずだ。


そこまでは簡単に浮かぶ。
ここからは彼女の設定に厚みを持たせないといけない。
ますは、名前がもぐもぐ子ちゃんなんだから好きな食べ物を何にするか決めよう。
例えば、ドラえもんはどら焼きが好きだ。キテレツ大百科コロ助はコロッケ。
そういえばあのアニメのオープング曲のコロッケ大行進は良い曲だと思う。
食事する手を勧めながらそんな事を考える。
目の前で空になったコンソンスープクラシックを見て答えが出る。



もぐもぐ子ちゃんには好きな食べ物はない。
でも嫌いな食べ物もない。言葉にすればそのまま好き嫌いが無いという奴だ。
もぐもぐ子ちゃんは食べる事が大好きだから食べ物を残さない。
そう!彼女は子供たちに食の大切さや
食べられる物がある幸せを教える役割も持っているキャラクターだ。
色々な料理の美味しさの紹介や由来や
豆知識の様な物を入れても面白いかも知れない。
あとは人と一緒にご飯を食べる楽しさやその際の素敵な立ち振る舞い。
つまり正しいマナーなんて事も盛り込めたら最高だ。
少々欲張りだけれど押し付けがましく無く、
楽しいお話の中でそれを感じさせられれば成功だ。
その点ではアンパンマンと立ち位置が近い。世界観もきっと似た様な物だろう。
人間ぽい者も動物ぽい者も食べ物ぽい者もみんな仲良く暮らしてる。



そこまで考えた所でソムリエ氏がこちらにやってくる。
ソムリエ氏はソムリエやギャルソンが纏う制服を着ている。
この世界でもっとも美しい職業制服の
1、2を争う白のシャツと黒のベストという服装だ。
彼が素晴らしいのは、
その洋服が持つ哲学と意味を見事に体現する様に振る舞える事だ。
だからだろう、制服がとてつもなく似合っている。
彼がその服を着ると、
制服とはそれに関わる職務を完璧な振る舞いで成し遂げる能力がある事を
客達に証明する物の様に思えて来る。
ある種の神聖さがあり司祭達が儀式の時に着る祭服の様にも見えて来る。


ソムリエはご存知の通りレストランに居るワインのスペシャリストだ。
因に女性だとソムリエールになる。
この店のソムリエ、俺がソムリエ氏と呼ぶ男は、
神経質さを感じさせるほど丁重に切りそろえた黒髪を後ろに流している。
眼には小さな丸い眼鏡を掛けている。
ジョン・レノンが掛けていた様なあの眼鏡だ。
日本人でこれが似合う人は皆無だと思うのだが、
ムリエ氏の顔には何の違和感もなく馴染んでいる。
それでいてファニーフェイスという訳ではなく、
眼鏡の丸さが返って彼の性格を表す様な
クールで整った顔立ちを強調させている。
彼とは1年前と半年前にもここで顔を合わせている。
先程のギャルソン君は当時はこの店に勤めて居なかったのか
他のフロアを担当していたのかは知らないが見かける事がなかった。
何にせよ、彼らの外見から推測する年齢と立ち振る舞いから、
若いギャルソン君はまだまだ新人で俺と年齢が近いと思われるソムリエ氏は
これから更に活躍しだす中堅のエースと言った所だろう。



彼はテーブルの状況を素早く判断して、
ワインクーラーからボトルを抜き出し布ナプキンで瓶に付いた雫を拭き取る。
無駄の無い動作で俺のグラスにワインを注ぐ。
軽く礼を言うとソムリエ氏は品よく頭を下げてテーブルから離れる。


ボトルから注がれたワインの色は赤で、生産国はアルゼンチン。
ブドウの品種はマルベック。作ったワイナリー名はトリベント。
ぶどうが収穫された年は2005年。
ワインの名称はそれらを合わせて
トリベント・ゴールデン・リザーブ・マルベック2005という。


フランスのボルドーワインは値段が親しみ易く
品質も素晴らしいとはいえ少々飲み飽きていた。
とは言ってもロートシルトもマルゴーも飲んだ事がない。
だからワインが好きな人間には笑われるかもしれないが、
俺は5大シャトーやブルゴーニュワインに手を出す程
ワインに淫している訳ではない。
俺がワインに求めているのは親しみ易さと心地の良さ、
その奧に感じさせる味と匂いと舌触りの複雑だ。


だから手頃な価格で美味しいけれど、
ボルドー以外で作られたワインが飲みたかった。
そこに来てアルゼンチンで作られる中級から高級に分類されるワインは
俺の要望に一致していた。
価格と品質がボルドーワインと良く似ている。
だが勿論、フランスとアルゼンチン、ヨ−ロッパと南米、
国も違えば大陸も違う。だから気候も変る。
気候が変ればブドウの品種は代わり、
品種が変れば双方品質が高くても味は大きく変わる。


アルゼンチンワインの中でもマルベックというブドウの品種で作られる物が好きだ。
マルベックは元々フランスでも使われていた、
中でも盛んだったのはボルドー地方だ。
だがフランスでブドウに取って致命的な
ウドンコ病や害虫などの植物病害が流行ると繊細なマルベックは捨てられた。
代わりに丈夫なアメリカ山のブドウと
ワイン作りに適したヨーロッパのブドウを混合した
ハーフの樹木が作られワイン作りに利用された。
現在のフランスではごく一部の地域でしかマルベックは栽培されていない。


一方の南米大陸は湿気が少なく暖かく、病気や害虫の心配は少ない。
そこに眼をつけたあるヨーロッパ人が移住までしてマルベックはその地で再生させた。
結果、俺はいまアルゼンチンで作られたマルベックを飲んでいる。
捨てる神あれば拾う神ありみたいな話しだなと思う。


俺も昔、大切な女性を失ってこの世界の冷酷さに打ちひしがれていた頃、
別の女性に心が助けられた事が有る。
1度は呪った神の存在をもう一度信じようと思った程だ。
あれは嬉しかったな。正に捨てる神と拾う神だ。ブドウも男も変らないな。
そんな事を思った後で周りのカップル達の会話がやかましく思えた。
クリスマスイブのレストランに自ら出向いて食事をしているのに、
カップル達がやかましいというのは彼ら彼女らに失礼な話しだと思い反省する。
どうも興奮しているのかもしれない。



このワインを選択したのはソムリエ氏だ。
フレンチレストランやイタリアのリストランテでワインを選択するのは
楽しくも不思議な体験だと思ってしまう。
男に渡される方にのみ料理の金額が表示されている事もあるグランドメニューや
今日のコースが書かれた別紙の他にワイン専用のワインリストが用意されている。
それを見ながらワインを選択する訳だが、その経験は面白くも緊張する。
理由はこちらの意志がソムリエに美味く伝わるかどうかの賭けの様な物があるからだ。
注文するワインを構成する諸要素、
発泡しているのかしていないのか。赤なのか白なのかロゼなのか。
匂いは?味の傾向は?そして価格は?
自分の望みと一致するワインを選択するの事は結構難しい。
なぜならば、リストに載っているワインは有名な物を除いて
マニアでもない限りその時に初めて目にする物が殆どだからだ。
有名な名前を知っている物を大抵高いワインだ。
ロマネ・コンティの名前は誰でも知っているが、
個人で購入しても40万円以上するワインを飲んだ事がある人間は少ないだろう。


だからソムリエにこちらの好みを伝えてワインの選択を任せるのは
それ自体に正しくコミュニケーションの齟齬を常に孕んでいる。
望んだ物と違うワインが選ばれる事もあるだろう。


レストランでワインを選択する際の正しい行動。
俺が数度の経験から出した結論は2つ。
1つはワインマニアになって自分で好みのワインを選べる様になる事。
もう1つは開き直りって齟齬すら楽しむ心持ちで
自分が伝えられる事をソムリエに伝えた後で
ワイン選択の全てを任してしまう事だった。
俺が選んだのは後者の方だ。


今日のソムリエは馴染みの彼、ソムリエ氏だったので心強かった。
ブドウの品種はマルベック。渋みやコクが極端に強く無い物が良いと伝える。
ワインの選択をソムリエに任せる場合、1つの関門になるのが価格帯だ。
素直に言葉で予算を伝えるのがもっとも確実だが、
恋人と来て格好付けたい場合、或は周りの客に見栄を張りたい場合は、
ワインリストに書かれた金額を指差して、
この辺りで良いのはないだろうか?と訊けば良い。
ソムリエの視力が極端に悪く無い限りそれで上手く行く。
誰かが編出したこの方法は中々スマートだ。今日の俺もそんな先人に倣う。
かしこまりました。
そう言ったソムリエ氏が持って来たのが
いま俺が味わっているワインだと言う訳だ。


そんなマルベックで作られたワインの特徴は、色が赤ではなく
ベルベットを思わせるしっとりとした濡れた黒である事だ。
匂いは爽やかで清潔なスミレの花を思わせるが、
味は濃厚なコクと草原の青臭さを感じさせる渋みを持っている。
少しばかり癖があるが癖こそが
マルベックのワインを美味しくチャーミングにしている。
クセが無い物というのはそれを味わう取っ掛かりもないという事にも近いからね。
だから、このワインは都会的というより少しばかり田舎的だ。
都会の美人というより、
草原がある様な郊外に住んでいるお嬢さんといった感じだ。


この例えでワインが持つチャーミングさが伝われば良い。
別に都会の美人が悪いって訳じゃないけれどね。


現に隣のテーブルで食後のチーズを食べているカップルの女性は
まさに都会的な洗練された美人と言った感じで一目見て美しく素晴らしいと感じる。
彼女自身が眩くそして品よく調整された光を放っていると言った感じだ。
彼女自体が照明器具みたいな物だなと考える。
だからだろうか、連れている男もスーツが良く似合う洗練された都会的な青年だけど、
彼の事が僅かにくすんで見えてしまう。
都会的な美人を彼女にする欠点の1つだなと思うが、
まぁ彼に取ってはそんな事はどうでもいいだろう。
2人は見つめ合い暖かな笑顔を互いに向けているのだから。


俺は何を見ているんだと視線を元に戻す。
数度頷いて再びスープを口に運ぶ。皿を空にする。
そうだな、もぐもぐ子ちゃんは都会の子でも田舎の子でもなく
その中間、自然が残る郊外で暮らしている様な女の子だ。
繁華街にいけば店に不足する事は無い。
そこから少し外れれば小川や森が残る景色の中を歩く事が出来る。
そんな町で彼女は暮らしている。
都会的なセンスと自然が持つ大らかさを持っている陽気な女の子だ。


外見は栗色の緩やかに揺れる髪の毛とブラウンの瞳が特徴的。
可愛らしい八重歯がチャームポイント。
彼女はひらひらと風に舞うスカートや柔らかな服装を好んでいる。
どちらかというと女の子を対象にしたキャラクターなのだから
ファッションは大事だろうと考える。だからお話事に彼女が着る服装は違う。
彼女はお洒落だから派手でもなく地味でもない洋服をセンスよく着こなす。
服が主役になるのではなく、
服装によって彼女の魅力が増したり、彼女が持つ魅力の違った面が見えてくる。
重要なのはそれが自然で、彼女自身が楽しんでいて、
見ているこちらが笑顔になる事だ。
だが決してワードローブの数が多いという訳ではなく、
厳選した物しか買わない事にしている。
だから着回しも上手で、お気に入りの洋服やコーディネートが決まってる。
こういった事を設定した方がキャラクターの性格や生活が読者や視聴者に分かりやすく見えて来ると思う。
もぐもぐ子ちゃんは
そんな風にアンパンマンの世界観と良く似た町で独り暮らしをしているのだ。



ここまでは決定だな。
そう納得した所でフロアに流れる音楽が
クリスマスソングのクラシックアレンジに変ってる事に気が付いた。
ハイドンはどこに行った?
今掛かっている曲は
ヴォーン・モンローが歌ったレット・イット・スノーの弦楽アレンジだ。
ヴァイオリンの良く伸びる音色と跳ねるピチカート、
楽しげに指で弾かれるコントラバスが耳に入って来る。
フレンチレストランでこの選曲はどうかとも思ったが、
正に今がクリスマスイブである事を考えつつ、
フロアの向こうのテーブルに着く
両親と小さな女の子が楽しそうに食事をしているのを見て
この選曲が正しい事を理解した。
30代の父親と母親に連れられた女の子は今年、
小学生になったからならないか位だろうか。
彼女は落ち着いた青緑のドレスの上に白いカーディガンを羽織り
誇らしそうな顔をしている。
上手い事ナイフを操り肉を切り取って口に運ぶ。美味しそうな顔。
もぐもぐ子ちゃんは彼女の様な子の為に存在するキャラクターだろう。


こちらのテ−ブルには女性のギャルソンが次の皿を持ってやって来た。
数秒後、女性の給仕人をフランス語ではセルヴーズと呼ぶ事を思い出した。
ギャルソンではない。セルヴーズだ。
セルヴーズさんは推測するに30代中盤。
目線や身振り手ぶりを観察するに彼女がこのフロアの接客を仕切っている様だ。
行き届いたサービスとリラックスしたフロアの雰囲気から、
客に気づかれるずに各々のテーブルの状況を把握する術に長けている事が良く分かる。
仕事人だな。素晴らしい事だなと思う。


そんな彼女がテーブルに皿を置いて、料理の説明をしてくれる。
メインディッシュ、その1。魚料理。
平目とホタテ貝のグリエとアスパラガスと生ハムのミジョテ。


彼女が俺の前に皿を置く時に見えたのだが、
セルヴーズさんは親指の付け根は筋肉で盛り上がっている。
何年もの間、恋人達や家族、
友人達の集まりに大きく重い皿に料理を乗せて運んで来た事を窺わせた。
お腹を空かしているしている人の元においしい料理を運ぶ。
それは素敵な事だと思う。


彼女の説明通り、白い皿には2つの料理が並べられている。
焼いたヒラメとホタテ、アルティショーと生ハムのミジョテ。
アルティショーはイタリアンではアーティチョークと呼ばれるアザミの事で、
ミジョテとは煮込み料理の事だと言う。
グリエには細い線でちりばめられた橙色のソースが、
ミジョテには同じ様に黄色のソースがかけられている。
その様が皿にコスモスが咲いた様で可愛らしかった。
思った事を口にして笑顔でナイフとフォークを握る。
セルブーズさんは自然な微笑みと共に一礼をしてテーブルから離れる。


彼女の後ろ姿を何の気無しに目で追う。
すると先程とは違う、別の家族連れが目に入った。
構成が少し面白いのだ。老夫婦に中学1年生くらいの女の子が1人。
合計3人のテーブル。
初めは年の離れた親子かとも思ったが、
奥さんと女の子の年齢を考えるにそれはなさそうだ。
おじいちゃまとおばあちゃま、そしてお孫さんといった所が正しそうだ。
椅子の数を見るに両親はこの場にいないらしい。


不意に俺の心に悲しい考えが過る。
女の子の両親は事故や病気で既に亡くなっていると推測や
両親は離婚調停中であり孫を不憫に思った祖父母が
クリスマスのディナーに彼女を連れて来たのだという想像だ。
だが、彼女達の様子を見るに俺の考えは
下衆な妄想だと結論づけた方が良さそうだ。
品よくスーツを着こなした老紳士と
遠目でも質が良いと判る紺色の生地で作られた
シンプルなドレスを纏う女性が食事をしている。
とても楽しく、和気あいあいとして雰囲気を感じさせる。

実際は両親は仲良くクリスマスのデート。
物分りの良い娘はおじいちゃま達とレストランへ。
または年末で仕事が忙しい両親は娘に構う事が出来ない。
両親はちょっとした会社の経営者やどこぞの会社の重役だ。
だから祖父母が代わりに
彼女にクリスマスの想い出を作っていると言った事が正解の様に思える。
何にせよ、愛する人が亡くなったり、
愛し合っていた男女が別れる事は悲しい事だから、
それがないならば良い事だなと思う。


さて、食事をしないと。
いつまでもナイスとフォークを持って料理に手を付けないと不審に思われる。
ナイフを使って重なっているヒラメとホタテを一口サイズに切る。
身は引き締まりフォークで刺しても崩れる事はない。
だが口に入れるととても柔らかく、
凝縮された旨味と一緒に身が口の中でホクホクとほころぶ。
ヒラメとホタテは濃厚な旨味を持っているが同じ旨味ではなく違いを感じる。
グリルされた2つの魚介類はどちらも香ばしいが香ばしさの種類が違う。
それぞれが心地よい潮の匂い放っているが想像させる海が違う。
舌の上ではそれぞれがが独立する。
だがある部分では完全に混じり合い新たな味を出現させている。
3つの味を俺は感じてる訳だ。美味い美味い。
ソースによって更なる味の変化が起こる。
グリルに掛かっていた橙色のソースはどうやら
柑橘類、特にオレンジに属する物で作られている物の様だ。
ソースのお陰だろう、後味はとても爽やかだ。



これはもぐもぐ子ちゃんでなくとももぐもぐと夢中で食べてしまうという物だ。
もぐもぐ子ちゃんならば、そりゃ夢中になって幸せな笑顔で食べるだろう。
もぐもぐもぐ。俺は微笑む。


 ♪あーチョコレートが食べたいの、柔らかいお肉でもいい
  お魚も大好きよ、もぐっもぐ、もぐっもぐ、もぐっもぐ。


だなと1人で納得する。
これはたったいま頭に浮かんだもぐもぐ子ちゃんの主題歌だ。
急に頭に浮かんで来たのだから仕方がないね。
キャラクターを想像する時は
こんな風に次から次へと設定が出て来ると楽しくなる。
主題歌はこんな風に簡単で小さな子でも覚えやすく楽しいのが良い。
もぐもぐ子ちゃんのテーマは
1コーラスが短くて歌詞を変えて繰り返すタイプの曲だ。


 ♪食べるのは大好きよ、笑顔になってしまうの
  心も温かいわ、もぐっもぐ、もぐっもぐ、もぐっもぐ。


 ♪ポワレにピュレにスープ、クリスマスにはブッシュ・ド・ノエル
  お紅茶を忘れないで、もぐっもぐ、もぐっもぐ、もぐっもぐ。


 ♪アルティショーって面白いね、生ハムと凄く合うの
  盛りつけも素敵ね、もぐっもぐ、もぐっもぐ、もぐっもぐ。


こんな感じだろうか。
でもこの歌詞ではもぐもぐ子ちゃんフレンチ篇の限定的な主題歌だなと苦笑する。
和食篇や中華料理編などの歌詞も考えなくてはいけないな。
そうだ。もぐもぐ子ちゃんは長篇ではなくて
1話完結型の短編作品で主旨が異なる様々なお話が描かれる作品だ。
だから主題歌の歌詞が色々合っても良いかも知れない。


 ♪カレーは好きだけれど、からいのは苦手なの
  熱いのもいやだよー、もぐっもぐ、もぐっもぐ、もぐっもぐ。


 ♪お蕎麦も凄く好きよ、だけど笑わないで聞いてね?
  上手にすすれないの、もぐっもぐ、もぐっもぐ、もぐっもぐ。


こんな歌詞が合うお話があってもいい。


もぐもぐ子ちゃんは背が小さい女の子でその事を言われると怒る。
身長の高いモデルに憧れる事もあるけれど、
可愛い服が好きなので自分の背の小ささは強ち悪くは無いとも思っている。
食べるのが大好きで朝昼晩の三食以外にお菓子等を買い込んでいるが
身体を動かすのが大好きなので太ってはない。
だけど友達にはお菓子を食べ気味な事を注意されている。
その度にもぐもぐ子ちゃんは少し落ち込んだ様な不貞腐れた様な顔をする。
ブラウンの髪の毛を揺らすその表情があまりにも可愛いので、
友達を含む周りの人間は彼女がお菓子を食べる事を許してしまう。


もぐもぐ子ちゃんの趣味は散歩でお気に入りの桜色のカメラで写真を撮るのが得意。
良い写真を撮っては友達に見せている。
彼女が撮るのは散歩の途中に見かけた花々や面白い形の雲。
素敵な家や猫に犬。美味しそうな飲食店や食べたおやつの写真だ。
初めのうちはピントがズレていたり自分の指が写真に入っていた物の
少しずつ良い写真を撮影する様になって来た。



そんな設定を持つ彼女の日常を描くのがもぐもぐ子ちゃんだ。
それにしてもアルティショーと生ハムのミジョテも美味い。
気が付いたら食べ尽くしてしまった。
皿に残ったソースをフォークですくって口に運ぶ。
ミジョテに掛かっていた黄色いソースはレモンソースだ。
アルティショーも生ハムもフレッシュな食材だ。
煮込まれた事で複雑なコクと美味しさを得た反面失われた新鮮さを
レモンソースが補っていた。
パンを千切って皿に残ったソースにつける。美味しい。なんて美味しいんだ。
もぐもぐ子ちゃんじゃないが美味しい物を食べる事は幸せだと思う。
思った事をつい口に出してしまう。笑う。


ギャルソン君によって真っ白に空いた皿が下げられる。
セルヴーズさんが新しいパンを持って来てくれる。
クルミが練り込まれたパンだそうだ。
それまでのパンと比べると表面の色は薄くカラッと乾いてる。
次いでソムリエ氏がやって来て空になったグラスにワインを注いでくれる。
ボトルに0.8杯分程残っていた赤ワインが空になる。
ボトルの中身はグラスに5杯で空になった。
その後、ソムリエ氏は別のグラスにフランスで採取された
微発砲の天然水であるバドワを入れる。


まったく完璧なサービス体制だなと感心する。
それでいてこちらに観察されている居心地の悪さを与えていない。
丁重なサービスだけでもリラックスだけでもない。
どちらかだけの店は多いけれどこの店はそれを両立している。
そして料理もうまい。
我ながら良い店を知っているだろうと自慢気に笑う。


ワインを一口飲んで周りのテーブルを観察する。
気が付くと都会的な美人と洗練された青年のカップルは居なくなっていた。
彼女達が居なくなり見通しが良くなっている。
だから向こう側にいるカップルに気が付いた。
男も女も小太りで、
先程までいたカップルと比べると纏っている雰囲気も野暮ったい。
でも返ってそこが彼が放つ幸福そうな雰囲気を強くしていた。
女の方は深い緑色のワンピースが似合っている。
もぐもぐ子ちゃんが似合うはもっと淡い色だなと考える。

彼らの外見から推測される年齢は俺と近い。
彼らが食べている物も
メインディッシュの魚料理でなんだ殆ど同じじゃないかと笑った。
物を食べるペースは個人やテーブル事に違うが、
きっと俺と彼らは同じ頃に入店したのだろう。


記憶をたどる。
そういえば、俺が椅子に座ってから少し遅れて、
別のカップルがこのフロアに入って来た様な気がする。
注文をし終えて、アミューズが運ばれて来た時だ。
あのアミューズも美味かったなと思い出す。


アミューズと同時に出される食前酒として
カクテルのシンデレラとグラスで注文出来るシャンパンの2杯を頼んだ。
シンデレラはノンアルコールカクテルとして有名で味も良く
ショートグラスを使った外見も素敵な良い雰囲気を出している。
だからまだお酒が飲めない小さな子からアルコールが苦手な女性にまで勧める事が出来る。
もちろん、男が喉を潤す為に飲んだって良いんだ。


もぐもぐ子ちゃんはアルコールを飲むのだろうかと考える。
それはつまりもぐもぐ子ちゃんの年齢をどう設定するかと言う事そのものでもある。
いや、飲むはずがない。
うっかり飲んでしまう事は有っても嗜んでいる事はない。
なぜならばもぐもぐ子ちゃんは子供向けのキャラクターなのだから。
そうだ、お話にはお酒その物を登場させない様にしよう。
そうすれば彼女の年齢を設定せずに済む。
その点は読者に任せてしまえば良いのだ。
映画や小説などの物語創作には良く使われる手法で、
設定やお話の結末や意味は受け手の想像に任せると言うやつだ。
もぐもぐ子ちゃんはお酒を飲むかどうかもわからない。
彼女の年齢も判らない。これを読んでいる貴方が決めてくれ。
よし、これで良い。問題が解決した。


食前酒と一緒に、つまり一番初めに出される料理であるアミューズ
日本語にするならな御通しとも訳す事が出来る。
今日出されたのは大皿の真ん中にマリネが置かれ、
その四方に小さなお菓子の様な体をとっているパテやパイなどが置かれた皿だった。
パイはそのままでも、マリネと一緒に食べも良いと良いと言う。
マリネはサーモンとラングスティーヌ、
そしてジェル丈になった林檎が合わさった物だった。
ラングスティーヌとは日本で言うところの手長海老の事らしい。
可愛らしいパテやパイは美味しく、
マリネの酢と合わさり胃を刺激して食欲を増進させた。


アミューズの次に出されるのはアントレ、つまり前菜だ。
それは緑や赤い菜っ葉の上にカラッと焼かれたフォアグラのポワレが置かれ、
周りを鮮やかな紫色のソースが舞落ちている物だった。
横には金柑を砂糖で煮込んだ物が添えれている
フレンチやイタリアンの皿に盛りつけられたソースを観る度に
まるで書道の筆と墨の躍動感の様だと感心する。


皿に舞うソースはラズベリーや宝石のルビーを思わせる。
これはビーツのピュレだとギャルソン君が説明してくれた。
ボルシチに欠かせない事で同じみの、赤カブとも呼ばれるあのピーツだ。


俺はなるほど、とても綺麗だと頷いた。
フォアグラの下に盛りつけられた野菜。添えられた金柑。野菜のソース。
この皿は肉が添えられたサラダなのだろうと納得する。
個人的にファアグラの鈍く柔らかい濃厚さは、
野菜が持つ酸味や苦みと良く合う物だと思っている。
この皿も例外ではなかった。
しかもそこらのレストランよりも美味しいので嬉しくなる。
次に出されたのがコンソメのスープだった。
そこでもぐもぐ子ちゃんが誕生した。


一話完結型のもぐもぐ子ちゃんには一体どんなお話しがあるのだろうか?
ますは彼女の趣味である散歩の話しかなと思いつく。
もぐもぐ子ちゃんは愛用のカメラを持って家を出る。
お日様の光が気持ちよく空を見上げると雲が鯛焼きの形になって居た。
後で友達に見せようと彼女は笑って写真を撮る。
道中ご近所さんであるレモン氏と偶然顔を合わす。
レモン氏は近所では有名な紳士で、
いつも立派なスーツの上にレモンの様な顔を乗せている。
彼は高級な自転車を扱う店を営んでいて
もぐもぐ子ちゃんは最近スポーツタイプの新しい自転車をその店で購入した。
彼女は友達を誘っては運動代わりにと、
買ったばかりの自転車でサイクリングを楽しんでいる。


レモン氏は顔に掛けた丸い眼鏡を指で直しながら彼女に尋ねる。
自転車の調子はどうですか?パンク等はしていませんか?
それに対してもぐもぐ子ちゃんは、うん、大丈夫と笑顔で返事をする。
それに友達が修理が上手だからいつパンクをしても平気なのと言う。
レモン氏はそれは心強いですねと頷く。
もぐもぐ子ちゃんは、
あ、パンクの話しをしていたらパンが食べたくなっちゃったと笑う。
レモン氏の眼鏡が僅かにずれ落ちて驚いた様な呆れた様な顔をした。
もぐもぐ子ちゃん散歩がてら大好きなクルミ入りのパンを買いに行こうと決めた。



例の野暮ったくも幸せそうなカップルが魚料理を食べ終わらないうちに
こちらに次の料理が運ばれて来た。
メインディッシュ、その2。肉料理。
あぶり焼きされた黒毛和牛のフィレ肉、冬の根菜と赤ワインソース掛け。


フィレ肉は3つに切られ赤い身をこちらに向けている。
赤ワインソースは通常の赤や茶色の物と比べるとドロッとしていてとても黒い。
ソースはフィレ肉に掛けられており、
焼いた肉の褐色、身の赤さ、
ソースの黒さが美しいグラデーションを作っている。
ソースは皿の下部から細く長く伸び、
上部にある肉に掛かると滲む様に太くなる。
俺にはそれが古い樹木の姿を連想させた。
肉の隣には冬の根菜と説明された里芋や大根の様な物が添えられている。


もぐもぐ子ちゃんはパン屋に辿り着く。
パン屋は若い夫婦が経営している。
旦那さんのパートさんは厨房でパンを作り、
奥さんのトルテさんがお店でパンを売っているのだ。
彼女はこの店のが大好きで、
なかでもシナモンロールが抜群においしいと思っている。
普段はあまり飲まないコーヒーと一緒にそれを食べることが大好きだ。
もうもぐ子ちゃんがたどり着くとお店は何時もの様にやっていたが
トルテさんが居ない。
店に立っているのは若い女の子のマリナードちゃんだ。
もぐもぐ子ちゃんとマリナードちゃんはこの日初めて顔を合わした。
マリナードちゃんは笑顔で元気よく挨拶をしてくれる。いらっしゃいませ!
もぐもぐ子ちゃんも初めまして!と挨拶を返す。
マリナードちゃんはパートさんとトルテさんの娘なのだという。
今日はお母さんが熱で寝込んでいるのでお店を手伝っていたのだ。
もぐもぐ子ちゃんは小さいのにえらいなーとマリナードちゃんに感心する。
そしてもぐもぐ子ちゃんはついシナモンロールを買い過ぎてしまう。
お盆に盛られたシナモンロールを見て
マリナードちゃんはシナモンロールが好きなんですか?
ともぐもぐ子ちゃんに尋ねる。
うん、すっごくおいしいよね!と彼女は笑う。
マリナードちゃんは
わたしパパが作るパンの中で一番好きなのは私もシナモンロールです!と喜んだ。
2人は意気投合して友達になった。



あぶり焼きしたフィレ肉は香ばしく噛み付くと
ハリと柔らかさが同居している事が良く分かる。
適度な肉汁と油が口に流れ、
赤ワインのソースが深いコクを感じさせながらも後味を切れの良い物にしている。
それでいて穏やかな余韻が長い。
赤ワインのソースは酸味がありながらも、
普通の物より色が黒い分タンニンが強く味の複雑さ強調させている。
美味しいのだが苦みと甘みと芳香が同居する大人の味だなと思う。
こういう味の物はもぐもぐ子ちゃんは食べられるかな?と一瞬考える。
次に、そりゃそうだよね、もぐもぐ子ちゃんはもぐもぐ子ちゃんだから、
美味しいかったら複雑な味だって美味しく食べるよねと納得する。


横に添えられた白い大根の様な根菜はやはり大根だった。
大根か。と思いながらフォークを刺す。
この店のシェフは本場のフランスで料理を学んだ。
だけれどバターや味の濃いソースを使う伝統的なフランス料理
つまりオートキュイジーヌを習得する以外にも、
スペインのフレンチレストランで
ヌーベルキュイジーヌを学んだ人だったと思い出す。
ヌーベルキュイジーヌとは名前の通り新しい料理を意味していて、
日本の懐石料理の手法を取り入れた
分かりやすく言えば胃に優しい自然派のフランス料理の事だ。
昔。フランスはイタリアとは違い新鮮な食材を手に入れる事が難しかったため、
複雑な調理方法やバターをたっぷり使った濃い味のソースが発展した。
調理方法には食料の保存方法も含まれる。
時代が進み、フランスでも新鮮な食材が手に入る事が可能になった為に
食材を生かす料理を提供する新しいフレンチが誕生した、
それがヌーベルキュイジーヌだ。


そんな事を思い出して、大根を食べると美味い。
大根にも色々な味を持つ品種がある。
これは口に含むと辛みを感じて暫くすると甘みが出てくる物だった。
全体的には淡白だ。
淡白だがそれが妙に心地よくて美味しい。
食感の差も面白く口を飽きさせない。
どうやら推測するに、
この大根は蒸した後にバーナーでその表面を焼いてあるらしい。
フィレ肉に掛かる黒く濃厚で複雑な味のするソース、オートキュイジーヌ
辛みと甘みが続けてやってくる淡白で自然の味がする根菜、ヌーベルキュジーヌ。
古い物や伝統と新しい物や革新が1皿に同居している素晴らしい料理だなと唸る。
こう云った物を
もぐもぐ子ちゃんは……うん、幸せそうにもぐもぐと食べるよね。



もぐもぐ子ちゃんは川辺にある立派な樹々に囲まれた自然公園のベンチに座る。
素敵な紺色の袋からシナモンロール取り出し食べだす。
少しお行儀が悪いけれど、
美味しいからすぐ食べたいし仕方ないよねと彼女は自分を甘やかす。
もぐもぐ子ちゃんがシナモンロールを半分程食べ終わる
すると何処からともかくシナモンロールシナモンロール!と
鳴き声の様な声が聞こえる。
現れたのは深い緑色のワンピースを着たシャルクトリーさんだ。
シャルクトリーさんともぐもぐ子ちゃんは知り合いで
食べ物屋さんでよく顔を合わせる。
彼女はももぐもぐ子ちゃんと同じく食べる事が大好きだ。
でも運動は嫌いなので、ぼよぼよむちむちとした身体をしている。
もぐもぐ子ちゃんはそんなシャルクトリーさんを心配して運動に誘い、
彼女も話に乗る。
だけれど、彼女はもぐもぐ子ちゃんとの待ち合わせ場所に向かう道中で
美味しそうな食べ物屋さんを必ず見つけてしまい
足をそちらに向けてしまうので2人が一緒に運動をした事は一度もない。


2人はベンチに座る。
もぐもぐ子ちゃんは買い過ぎたシナモンロールを1つ
シャルクトリーさんにあげた。
もぐもぐ子ちゃんは自分の事を棚に上げてたべすぎちゃだめだよ!とお説教をする。
シャルクトリーさんは
彼女の説教などどこ吹く風でシナモンロールに夢中になっている。
シャルクトリーさんはうっとりした顔で
これどこのパン屋さんの?本当に美味しいね!と言う。
自分が好きな物を褒められたもぐもぐ子ちゃんは
それが嬉しくてお説教をやめてしまう。
その後でシャルクトリーさんが売店でコーヒーを買って来てくれた。
2人はもう1個ずつシナモンロールを平らげた。



食べ終えた皿が下げられる。
フィレ肉と根菜とソース。美味しい皿だった。
美味しい物をありがとうと食材を作った生産者と
調理したコックに礼を言いたくて仕方がない。
フロマージュつまり食後のチーズは腹が満腹に近いので断ろうかと思った。
だが折角料理の美味しく
サービスが行き届いた素敵なレストランに来てるのだかと食べる事にする。
チーズの担当者にこちらのお腹の状況を正直に伝えて後の選択を全て任せる。
食後酒を貴腐ワインであるとても甘いソーテルヌにしようか迷う。
迷ったのは1人でワインを飲む続けることに抵抗があったからだ。
するとズームと言うカクテルを勧められた。


ズームの材料はブランデー、蜂蜜、生クリームだ。
材料を聞いただけでも口の中が甘くなる。
ブランデーをカルヴァドスに変更した物も美味しいと言う。
カルヴァドスはリンゴで作られたブランデーの事だ。
クリームと蜂蜜の甘みとリンゴの酸味がチーズと良く合うらしい。
カルヴァドスをフランスはノルマンディー地方で作られた
リンゴジュースに変えると
美味しいノンアルコールカクテルが出来上がると言う。
おお、それは良いねとではそれで頼むよと俺はズームを注文する。


時間を置かずにカクテルがテーブルに置かれる。
一口飲んで酸味と甘みのバランスの良さに美味しいと喜びの声を洩らす。
自分が良い感じに酔っていると感じる。
クリスマスイブの日にレストランで
美味しい食事を幸せな気持ちで楽しんだのだから
酔うなという方が無理なのだ。酔う程もぐもぐ子ちゃんに関する考えも進む。



もぐもぐ子ちゃんはシャルクトリーさんと別れて散歩も終えて帰途に就く。
その途中で、
彼女はシェリーさんを見かける。なにやらシェリーさんは困った様子。
もぐもぐ子ちゃんにとってシェリーさんは憧れのお姉さんのような存在だ。
都心の会社で働いていて外見も洗練されていて美人に見える。


どうしたのシェリーさん?彼女は困り顔のシェリーさんに声を掛ける。
あ、もぐもぐ子ちゃん。これを見て。シェリーさんが道ばたの草むらを指差す。
草むらには青色の小さな鳥が倒れていて、
ぴよっぴぴよっぽよと震えた声でないていた。
身体を覆う毛の色を見ると雛ではないが、成鳥というには小さすぎる。
シェリーさんは悲しげな顔をしたままもぐもぐ子ちゃんを見る。
羽を怪我をしてしまっているようなの。
かわいいそうで、でもどうしたら良いか判らないわ。
もぐもぐ子ちゃんはうん、と小さな声で呟いた。


もぐもぐ子ちゃんはこの鳥はどうしてしまったのだろうと考える。
お父さん鳥やお母さん鳥はいないのだろうか?
親鳥は大きな鳥に襲われたり病気で死んでしまったりしたのだろうか?
それともこの鳥は親鳥から捨てられてしまって
1人で飛んでいる時に怪我をしてしまったのだろうか?
そんな事を考えたもぐもぐ子ちゃんは悲しい気持ちになって来る。
シェリーさんが暗い顔をしている理由が彼女にも判った。


シェリーさんは傷を負った鳥にどう接すれば良いか判らずにいるようだった。
それを見たもぐもぐ子ちゃんは私がなんとかしなくっちゃ!
よし!まかせて!と心を奮い立たせる。
手がシナモンロールで塞がっていては鳥を介抱出来ない、
シェリーさんは既に手荷物を持っている。
でも食べ物を捨てるのは勿体ない!と
考えた彼女は周りを見渡して道行く適当な人を見つける。
もぐもぐ子ちゃんは、
袋に入ったシナモンロールをこれあげる!とその人に押し付ける。
それから急いでシェリーさんの所に戻る。


彼女はカバンのポケットから白いハンカチを取り出す。
シェリーさんは動物や虫は苦手だけれど、
自然が残る郊外で生まれ育ったもぐもぐ子ちゃんにとって
動物や鳥は親しみのある動物だった。
彼女も虫は大の苦手だが。


血で汚れるのも気にせずに
彼女は草むらに横たわる鳥に白いハンカチをフワリと掛ける。
ハンカチで包んで優しく持ち上げ懐に抱く。
とりあえず家に戻って水でもあげてみる!
彼女は傷ついた鳥に振動を与えない様にゆっくりと急いで自宅に帰った。



チーズがテーブルに運ばれて皿に盛られる。
満腹を伝えたからだろう、チーズは2種類だけで量も少なめだった。
1つめはブリ・ド・モー。
細い三角形に切られたチーズの上に干したイチジクが添えられている。
2つめはエポワス。
スプーンで盛りつけられたどろりと溶けるチーズの上に松の身が乗っている。
両方ともフランス農林省管轄の組織よって定められる
食品規格AOCによって品質が保証されているチーズだった。
AOCはAppellation d'Origine Contr〓l〓e、
アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレの略称だよ。


AOCはワインやチーズやバターなどの
品質を保証する為に出来た品筆保証の制度だ。
こういった物を作らないとまがい物や偽物が多く流通してしまうから。
AOCに認められたらその後は決められた製法や生産地を守らなくてはならない。
ワインで有名なAOCシャンパーニュだ。
フランスのシャンパーニュ地方で定められたブドウの品種によって
作られた発泡性のワインを、15ヶ月以上熟成させなくては
名乗る事が出来ない。製法等も定められている。
赤ワインで有名なロマネ・コンティAOCに認められている。
このワインはヴォーヌ・ロマネ村にある畑で採れる
ピノ・ノワールを使用して作らなければならない。
畑の大きさは1.8ヘクタール程で、坪に変換すると5445坪しかない。
規定のどれか1つでも破ると、
AOCで認められた名称を製品に使用する事はできない。


チーズのAOCも似た様な物で、
どの動物の乳を使うのか。
その動物は何を食べ何処でどのようにして育てられたのか。
熟成期間。熟成させる洞窟や蔵の場所まで事細かに定められている。
ブリ・ド・モーもエスポワも名誉ある事にAOCに定められたチーズだと言う訳だ。

ブリ・ド・モーは白カビが生えたチーズで
カマンベールチーズの先祖と言われている。
カマンベールよりも200年も前に作られている。
癖が無く角のない甘みが特徴で、添えられた干しイチジクと一緒に口にすると
一流のパティシェが作った生クリームと果物の菓子を食べている様だ。


エポワスの表面はオレンジ色だ。
ブランデーの1種であるマールを掛けながら熟成させる。
その為、表面は艶があり人によっては悪臭と感じる独特な臭いを放っているが、
中身は良い匂いでとてつもなく柔らかい。
料理の全ては基本的にそうであるが、
チーズにおいては匂いと味がより一層近い場所にある。
エポワスを口に含むと表面と中身の匂い、味のコントラスト差に舌が混乱する。
だがやがて両者が合わさり複雑ななんとも言えぬ旨味を作り出す。
上に乗っている松の実のお陰で臭いと匂いの橋渡しが
よりスムーズに行っているようだった。


どちらのチーズもズームと良く合った。
カクテルがチーズの味をより深くし、
チーズがカクテルの味をより鮮やかにしていた。



もぐもぐ子ちゃんは青い鳥を自宅に連れ帰り、
適当な箱の中に綿や布を沢山敷いて彼を静かに置いた。
スポイトで鳥の口元に水を垂らす。
彼は美味しそうに水を飲込んだ。安心するもぐもぐ子ちゃん。
彼女は水をあげながら青い鳥を観察する。
彼は羽を怪我している様でそこに血がこびり付いていた。
彼女はどうしようかとあわてて救急箱から包帯を取り出す。
自分で治療を試みる。その寸前で町に獣医さんが居た事を思い出した。


この傷なら何れは治るから大丈夫だよ。
お爺さんの獣医さんはしっかりとした声で声でそう言った。
記憶を頼りに町にある動物病院にたどり着いたもぐもぐ子ちゃんは、
優しそうな顔の獣医さんに鳥を手渡しのだった。
獣医さんの奥さんであり助手でもあるお婆さんが、
ほっとするもぐもぐ子ちゃんの肩を抱きしめる。
そして何かあったらすぐに連れてくるのよと言ってくれた。
笑顔で頷くもぐもぐ子ちゃん。彼女は鳥用の薬を貰い動物病院を後にした。



チーズを食べ終わり乳製品の芳香な濃厚さに満足する。
次の皿が最後の料理である菓子、デセールの登場だ。
英語でデザート、イタリア語でドルチェ。
スペイン語ではポストレと言うんだ。

そのデセールがテーブルに運ばれる。
1つの皿にブッシュ・ド・ノエルとシャーベットが添えられている。
ブッシュ・ド・ノエルは大きな物を
ロールケーキの様に切り分けたのではなくて
サイズ小さいが一株の丸太の形をしてた。
クリスマスの木という名前の通りだなと行って笑った。
チョコレートでコーティングされた丸太の上に
ホワイトチョコレートの小さなプレートが乗せられている。
Joyeux Noel、ジュワイユ・ノエル、
フランス語のメリークリスマスと言う言葉が書かれていた。
可愛い皿だ。ベタで野暮ったさもあるが、
クリスマスという物は
少し位ベタな方が安心して楽しめる物かも知れないと笑う事にした。
幸せだなと感じる。
ブッシュ・ド・ノエルの真ん中には
バナナ味のクレームブリュレが挟まれていると言う。


苺や桃と一緒に盛りつけられているシャベートは
ミックスベリーで作られた物だと言う。
食べる前からブッシュ・ド・ノエルの甘みと
シャーベットの爽やかさの食べ合わせが美味しそうでヨダレが出そうだ。
おいしそう、では食べようと言ってフォークを握る。


ブッシュ・ド・ノエルにフォークを入れる。スムーズに切れる。
途中で僅かな抵抗と何かが割れた感触が手に伝わる。
丸太の断面が見える、茶色のスポンジの間にベージュの部分がある。
ここがクレームブリュレになっているのだろう。
先程の感触はカラメル部分が割れた物に違いない。
口に入れると、チョコレートとスポンジとカラメルとクリーム、
趣向を持つ甘さが重層的に心を誘惑する。
繰り返される甘みの応酬に頭が少しクラクラしだす。
チョコレートはそのむかし媚薬として
或は惚れ薬として使われていたと本で読んだ事がある。
または女性は年齢を問わず甘い物を食べている間は優しくなるとも。
どちらの気持ちも分かる気がした。


しかし最初に食べたアミューズからこのデーセルまで。
味の嵐に襲われているなと心地の良い苦笑いを浮かべる。
それはきっとすばらしくて良い事だ。


単純ではなく複雑で、舌で感じた味こそがもっとも正しくて
言葉ではその2割も表現出来ない。
そもそもきっと味を言葉で表現出来ると思っている事が間違いに違いない。
そんな事よりも周りのカップルや家族達の食事中の笑顔の方が
料理の素晴らしさを表現していると思う。
味を表現するより、そう言った人々を表現した方が美食を語るのには相応しい。


ラクラした頭を言葉通り冷やそうとシャーベットを口に運ぶ。
こちらは新鮮という文字を
そのまま凍らした様な色鮮やかな爽やかさを感じさせた。
口内をベリーの甘酸っぱさで満たしてくれる。


ブッシュ・ド・ノエルとシャーベットを交合に食べるならば
甘さと爽やかさの応酬に頭がより一層回りだす事だろう。



もぐもぐ子ちゃんが獣医さんに鳥を診せてから数日が経つ。
鳥は以前よりも調子が良さそうな声でぴよっぴぽよっぽと鳴いている。
彼は時たま寝床を抜け出して
長い足でよっちりよっくり不安定に歩いたりしている。
彼女は青い鳥をその独特のさえずり方からぴよっぽと名付けていた。
しばらくの間ぴよっぽを眺めていたもぐもぐ子ちゃんは
獣医さんから貰った鳥用の餌が無くなっている事に気が付く。
ぴよっぽを箱に戻して家の鍵を閉めて外へと買い物に出掛ける。


外は太陽の光が暖かく風も穏やかだった。
お気に入りの落ち着いた色のスカートが柔らかく風に踊る。
ペットショップで目当ての物を手に入れた帰り道、
彼女は知らない顔の男の子に声を掛けられる。
なんだろう?ともぐもぐ子ちゃんが疑問に思う。
すると彼はとても丁寧な言葉で、
数日前にあなたからシナモンロールをいっぱい貰ったのだけど覚えていない?
と説明してくれた。
彼女は、そうだ鳥を助けた時にパンを無理やり渡した男の子が
こんな顔だったと思い出す。
あ!美味しかった?と尋ねる彼女に
彼は笑いながら美味しかったわーと返事をする。
彼の名前はピュレで、洋服屋さんをやっているのと名乗った。
もぐもぐ子ちゃんはだからお洒落な洋服を着ているのね!と
感心した後で自分も名前を名乗った。


ピュレ君はそうだ!すこし待っていてくれる?と言って
もぐもぐ子ちゃんが今しがた出て来たペットショップへと入って行った。
数分後ピュレ君が出て来る。
手には赤い屋根に水色の箱が付いた家の形の鳥箱を持っている。
彼はこれはシナモンロールのお礼よ、
もしよければ受け取ってくれると嬉しいわと彼女に手渡す。
ピュレ君はあの日もぐもぐ子ちゃんに
シナモンロールを強引に渡された後で一部始終を見ていたのだという。
鳥箱、きっと持っていないでしょ?彼は首を横にして彼女に尋ねる。
もぐもぐ子ちゃんはぴよっぽにこの家は似合いそうだと思って
喜んで礼を言って受け取る事にした。
良かったら今度お店に来てね。女の子の洋服も扱っているから!
ピュレ君はそういって笑顔で手を振りながら向こうへと歩いて行った。


もぐもぐ子ちゃんは家に帰って早速
ピュレ君に貰った鳥箱に鳥用のご飯を並べてぴよっぽの側に置いた。
するとぴよっぽは少しの用心の後、ゆっくりと新しい家に入って行くのだった。
美味しそうにご飯を食べ始める。



気が付いたらデセールを綺麗に平らげていた。
食後の飲み物が運ばれる前に俺は中座する。
お手洗いに行って鏡の前で手を洗う。
洗面器の横にはハンドソープやお手拭きの他に、
爪楊枝や顔に使用する油取り紙、
マウスウォッシュと小さな使い捨ての紙コップ、
更にジャケットに書ける消臭様のスプレーまで用意してあった。
相変わらずさすがだねと思わず手の平を叩き合わせる。


トイレから出てテーブルへ帰る前に支払いを済ませる。
この方法が俺が知る限りでもっともスマートな料金の支払い方だ。
椅子に戻って少し経つと注文しておいたエスプレッソが到着する。
頼む事が可能ならば
普通のドリップコーヒーより胃を刺激してくれるこちらの方が好みだ。
それも普通より量の多い2ショット分を入れてもらう。
注文通りの物が来て最後まで満足させてくれる。



もぐもぐ子ちゃんがぴよっぽを自宅に介抱してから数週間後、
ついに彼の傷ついた羽は全快する。
しかし彼女は寂しさと心配が混じった様な表情を浮かべている。
数日前に彼女のお姉さんであるミジョテさんに
野鳥はいつか自然に帰さなくては駄目なのよと諭されたのだ。
傷が治ったら自然に帰すのだと。
彼女は姉の言葉に初めはショックを感じたが、
そういう物かも知れないとゆっくり頷いて思いなおした。


彼女は今日、ピュレ君から貰った鳥箱を窓の外に設置した。
それから彼女はずっと複雑な気持ちで
家の外にあるぴよっぽの家を見つめている。
暫くしてぴよっぽが明るい空に向かって飛び立つの見て笑って泣いた。


翌朝。目を腫らしたもぐもぐ子ちゃんは
トントンという小さな音を耳にして目を覚ます。
ベットから降りて音のした窓の方へ行く。
外を見ると窓の縁に青い鳥が居る。ぴよっぽだ。
彼女の事を見つけたぴよっぽはクチバシで窓を大きくコツンコツンと叩く。
もぐもぐ子ちゃんが窓を開けると彼は勢いよく羽ばたいて彼女の肩に止まった。
明るい声で嬉しそうにぴよっぴぴよっぽと鳴く。
どうやら彼女に懐いてしまったらしい。
もー、しかたがないなー、彼女は嬉しさを隠しきれずに笑った。
こうしてもぐもぐ子ちゃんに新し友達ができたのだ。


うん、これで1つの短編が終了だな。
お話としても納まりが良く彼女のキャラクターもそれなりに描けていると思う。
仕事上仕方なく鍛えた能力とはいえ、我ながらなかなか完璧な

「ねぇ、さっきからなにを考えているの?」
完璧な……完。そこで俺の考えが途切れた。
再び彼女の声が聞こえる。
「お仕事のこと?」
俺に瞳を向けていた彼女が顔を傾けた。栗色に波打つ髪の毛が緩やかに揺れる。
「えっと、何か考えている風に見えたかな?」
俺は意識を目の前で起きている事に戻してとっさに考えた返事を返す。
「うん、スープを飲んでいるあたりからだよー」
彼女は少しふくれている様子だ。
潤んだブラウンの瞳で俺を刺す様に見つめている。


しまった。これはいけない。なにもかもばれている。
フレンチ料理のうんちく等を語って
彼女が暇にはならない様にはしていたつもりなのだが。
そもそも彼女にとっては料理や海外の言葉やワインやチーズのうんちく自体が
タイクツだったのかも知れない。


「食事しながら話してくれたことはおもしろかったけど……」
彼女が舌足らずな甘い声で褒めてくれた。
あ、そこは良いんだなと俺は安心する。
「でも心がないかんじだったよ!」
見事に見抜かれていると直ぐに反省する。


正直に考えていた事を話そうとする
「新しい架空のキャラクターの事」
「あ、お仕事の事だ。それでそれはどんなひとなの!」
彼女が八重歯を見せて目を輝かせる。
この子は俺が考えるキャラクターの事が好きでそこに俺は随分と救われている。


なかなか言い難い話なんだけれどと前置きした上で、
「帰りながらお話ししようか」と苦笑いを浮かべた。
コートを受け取って給仕人達に料理も美味しく良い時間が過ごせたよと礼を告げる。
続けて半年後の彼女の誕生日にまた来れれば良いのだけれどと言うと、
ええ、御待ちしていますと丸眼鏡のレモンさん……
じゃなくてソムリエ氏が言った。


店を出る前は電車で帰る事も考えたが、
店外の寒さに驚いてタクシーを捕まえる事にする。
少し歩いて大通りに出て周囲を見渡せばタクシーが沢山走っていた。
彼女に料理はどうだった?と訊く。
「うん、とってもおいしくて、たのしかったよ」と
何時もの可愛い笑顔で笑った。
そんな彼女が寒く無い様に俺は後ろから背中を抱き締める。
彼女が着ているオフホワイトのコートは手に暖かかった。
「さっきの続きは、タクシーの中でお話ししてくれるの?」
風に栗色の髪の毛とスカートの裾をなびかせながら
彼女が俺の顔を見上げる。俺は自分の胸の当たりに向かってそうだねと返す。
「でも、私。もしかしてねむってしまうかも」
そう。彼女はお腹を満腹にするとすぐに眠くなってしまう。
少しがっかりする所でもあり、彼女が持つ可愛いらしい面の1つでもある。
「大丈夫、ちゃんとベッドまでお姫様抱っこで運ぶよ」
「その時に私が起きちゃったら?」「ベットで続きを話すよ」
彼女は少し考えた後、判断を決め方ね表情で
「なんか、それ、幼稚園に通っている子みたい。
 私そんなのじゃないよ!」と言う。
俺は笑いを堪えてそうだよねと頷いた。


2人の前にタクシーが止まり、扉が独りでに開く。
俺は先に彼女を車内に入れようとして肩に回していた手を解いた。
歩き出す寸前で「あ、待って」と彼女が小さな声で俺の動きを止める。
それから小さな手で手招かれて、俺は彼女の頭に顔を寄せる。
彼女は少し背伸びして、俺の頬にキスをした。


今日はクリスマスイヴだ。





【クリスマスイヴの短編】〈もぐもぐ子ちゃん/おわり〉





Let it Snow/Vaughn Monroe(レット・イット・スノー/ヴァーン・モンロー)






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