ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている 1ページ目(不定期更新の短編小説)

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今回の小説は不定期更新型の短編小説です。


更新は私のTwitterでもお知らせします。
https://twitter.com/torasang001


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まえがき


お久しぶりです。


最近はこちらのサイトを更新できていません。
理由は小説や批評の書き方を変更したからです。
以前は下書や設定表などをほとんど使用していませんでした。
ですが最近は下書を4つほど作ってから小説を書くと言う方法に挑んでいます。
下書1→下書2→下書3→下書4→本文といった感じです。
(それでも早く書く方は沢山いらっしゃると思いますが・苦笑
 様は俺が遅筆なのです・また苦笑)


更新は上手く出来ていないのですが、
日々少しずつですがサイトの観覧数が増えています。
もしかしてではありますが、
定期的に本サイトにお越しいただいている方がいるのかもしれません。
(かなりの好事家ですね。ありがとうございます。
 私はそういった人々に支えられています)


更新はできないが、観覧して下さる方に何かを見せたいと思いました。
なので今回は以前の様に下書を多用せずに小説を書いて行こうと思います。
以前行っていた方法の方が筆は速くはなるのです。


更新は不定期ですが、よろしければお楽しみ下さい。



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【ずっと後ろで暮らしている
  /どこかに私は落ちている】


男の中には何がある?
答えは顔とケツだ。
男を表すフランス語は《masculine》。
《mascu》=顔と《cul》=ケツがある。
フランス語で顔を意味する言葉は正確には《masque》なのだけれど。
でも古いモノクロのフランス映画で知ったジョークだから
間違いではないんだろう。


僕が古い映画の事を思い出したのは、
瞳の先にいる男の事を観察していたからだ。
黒い革のコートに包まれた身体からは
男の顔とジーンズに納まった大きなケツが見えている。
彼の出身地はイラクだかイランだがレバノンだが
シリアだがバーレーンだかアフガニスタンだかクウェートだかだろう。
とにかく、彼自身が強く望んで日本にやってきたのではないと思うよ。


誰かの肺から放たれた煙が僕の顔に掛かる。
髪の毛を振り払う様に手で除ける。
左手に握っていたジントニックで喉を潤す。
安っぽい味の安っぽいジントニックだ。
もっとも安っぽくないジントニックがあるのかはどうかは疑問だ。
それにジントニックは安っぽくないと行けない。
どこで飲むジントニックだってそうだ。
フランスはパリで開かれる上流階級の晩餐会でも、
イングランドのロンドンで行われる株式公開記念の祝賀会でも、
ドイツのベルリンで模様される楽団への寄付金パーティーでも。
もしジントニックが出されるのならば安っぽくないといけない。
もっとも、通常は彼らのグラスに注がれるのは
ワインかシャンパンだろうけれどね。



僕が想像するのはアメリカの砂漠にある街、ラスベガスだ。
ラスベガスの高級ホテル。高級ホテルの最上階。
最上階のスイートルームだ。
スイートルームの客が窓を開ける。
ラスベガスの夜空を通った風が鼻に入る。
風はネオンと札束の上を通り過ぎている。
夜の街の香料が鼻孔に入り込み咽喉そして胃に流れ込む。
数秒後、ジントニックを飲込んで全てを洗い流す。
手に握ったグラスはバカラの高級品。
だけれど、中身のジントニックは安っぽくないといけない。
高級な酒では夜のにおいと金のかおりを洗い流せないからだ。


だけれど僕の想像は大きく間違っている。
ラスベガスは賭け事の街だ。
ギャンブルには勝者もいれば敗者もいる。
つまり大きな金を得る奴もいれば、大きく金を失う奴もいると言う事だ。
財産を失った人の中には自殺を考える奴も現れる。
ギャンブルの敗者はカジノから帰って来て寝られずに朧げに佇む。
高層ホテルの客室というのは自殺に売ってつけの場所だ。
なんせ金を失い唯一残された財産、
自分の身体を窓の外に投げ出せば目的を達成できるのだから。
もちろん、窓から飛び降りたいと思うのは賭け事の敗者だけではない。
自分の子供を片田舎、オレゴンあたりの実家に預けて
ラスベガスでコールガールとして働いているシングルマザーが、
たったいま客室の主に対しての仕事を終えた時、
金をちょろまかしているのがバレたホテルの会計係が
未使用の部屋に逃げ込んだ時、
新婚旅行でラスベガスにやってきたのは良いものの
道中の喧嘩が原因で花嫁が何処かに行ってしまい
1人部屋に残された新郎が溜め息を付く時、
彼ら彼女達を不意に言い知れぬ感情が襲い、窓の外を眺めた瞬間。
人間がどういう行動を取るかは誰にも確証は持てない。
思い切った行動を判断する事もあるだろうね。
ともかく自殺者が最後に眠ったベットは誰も使いたくないし、
最後に自らの顔を眺めたガラスなんて誰も見たくはない。
だけれど自殺者が出た部屋を
いちいち使用禁止していたらホテル業なんて出来やしない。
部屋が幾つあっても足りなくなるだろうね。
だからラスベガスにあるホテルの窓は開かない。ハメ殺しになっている。
自殺防止の為だ。だから僕の想像は間違っている。


想像とは違い、
僕は安っぽいグラスに入った安っぽいジントニックを飲んでいる。
バカラなんて高級品はここにはないんだ。
理由は僕が居るのが、
スペインはカタルーニャのレストランでもないし
ベトナムにあるパタヤビーチのダンスホールでもないし
アラブ首長国連邦のアブダブに設置された
外国人観光客向け高級クラブではないからだ。
東京の場末のバーだからだ。


僕が先程から観察している中東地域出身の彼の事を、
彼自身が強く望んで日本にやってきたのではないのだろうと
思ったのには理由がある。
別に外国人に対しての決まりきった偏見がある訳ではない。
僕の眼には不必要な事柄だからね。
理由は表情だ。彼の表情だ。


アラブ人の彼の年齢は30代か40代。
50を越えている様には見えないね。
横顔に走る線はシワというより畝(うね)と言った方が正しい位に深い。
彼の民族に見られる外見的な特徴なのか、
彼の人生の成果なのかは僕には判断がつかない。
短く刈り込み後ろに流した髪の土台には寂しげな表情があった。
一般的な寂しさを通り越した表情だ。
きっと望郷というやつだ。ラテン人だったらサウダージとか呼ぶ感情の事だ。
郷愁であり夢想にも近い表情だ。
俯いた瞳はひどく潤んでいる。
宝石の様に大きな黒めがちな眼。眼には哀しみが残光を残している。


彼の心を高級な酒が癒せるか?いや癒せない。
心にまとわりつく様な親しみある安い酒でなくては癒せない。
もっとも癒せた所で小匙程度の僅かな慰みにしかならないだろう。
だけれど無いよりはマシだ。
料理だって小匙程度の塩や砂糖で全体の味が大きく変化する。
だったら小匙程度の慰みだって人生を変えるはずだ。
慰みが人生の砂糖なのか塩になるのかは僕には判らないけれどね。


バーには僅かな慰みを求める人間が多く集まっている。
いま僕が居るバーも世界の様々なバーと同じく清潔さを保っている。
いや、床を見れば誰かが落としたナッツの殻や灰が散乱しているし、
僕が先程からもたれ掛っている壁の縁を指でなぞれば埃も取れるだろう。
僕が言っている清潔さとはゴミが一切無い事を言っているのではないんだ。


バ−には小難しいルールは無い。
出される酒の前では誰もが平等だ。
店の扉を通れば皆ただの酒のみになる。
問題は扉を開ける事が出来るかどうかなんだ。
現代的なバーはアメリカの禁酒法時代に始まっている。
アメリカ史上もっとも馬鹿げた時代に作られた酒場は
マフィアやギャングと行った犯罪組織が仕切っていた。
酒を飲むのが犯罪になるのだから、
酒を飲ますのは違法集団の仕事にもなるというものだね。
当時のバーは会員制で店の場所や入店の仕方は公にされてはいなかった。
入店して酒にありつくのには店の場所を知っているのはもちろん、
合言葉や目線、隠された仕草が必要だった。
扉の前に立ち塞がり周囲を見張るドアマンという名の用心棒、
用心棒という名の門番の許可が必要だった。
全ては立派でまともな社会の目が届かない場所で行われていた。
人々は厨房の裏や、自宅の暖炉の前、
病院の待合室や、ミサが終わったばかりの教会で
秘密の酒場への入り方を囁いていた。


現代の日本でもバーの扉は大抵、重く固く分厚い。
禁酒法時代の名残なんだ。
扉は社会の視線を防ぐ、扉は多くの者の入店を拒む、
そして店内の客達の事を守る。
簡単に言えばバーは入店し難い。入りづらい店構えをしている。
全ては客を守る為だ。
初めて扉の前に立つ時、客は暗黙知となった
言葉ならざる合言葉や仕草にならざる秘密の仕草を求められる。
どうにもこの店には入れないなぁと思った時は、
客が言葉ならざる合言葉を知っていなかったと訳だ。
バーのドアマンから入店を断られたのだ。
もちろんドアマンは現代では誰の眼にも映る事の無い透明人間になっている。
しかしバーの扉の前には彼が確実に居るのだ。


だからこそ、扉を開ける事が出来たら、店内で客は平等になる。
ドアマンに入店を許されし者達だ。
店で酒のむ我々は固く分厚い壁の様な扉によって守られた
平穏無事な楽園に居るも同じだ。
楽園で上下関係を作っても意味が無い。


あるいは1杯目の酒を飲んでいるうちに
居心地の悪さを感じる事があるかもしれない。
透明人間のドアマンだって判断を間違える時がある。
店にどうにも馴染めなかったら、
門番のミスを責めずに苦笑いして店を立ち去るのが得策だ。
人には必ず何処かに馴染めるバーが存在している。
イギリスではホームレスから王族まで
馴染みのバーを3軒は必ず持っていると言われるほどだ。
もっとも彼らは自国にある酒場の事をパプと呼ぶ事にこだわっているが。
とはいえ気まずさを無視して酒を2杯ほど飲めば、
ドアマンに何の落ち度も無い事が実感できる場合がほとんどだけれど。


いま
僕が安いグラスで安っぽいジントニックを飲みながら、
中東の出身の男を観察しているバーにも平等がある。
禁酒法時代の酒場や、イギリスのパブと変らない清潔さだ。


清潔さのちょっとした証拠として、僕の隣に居る男の事を挙げる事が出来る。
大きな眼鏡を黒髪が乗る顔を掛けた彼はアジア人だ。
だけれど何処の国出身かは分らない。
中国人かも知れないし台湾人かも知れないし韓国人かも知れないし
タイ人かも知れないし日本人かもしれない。
シンガポールかもフィリピンかもベトナムかも知れない。
彼の国籍を分かり難くしているのは、
この店では彼の国籍を他の客誰もが気にしていないからだ。
違いというのは気にする人がいて初めて目立つものだ。


例えば、服飾にまったく興味の無い人々の集まりでは
服の色の違いは意識されずに目立たちもしない。
赤も黄色も、青も緑も同じ色としてみなされるだろう。
他にも上着のサイズ、袖丈や着丈も目測される事はないはずだ。
一方でファッションがどうしようもなく好きな人々の集まりではどうだろう?
彼ら彼女達は赤色を269通りに分けて
黒と白そして中間の灰色を違う色として細かく区切り
光の反射率が1単位増えるごとに夫々を違う名前で呼ぶだろう。
ブラック、ホワイト、グレイ。
ダークグレイ、ライトグレイ、バトルシップグレイ。
シルバー、ルーカン、グリフレット、ユーウェイン。
ガレス、ケイ、ディナダン、アーサー。
乳白色、薄鈍色、窮鼠色、美井木色。
袖の長さには意味がある事を知っていて
ジャケットの袖から見えるドレスシャツの長さで
フォーマルとカジュアル、正装として相応しいか普段着なのかを判断するだろう。
シャツの襟の形やネクタイの結び方や上着のボタンの数、
靴の色や腕時計の針の数とベルトの素材、パンツの折り返し幅で
相手の日常生活や人生的な価値観や主張、哲学を見極めるだろう。
違いと言うのは気にする人が居てこそ初めて存在する事になるというわけ。


僕が居るバーの客達は国籍を気にしない。
国籍で人の価値観や哲学を判断する事はない。
あるいは国籍や出身地を
気にする程の知性がないだけなのかもしれないけれど。
とにかく僕たちは透明なドアマンから入店を許された
だからただの客として平等だった。平等だから清潔だ。
もちろん清潔さが単純に良いとか悪いとかいう話ではないのだけれど。
実のところ、徹底した選別と、無選別は似ている。
選別を繰り返せば最終的には残るのはたった1つだけれど、
選別を一切しない場合も何も違いがないという事なのだから
1つしか無いのと同じだ。
徹底した純血は純度を守ると言う意味で1つを選ぶ。
徹底した混血は全てが混ざるのだから最終的には1つになる。
1つを目指すと言う視点で言えば選別と無選別は違いがない。
1つになる過程は違う訳だけれど。


バーは扉の前までは客を選別する。だけれど扉を開けたら客は無選別だ。
なので徹底した選別や無選別とバーいう場所を比べたら
バーは些か清潔では無いという事になる。
けれども、少し汚れている方がバーらしい。
汚れこそが世界各国夫々のバーに佇む
ホームレスから王族までの客を守ってくれている。
汚れた清潔さだ。
汚れた清潔さという言葉に矛盾を感じる人はきっとバーには向いてない。
たぶんね。


中東地域出身の男はいつのまにかアジア人の女と話している。
どちらからどんな切っ掛けで会話を始めたのかは見ていなかった。
彼と話している彼女は多分日本人だ。
なぜ僕が彼女を日本人と判断するかというと、
僕が客達の国籍を気にしているからという訳ではない。
女性の化粧を気にしているからだ。
正確に言うと女性を気にしているからだけれど。
女性の国籍は動きや思想には現れ難い。
なのだけれど化粧には現れる。



たとえば韓国人女性と日本人女性の化粧の違いはなんだろう?
欧米と文化的に深い繋がりがある国々では
価値観の方向性がある程度統一されている。
ある程度統一されている価値観の中には美意識も含まれていて、
美意識には女性の化粧の仕方も含まれている。
例えば唇の厚さだ。
昔の日本人女性は唇が薄い事を美しいとして
欧米人の女性は唇が分厚い事を美しいとしていた。
けれど今では日本人女性の中にも
唇をぷっくらと厚く柔らかく見せる化粧をする人もいる。
韓国人女性にも似た様な美意識をもつ人はいる。
だけれど、各国の人々がもつ美意識は必ずどこかには現れる。
違いを気にする人が見れば、一目で気が付く美意識の違いだ。


例えばファンデーション。
韓国人女性の多くが液状のファンデーションにオイルを混ぜて使用している。
オイルを混ぜたファンデーションを塗る事で肌に照りを出す為だ。
韓国は乾燥している地域にある国だ。
なので元々は肌の乾燥防止の為に行っていた方法なのだけれど、
今では照りのある肌は彼女達の美意識の1つになっている。
日本人の女性だって肌の照りは重要視するけれど、
日本人の彼女達は必要以上に輝きのある肌を油ぽいと捉える傾向にあるようだ。
韓国人女性が求める肌の輝きが水面に反射した光の輝きならば
日本人の女性が求めるのは
お風呂から出たばかりの肌の柔らかい艶なのだろう。
もちろん全ては傾向の話しだし、流行廃りが早い業界なので
1年もすれば美意識も変化しているかもしれないけれど。
それに全ては一人の女性から学んだ事なんだ。
以前韓国人の女性と付き合っていた事がある、
彼女は学生で大久保の韓国料理屋で働いていた。
僕は朝、女性がてきぱきと化粧をしているのを観るのが
好きな程度には暇人なんだ。
僕は本当は女性が化粧をしている姿を見る為に
夜を一緒に過ごしているのかもしれない。まあ流石に冗談だけれど。
けれど、女性にとってのセックスが男が射精した後も続いている様に、
僕にとってのセックスは女性が化粧を終えるまで続いている様な物なんだ。
韓国人の彼女は僕に韓国式ともいうべき化粧の事を教えてくれた。
そして僕は大久保を歩く女性が
日本人であるか韓国人であるかを冬でも見分ける事が出来る様になった。
1人の女性から教わったのだから確実に正解だと思うし、
1人だけなのだから間違いかもしれない。
だけれど僕の女性に対する認識力とも言うべき物はお陰で随分と成長したんだ。
冬でも見分ける事が出来る様になったと冬に限定したのには訳がある。
夏では女性の国籍を見分けるのが簡単だからだ。
具体的に言うと夏場の韓国人女性の露出度は凄まじく、
美脚の為に相当なお金をかけている事が一瞬でわかる。


では中国人女性はどうか?
僕が知る限り彼女達は化粧をしていない事も多い。
なぜかと言うと彼女達の化粧に対する考えが日本人女性の物とは違っているからだ。
日本では化粧はある種の礼儀的な物として機能している。
化粧をしない顔で他人と会うのは失礼だという考えだ。
つまりマナーの一環という訳だね。
一方中国では化粧をする事をマナーとして捉えている女性があまり多くはない。
現在中国では生活や価値観の欧米化が進んでいるけれど
化粧には中国的な美意識が残っている様だ。
日本や欧米では化粧品の売り上げの多くを占めるのがメーキャプ化粧品だ。
メーキャプ化粧品とはつまり肌の上に何かを描く際に必要になる化粧品の事。
化粧と絵画は似ている。
肌はカンバスだし、肌を平坦にする為に下地とファンデーションを塗る、
カンバスに絵具が付着しやすくする為に
炭酸カルシウムとチタニウムホワイトの混合物を塗る。
そして大小の筆や刃物で顔やカンバスに絵を書いて行く。
一方中国では化粧品売り上げの半分以上をスキンケア化粧品が占めている。
つまり肌の調子を整える化粧水や乳液や美容液の事だ。
しかし一方で中国人女性が化粧をする時は丹念に仕上げる。
普段がすっぴんな分、化粧を施す時は入念に、
そして完成した顔も派手なものとなる。
派手さは特にアイメイクに現れる傾向にあると思う。
ともかく彼女達の多くにとって化粧は日常生活に必要な物ではなく、
冠婚葬祭の時に着る1つのドレスの様な物なのだろう。


化粧に関しては僕よりも
「観葉植物」の方が何倍も知っているとは思うけれど。


ともかく
僕は中東出身の男と話している女性を日本人だと判断した。


1、おそらく彼女は女性だ。
2、化粧をしている。
3、派手な化粧ではない。
4、肌が発光する様には輝いてはいない。
5、アジア人だろう、きっと。


オーケー、結果はならばたぶん日本人だ。
直感もいいけれど、直感に少しの推論を加えると
正解に辿り着ける可能性は高くはなると僕は感じている。


中東出身の男と日本人の女性ががいつ頃、
どの様な切っ掛けで会話を始めたのかは判らないけれど、
僕には彼と会話をしている彼女の気持ちがたぶん少しは良く分かる。
僕が彼自身が強く望んで日本にやってきたのではないのだろうと思った理由は、
彼の寂しげな表情だ、一般的な寂しさを通り越した表情だ。
浅黒い肌の上に、津々とした雪が積もった様な冷たくも柔らかい表情。
人を惹き付ける表情だと思う。
彼の事を放っておけないという気持ちにされる顔だ。
だから彼女も彼と会話をする事にしたのだと僕は推測しているんだ。
2人は胸と胸を合わせる様に密着して会話をしている。
アルコールを飲みながら会話をしている。
彼の表情にも僅かに笑顔が浮かんでいる。眼は笑っていないが頬は笑っている。
人が本当に笑う時は眼から笑うという。
だから彼は本当には笑ってはいないけれど、
本当ではない笑いだって無いよりはマシなはずだと思う。


僕の推測はあくまでも会話の切っ掛けになったであろう
女性の心理の推測でしかない。
だから結局彼女は彼に何かを言った後で、彼のもとから離れて行ってしまった。
僕の思考が文字ならば"彼のもと"という
言葉の”もと”という部分には"許"という漢字を使いたい。
”もと”と読む漢字には下や本や元があるけれど、許がいい。
下は命令を受ける側という意味がある、
本とは本来の意味が、
元には最初や本質の意味がある。
彼の"もと"を去った彼女とは何だろうかと考える。
彼女は男に命令を受ける立ち場に居た訳ではない、
本来は男のものであった訳でもないし、
本質的に男と関係があった訳ではない。
では"許"の意味は何か?
"許"とはある人の影響が及ぶ範囲や場所の事を言う。
人間関係とは男女の恋愛に問わず影響の与えあいの事だと思う。
ある人間同士が距離的には近くに住んで暮らしていても
影響を受けていないならば2人の人間関係は始まっていないし、
片方が死んでしまっても、死んだ者の影響を受けて生きている人がいるならば
2人の人間関係は終わってはいないという事になる。
だから僕の思考を文字にするならば、
彼女は彼の許から離れてしまったと書くだろう。



彼女は彼の許から離れてしまった
男の顔には再び孤独が張り付いている。


僕は再び、古いフランス映画の事を思い出していた。
男を表すフランス語《masculine》の中には
《mascu》=顔と《cul》=ケツがある。
じゃあ女の中には何がある?
女を表すフランス語は《feminine》だ。



《feminine》
《f  inin 》
《f  in 》
《fin   》











《fin》













《FIN》だ。
《FIN》とは終わりと言う意味のフランス語だ。


僕は「レッカー車」が移動したのを確認してバーを出る事にした。
「レッカー車」が店のドアを出て地上に続く階段を昇ったのを見て後を追った。





何時の間にか、視界の端で目標を観察する事が得意になっていた。
始めのうちは僕の視線を相手に気が付かせずに観る事に随分と苦労したものだ。


入る時には客を慎重に吟味する透明のドアマンは
店を出る時にはこちらの事を気にしない。
帰る客を気にするのはバーテンダーの役目だからだ。
階段を昇る途中の僕はとても楽しい気持ちになっている。
僕が化粧の仕方から日本人だと推理した女性が
ドアに向かう途中で目に付いたのだ。
彼女は今では別の男と話している。流暢な日本語を彼女は発している。
僕の推理は当った様だ。
日本人の様な外見で性別は女性であると思われる人が
日本人女性の様な化粧をしていて
流量な日本語が話していたら、ほぼ彼女は日本人だろう。
推理が当るのは気分がいい。
僕が店を出る間際、彼女の言葉が僕の耳に入る。
彼女は別の男に向かって笑いながら言ったんだ。
わたしは、国籍はアメリカだから。
僕は微笑みそうになった。
外見的にあるいは遺伝子的に日本人的であっても
国籍が日本だとは限らないのだ。
彼女の両親が日本産まれの移民なのか、
両親の片方がアメリカ人で片方が日本人なのかは判らないけれど、
彼女はアメリカ人だったのだ。発言を信じればだけれども。
いわば彼女の化粧は、
日本人的なアメリカ人がした日本人女性のコスプレの様なものだったのだ。
僕は楽しい気持ちになる。
推理は当ると気分はいいけれど、楽しいのは推理が外れた時だ。
楽しくしてしかたがなくなってくる。
だから階段を昇るきり地上に出るまでには心を平常に戻そうとする。
せめて表情だけでもね。


途中で空が見える。
バーに入るまでは薄暗い青色だった空が、今は黒色。
周囲の建物から飛び出す白や青やピンクのネオンで彩られている。


歩道に出る。
一瞬で数多の通行人が僕の眼に飛び込んで来る。
悪そうな日本人、悪そうな黒人、悪そうな韓国人、
悪そうな中国人、悪そうな中東人、悪そうな白人。
悪そうな、悪そうな。悪そうな人々。
そしてほとんどの人が楽しそうで、
楽しそうにしている人々の半数が、寂しそうにもしている。
彼ら、彼女たち、あるいは性別の中間、または両方の人々を見ると
僕が居るのが東京の繁華街で、時間は夜だと言う事を意識させられる。
耳に様々な言葉が入って来る。
日本語、韓国語、ドイツ語、オランダ語、中国語風などこかの言葉。


僕の眼は「レッカー車」を探す。
歩道の先に彼の後ろ姿が見えた。
悪そうな人間に紛れて意気揚々と歩いている。
悪そうな「レッカー車」。
僕も繁華街を歩く悪そうな人間達と同化する。
とは言っても僕自身は悪そうな人間ではなくて
本当に悪い人間なのだけれど。
今までも夜の中で多くの法律に違反する事や
倫理に違反する事をして来た。
今日も違反をする事をする事になると思う。
僕は倫理と法に反する事しながらなんとか生きて来たんだ。
もしかして、街をあるく悪そうな人々も僕と同じで
本当に悪い人間なのかもしれないけれど。
ともかく僕は「レッカー車」の後を付ける。


「観葉植物」も移動を始めているだろう。



賑やかなディスカウントストアの横を通り過ぎる。
表には商品が歩道に出る勢いておかれている。
小型の自転車、小型の充電器、小型のマッサージ機。
安いTシャツ、ありふれた化粧品、僕たちの購買欲。
スピーカーからは流行の曲が大音量で流れている。
店の周囲を歩く僕たちの鼓膜を刺激する。
だけれど歌はない。歌手の声がない。
インストルメンタル、あるいはカラオケのバック。
僕たちの購買欲を刺激するのには
ポップな曲であっても歌詞は邪魔になってしまうらしい。


世界中のどこにでもあるコンビニの前を通り過ぎる。
ただし客層がどこにでもいる人々ではないのが面白い。
出勤前のホスト、ホステス、どこかの国の人々。
通りを進む。
茶店、ドーナッツ屋、またコンビニ。
全ての店が夜だと言うのに閉める気配はなく、
全ての店の上には立派なビルが乗っかっている。
ビルの中には居酒屋や水商売の店が入っている。
立ち話をしている連中、早々と酔って地面に座り込んでいるサラリーマン、
居酒屋の呼び込み、手を繋ぐ恋人達の前を通り過ぎる。
この先を曲がればラブホテルが数多くある通りに出る。
ホテルに「レッカー車」が入ったら面倒くさい事になる。
耳には騒音。音が高い騒音だ。
夜の繁華街では人々は浮つく。
興奮して語る言葉は上ずり、笑い声も普段より高くなる。
鼻孔の中では酒と埃と化粧と香水と嘔吐物のにおいが漂っている。


「レッカー車」は道を進む。
人々と騒音とにおいの間を上手くすり抜けて進む。
彼が夜の街に慣れている証拠だ。僕も進む。
全ての間をすり抜けて進む。僕も夜の街に慣れてしまったようだ。


途中で対向してやってくる黒髪の女と眼があった。
年は30は越えては居ないと思う。
安物のヘアケア用品を使う女子高生よりは髪は美しく、
美貌が収入に直結する水商売の女よりは髪は輝いてはいない。
化粧はほどほどに手を掛けていて着ている服の値段もきっとほどほどだ。
顔には僅かな微笑みを浮かべている。
彼女の笑顔はそこからのビルの上に展示されている看板に張り付いている
女優の笑顔よりも自然で広告には適さない笑顔だ。
だけれどそこらに立っている呼び込みの女たちの笑顔みたいに安っぽくはない。
もっとも彼女達の笑顔が悪い訳ではないのだけれど。
彼女達の笑顔は商品だ。
女優の笑顔は価格が高くないと広告には使用できない。
高い笑顔に価値と役割がある様に、安い笑顔にも価値と役割がある。
呼び込みの女の笑顔は安っぽくないと誰も彼女達を買おうとは思わない。
自分が使える端金で買えると思わない。
女性の笑顔には、きっと様々な意味と役割があるのだ。
黒髪の女は、服の上からでも分かる痩せぎすの身体でこちらに向かって来る。
そして僕の横を通り過ぎた。視線も離れる。
彼女は僕にとってただの通行者、
僕は彼女にとってただの通行者。
彼女の様な女性を見ると、
僕は不意に彼女たちを乱暴に犯している想像をしてしまう時がある。
細く白い腕を腕力と恐怖に物を言わせて力尽くで拉ぐ。
汗ばんだ頬に細い黒髪が張り付く。
衣服は中途半端に脱がされて、程よい色気の下着が剥がされる。
眼の端に涙を浮かべて、唇は震えている。
口からは悲しみと喘ぎを混ぜた声が聞こえて来る。
全ては僕の妄想だ。
僕はその度に、自分の中にある品性の下劣さを再確認させられる事になる。
生まれてこの方、女性に乱暴を働いた事はないだけれど。
ないからこそ、僕は自分の下劣さを
簡単には認めるに値しないやっかいな感情だと思っているのだろう。


「レッカー車」がラブホテル街の方に曲がった。
人通りが極端に少なくなる。
そして静かになる。
それはそうだろう、愛を囁くには周囲が静かでないといけない。
だから人ごみに紛れて彼を追跡するのが不可能になる。
僕の存在を気づかれない様に
「レッカー車」との距離を開けてゆっくりと行動する。
しかしやっかいだ。
ラブホテルは恋人と2人で利用する施設だ。
だけれど繁華街のラブホテルの大半は男1人でも利用できる。
1人でホテルに入る。
電話でデリバリーヘルスと称させる売春婦、コールガールを呼び出す。
彼女達に金を払って行為が終わったらすぐに部屋を開け払ってもいいし、
朝まで部屋で一人で凄しても良い。
だから繁華街のラブホテルにとって男の1人客は良い収入源になっている。
所が1人での利用を断るラブホテルも存在している。
理由は色々あるのだろうね。雰囲気を保つ為や、不審者対策。
「レッカー車」の後を付ける僕は正に不審者だ。
僕の様な存在を排除するための対策だ。
可能性は少ないけれど、彼がもしこの先で恋人と待ち合わせていたら。
ホテルの外で待ち合わせるタイプのコールガールを呼んでいたら。
そしてもし、2人でしか利用できないタイプのホテルに入室したら。
僕は彼がどの部屋を誰と使ったのかを記録しないといけない。
だから彼が1人でホテルに入ったら僕も1人でホテルに入るし
2人用のホテルを使うならば僕も2人でホテルを使う。
僕はカップルを装う為に「観葉植物」を呼ぶ事になる。
そして「レッカー車」がホテルの何号室を誰と
どの様な様子で使用したかを出来る限り記録する。
それからホテルの外で出入り口を見張る緊急の応援を呼ぶ事になる。
彼がホテルを出た事を確認するためにだ。
依頼者は仕事に関わる人間が増える事を望んではいない。
だから出来る限り少人数で済ませたいという訳。
僕が1人でホテル入る場合は、出入り口の見張り役は「観葉植物」が担当する。
この場合は仕事に関わる人数は増えない。
僕と「観葉植物」の2人だけという訳。
さっきまで「レッカー車」と僕がいたバーと同じだ。


僕がこれからの事体を予想し頭を整理している間に
「レッカー車」は道を曲がる。ホテル街から外れていく。
予想は外れた。厄介事が1つ遠ざかった。喜ぶべき事だ。
彼の進む道の先には、風俗街がある。
通りを歩く人が増えていく。周囲が騒がしくなっていく。
なぜホテル街と風俗街は同じ性を扱う商売を生業としているのに、
こうも雰囲気が違うのか。
静と動。陰と陽だ。風俗街が動で陽だ。
愛を囁くのがホテルで、愛を売り買いするのが性風俗のはずなのに、
あっけらかんと陽気な雰囲気を放出しているのは後者の方だ。
いや、当り前か。愛なんて大抵が暗くて静かで陰気なものだ。
一方では陽気な雰囲気でないと愛や身体を金で買うのを躊躇う男は多そうだ。
きっと女性も同じだろう。
陽気と言う言葉を言い替えばドライという事だ。
乾燥した砂は肌に付いても手の平で簡単に落とす事が出来る。
だけれど愛はいつでもウェットで
身体を洗剤で洗っても感触と匂いが落ちる事は無い。
僕は彼の後を付ける。そして僕は頭を抱えそうになる。


「レッカー車」が風俗街の1つの店、
ピンクサロンに入店するのを確認したからだ。




他の店よりマシだろうと僕は思い直す。
思い直した事で、頭を抱えずに済んだという訳。
店は雑居ビルの地下にある様だ。
細長い階段が地中に伸びる。仄かな闇の中に続いている様に見える。
「レッカー車」がピンクサロンに入店したのを確認してから、
僕は階段を降りる。
店の入り口に近づいた。
風俗街で1人男が立っているのは目立つ。
客引きや路上に立つ売春婦の格好の的だからね。
風俗街にやって来た普通の男ならば突っ立っていても良いのだろうけれど、
僕は普通の男である事を求められていないので動かないといけない。
依頼者が求めているのは出来る限り完璧な報告だ。
今夜「レッカー車」が誰と何をいつしたのかを聴きたがっている。
だから僕にいま求められている事は普通の男の役割じゃない。
具体的には待つ事ではなく進む事だね。



性風俗の店には様々な形体があり
客の多様な趣向に合わせたサービスを提供している。
ソープランド、イメージクラブ、デリバリーヘルス、
ハプニングバーピンクサロン
同性愛者向けの店やSM趣味の店
その他諸々あまり一般的ではない性的趣向を扱う店、
水商売と言われる様なキャバクラ、
キャバクラから発展したもう少し刺激的な店を含めれば種類はもっとある。
中でもピンクサロンは尾行や追跡、
身辺の調査には向いている形式を持っている風俗店だ。
ソープランド、イメージクラブでは客と女性従業員が
一対一で店舗に設置された個室に入る。
個室にはシャワーがある、ベッドがある。料金支払済の性交の開始だ。
デリバリーヘルスでは客はホテルを使用する。
自分で選んだホテルで女性従業員からサービスを受ける。
つまりコールガールの事だ。
どちらも個室を使用するのだから、
盗聴器や隠しカメラでも使わないと対象が誰と何をしているのかは判り難い。
そしていつどのホテルを使うかは分からないし、
風俗店に仕掛けをする事は従業員でもない限りほぼ不可能だ。
ハプニングバーは客同士の性的な行為を斡旋する形式の店なんだ。
それも見知らぬ客同士のね。
だから追うべき対象と追っている僕たちが同じ店に入るなどはありえない。
もし対象者とセックスでもする事になろうものならば、
こちらの顔も体格も知られてしまい尾行も調査も難しいものとなる。
それについうっかりと互いの間に情愛が生まれたら仕事に支障をきたすし。
だけれど、ピンクサロンなら追跡や調査が楽にはなる。
だから少しばかりだけど安心する事は出来るよ。




僕は店に入る。
自動ドアが開く。進む。通路の角を曲がると受付が見える。
僕は直ぐさまな角に身を潜めた。
受付では「レッカー車」と店員が話をしていたからだ。
サービスプランの選択と料金の支払いだ。
風俗店というのはほぼ全ての店が前払い制だからね。
返品が効かない物を売り物にしているからだろう。


僕は潜みながら集中して耳を澄ます。
彼が指名する女性従業員の名前を聴きたい。
街中と違って、受付の手前で立ち止る事は特に目立つ行動ではない。
風俗店を利用している男たちの多くが、自分の顔を他の客に見られる事も、
他の客の顔を見る事も嫌がるからだ。もちろん会話をする事もね。
勿論例外はある訳だけれど。
ともかく受付に客がいるならば、
彼らと顔を合わせない様に手前で立ち止まるのも気使いの1つという訳。
実際の僕がしている事は
相手のプライバシーに配慮する気使いとは正反対の追跡と調査なのだけれど。
でも僕の事を見た男たちは気の効いている奴と勘違いをするはずさ。


残念ながら「レッカー車」が
どの従業員をお相手として指名したのかは聴き取れなかった。
判れば調査報告がより完璧になるので知りたい所なのだけれど。
店内でなんとか情報を得る機会をうかがう事にする。


彼が受付から去り待合室に向かったのを見計らって、
僕は受付に進む。
受付には男が立っている。
黒のスラックスと白いワイシャツ、ワイシャツの上に黒いベストを纏っている。
髪は茶色で短く整えている。
風俗店の店員やホストと言えば長髪だった時代があった。
しかしもう昔の話になってしまった。
耳に付けたピアスを揺らして若者が微笑む。
高級レストランのギャルソンとしてだって通じそうな笑顔だった。
笑っているが控えめで。礼儀正しいが親しみ易い笑顔。


いらっしゃいませ
やぁ
ご予約をされていますか
いいや
当店の利用は始めでしょうか?
そうだね、俺は、初めてだね
わかりました


若者は笑顔のまま棚から何かを引きぬいた。
印刷物にラミネート加工がしてある。
彼は指で指しながら説明を始める。
こちらが当店のシステムです
全てセットになってるのでオプションなどはありません
現在の時間はこちらの料金になっています
指名料は2000円です
指名をされないフリーの場合は
当店がお客様を担当するキャストを選ばさして頂きます
指名したキャストが接客中の場合は、しばらくお待ち頂く事になります
あまり時間を掛けたくない場合はフリーの方が良いかもしれません
当店のキャストはみんな可愛い娘ばかりですから
現在、指名できるのはこの娘たちです


若者は淀み無く台詞を言い終える。
何枚かの写真を台の上に持ち出して、
僕が見え易い様に写真の女たちの顔と身体を並べた。
なるほどね
僕は頷いて考える振りをする。
考えているのはもちろん「レッカー車」の事だ。
「レッカー車」は誰かを指名しただろうか?
理想的な状況を考える。
一番良いのは彼が従業員から接客を受けるべく部屋に移動して
後に僕も移動する状況だ。状況としては今までと一緒。
僕が彼の後ろを付けて街中を歩いているのと同じ事だ。
だから上手く行けばこちらの存在をあまり知らせずに
一方的に彼の事を観察できる。
僕は悩む振りをして、若者に質問をする。


フリーの方が待たずに楽しめるんだよね
俺の前にお客さんがいたけど、あの人もフリー?
そうだったら俺の方が後になるよね?結構待つの?
いえ、先程のお客様はキャストをご指名下さいました
「レッカー車」にはお気に入りの従業員がいる様だ。
彼はいま待合室でお気に入りの娘を待っている。
お気に入りの娘が別の客のペニスをしゃぶり終わるのを待っている。


若者は帳簿の様な物を手に取って確認している。
フリーを選択されますと
フリーのキャスト待ちとしてはお客様が一番目になりますね
ですが、現在キャストは全員接客中ですので
少々ですが待合室でお待ち頂く事になります
僕は考えた。誰かを指名したら運が悪いと大分待つ事になりそうだ。
そっか、判った。じゃあ俺はフリーでいいよ
この店は初めてだし、良い娘に当るといいなあ
若者は笑った。大丈夫です、お任せ下さい
上手くいけば理想的な状況になるだろう。


ピンクサロン性風俗店の1つだけれど性交はない。
客は従業の口や手を使った技術で射精に導かれる。
従業員は客のペニスを握ってしゃぶって
射精させて精液を蒸しタオルに吐き出して口元を拭う。
口内を消毒液ですすいで身体を拭いて衣装を着直して再び別の客の前に現れる。
休憩時間を除いて指名する客やフリーの客が居なくなるまで
以上を勤務時間のあいだ繰り返す。


では指名なしフリー、19時以降ですので8000円を頂戴します
僕は鞄から財布を取り出して紙幣を1枚トレイに乗せた。
8000円の風俗店。8000円分の欲望。
8000円分の勃起。8000円分の射精。
性交をする事もあるソープランド
デリバリーヘルスよりも安くてとても効率的な商売。
若者からお釣りの2000円を受け取って財布にしまう。
効率的な分、他の性風俗より罪深い様に思える。
擬似的な愛や温もりの交換よりも、射精する事に重点が置かれている。
旧約聖書に登場するオナンが見たらびっくりするだろうね。
そしてアブラハムの神がいるのならば、
ソドムとゴモラの街の次に灰にしたくなる場所だろう。



待合室に進む。
女性従業員が他の客にサービスをし終えるまで男たちが待機する場所だね。
薄暗い照明は仄かな暖かいオレンジ色。
清潔な室内。アイボリーとベージュを中心としたインテリア。
風俗店の待合室は大抵が清潔だ。
客が男ばかりの居酒屋やバー、あるいは飲食店よりはるかに清潔だ。
あるいはそこらのラブホテルよりも清掃が行き届いているかもしれない。
愛を語らう場所で汚い物を見るのは寛容できるけど、
愛を買う場所で汚い物をみるのは
あまり耐えられる物じゃないからだろうと思う。
今の様に仕事でいくつかの風俗店に入った事があるけれど、
どこもどの場所も清潔だった。


さて、待合室で「レッカー車」と顔を合わす事になるかもしれない。
上手く僕の顔を印象づけない様にしないといけない。
だけれど、僕は運が良いみたいだ。
待合室には幾つかのソファーや椅子がある。
「レッカー車」は入り口に背を向けているソファーを選択して座っていた。
彼と顔を合わせずに済んだ様だ。
僕はゆっくりと目立たない様に歩く。
「レッカー車」と背を合わせる様にして座る。
座っていると店員がやって来た。
先程の若者より幾ばくか年を重ねた店員だ。
少々疲れた顔をしている。
元気な店員より、少し位くたびれている店員の方が信頼できると思ってしまう。
原因はきっと僕がもう若者ではないからなのだろうと思う。
くたびれた店員は飲みの物の無料サービスがございますと言った。
僕は「レッカー車」を追う事ですっかり喉が渇いていた。
コーラなどの炭酸も頼める様だけれど、ウーロン茶を選択する。
すぐさま店員が缶に入ったウーロン茶とコップ、
袋で密封されたストローを持って来た。
夜の店で缶入りの飲料が出てくる事は
決してサービスが悪い事を表しているのではない。
缶詰は未開封開封済みかを簡単に判断できる。
つまり未開封ならば怪しい物も混入されていないし、
中身を入れ替えられてもいないという訳。
海外のバーでも現地の物ではないビールを頼むと
缶に入ったまま出て来る事が多い。
特に日本のビールや、アメリカのビールを頼むと缶のまま提供される。
コップと共に出されて、自分で注いで下さいというスタイルだ。
手酌があまり良い物ではないとされている日本では見かけない光景だ。
中身を現地の安いビールなどには入れ替えていませんという証明のためだ。
だから缶のまま出される事は一種のサービスなのだけれど、
サービスを理解しない人がたまに居て不満を漏らす事があるらしい。
海外のバーでも、風俗店の待合室でも。


コップの中のウーロン茶をストローで吸う。
壁の向こうから騒がしい音楽が聞こえてくる。
女性従業員から客がサービスを提供されるプレイルームで流れている音楽だ。
風俗店でもキャバクラでも同じだ。
この手の店で掛かるのはなぜ安っぽい一昔前のテクノばかりなのだろう?


ウーロン茶で喉が潤う。少しリラックス。
観察するべき対象がすぐ後ろにいるので油断は出来ないのだけど。
慎重に彼の事を観察する。今は店が用意した雑誌を読んでいるらしい。
そういえば、待合室での飲み物のサービスは
ソープランドとか比較的お金の掛かる商売での物ばかりだと思っていた。
不況の影響で客は減少、減少した客の取り合い、
サービスの強化といった所かな。
いや、逆だよな。風俗街の客足は少なくなるどころか増えている。
不況だから、風俗街は賑わう。深刻な不況になるまではね。
客は増えているから、サービスを厚くして客を取り合う。
不況だったらサービスの強化なんて出来ない。
出来るとしたら料金を割り引いて、
割り引いた分は従業員の給料を減らす事くらいだろうね。
あっという間に不景気の渦の完成だ。
飲み物のサービスは何かを割り引く事じゃなくて付け足す事だ。
余計な金が掛かる事だ。
店員が礼儀正しく丁重なのも1つの証拠だ。教育が行き届いている。
しっかりと研修をしているのかもしれない。
経営が厳しくなると研修もろくに出来なくなる物だ。
研修にも金は掛かるものね。


男たちの金が適度に無くなると、風俗店が繁盛する様になるという事だよ。
適度と言うのは食うのには困らない程度の不況と言うこと。



まったく。男という存在が嫌になる。
僕も含めて男共は男女間の愛に対してドライ過ぎる傾向がある。
恋愛をするのにはお金はかかる。
だから男たちは自分の持ち金が少なくなると
恋愛よりも風俗を楽しむようになる。
風俗の方が恋愛に比べて遥かにやすい金で愛情を体験できるからだろう。
お金が結果的に掛かってしまうのが恋愛で、
男女の間にあからさまにお金を介入させるのが性風俗だ。
金銭の関わり方は違うのに、男たちは2つをあまり区別しない。
だから得る事の出来る愛情も区別はしない。
あるいは区別する事が出来ない。愛情の差異化ができない。
僕はとても嫌な気持ちになる。
僕が一番嫌な気持ちになるのは、
恋愛に金が掛かる事を男たちが本質的に本能的に理解してしまっている所だ。
だから彼らは恋愛にドライすぎるんだ。
愛よりも金を優先するドライさだ。


愛は金で買えるというやつだね。
恋愛とお金については男たちも
女性の様にもう少しウェットになれれば良いと僕は兼ねてから思っている。
愛はお金で買えると宣言したり囁いたり雑談の話題にするのは常に女性たちである事を考えてみれば良い。
男で堂々と言ったのは現代では堀江貴文くらいじゃないかな。
彼は証券取引法違反事件で逮捕される以前は高層ビルの上階に住んでいた。
ステータス、トロフィー、通勤にもっとも便利な住居。
なにせ彼が経営していた会社は同じビルの階下にあったのだから。
現在は前科者になってしまったので、
ビルからは追い出されてしまった様だけれどね。
当時の彼曰く、
自宅から見える都会のきらびやかな夜景を見た女で落ちない女はいなかった。
金で愛が買える証明さという事らしい。
福岡県は高級緑茶の名産地、
自然豊かな八女市の出身、子供の頃からコンピューターが大好きで
後に上京して情報技術の分野で起業して社会的に出世した彼。
愛と金について堂々と言ってしまったのだから
堀江貴文も女性的な人だと言える。
なんせ、愛は金で買える事を男たちは本能的に知っているのだから。
言うまでもない事なんだ。
腹が減ると食物を食べたくなる、食物を食べると腹が一杯になる。
同じ事だ。当り前で、わざわざ話す必要も無い内容という訳。
だからお金に関わらない愛があった時に男たちは驚き喜び、話題にする。
対して女性はお金と恋愛の相互的な影響について良く話しをする。
時して同性の友達と食事やお茶やアルコールを楽しむ際の話題として、
時として雑誌に書かれ、時としてインターネットの掲示版などで論じ、
時として世の中に宣言する様に愛は金で買えるのだ言い切ろうとする。
お金で自らの愛を買われる事になるかもしれない彼女たち、
または既にお金で愛を買われた彼女たち。
彼女たちは今いち本能的には納得しかねる事を
確認し合い確信を得ようとしている様だ。
彼女たちは男の金が、男女間の愛に対して
有効に適切に作用した結果を見聞きした時に満足した表情を浮かべる。
一方で男共は彼女たちを冷めた目線で観察している。
なんで当り前すぎる事を話しているんだい?
なんで当り前な事で興奮しているんだい?


僕は嫌になる。男という存在がね。
愛は金で買える事を本能的に理解するのではなく、
女性の様に確信を得ようとする程度には迷い悩めば良いのに。
男たちが女性の様に愛と金の関係について
もう少しだけでも面白く話をする様になればいいのに。
男が愛に対してドライじゃなくて、もう少しウェットになってくれるのが
僕の希望だね。



ウーロン茶を飲み終えた所で、僕の目の前のソファーに男が座る。
動作からしてトイレから出て来た様だ。
僕は彼の顔をこっそりと見て驚いた。彼も驚いている。
風俗店の待合室では客同士が会話をする事はない。例外はある。
僕の前に例外がいる。知り合いと出くわした時だ。


「レッカー車」が僕の座っているソファーを選択しなかった訳が良く分かった。
目の前に彼が居るのはあまり落ち着くものでもないだろう。


僕の知り合い。僕は彼の知り合い。
彼は僕の横に移動してにやりと笑った。
青緑の綺麗な瞳が微笑み、金色の髪の毛が揺れた。
彼は赤いネクタイを緩めた。


僕の知り合い。僕は彼の知り合い。
彼は僕の横に移動してにやりと笑った。
青緑の綺麗な瞳が微笑み、長い金色の髪の毛が揺れた。
彼は赤いネクタイを緩めた。




ツイードで出来た高級そうなスーツに綺麗なネクタイが良く似合っている。
正確に言うと彼の端整な顔と縦に長い痩身に
高級そうなスーツとネクタイが似合っている。
より完璧に表現するのならば、
スーツとネクタイは高級そうではなくて確実に高級な物だろう。


僕の横に座って足を組んだ彼。彼は無言のまま僕に微笑みを投げかけている。
顎から頬に伸びる綺麗に整えた髭が似合っている。髪も金色ならば髭も金色だ。
二つ折りする様に後頭部で結わいた金髪。照明を反射する。
背もたれに片方の肘を乗せる。爪先まで綺麗に磨かれた指が揺れる。
堂に入った動作だ。
男性専用の高級な美容エステサロンでは顔や身体を磨くだけでなく、
爪先まで面倒を見てくれるのだろう。そして高級なハンドクリーム。
彼は洋服屋に勤めている。
都内の繁華街、一等地にある高級デパート。
正しく言うとデパートがあるから地価が高くなっているのだけれどね。
デパートの5階。5階にある紳士服売り場。
誰もが名前くらいは聞いた事のある海外の紳士服ブランド。
店員を勤めているのが彼だ。
彼は僕よりも1回りほど年上だ。たまに2人で酒を飲む事がある。
飲み仲間、あるいは悪友という分類に入る人間の関係だ。
まったく、仕事中に知り合いに会うなんて。
とても良くない事だ。


やぁ
やぁ久しぶりだね、最近私の店に来てくれないじゃないか
そうだね、でも俺だっていそがしいんだよ


彼は自分の職場を私の店と呼ぶ。
彼が店長の様なものを勤めているから、
職場を自分の店と呼ぶ権利があるという事らしい。
以前一緒に飲んだ時に、
僕の疑問に彼は溜め息と笑顔を交えながらつぶやいていた。
店長のようなものってどういうことよ?
君は知らない様だけれどアパレルの人事配属は複雑なのさ



彼曰く、元々は私は本社で働いていた。
ひょんな事から日本に派遣された。
ひょんな事という日本語を使いこなすのだから彼の言語能力は相当な物だ。
彼の勤める会社の本社はフランスにある。
だから彼はフランス人かイタリア人かスイス人かドイツ人だろう。
なにせ彼の国々は海で隔てられてはいないのだから。
日本の様に韓国や中国やベトナムと海で断絶されている訳ではないという訳。
もしかして、彼がイギリス人の可能性だってあるわけだけれど。
ともかく僕は彼の出身国を尋ねた事は無い、彼も僕の職業を尋ねない。
彼は僕達の事を丁度良い塩梅の関係だと評する。
塩梅と言う日本語も彼は使いこなす。梅干しは嫌いという事だけれどね。
彼の販売員としての実力は本物で、結果として僕たちの関係がある。
今現在さり気なく僕の隣に座っている彼。
彼が自然に見える笑みを浮かべているのも実力の1つ。
販売業では客の目の前に立ち塞がって向かい合って会話をする事はありえない。
隣に立つ事が客の警戒や緊張を解きほぐす。
人間の立ち位置は精神的な関係を直接表す。
向かい合う事は対立する事、横に並ぶ事は協力する事だと彼が言った事がある。
僕は人に何かを売りつける事に関しては詳しくない。
けれど彼の言う事は本当なのだろう。
なんせ僕と彼の関係は初め、普通の客と店員だったのだから。
気が付いたら飲み友達で悪友だ。彼の術中にはまっている。


彼の長い金髪を見ながら僕は考えている。
なんだって彼がピンクサロンなんていう安上がりな風俗店にいるんだろう?
あなたの給料だったらもっと良い遊び方はできるだろうに。
まあ女好きなのは散々聞かされてはきたけれど。


俺は今こんな事を思ったよ、珍しい所であったね
私も同じ事を思っていたよ
俺の疑問を聞いてくれるかな?
なんだい
なんであなたがこんな場所に?
私が女の子の事を好きだからだよ
俺だってそれ位は知っているつもりだよ
私も訊くけどなんで君がここに


僕は後ろを振り返りたくて仕方がなくなっている。
「レッカー車」は今も雑誌を読んでいるだろうか?
背中に伝わる雰囲気から彼が僕たちの会話に耳をそばだてているのが判る。
店員、はやく「レッカー車」を快楽の園に連れていってくれないか。
僕は目眩を感じる。感じながらも隣で微笑む金髪の友人と会話を進める。


俺が男だからだよ、たまには遊びたくもなるだろう
じゃあ私もおなじ
俺はさ、あなただったらもっと金が掛かる風俗にいけるでしょ?って訊いてるの
青年、それは私に欧米のブロンド女と日本の黒髪の女性どっちが良い?と
尋ねているのと同じ事だよ
あなたの言い分はわかった、だけれど俺の心に反論が生まれたよ
まず1つ、俺は四捨五入したら40歳だよ、だから青年ではない
次、女性の好みは人それぞれだろう、たとえば俺にだって好みはあるよ
私ははもう50近いし、50近いおっさんから見たら君は青年だよ
そして私は女性を区別しないよ、ブロンドも黒髪も素敵だし、
ピンサロも高級ソープランドも良いものだよ
ちゃんというと、ピンサロで働く女の子もソープで働く女の子も
それぞれに違ってそれぞれが可愛いじゃん
私が言っているのはそういうこと


僕は思わず笑ってしまう。きっと苦笑いとかそういう笑顔。
相変わらず彼は日本語を正確に扱う。
”じゃん”という言葉も彼の得意な崩れた日本語の1つだ。
そしてやっと待合室に店員がやってきた。
やっとというのは、僕が友人と偶然出会ってしまってからの時間、
実際は僅かな時間をとても長く感じていたからだ。
店員が「レッカー車」をプレイルームに案内する。
「レッカー車」は店員と話をしながら隣の部屋に消えていった。
よかった僕の事など気にしていない。
それはそうか。大抵の男性にとっては見知らぬ男どものヨタ話よりも、
これから戯れるお気に入りの女の子の方が大切だろう。
あとは彼が向かった部屋の中で、僕が良い位置に座れればいい。
彼と彼のお気に入りの娘の観察がし易くなる。
僕がどこに座るのか、
僕の担当従業員が誰になるかは段取りは店員が決めるので、
後の展開に関しては僕は祈る事しか出来ないけれど。
店員に呼ばれるのを待ちながら、僕は友人との会話を続けた。



俺にはあなたの言葉が
答えになっているのかなっていないのかよく分らないよ
そう?私的にはなっているとおもっているけれど
あなたの言葉は
遊べるならどんな女でも良いって事にも受け取る事ができるよ?
私にだって気分はあるね
気分ね
人には機微があるからね機微とは人の心の細かな揺れ動きや移り変わりの事だよ
勉強になったよ、まさか風俗の待合室で
友人から日本語を教わるとは思わなかったよ、俺は
人生とは不思議な物だね
まったくだよ、あと機微という言葉は
趣という風流な意味も持っているから覚えておくと良いよ
なるほど、私も参考になるね
でも風流という言葉は元々は派手な装飾や
様式を表す言葉だからいま使うのは不適切だよ
そうかい、また勉強になったよ、だけれど風流という言葉の成り立ちを
更に巡ると万葉集に辿り着く
万葉集では風流とは自然を感じ楽しむ人々の事を意味していているんだよ
へぇ、じゃあ万葉集では風流を"みやび"と読んで遊子
遊び人の事も意味していたのも知っているのだろうね?
ああ、風流士では紳士という意味になる事も知っているよ


僕と彼は互いの瞳を覗きんで今まで以上に微笑む事になった。


私は君の様な友人が持つ事が出来て幸せだね
俺も同じだよ
日本には昔から紳士が居たのだね、万葉集は風流だね
そうだね、日本には昔から遊び人が居たんだね
万葉集には機微が籠められている


とても無駄な言い合いだったね。


所で、あなたはブロンドも黒髪も大好きだって?
ああ、私はそう言ったよね
でもあなたが連れているのはいつでも日本人女性ばかりじゃないか
それも黒髪か大人しい栗色の髪の毛の女性
あとボウズ頭の女の子とも歩いていたよね
それに変なドレスを着ている娘ともお茶を飲んでいた
君は私の事に詳しいね
あなたは街中で目立つんだよ
なるほど、では君の疑問にお応えするよ
折角日本にいるんだし、現地の娘と遊びたいじゃないか
それだけ?
そんな所だね
あなたの職場は紳士服販売店だろう、出会いも少ないだろうによくやるよ
誉めてくれて嬉しいけれど、私の職場にも出会いはあるよ
どこに?
彼氏や旦那さんと一緒にやって来た彼女や奥さんとか
おーい
それにこっそり1人で彼へのプレゼントを買いに来た女性とか
まーじか
ほんとほんと、日本人の女性は私がピカチューピカチュー言っていれば
結構簡単に落ちるから
あなたさぁ、楽しい話をしていると思っているだろうけれど
そういう話を聞かされてる方はまったく楽しくない
不快だって事にいい加減に気づきな?
気づいてる、気づいてる、日本人の女性は不思議と可愛がりやすいんだよなぁ
ゴミだね
ははは
欧州のゴミ虫代表だね
ははは
ゴミ虫サッカーワールドカップが開催されたら
あなたはゴミ虫に蹴り回されるボールだよ
ははは


彼は笑う。
笑い過ぎて青緑の瞳から零れ落ちそうになった雫を細長い指先で拭った。
彼の動作に僕も愉快な気分になって来た。


そんなに怒らないで、お詫びにどんな女性でも落とす方法を教えるから
俺はそんな事は知りたくもないよ
格好付けた事を言うね、君は
あなたから見たらどんな女性でも安く見えるのだろうね
俺は女性は常に一定以上の価値を持っている存在だと思っていたいんだよね
私からも別に安くは見えてはいないけれどね
けれど相手や自分自身の価値を
高く見積もり過ぎる事は男女共に不幸を呼ぶ行為だよ思うよ
でも不幸だって自由じゃないか
それもそうだね


彼が今までと違う笑みを浮かべる。
僕には反論が思いつかない。


それで?
なに?
あなたはブロンドと黒髪の女性、どちらが好きなの?
私が答えをはぐらかしていたのは実は
君がした質問への返答がとても難しいと感じているからなんだ
自分の好みくらい分かるでしょ?あなたは洋服の販売員なんだし
うーん悩むね
まだ悩むんだ
ブロンドの女性と黒髪の女性、かなり悩むけど私だったらすき焼きかな
すき焼き?
うん、私はお腹が減って来たよ
性欲も発散したからね、その後で尿意も解消したし
なんて話だ
最近の東京では外国人でも簡単にすき焼きが食べられる店が増えたから嬉しいよ


彼は僕の横から立ち上がった。
背筋を伸ばす。話は終わりという事らしい。
ちょうどよかった僕も彼との話を終わらしたかったからねまったく。


ああ、そうだ
何だい?
君はフリーなの?それとも誰かキャストを指名したの?
フリーだよ
じゃあ私を担当した女の子が君のお相手をするんじゃないか
俺にはそれは厳しすぎる
笑えるよ、おめでとう
目出度くはないね
大丈夫、彼女の外見と技術と仕事への情熱は保証する


僕は彼に対して、自分は仕事でこの店に来たのだと告白したくなってくる。
告白は業務上許される事ではないけれど。
それに告白した事が「観葉植物」に知られたらとんでもない事になる。
「暖房器具」が鉄くずにされてしまう。


俺は時々津々と感じる事があるよ
男女の中、そして男同士の関係は残酷で複雑だと
今の君は仲間と1人の女性を取り合う大学生みたいな発言をしたよ
なんだいそれは?
良くあるじゃないか
大学生くらいのまだ幼い男の子たちが1人の女性に恋をして
結果として彼らの友情が壊れる事が
ああ
君も良い年齢なんだからさ
そんな幼い男の子たちの様な事を言っていてはダメだよ
ダメかな
ああいう希有な事体は全員の男振りが悪いから起こる事なんだよ
どういう訳だい
男振りが良かったら速攻で誰かが彼女の心をかっ攫うだろう
さっきから珍しい日本語を使うね、あなたは
かっ攫う男が居ない程度の集団なら、彼らは仲良くなるだろうね
仲良くなるかね
なるよ、同じ女を愛する男同士だ、仲良くなれないわけがないよ
それに1人の男が彼女をかっ攫えないなら
全員で彼女を共有してもいいのだし
俺は今とても下品な発言を聞いた様に感じるのだけれど
更に男振りが悪い集団だと共謀して女性を追い出す事になるだろうね
あなたの発言はライオンのメスや
アナタハン事件の事を踏まえての物に聞こえるよ
私が思う男振りが少ないと起こる最悪の事体が男同士の喧嘩や殺し合いだよ
君の発言はその一種類に聴こえたよ
なるほど
大人の男からすると幼い男は見ているだけでつらい
だから気を付けた方が良いよ
ご注意とご忠告をありがとうございます、兄弟


僕は目を細めながら彼の腹部に向かってジャブを放つ。
彼は僕の拳を手の平で受け止める。


まったく、俺たちはなんでこんな所で
男同士で女性についての話をしているのだろう?
男たちが女性の事が好きだからさ、いつでもどこでも男は女の事を話している
俺を一緒にしないでくれ
同じだよ


僕は無音の柏手を打ってから両方の手の平を空に向けた。
肩をすくめる。


ははは
じゃあ私は行くよ、楽しんでくれ


僕と彼はまた飲もうと約束をしてから別れた。





会話の区切りに合わせた様に店員が現れる。
準備が整ったという事らしい。
僕は席から腰を上げて通路を歩いて行く。
薄暗い道を店員に先導されている。
小さな照明、清潔な廊下、曲り角に置かれた観葉植物。


別室に辿り着く。喧しい音楽。
指定されたソファに腰を下ろす。
もたれると身体が沈んでいく。
2人が座る事の出来るだけの幅。
店員はもうしばらくお待ち下さいと言う。
僕の前から去る。
黒のベスト、スラックス、白いシャツを纏った体が何処かに消える。


部屋は仄かに明るい。
どんな商売でもそうだけれど業務を行う為には
一応は法律を守らなくてはいけない。
労働法や環境法や自治行政によって定められた条例の事だね。
性風俗業の場合重要なのは風営法だ。
風営法は名称の通り風俗店や類する商いの行いを取り締まっている。
キャバクラ、ホストクラブ、ソープランド、もちろんピンクサロンも。
それぞれに守るべき規則がある。
法によって個室の有無や、室内の明るさまで事細かに決められている。
規則を程々に破る程度では問題にはならない。
けれど規則を破っている事をお上が問題にしたら廃業。
悪くすると経営者や従業員の逮捕となる。
お上とは警察や消防の機関の事だね。
警察官や消防団員、
中でもスーツを着て職務をこなす人々からは度々話を聞く。
風俗店が行う地域に対する治安と安全の強化、理解への努力の話をね。
つまり彼らに対する接待の話。
性風俗業は、お上と仲良くしないとやっていけない商売だと言う訳。
儲けを得る為ならばどんな事でもする商売と言う事も出来るけれどね。
儲けの為ならば警察とだって仲良くするのが
性風俗を扱う商売を続ける秘訣と言う事らしい。
食事、贈物、割引サービス、時には人気の女性従業員を無料であてがう。


ピンクサロンには個室がない。
個室がある風俗店は新規営業の許可が下り難い。
個室があると言う事は店内で
通常より性的なサービスが提供されている事を意味しているからだ。
自分が住む街で売春宿が出来て喜ぶ人はあまりいないだろうからね。
ピンクサロンの室内は程々に明るい。
照明の光度を絞る風俗店の営業の許可もなかなか下りない。
理由は個室の有無と大体同じだね。
ともかくお上に申請、許可された営業形体がある。
ならばお上の顔を潰さない程度には規則を守らないといけないという訳。
信頼、面子、治安、相互理解。


広い部屋の中に幾つものソファーが置かれている。
幾つもの男が座り、幾つもの女の身体が絡んでいる。
幾つもの嬌声が聴こえる。幾つものにおいがする。
幾つもの汗、香水、精液、消毒席、整髪料、紙幣、アドレナリン。
騒がしい音楽の上に乗って僕の耳と目と鼻と皮膚に飛び込んで来る。
天井からはカーテンと呼ぶには薄く透明すぎる布が垂れ下がっている。
レースだ。紫、青、赤、橙、黄色の幾重のレースが
男女と男女の間を仕切っている。
赤いカーペット、黒い壁、中古のスピーカー、安い音楽。
微笑み、放心、愛想、倦怠、喜び、空虚。


紫のレースの向こうに「レッカー車」が見えた。
僕が見ているのは彼の後頭部だ。
彼の後ろ。良い位置だ。
僕は彼の事を観察できて、彼は僕の事が見えない。
表情は見えない。彼らの会話は聴こえない。
蠢く頭、揺れる肩、手首、指、髪、体毛、毛穴、
毛細血管、血液、神経伝達物質、β-エンドルフィン、快楽。


僕は自分の仕事運の良さに気を良くする。
すると人影が見える。影は僕の方に歩みを向けている。
女性がやってくる。僕の元に。
従業員、キャスト、風俗嬢、ピンサロ嬢、口、女性器。


女が歩く。腰を揺らす。手首にはカゴ。
中身は、幾つものタオル、ローション、ウェットティッシュ
笑顔。視線。彼女が僕の事を見つける。目が合う。
ハイヒールが鳴る音。髪を掻き上げる仕草。
僕の前に到着する。腰を屈める。


僕。男性。彼女。女性。性別。
彼女の微笑み。僕の微笑み。
髪の毛。衣服。タンクトップ。ショートパンツ。
肉体。胸。細い腰。脚。太もも。素肌。脚の付根。
きっと下着は付けていない。上下両方。
20代前半。
口紅。アイシャドウ。つけ睫毛。接着剤。ファンデーション。
よろしく。挨拶。隣に座る。
髪の匂い。身体のにおい。
体温。視線。発話。口。話。僕。君。
会話の始まり。


やぁ
初めまして、リナです、お兄さんはこのお店始めて?
そうだね俺は始めて、すごい、風俗嬢と客との会話みたいだ
あはは、だってわたし風俗嬢だよ、それとももっと清純にみえる?
俺は思うよ、
金髪のメッシュを入れている娘は外見的には清純とは言えないんじゃないかって
えー、この髪、わたしのお気に入り
内面は清純なのかもしれないけれどさ
そうだよ、わたし可愛いもの好きだもん
残念だけど可愛い物と清純は関係ないよ
えー、ちょっとー
髪型と色はリナちゃんに似合ってるとは思うけどさ
そうでしょ!
だってわたしのお気に入りだもの、こういう髪、小さな頃から憧れていたんだ
うん、可愛いよ
ありがとう、あ、リナって呼び捨てで良いよ
わかった
お兄さんフリーだけどわたしの外見は気に入ってくれた?
そうだね、マンモスみたいのが来たらどうしようかと思ったけれど、
俺は当たりを引いた見たいだね
じゃあ褒めてくれて嬉しいからチューするね


ごめん痛い
あん、ごめんねっ
いやごめん、俺この間、歯の治療をしたばっかりなんだけどさ
えー虫歯?
大丈夫、神経をちょいと抜いたんだよ
じゃあ敏感になってるのかな?
だね、治ったんだけどまだ痛いみたいだ、君の舌で触られても痛いなんて
だよね、わたしキスが上手だって良く褒められるんだ
だろうね、今も気持ちよかった
だからそっちの歯に触らない様にキスするね、うふふ、口開いて
ああ、でも


でも待って
え、わたし口臭いとか?
そんな事ないよ
どうしたの?
少し深刻な話なんだけど
え、お兄さん何か病気なの?
違うよ、待合室での事
なんだー、友達とでも合ったの?
上司とね
えー
遊びに来たのに上司と出会うわ、仕事の話されるはでさ
萎えちゃった?
だからキスよりリナと話をしている方が良いな、おかしい?
ううん、たまにわたし達にお説教をするだけのお客さんもいるから
説教だけで満足するのかな?
わたしが思うに、
ああいうおじさんは若い娘にお説教をして興奮しているのだと思う
俺は違うよ
大丈夫ー、萎えるって事、わたし理解しているよ
女性にしてはめずらしいね
このお仕事を始めてから分かる様になったんだ、
持ち直すのが難しいのよね?
年を取るとたつのも難しくなるけれど、たて直すのはもっと難しい
わたし頑張っている男の人の愚痴を聴くの嫌いじゃないよ、好きかも
それは良いね


だけど本当にお話だけでいいの?
いいよ
わたし、フェラ上手なんだよ、ゆっくり気持ち良く癒されるって評判
残念、次の機会に、萎えてない時に
次はわたしを指名してくれる?
是非
なんだかわたしおねだりしちゃってるね
女性が男に何かをねだるのは悪い事ではないよ
ありがとう、あとで名刺とお手紙書いて渡すからね
楽しみだ
次に遊びに来てくれた時に名詞を受け付けて渡せば指名料が割引になるから
それはすごいね


でも、この衣装、可愛くない?
可愛いね
タンクトップとショーパンだけでも可愛いけど、
わたし下には何も着てないんだよ
凄い
ほらータンクトップの上からでも少し乳首が目立ってるでしょ?
ああ
見る?すこし元気になるかもよ
リナは優しいね
お仕事だから、だってお兄さん折角お金払っているのに
いいんだよ
わたしのフェラ、気持ちいいよ?
それにわたしはおっぱいも結構あるんだよ、ほら手を貸して
本当だ

凄く柔らかい
でしょ、どうする、あっ
おっと失礼、少しだけ俺の気持ちも回復したのかも
そう?あ、本当だ、うふふ、結構固くなっているよ?お兄さん
うん
ズボンの上から触っても分かるって相当じゃない?
折らないでくれよ
うふふ


でもお兄さんはお話をする方が良いんだよね
そうだね
わかった、許してあげるね
俺はゆるされた?
わたしにもプライドはあるもの、満足したから
そうだよね、じゃあ離してくれる?
うふふ、良いよ


会社の人と外で会うってやっぱり嫌だよね
俺は嫌だね、特に仕事の話をされると
お兄さんのお仕事聞いても良い?内緒?
土地関係だよ、売る方の
えー珍しいよ
だよね
作る人は結構お店に来るけど
ああ
売る方の人はもっとお金が掛かるお店にいかない?
俺は薄給だよ、それにこういうお店で働く娘達は可愛いからね
デリヘルで働く娘、とかより?
どちらの娘にも良さはあるよね
お兄さん、結構遊び人?
どうかな
うふふ、なにそれ、うふふ


俺の仕事、最近は忙しくて
わたしには判らないけれど、大変な仕事なんだね
人が動き始める時期だからね
そっかー、そういう季節だね
住宅が売れれば次の土地が必要になるから俺の出番だね
わたしもこっちに出て来た時は大変だったなぁ
リナは東京生まれじゃないの?
うふふ
秘密?
うふふ、お兄さんがそういうなら秘密にしようかな?
気になるよ
うふふ、また遊びに来てね、その時に教えようかな
来るけど、結構営業上手だね、リナは
うふふふふふ


そういえばあの娘はなんて言う名前?
どの娘?
俺の目線の先に居る接客中の女性
えー、次わたしの事を指名してくれるって約束したのに?
彼女の顔が好みで
えー
お気に入りは何人いても問題ないでしょ?
それは、そうだけど
次は絶対にリナを指名するよ
うーん、仕方ないなぁ、彼女はヒナちゃんね、
後で貰えたら名刺持って来てあげるね
ありがとう
ヒナちゃん結構人気なんだよ
そうなんだ
今付いてるお客さんも常連さんだよ
へえ
お兄さん、これで満足した?
ごめん、リナ、怒らないで
怒ってないけど


ごめんごめん
約束してね?
指名?
指名
するよ
わたし、結構がんばってるつもり、
もう時間あまりないけどいまからしてあげても良いよ?
大丈夫
私上手だよ、次も指名したくなると思う
わかった、リナはがんばってるんだよね
生活も大変なの
次は指名するよ
そうして
さっきも君は東京に出て来て大変だと言っていたものね
私は親元から離れて東京に来たのよ
お父さんに反対されたパターンとかかな
お兄さん、それ、正解
だから大変なんだね
そうなのよ


別に君を馬鹿にする訳ではないけれど
うん
リナの年齢で独り立ちするのは苦労したのだろうね
うん、だからここで働いているの
そうなんだ
色々あったのよ
色々試してみた?
ええ
そっか
田舎から出て来ると大変、就職に有利な物も持っていなかったし
そうなんだ
今日お店に来る前にね、駅の前って飲み会の大学生とかが集まってるじゃない
だね
ああいうのを見るとイライラする
分かるよ
五月蝿くて、馬鹿みたい、私はああいうの嫌いなの
うん
ああいうのがお客になる時もあるのよ
そうだよね
その時はいま私がこいつのペニスを噛み切れば、
こいつは死んじゃうのになって思う事にしているの
いい、考えだね
なのに惚けた顔で私にフェラをされてる馬鹿みたいな男
確かに
あ、お兄さんが馬鹿って言う訳では
でも馬鹿な男は多いよね
うん、私の父親とかね
お父さん?
説教だけして帰るおじさんみたいな父親
そっか、嫌で東京に出て来た?
それもあるかな
そっか
しつこいのって嫌だよね
ん?
東京まで追っかけて来たんだよ
お父さんが?
店にも来た
それは嫌だね
そうなの、すごく嫌だった
嫌だね
とっても嫌
嫌、だね
嫌な父親
それはリナも東京にも出て来たくもなるだろうね
おとうさんね、私が無理矢理ここで働かされてるって思ってた
そうなんだ
私を田舎に連れて帰ろうとして
ああ
娘を救い出すヒーロー気取りだったと思う
うん
全然違うのにね
違うよね
昔の人で、独善的な人だから、だからね私は言ってあげたの、
私は自分の意志でこのお店で働いているし、
この仕事も自分で選んだんだからもう構わないで、
私はもう1人で生きる事ができるから早く出て行ってって


うふふ、あの時の父の顔は忘れられないよ
そっか、大変だったね
生活は大変で、疲れる仕事だけれど、
私は自分の選択は間違ってないと思ってる、こうやってお兄さんとも出会えたし
ははは
なんかわたし語ってるね
良いね、自由というのは大切だよ
そうかな?
お父さんから離れたかったんだろう?
うん、自由は大切ね、私あの時は思っていたもの、
自由が本当にあって、自由になる希望もあるなら、
希望に対して自分の体くらいなら幾らでも賭ける事が出来るって
良い言葉だね
ええ、私は胸を張ってそう思っているもの
俺の目にはいま君がすごく楽しそうな顔をして映っているよ
それはそうだよ


だってあの時が私の人生の中に一度だけ訪れた最初で最後の、
父親に勝てた瞬間だったのよ




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「ずっと後ろで暮らしている/どこかに私は落ちている 2ページ目」
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